3、お約束の婚約破棄(ただし当事者ではない)3
話が通じないとはいえ、とりあえず反論しようと思ったが、それより早くヒステリックな叫び声を挙げながら、サリーネを指さして詰るミストが狂気を含んだ瞳で言い切った。
「私は被害者! 私は悪くない! だって私はヒロインだもん!」
でた。義姉のお決まりの自分はヒロイン発言だ。
こうなると何を言っても無駄であることは、この屋敷にいた6年間に嫌というほど学習済である。
あの頃はミストもまだ子供だったから許されたが、19歳にもなって未だにこの妄想癖が治っていないことにドン引きだ。
どんな夢物語に影響されたのかは知らないけれど、自分をヒロインだと信じてやまないミストは昔から何かをしでかすたびにこの言葉を放ち、全てを自分に都合のいいように収めてきた。
亡き前妻の実家がフォルミア子爵家よりも権力のある伯爵家であったこともあり、義姉に甘い父親が許容してきたことも大きい。
そのせいで謂れのない罪や言いがかりをつけられたことが何度あったことか。
しかもちょっとでも彼女のヒロイン設定を否定するような発言をすると、益々逆上して手が付けられなくなるのである。
サリーネは反論しようと開きかけた口を噤むと、ひとまず状況を整理することにした。
ミストはどうやらゴードンと婚約破棄をして、庭師のスティーブなるイケメンと駆け落ちしたらしい。
うろ覚えだが義姉は昔から面食いだった、ような気がする。なにしろ記憶が曖昧なので憶測ではあるが……。
(なるほど……)
サリーネは視線をゴードンらしき人物へ向け、妙に納得してしまった。
従兄妹だけあって、義姉と同じピンクブロンドの髪を肩まで伸ばした彼の顔は、お世辞にも整っているとはいえない造りをしていた。
ひと様の顔の良し悪しをどうこう言うのは良くないが、ゴードンは微妙な顔立ちにも関わらず、真っ白なスーツの胸元に真っ赤などでかいバラの花を付けており、美的センスも抜群に残念だと一目でわかる。
先程、ざっと見まわした時には気づかなかったが、上質なスーツが着こなし方でこんなにもダサくなるのかという典型の男であった。
(どこのホストやねん? 胸に刺したバカでかいバラの花、邪魔じゃないの? あと、そのパッツン前髪どうした? 校則か? 校則が厳しいのか?)
オンザ眉毛でまっすぐ切りそろえられた前髪が可愛いのは、きっと一桁の子供だけだ。
ゴードンの性格や価値観などはわからないが、このセンスの人とは分かり合える気がしない。
サリーネだって、これはないと思ったのだ。
面食いなミストは耐えられなかったのだろう。
しかもミストは超がつくほどの我侭で自分勝手だから、きっと後先考えずに一方的に婚約破棄して逃げ出したことは予想がつく。
だがスティーブなる顔だけ庭師は義姉を置いてトンズラ。
一人残されたミストが市井で生活できるはずもなく、子爵家へ戻ってきたところ、婚約破棄に怒り狂った伯爵とゴードンが役人を連れて父親を糾弾している最中で、そんな時にサリーネが到着したものだからこれ幸いに悪役令嬢に仕立て上げ、罪を擦り付けようとしている、というのがこれまでの経緯なのだろう。
サリーネが大方の予想を立てた所で、それまでミストの三文芝居を冷めた目で見ていたゴードンの父親であるライト伯爵が、サリーネ達の父親に向かって厳しく言い放った。
「とにかく、我が伯爵家が受けた恥辱の見返りとして、フォルミア子爵家には慰謝料を請求する」
「父上、子爵家の娘如きに国王主催の夜会会場で婚約破棄された私の心は大変傷つきました。フォルミア子爵家がある限り私は貴族社会で笑い者になるでしょう。こんな屈辱ありえませんよ」
ゴードンの言葉にサリーネは、紫紺色の瞳を全開で見開く。
(国王主催の夜会で婚約破棄したの? そんな不敬なことをして、よく地下牢にぶちこまれなかったな!?)
あんぐりと口が開いてしまいそうになるのを誤魔化そうとしたら薄ら笑いになってしまったが、それだけ衝撃的だったのだから仕方がない。
「そうだな。宰相と相談して子爵の爵位を返上させることにしよう。そうすればゴードンも少しは溜飲が下がるだろう?」
「そ、そんな!」
「ああ、爵位返上の前に慰謝料として子爵家の領地全てを我が伯爵家でもらい受けなければな。今まで従妹だからと大目にみていたミストの不敬な振る舞いの分も含めれば、それでも足りない位だが仕方あるまい」
伯爵の言い分に父親は真っ青になっているが、ヒロインスイッチの入ったミストは顔を歪めて言い募った。
「だから、私は悪くないって言ってるでしょう! 悪いのは悪役令嬢のサリーネよ! 私はヒロインなんだから!」
義姉よ、まだ言うか……なんという鋼鉄のメンタル。ピンク強いけど金髪だし今後はフルメタル義姉ミストとお呼びした方がいいかもしれない。アンテナの生えた赤いコートの錬金術師ファンにめっちゃ怒られそうだが。
そうサリーネが現実逃避をしている間にも話はどんどん進んでゆく。
「それでは爵位の件は後ほど宰相様より返上の書類が届きますので、それまでに屋敷の整理をしておくように。それから慰謝料代わりの領地の譲渡についてはこちらの書類にサインを」
文官らしき男が差し出した書類へ、伯爵が呆然とした父親の手をとり、親指に朱肉を擦り付けると乱暴に押し付ける。
サリーネが止めようとしたが既に遅く、伸ばした手は空を掴んだ。
「これで、たった今よりフォルミア子爵家の領地は全てライト伯爵家のものとなりました」
文官はそう宣言すると、自分達の仕事は終わったとばかりに騎士達とともに踵を返す。
瑕疵は義姉にあるとはいえあまりに一方的な領地の譲渡に、文官も騎士もきっとライト伯爵家の息がかかっているのだろうと推察された。
しかし父親は蒼白になるばかりで反論さえしようとしない。
幾ら領地経営をサリーネに任せっきりにし、その上前で生活しているとはいえここまで無能だとは思わなかった。
鼻で嗤ったライト伯爵とゴードンが退出するのを、呆然と見ているだけで父親が動かないのを確認したサリーネは、一拍遅れた後慌てて後を追いかける。
父親に代わって謝罪と情状酌量をお願いしなければ、フォルミア子爵家は終わる。
サリーネが謝罪しても無駄かもしれないが、とにかく謝って、少しでも救済措置を与えてもらわなければ、明日から全員路頭に迷うしかないのだ。




