23、魔物の襲来1
「お前……ふざけんなよ?」
「え?」
頭上から聞こえてきた怒りに満ちた声に、サリーネが恐るおそる瞼を開く。
目を閉じたのが悪かったのだろうか、と困惑したまま視線を上に向けると、男性に両肩を掴まれた。
「なんで、もっと抵抗しない? お前は自分の価値を何だと思ってるんだ!」
「だって、ごはんのためですから」
もう迷わない! と言わんばかりにきっぱりと言い切ったサリーネに、男性の方が情けなく項垂れる。
「くそっ、憎たらしいのに可愛いな」
「え? 何か仰いましたか?」
小声だったので聞き取れなかったサリーネが首を傾げた時、娼館中に悲鳴が響き渡った。
「キャアアアアアアアアアッ!!!!!!! 魔物! 魔物が出たわ!!!!!」
魔物という言葉に素早く反応した男性が声のした方へ駆け出す。
サリーネも慌ててその背を追うが、男性は鈍重そうな見た目の割にフットワークが軽快で、どんどん引き離されてゆく。
やはり3年のブランクは大きかったのだ。
冒険者にならなくて正解だったと思いながら、サリーネは急いで廊下を進む。
途中何故か廊下に滑りやすいシートが落ちており、大きな綿の塊が数か所散らばっていたが、大方魔物と聞いて慌てた誰かが、混乱して散らかしてしまったのだろう。
階段を降り裏庭へ続く廊下を出る頃には男性の姿はどこにも見えず、サリーネは弾んでしまった息を整えようとして動きを止めた。
サリーネの視線の先にある裏庭には大人の背丈程のオオトカゲが三体、更にその背後の空には数十体がひしめきあっていたのである。
「え? ちょっと数多くない?」
青褪めるサリーネの視線の先で、オオトカゲは威嚇のためかしきりに唸り声を上げている。
身体の色は緑色なのでオオトカゲの中でも小柄な部類に入るが、それでも厄介な敵であることに変わりはない。
「一体ならともかく、あんなにたくさんだと一人では厳しそう。でもこのままだと娼館も街も被害が出ちゃうよね……」
柱の陰に隠れながらサリーネは逡巡した。
領地でいつもヨシュアと一緒に狩りをしていたサリーネは、一人で魔物を倒したことがない。
けれどもきっと街の人は魔物と戦った経験すらなく、それならばお手伝い程度ではあったが経験のあるサリーネが、住民の避難が完了するまで足止めした方がいいはずだ。
そう決意したところで、ドタタタタッと誰かが階段を転げ落ちる音がした。
けたたましい音にビクっと肩が跳ね上がり後ろを振り返れば、サリーネの客になるはずだった男性が階段下で蹲っている。
サリーネより随分先行していたはずなのに何故か後ろから出てきた男性に、サリーネはパチパチと瞬きをした。
気が付かない間に追い抜いていたのか、男性が遠回りしていたのか、理由はわからないが、男性が階段を落ちた音でオオトカゲ達がこちらに気づいてしまったらしく、ギョロリと大きな瞳を向けてくる。
「ひいいいっ!」
オオトカゲと目が合った男性は悲鳴を挙げて起き上がるも、逃げようとして足を縺れさせてすっ転び、這う這うの体で納戸らしき小さな扉へ頭を突っ込み隠れようとした。
しかし大柄な男性の太った身体は小さな納戸の中に納まるはずもなく、でっぷりとした大きなお尻が外から丸見えだ。
先程、部屋を飛び出して行った時にはサリーネよりも俊敏な動作だったはずなのに、全く違う動きをする男性に違和感を覚えつつも、このままでは彼のお尻はオオトカゲの餌食となってきれいさっぱり無くなってしまうかもしれない。
その証拠に男性と目が合っていたオオトカゲの一体が、ドシンドシンッとこちらへ向かって突撃してくるのが見えた。
「これ、借ります!」
咄嗟にサリーネは柱の陰から飛び出し、庭先に立てかけてあった竹箒を手にして男性の前へ立ち塞がる。
オオトカゲの鉤爪が男の尻を抉ろうとするのを箒で受け流す傍ら、側面から男性を足で突き飛ばし、廊下の奥へ転がした。
「ぶ、無礼者! 儂を誰だと思って……ふぎゅるるるる~」
男性の怒鳴り声と壁に激突する音、その後気絶したのか変な擬音が聞こえたが、そんなものに構っている暇はない。
久しぶりで力加減が出来ずに壁に激突させてしまったが、ひとまず安全な場所に避難させたのだから打撲位は大目に見てほしいと思いながら、手元を確認する。
案の定、オオトカゲの攻撃を受けた竹箒は掃く方がズタズタに裂けてしまったが、柄はまだ無事だったことに安堵したのも束の間、攻撃を躱されたことに怒った正面のオオトカゲが不快気に唸り声をあげ、背後の二体もサリーネに的を絞ったように近づいてきていた。
「獲物があるだけ手刀よりマシよね」
強がりを言ってみるも、獲物は竹箒だけ。
それでもサリーネは果敢にオオトカゲへ向かって跳躍した。
下手な鈍では固い魔物の皮膚に傷をつけることさえできない。ましてやサリーネの手にあるのは刃物ではなく箒である。
しかし昔取った杵柄とはよく言うもので、サリーネは跳躍し正面の一体の鼻面を蹴り上げると、箒の柄の部分で眼球を斬りつけた。
途端にブシュッと青い血液が飛び散り、地面に着地していたサリーネは頭からもろに被ってしまう。
魔物の生臭い血液臭が辺りに充満するが、髪から青い血を滴らせた方のサリーネは気にする風もなく、怒り狂ったオオトカゲが所構わず大暴れするのを、鱗と鱗の間を狙って箒を突き刺し弱らせてゆく。
片目を失ったオオトカゲを倒し、残り二体へも攻撃していたサリーネだったが、気になるのは上空にまだ数十体のオオトカゲがいることだ。
こちらに気づいて集中砲火を受けたら終わりである。
そう考えて、少し意識を逸らしたのが拙かった。
うっかり血溜まりになっている地面に着地してしまい、サリーネがよろける。
その隙をオオトカゲが見逃すはずもなく唸りをあげて鉤爪が振り下ろされるのを、渾身の力を込めて箒で支えようと踏ん張った。
(絶対、痛い。てか、死ぬかも……!)
「助けて……ヨシュア!」
絶体絶命のピンチに、サリーネが無意識のまま助けを呼んだのは、やっぱり大好きな幼馴染であった。




