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22、背に腹は代えられぬとはよく言ったもので3

 女将とのやり取りを聞いて確信したが、やはりこの令嬢は義姉ミストと同類で全く話が通じない。

 サリーネの直感は間違えてはいなかったのだ。

 しかし令嬢はサリーネの呟きに眦を吊り上げると、また暴れ始めた。


「あーもう! 泣くわ、騒ぐわ、暴れるわ、おまけに都合が悪くなるとすぐに自分の世界へ入るわ! 家を潰され気の毒な貴族令嬢だっていうから高値で買ってあげたのに、とんだ大損だよ!」


 漸く従僕達が令嬢を縛り上げると、ぼやく女将に促され引き摺るように連行されてゆくのを眺めながら、サリーネは首を傾げた。


「家を潰され売られた? え? この数日の間に何でそんなことに?」

「あんた、本当にあのお花畑令嬢と知り合いだったのかい? なんでも父親が断罪されて伯爵位を返上するはめになって、母親は出奔しちまったらしいよ。詳しいことは知らないけれど、娘が魔王の逆鱗に触れたせいだとかなんとか零してたね。そん時は気にもとめなかったけど、自分のことをヒロインなんて言う位の娘だから、きっととんでもないことをやらかしたんだろうねぇ」


 そうと知ってりゃ買いとらなかったのに、と舌打ちした女将は浮かべていた笑顔を消す。


「こうなったら切り店の方で破落戸の相手をしてもらうしかないね。生きがいい方がいいって変態じみた客もいるから、いい躾になるだろ。払った金の分はきっちり働いてもらわないとねぇ」


 サリーネへの忠告も込められているのだろう。

 冷ややかに言い切った女将に会釈をして、そそくさと宛がわれた部屋へ戻る。


 女将が言った切り店とは最下層の娼館のことだ。

 値段が安い分、客層も紳士とはかけ離れたヤバめな相手ばかりのところらしい。


 客とはいえ変態の相手は出来ればごめんねがいたい。

 空腹も辛いが、痛いのも嫌だ。

 既に身売りのお金をもらい衣食住の提供をされているからには、サリーネに拒む権利はなく、どうせ遅かれ早かれ客を取るのであれば、ここでノーマルな相手をした方がマシである。


 本当は騒ぎが起こった時、ちょっとだけヨシュアが来てくれたのかと期待してしまった。

 勝手に逃げ出したくせに、ヨシュアが来てくれないことに落胆している自分がいて情けなくなる。

 サリーネが口出ししてもどうにかなったわけではないが、令嬢を見捨ててしまったのは八つ当たりなのかもしれない。


 そんなことを考えながらサリーネが自室の扉へ手をかけた時、後ろから興奮した声が聞こえた。


「おお、新物とはその娘か。黒髪は気に入らんが、顔立ちはなかなかいいではないか」


 振り返れば分厚い眼鏡をかけた太った大柄の中年男性が脂ぎった顔を上気させ、興奮したような荒い息をあげながら、下男に先導されサリーネの方へ近づいてくる。


「常連の上客様だ。粗相のないようにな」


 下男はサリーネへ厳しい口調でそう告げると、満面の笑みを浮かべて男性を室内へ案内し退出していった。

 残されたサリーネは、コクリと喉を鳴らす。


「緊張しているのか? やはり初々しい新物はいいのう。儂が色々と教えてやるゆえ、何も心配せずともいい」


 いや、心配だらけだし、できれば教えてほしくもない。

 けれど、そんなことを口に出せるはずもなく、大柄な男性客は入口で立ち尽くすサリーネの手を取った。


 ぞわわわ。


 一瞬で全身に鳥肌が立ったのなんていつぶりだろう。

 領地で大きな蛇の魔物と対峙した時以来だろうか。

 突然変異なのか頭が三つもある蛇はウネウネと気持ち悪くて、思わず悲鳴をあげて仰け反ってしまったが、あの時は隣にヨシュアがいた。

 それなのに、どうして今、サリーネの隣には彼がいないのだろう。


 食べるために生きるために身を売ったはずなのに、死んでしまいそうなくらいに心が痛む。


「やっぱり、やだーーーーー!」


 叫んだサリーネに、男が目を丸くした。


「やだやだ。無理です。ごめんなさい! お腹が空いてどうしようもなかったんです。身売りしたお金は全額返しますし、食事代も働いて返しますから許してください!」


 勢いよくその場に土下座したサリーネは、ひたすら頭を下げ続ける。

 これでは先程暴れていた令嬢とあまり変わらない醜態だとは思うが、とにかく嫌だった。

 さすがに調度品を壊したりはしないが、号泣しながら土下座で謝罪を繰り返すサリーネに、男が盛大に溜息を吐く。


「お前、娼館舐めてるだろう? 身受けには身売りした時よりも金が必要だって知らないのか? しかも即金で用意する必要がある。お前にその金が今すぐ支払えるのか?」


 サリーネの態度に憤っているのか、男の口調は些か粗野なものに変わっていた。

 声音も先程までの猫なで声とは違い冷ややかなもので、淡々と正論をぶちかまされたサリーネはぐうの音も出ない。


「無理です……」

「だろうな。なら、客を断ることはできないってわかるだろ?」


 絞り出すように返事をしたサリーネに、男は呆れたようにずれかかった眼鏡を持ち上げる。


 男性の言い分は正しい。

 誰だって好きで体を売っているわけじゃない。

 自分だけが辛いんじゃない。

 割り切ったつもりだったのに覚悟が足りなかった。


「…………………………はい」


 サリーネの行いはこの世界で生きている人達への侮辱だ。

 ましてや無理やり売られてきたわけではなく、自分で決めたことなのだから逃げ出すことは許されない。


 顔をあげたサリーネは、徐に立ち上がると寝台の前まで進んで行った。

 途中に置かれた小さな卓の上に、どんなに困窮しても売らなかった『食べられる野草全集』が見え、咄嗟に視線を逸らして男性の方を振り仰ぐ。


「取り乱して申し訳ありませんでした。何分初めてなので何か不都合があるかもしれませんが、よろしくお願いいたします」


 見えなければ耐えられる……かもしれない、と思いサリーネはギュウッと目を瞑った。

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