20、背に腹は代えられぬとはよく言ったもので1
「お腹……空いた……」
ここ数日、森の中で生活していたサリーネは、空になったカップを覗いて溜息を吐いた。
王都からは無事に逃げ出せたものの、随分遠くまで来たせいで馬車代と、その間の宿泊代それに食事代で所持金は既に底をついてしまっている。
最後に買った小さなパンを水でふやかして野草で嵩増ししたスープは、2日前に飲み干してしまって既になかった。
乗合馬車を乗り継ぐ待ち時間の合間に薬草を採取し調合したものの、元々王都へ行ったのも万能薬のせいで売上が落ちていたためなので、サリーネの作る効能毎の薬草は倦厭され、ちっとも売れない。
それもそのはず、行き当たりばったりだが痕跡を残さないように逃亡したせいで、サリーネはよりにもよって万能薬を売り出した宰相が治める侯爵領へ来てしまったのだから、当然といえば当然の結果だった。
手元に残った薬草と、空になってしまったカップを見つめて、サリーネは再度溜息を吐く。
お金がない。
仕事も身元不明では雇ってもらえない。
お尋ね者だから冒険者ギルドに登録もできない。
ヨシュアほどの腕前があれば別だが、サリーネはギルドに所属せず単独で冒険者をするほどの腕前ではない自覚がある。
そうなると後は娼婦になるか鉱山に行くかしか選択肢がない。
ないない尽くし、ない尽くしの中、デブワンピースの袖を捲り上げ、サリーネは腕を曲げ力を入れてみる。
「は~、力こぶないな。これじゃ鉱山は無理か……」
解りきってはいたことだが、貧弱な二の腕に溜息が出る。
できれば娼婦になる選択は避けたかった。
そもそもサリーネがフォルミア子爵家から逃げ出したのは、娼館に売り払われることを忌避してのことなので、嫌悪するのも無理はない。
けれどお金がない現実と、空腹で思考力を失った脳が、サリーネを迷わせる。
「やっぱり娼婦になるしかないのかな。17才になった今なら、あの時ほどの嫌悪感はない、かな?」
自分に言い聞かせるように呟くと、ジワッと目の前が霞んできて、ヨシュアの顔が浮かんでくる。
「やだな……やだよ……」
ヨシュア以外に触れられるのを想像すると大粒の涙が溢れてきて、うわあああんっと盛大に泣き声をあげた。
その時大きく開けたサリーネの口に涙が入る。
途端にサリーネは動きを止めた。
「塩味、美味しい……」
自分の涙の塩味に、極限までお腹を空かせていたサリーネが、カッと目を見開いて呟く。
人間食べねば死ぬのだ。
割り切るしかない。
ヨシュアを想うとまだ胸が切なくなるが、背に腹は代えられないように、好き嫌いでお腹は膨れないのである。
徐に立ち上がったサリーネは眼鏡を外し吹き出物シートを剥がすと、逃亡生活を始めてからずっと着用していたデブワンピースを脱ぎ捨て、一人で部屋にいる時にだけ愛用していた簡素な服を着用する。
特別な蔓草で黒色に染めてしまった髪は元に戻す野草を探すのが面倒なのと、義姉に気色悪いと言われたツートンカラーより単色の方が娼館で高く売れるだろうと考え、そのままにすることにした。
『髪、早く元の色に戻せよ?』
ヨシュアの声が響いてくるが、髪色を戻しても、もう二度と優しく撫でてはもらえない。
「仕方がないよ……」
自分で自分の髪を撫でると、また涙が零れそうになってしまう。
塩味の涙は美味しかったが、泣きはらした顔で身売りに行けば、娼館で訳アリと誤解され買い叩かれてしまうかもしれない。
近くの小川で顔を洗ったサリーネは身だしなみを整えると、街に向かって歩き出す。
途中何度か足を止めたが、その度に空腹に耐えかねたお腹の音に背を押され、気が付いた時には目的の色町まで辿り着いていた。
「ここで生きていく……ごはんを食べるんだ……」
ぐっと拳を握ったサリーネは、色町でもひと際大きな娼館へ入っていったのだった。




