2、お約束の婚約破棄(ただし当事者ではない)2
そもそも8年ぶりに会ったので、父親と義姉さえうろ覚えの記憶から判断しているに過ぎないのに、初対面のゴードンとか婚約破棄とか訳がわからない。
たぶん忌々し気にミストを睨んでいることから察するに、上質なスーツを着ている二人の男性のうち若い方がゴードンなのだろうとは思うが……。
周囲を見回す余裕ができたサリーネだったが、冷静にはなったものの全く話は見えないことに変わりない。
しかし、戸惑うサリーネを後目にミストの一人芝居は続いた。
「サリーネに虐められてた私は、義妹の言いなりになるしかなかったの。でも悪役令嬢とゴードン様が一緒になるところなんて見たくなかったから、スティーブと一緒に家を出たのよ! 信じて! お父様!」
「そうだったのか……ミスト、可哀想に」
(父よ、義姉の言うことを信じちゃうんかーい! どう考えても矛盾だらけでしょうが!)
カクンっと膝がずっこけそうになるのを堪えて、サリーネは心の中でツッコミを入れる。
(大体、悪役令嬢って……。役ってことは演じてるってことでしょうが? 自分で茶番劇だって宣言してどうするよ? 大方、巷で話題の恋愛小説に出てくる旬な言葉を使ってみたかったんだろうけど、残念すぎる。このいかにもシリアスな場面で言える義姉の正気を疑うよ。あ、昔から普通じゃなかったんだっけ)
などとぶっちゃけトークが出来るはずもないので、サリーネは幼い頃母親に教わっていた貴族の話し方を必死に思い出し、顔には笑顔を貼り付けた。
「私はずっと領地で暮らしており、その間に王都へ来たことも旦那様達が領地へお越しになったこともございません。つまり私は、もう8年近くミスト様とはお会いしておりませんが?」
「手紙で脅されてたのよ!」
サリーネの言葉に間髪入れず反論してきたミストに、サリーネは「はぁ?」と言い返したいのを懸命に堪える。
(どうやって? 何か弱みでも握ってない限り無理でしょうが? むしろ私の方が、やれお金を送れ、やれ特産品の高級果物を送れ、やれ美容にいい水を送れ、送らなきゃ戸籍を外して領地からも叩きだしてやるとか脅されてたけど?)
ちなみにサリーネは幼少期の頃から父親のことは旦那様、義姉のことはミスト様と呼ぶ。
そう言わないとミストの機嫌が悪くなるからだ。
サリーネを家族だとは思っていないという意思表示なのだろう。
同じ父親の子だというのに差別され幼い頃は悲しかったが、今では心底どうでもいいと思っている。
内実はともあれ、そんなふうにミストの横暴に従っているサリーネが義姉を脅せるわけがない、とちょっと考えればわかるはずなのに、父親はまるで気づいていないのだ。
その観察眼の無さは貴族というより一人の大人としてどうなんだろうと、サリーネは父親に呆れてしまうが、ミストは悲劇のヒロイン気取りでヨヨヨっと崩れ落ちながら、またウソ泣きを始めた。
「血筋が劣る子爵令嬢の私なんか伯爵令息であるゴードン様には相応しくないって……自分の方がお似合いだから婚約者を譲れってサリーネに言われてたの」
「あの~、血筋の話でいえばミスト様の亡きお母さまはゴードン様のお父上であるライト伯爵の妹君で、お二人は従兄妹同士ですからあまり差はないと思います。むしろ半分は平民の血を引く私の方が相応しくありませんよね?」
「酷い! そうやってすぐ私を脅すのね」
今の会話のどこに義姉を脅した要素があったのか? もし解る方がいたら是非ともご教授ねがいたいとサリーネは強く思った。
ついでに矛盾だらけのミストの言い分も誰かツッコんでほしい。
同じ言語を話しているはずなのに、何故だか昔からミストとは会話が成立しないのだ。
自然災害だから仕方がないのだが、久しぶりに目のあたりにするとやっぱり引く。
「まさか、駆け落ちしたスティーブが私を置いていなくなったのも貴女の差し金だったんじゃ……。きっと彼はどこかで囚われているのね? きっとそうよ! なんて怖い人なの!」
ほうら、また、思考が明後日の方向に飛んで行ったらしい。
「あの……ちょっと何言ってるのかわかんないです」
思わず零れた本音は貴族っぽく話すのを忘れてしまったが、他に言うべき言葉が見つからなかったのだから仕方ない。
きっと風刺画であったら、サリーネの頭上には盛大な「?」が立ち上がっていることだろう。
しかしサリーネの返事など聞いていないのか、ミストは大仰に頭を振ってピンクブロンドの髪を盛大にまき散らすと顔を両手で覆う。
「あぁ、スティーブ、ごめんなさい。私のせいで酷い目に……!」
生来の妄想癖があるのか、こうなったら義姉はもうどうにもとまらない。
脳内では、うららがうららでエンドレスである。
よくもまあここまで自分勝手に話を広げられるものだと感心するが、とりあえず先程から連呼しているスティーブが誰だかわからないので、一人悦に入っているミストへ問いかけた。
「そもそもスティーブって誰ですか?」
「庭師のスティーブよ! あんな顔のいい男を知らないわけないじゃない! あんたはいつもそうやってしらばっくれるから質が悪いのよ! スティーブを解放して! この悪役令嬢!」
スティーブだかストーブだか知らないが、何故サリーネがその男を知っているのが当然だと思うのか不思議でならない。
さっきも言ったではないか?
サリーネは王都に、この屋敷に、8年ぶりに訪れたのだ。
いくら顔が良くても、有名人でもない一介の庭師のことなんて知る由もない。
故に、そんな知らない人を捕らえる理由がないのである。