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14、とばっちり再び1

 ヨシュアと再会した日の夕刻、仕事から帰ってきたサリーネは、再びアパートの隣室から聞こえてきた騒音に目を丸くする。

 え? デジャヴュ? と思ったが、今度の騒動の主は隣室の、朝に修繕した扉の前で金切り声をあげていた。


「私の婚約者を誑かした女を出しなさいよ! ここに匿っているのは解っているんですからね!」


 アパートの狭い廊下を広がるドレスで占拠し長い金髪を翻しながら捲し立てる令嬢に、トンヌラの眉間には深い皺が刻まれ、チンクーが呆れたように見守る中、サリーネが帰ってきたことに気づいたカントが、令嬢に向かってニヤニヤと指を動かす。

 カントの指した方向に視線を向けた令嬢は、サリーネを見るなりこれでもかと眉尻を吊り上げた。


「ふざけないで! こんなオバサンお呼びじゃないのよ! 私の婚約者のヨシュア様が、こんなのに誑かされるわけないでしょう! バカじゃないの!」


 こっちを巻き込まないでほしいとカントを睨みつけるが、令嬢の言葉にサリーネは薄ら笑いを浮かべるしかない。

 瓶底眼鏡に吹き出物付き肉厚シート、そしてデブワンピース。

 確かに変装したサリーネに誑かされる男性はいないだろう。

 けれども、たとえ変装していなくても……。


(そっか……。やっぱり婚約者がいたんだ……)


 辺境伯のヨシュアに婚約者がいないわけがないのだ。

 もともと子爵家、しかも庶子であるサリーネにとってヨシュアは格上過ぎる相手だったが、本当に遠い存在になっていることを実感すると、胸の当たりがツキツキと痛い。


「辺境伯であるヨシュア様が平民なんかに現を抜かすなんて、きっと怪しい薬を使われたに決まってますわ! 伯爵令嬢である私が成敗してさしあげます!」


 サリーネの存在など全く無視して捲し立てる令嬢は、肌が白く長い金髪も艶やかに手入れされている。この場には不釣り合いな豪華なドレスも、夜会会場でヨシュアの隣に並べば相応しい装いとなるだろう。

 おんぼろアパートの廊下に馴染んでいるサリーネとは、生きている世界が違うのは明確だ。


 気落ちしていくサリーネなど目もくれず、令嬢は扉の前に立つトンヌラとチンクーを押しのけるようにして部屋へ入ると、中を見て呆れたように声をあげた。


「何ですのここ。我が家のレストルームより狭いですわ」


 不躾にズカズカと窓際まで入室し辺りを見回して蔑むように呟いた後、令嬢は室内に誰もいないことが納得できたのか、憤慨したように踵を返す。


「もう! ヨシュア様がいると思ったからこんなところまで来たのに、いるのは冴えない下僕と見るに堪えない醜いオバサンだけなんて、とんだ無駄足ですわ! 王都に来ている今がお会いするチャンスですのに!」


 先程は婚約者を誑かした女を成敗すると言っていたが、本当はヨシュアを探しにきていたらしく、令嬢はイライラしながらサリーネの隣を通り過ぎようとした……が。


 おんぼろアパートの廊下は狭い。

 さらにサリーネの綿の詰まったデブワンピースと令嬢のパニエで膨らんだドレスが、おしくらまんじゅうのようにムギュムギュとひしめき合ったものだから、すれ違う間際に運悪く壁から出ていた釘にドレスの裾が引っかかってしまったのである。


 ビリビリビリ。


 聞こえてきた嫌な音に、可能なだけ壁際へ避けていたサリーネがスンっとした表情になる。

 強引に通り過ぎようとする姿を見た時から、こうなる予感はしていた。

 勝手に室内へ押し入り、自分の言い分だけ喚き散らし、周囲がドン引きなのにも気が付かない。

 そんな令嬢のドレスが破けてしまったら……。


 サリーネの抱いた不安の通り、令嬢は破けてしまったドレスに気が付き、大袈裟なほど甲高い悲鳴をあげた。


「きゃああっ! 私のドレスが!」

「あーぁ、破けちゃったっすね~」

「こんな所にそんな恰好で来るのが悪いんじゃん」


 冷めた目でバカにしたように笑うチンクーとカントに、令嬢は真っ赤になった顔でサリーネに詰め寄る。


「そこのオバサン! 貴女が退かないからドレスが破けたじゃない! 弁償しなさいよ!」


 令嬢の言葉にサリーネの脳裏にここ暫く忘れていた人物の面影が鮮明に思い浮かんで、更に表情が死んだ。


 忘れたくても忘れられない。

 サリーネが逃亡生活を送るきっかけとなった義姉ミストだ。

 彼女にまともな話は通じない。


 そして、今、目の前で捲し立てている令嬢も、ミストと同じ部類の人間の香りがプンプンする。

 それに令嬢は貴族だ。

 理不尽なことでもまかり通ってしまうのが貴族であり、平民は唯々諾々と従うほかないのである。


 だが令嬢が着ているドレスを賠償できるお金など、サリーネはもっていない。

 きっと話は通じないだろうが、何とか減額してもらえるよう交渉しようとサリーネが口を開きかけた時、トンヌラの低い声が響いた。


「お嬢さん、それはねぇでしょう。自分の不注意を他人のせいにするなんて、お貴族様だろうが国王様だろうが、それじゃあ仁義が通らねぇ」


 いつも柔和なトンヌラの凍りつくような声音に、流石の令嬢も後退る。


「お、お黙りなさい! とにかくドレスの弁償金は支払ってもらいますからね!」


 捨て台詞を吐き逃げるように走り去った令嬢に、サリーネは一先ず安堵しつつも複雑な胸中だった。

 義姉のミストと同類なら、きっとあの令嬢は自分を許しはしないだろう。

 かといってドレスの弁償なんて到底無理だし、騒ぎになって自分の正体がバレては捕まってしまうかもしれない。

 では、どうするか?


「お嬢、災難だったな」

「あの手の勘違い女は厄介なんすよね~。若も変な女にみそめられちゃったっすね~」

「顔だけはいいもんね、若。性格と戦闘力がえげつない魔王だけど」

「チンクー、それヨシュアが聞いたらまた奪衣婆とご対面かもしれないわよ」


 労わるトンヌラへ微笑み返し、チンクーの言葉に眉尻を下げ、カントへ軽口をたたきつつも、サリーネの頭の中では警鐘が鳴り響く。


 逃げるしかない。

 三年前もそうやって逃げたから、これまで生きてこられた。でも……。


 表面上は普段と変わらない体を装うが、サリーネは心臓をギュウッと掴まれたような気持ちになった。


 また来るまでここにいろと言ったヨシュアの顔が、トンヌラ達との楽しい食事が、サリーネの後ろ髪を引っ張って離さない。

 逃げるなら早い方がいいことは身を以て知っていたのに、サリーネの判断を鈍らせる。


 結局、令嬢が帰ったあと、いつものようにトンヌラ達と食事をしてしまい、翌朝、目覚めたサリーネは激しく後悔することになったのだった。


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