断章 シーゲルのゾンビ征伐
同日、時刻は少しだけ前に遡る。
オルフェの魔法が発動する一時間前のジュリラ近郊――比較的ゾンビの目撃情報が多い平原地帯に、スズカ・コートレール一行はいた。
「はぁ……」
馬車の座席で気だるそうに足を組んだ彼女が眺めているのは、離れた場所で戦闘準備を進めている弟、シーゲルである。
昨日、会議の場で宣言した通り、シーゲル・コートレールは単独でのゾンビ殲滅のためこの場に出向いていた。
その移動用の馬車には、スズカ・コートレールの他にもう一人の人物の姿もある。
「ねぇ、お父さんまでついて来る必要あった?」
「何を言うか、息子の勇姿を見届けるのは親としての役目であろう。はっはっは!」
「お父さんはもう戦えないんでしょう? 万が一、馬車が敵に襲われたらどうするの?」
「そうならないようにお前がいる。我々に危険が迫ったらすぐに知らるのだ」
「はいはい。耳を澄ましてればいいわけね」
スズカは【ペネトレイト】を起動して周囲の音に注意を配る。
これで不穏な何かが馬車に接近しようとしても、それを事前に察知することが可能だ。
「まあ、シーゲルがいれば杞憂だろうがな。……む、始まるぞ」
「そうみたいね」
スズカが【ペネトレイト】の力に頼るまでもなく、人間がその瞳で目視できる位置にはもう、シーゲルに向かって突進するゾンビたちの姿があった。
この付近は問題の発生以降、人の通行が制限されている区域のため、数少ない獲物を逃がすまいとたくさんのゾンビが地面から這い出てくる。
常人が何も知らずにこのエリアに足を踏み入れれば、無事に切り抜けることは難しい。
だが。
「フン、退屈させてくれるなよ――【切花】を抜刀する」
一閃。
シーゲルが振った剣は、襲い来るゾンビの群れ――その第一波を壊滅させた。
【剣聖】により彼の剣術は大幅に強化され、さらにコートレールの家宝である剣、【切花】がもたらすスキル【超越】によって身体能力も限界を超えている。
それはまさに、無双と呼ぶにふさわしい戦闘力だった。
「さぁ、いくらでもかかってこい」
シーゲルは押し寄せるゾンビを次々に切り伏せていく。
その光景は誰が見ても「これだけの戦力差があればじきにゾンビ側が全滅して終わり」という結果を予測するだろうが、それを遠目から眺める二人の貴族は、それぞれ異なる思惑を抱いていた。
「おお! 素晴らしい! 流石は我が息子! このままいけばシーゲルは間違いなくあのグラシュリスを超えるぞ!」
と、息子の勝利を信じて疑わない父。
それはごく一般的な思考といえるだろう。
対して、スズカ・コートレールは表情を曇らせる。
(破壊力は十分にある……けど、戦い方がなっていないわね。最初からあんなに全力を出したらバテてしまう。剣の振り方も拙いし、体重移動もなってない。これはもしかすると……)
とある不安がよぎったスズカは、馬車の運転席にいる御者に向かって声を掛ける。
「ねぇ、いつでも馬車を出せるように準備をしておいてくれる?」
「かしこまりました、お嬢様」
「ありがとう、よろしくね」
「なんだスズカ、この馬車が狙われておるのか?」
「いえ、そういうわけではないのだけど、念のため」
「もうなにも心配いらん、あれだけ派手な戦闘が巻き起こっておるのだ。今のシーゲル以上に目立つ標的なぞおらん。作戦通りにいけば、ジュリラの脅威であるゾンビ共を一ヵ所に集結させて一掃できる」
「一掃ねぇ。ええ、まあ、そうなってくれれば助かるわね……ただ」
先の見えない戦いほどキツいものは無いわよ、とスズカは小さく呟いた。
【一時間後 ジュリラ近郊】
「……くらえ! このっ! はぁ、はぁ……またすぐに次が来るか……」
もう何体目かも分からないゾンビを、シーゲルは家宝の剣で切り伏せる。
戦場となった平原に押し寄せるゾンビは、その全てが斬撃で消滅していく。
初めはやられる気配など微塵もなかったシーゲル。
だが、彼の肉体は徐々に疲弊していた。
ゾンビの攻撃がその身に届くのは時間の問題である。
一つの街が「由々しき事態」として認識する規模でのモンスターの大量発生。それを一人の人間でどうにかする、という行動自体が間違っていたのかもしれない。
実際にそういう荒事をやってのける人間は存在するのだろうが、少なくとも、彼はそうではなかった。
「くそっ! 数が多すぎる、何匹倒せば片が付くんだ……!」
苦悶の表情を浮かべながら剣を振り回すシーゲル。
諦めることを知らないゾンビの群れを殲滅するスピードは、目に見えて遅くなっていた。
「……ふむ」
その様子を見て、スズカ・コートレールは顎に指を添え――静かに頷く。
身から出た錆び……とでも言うのかしら。
家を継ぐのはどうせユーマだからって不貞腐れて、よく剣の修行をサボっていたものね。
まあ、気持ちは分からないでもないけど――今回はそれが仇になった、と。
「これ以上は危険ね。お父さん、シーゲルを回収して撤退しましょう」
「何故だスズカ。シーゲルは依然としてゾンビを蹂躙しているではないか」
「もうヘロヘロじゃない。【剣聖】で攻撃の威力は上がっても、スタミナがそれに追いついていないわ」
「だが【超越】によって肉体は限界突破しておるのだぞ? あの剣をグラシュリスが使った時は龍を相手に三日三晩も戦い続けたというのに!」
「鍛えないと体力は付かないわよ。シーゲルはそもそもの限界値が低いから、スキルの効果も薄いんじゃない? どこに行くにも馬車っていうのは考え直した方がいいわね」
「し、しかしだな、それではコートレールの面子が……!」
「面子よりも命でしょう。このままここで戦い続けていたら、コートレール家はまとめてゾンビになってしまうけれど」
「むぅ、やむを得んか……おい、撤退だ! 馬車を出すぞ!」
怒鳴りつけるような声で発車を促された御者は、慌てた様子で主人の方を振り向く。
「あ、あの、シーゲル様は……?」
「すぐに戻ってくるようにと伝えろ!」
「はい。……シーゲル様! ご主人様は撤退する意向を固められました! シーゲル様もお戻りを!」
「……戻れと言われても、この数の敵を振り切って馬車まで下がるのは……」
自分を取り囲むゾンビの群れを見回しながら、シーゲルは考える。
今の体力ではおそらく不可能だ、と。
「どうしたのだシーゲルは? 何故戻ってこない?」
「来ない――というか、来れないんじゃないかしら」
「なんだと!? そこまで消耗しているならもっと早くに撤退するべきだろう!」
「シーゲルはこれが初陣なんだから、その辺の感覚はまだ分からないわよ」
「くっ、なんということだ……!」
「まったく、仕方ないわね。私が連れ戻してくるわ」
そう言って、スズカ・コートレールは馬車から降りる準備を始める。
護身用に持ってきていた剣を手に取り、軽くため息をつく。
(いやはや、面倒なことになったわね。あまり相性が良くない相手だし、私も無事で済むかどうか……)
スズカ・コートレールの【ペネトレイト】は、あらゆる物体の持つ情報を音として感知することができる。
たとえ優れた武人が相手でも、その動きが予測できていれば勝つのは容易い。
王都では指折りの実力者として名高い彼女だが、唯一、対多数での戦闘は苦手としている。
あまりに多くの音が混線していると、それぞれの動きが聞き取りづらいのだ。
(まあ、弟の面倒を見るのは姉の役目だし、とりあえず、気合を入れてやれるだけやってみましょう。【ペネトレイト】を完全起動……ん?)
【ペネトレイト】の感知能力を戦闘状態まで引き上げたスズカは、頭の中で何かを捉えて固まった。
遠方から何か、聞き覚えのない「音」が迫ってくるのだ。
(これは……何らかの物体……もしくは魔法? 少なくとも人間のスピードではない。いえ、それよりもこの音、このままだとここを通過する……!)
それが何かは分からないが、とにかく何かしらが超高速で自分たちへ向かって接近してくる。
「シーゲル、伏せなさい!」
「? 姉様、いきなりなにを――」
「いいから早く!」
「っ!」
珍しく声を荒げたスズカに気圧され、シーゲルは言われるまま姿勢を低くする。
その直後。
ドオッ!
眩い閃光がシーゲルの真横を通過し、そこにいた大量のゾンビと、そこにあった地面を纏めて消し去った。
「な……」
その場にただ一人だけ残ったシーゲルは、ゆっくりと顔を上げて周囲の状況を確認する。
しかし何が起こったのかは分からないため、彼が抱えている混乱を消すまでには至らなかった。
「な、なんですか、今の光線は……」
「……普通に考えるなら、どこかの誰かさんが使った魔法でしょうね」
「魔法って……付近の人払いは済ませたはずですが」
「そうね。この近くには誰もいないはず。だからまあ、あれは遠くから撃たれたモノ、ということかしら」
「威力が減衰してもまだ、あれだけの威力が出ていると? あり得ません、そんなこと」
「でも、そう考えるしかないでしょう?」
呆然としているシーゲルの言葉に、スズカは淡々と答える。
とはいえ、彼女自身もまったく理解が追い付いていなかった。
(見た目と『音』で判別するなら『フルバースト』が一番近いけど……なにかしら、この感じ。あの不思議な『音』。普段、耳にする魔術の『音』とはまるで違う音色だわ。それに威力だって桁違い。あれではまるで魔導院の院長クラス……いったい誰が……いえ、今は撤退が最優先ね)
そこでスズカは一旦考えるのをやめ、冷静に、馬車の御者へ指示を出す。
「馬車を出して。ちょうど邪魔者もいなくなったことだし、シーゲルを回収して撤退するわ」
【十分後 馬車内】
「さっきの魔法を使ったやつを探します」
帰還中のシーゲルは、苛立ちを隠せない様子で呟く。
「探してどうするの? その様子だと、お礼を言いたいわけじゃなさそうだけど」
「糾弾します。もしあれが僕に直撃していたら大変な事態になっていました。コートレールという名家の跡継ぎに対して、あのような行為は許されません」
「……ふぅん」
命を救われた、という考え方もできるけどね――スズカは喉元まで出かかったその言葉を飲み込み、曖昧な相槌で返す。
「見つかるかしらねぇ。付近に退避命令は出ていたんでしょ?」
「はい。なので今から、魔法が飛んできた方向に向かいます。その痕跡を姉さんの【ペネトレイト】で探していただきたいのです」
「……本気?」
「当然です。誰がこのような事をしでかしたのか確かめなくては。この街の問題を解決するのは、僕でなければいけないのに……!」
「…………」
魔法の発動者に怒りを燃やすシーゲルに対し、スズカは複雑な心境を抱く。
若気の至りというやつかしら、傲慢よねぇ。
愚かではある。
あるのだけど。
一応、これでも可愛い弟なのよねぇ。
「……まあ、いいでしょう。良い経験になるわ、きっと」
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