修行におでかけ
※※※
「今日もいい天気ですね、あるじ様」
「ああ、こんな日は昼寝でもしたい気分だ」
翌日、俺とクレアとオルフェは、昨日に引き続き街の外にいた。
爽やかな風が吹き抜ける草原にて、俺とクレアは木の下で休憩中。オルフェは少し離れたところであぐらをかき、目を閉じて座禅を組んでいた。
俺たちが何故そんな状況にあるのかを簡潔に説明しよう。
……気は進まないけどね。
それは今朝の事である。
フォーリアが優秀な魔法使いを屋敷に招待し、さぁオルフェのレッスンを始めようということになったわけだが、その一歩目で凄まじい事実が発覚した。
「では、まず初めにこちらの水晶でオルフェさんの魔力量を測定します。その結果をもとにレッスンの予定を立てていきますので」
「なるほどね、よろしく頼むわ――じゃなくて、えっと、よろしくお願いします。先生」
「こちらこそお願いします。あ、割と早めに計り終わりましたね。どれどれ……え?」
「どうしたんですか?」
「あの、た、大変申し上げにくいのですが……オルフェさんの身体には、魔力がありません」
うん、そりゃ使えないわけだよ。だって魔力がないんだもん。
なんというか……本当に盲点だった。
基本的に、量の個人差はあれど、人間はみんな魔力を持っているものだから。
つまり、オルフェは身体に魔力を宿していない特異体質、ということになる。
魔力っていうのはこう、運動神経みたいなもので、ある程度持っている人間なら上達の見込みがあるものの、元々壊滅的に無い人間が向上するのは至難の業らしい。
ただ、魔術師の先生曰く「空気中の魔力が多い環境で、長い時間をかけて精神を研ぎ澄ませば、もしかすると魔力が宿るかも。そういうケースもあるには……あります」ということだったので。
こうして、街中よりは空気中の魔力が多いであろう郊外の草原に来ている次第だ。
だが。
「オルフェ、転職するなら早い方が良いぞ」
「いや、しませんけど」
「明日、早速ギルドに行こう。お前は意外と綺麗だから受付とか向いてると思うんだが――」
「だからしませんけど!? ていうか『意外と』って付けないで! 私は普通に可愛いから!」
「はいはい」
喋らなければ普通に可愛いかもね。
「もう! 気が散るから話しかけないで!」
フン、とオルフェはそっぽを向いて精神統一のために再び集中する。
まあ、本人がやるっていうなら尊重はしたいが……。
「人には向き不向きってものがあるからなぁ。オルフェにはもっと他に良い仕事があると思うんだけど――って、どうしたクレア?」
オルフェの方から視線を戻すと、クレアがなにやら辺りをキョロキョロと見回している。
まるで天敵を警戒している小動物みたいだった。
「あ、お気になさらず。近くにゾンビが出没していないか見ているだけなので。ご安心くださいね、あるじ様とオルフェさんはわたしが守りますから」
「頼もしいな。けど大丈夫だ。この辺りにゾンビは出ないってフォーリアが言ってたから」
「そうなのですか? では安心ですね!」
「ああ、今日はクレアものんびりしてるといい」
さてと。
それじゃあ俺はこの待機時間を使って【零点特化】の性能実験をするとしよう。
ジュリラに来てから中々忙しかったので、未だに全容の把握はできていないんだよね。
ええっと、まず今の時点で判明しているのは、スキルを発動すると対象の能力が極端に低下するという事。
その効果は右手で使うと自分に、左手で使うと他の誰かに、といった感じ。
これを使われると実力差は確実にひっくり返る。弟やオーク相手に歯が立たなくなるし、逆にオーク程の大型モンスターであっても、小柄なメイドのワンパンでKOだ。
絶対に把握しておきたいのはやっぱり、スキルの効果が及ぶ数だな、大勢の相手をしないといけないような状況に陥った際、どこまで戦えるかの判断基準になるし。
なのでちょっと二人にも付き合ってもらおう。
俺はオルフェに左手を向けて【零点特化】を発動する。
『【零点特化ノ発動ヲ確認。レフトリバース開始。対象の能力をゼロに固定】』
「……なんかダルくなってきたわ。もしかしてこれが魔力なの……⁉」
己の身体に起きた異常に戸惑いを隠せないオルフェ。心なしか嬉しそうである。
気の毒だからさっさと済ませてしまおう。よし、次に俺自身へ発動。
『【零点特化ノ発動ヲ確認。ライトリバース開始。自身の能力をゼロに固定】』
うわ、やっぱキツいなこれ。身体が重い。
「あ……もうなんともなくなった……気のせいだったのかしら? いやいや、良い傾向だわ。これならすぐに魔力が目覚めるかも」
オルフェは目を瞑ったままブツブツと独り言を呟いている。どこか嬉しそうに。
俺に対して使った瞬間オルフェが元に戻った――ということは、効果があるのは一人分だけか。
大勢との戦いは避けた方が良いな、うん。
で、もう一つ気になっているのは――
『【零点特化】ノ発動ヲ確認。ライトリバース開始。自身の能力を通常値に復元』
これだ。
俺は自分への【零点特化】を解除しながら、頭の中で響く声に意識を向ける。
スキルを発動すると必ずこの音が……音というか声? まあなにかしらが聞こえてくるわけだが、一度目は『対象の能力をゼロに固定』と言っている。
ってことは、そのゼロにする能力を少しくらい調整できてもおかしくはないはずだ。
俺はこのスキルの一番の被害者だから分かるんだけど、自分の耐久力みたいなものが全部なくなった状態で受ける攻撃は死ぬほど痛い。
これから先、戦うたびにあのダメージを敵に叩き込むのはこっちの心が痛んでしまう。
なので状況によってスキルの効果や出力を弄れたら便利なんだけど……。
とはいえ、どうすればいいんだろう。魔法みたいに呪文があるわけでもないしなぁ。
「【零点特化】を防御力ダウン抜きで。なんてね」
ま、流石にこんなラーメン屋の注文みたいな感じじゃダメに決まって――
『【零点特化】ノ発動ヲ確認。ライトリバース開始。自身の能力(防御以外)をゼロに固定』
……え? 注文通った?
あー、うん、発動自体はできてるっぽいな。身体がダルくて動きは鈍くなってる。
確かめてみよう。
「あのさクレア、ちょっと俺を殴ってくれる?」
「ま、またですかあるじ様……!? ストレスが溜まっているならお屋敷で休まれた方がいいかと……」
「いや、別に疲労のせいで変な趣味に目覚めたわけじゃなくて、ちょっとスキルの実験をね?」
「はぁ……なるほど。そういうことでしたら……し、失礼いたします」
ぽすっ。
クレアは遠慮がちにパンチを繰り出した。
「ど、どうですか?」
「おお、痛くない……」
従来の【零点特化】発動中なら、オークやチンピラと同じく大ダメージを受けるはずなのに……それがない。
すごい、ちゃんと調整できるじゃん。
いいぞ、思った以上に便利だコレ。
これならもしかすると、オルフェを助けてあげられるかもしれな――
と、そこで。
「あるじ様、そろそろお昼にしませんか?」
クレアからそんな提案を受けた。
イカれた主人から二撃目を求められる前に話を切り替えた、ともいう。
「わたし、お屋敷の厨房をお借りして作ってきたんです」
言いつつ、クレアは持ってきていたオシャレなバスケットを俺の前に置く。
フォーリアの私物らしきそのバスケットには、たくさんのサンドイッチが入っていた。
「おー、うまそう」
「急ごしらえでしたので、あるじ様のお口に合うかは分かりませんが……」
「何言ってんだ、クレアが作ってくれた料理ならおいしいに決まってるだろ?」
「あ、あるじ様……!」
「じゃ、ありがたくいただきます」
俺はサンドイッチを手に取り、そのまま頬張る。
……!
うまい、うますぎる。
トマトにハム。レタスなどの具材がパンによって見事に調和しているではないか……!
この仕事が終わったらクレアの才能を生かして飲食店でもやりたいくらいだ。
「うまいよクレア、うますぎる」
「本当ですか。良かったです……!」
クレアは安堵と遠慮が混ざったようなテンションで相槌を打つ。
彼女はとてつもなく謙虚なので、昔からずっとこの調子だ。
才能があるから街に出て料理の勉強をしてみないか、と提案しても「いえそんな、わたしなんて……」といつも断っていた。
森の中の屋敷で眠らせておくには勿体ない逸材なのに。
そう考えると……こういう形とはいえ屋敷の外に連れ出せたのは幸運かもしれないな。
「あの、オルフェさんも一緒にどうですか? 朝からずっとその状態ですし……一度休憩されては?」
「ありがとクレア。でもいいわ。今ちょうどいい波が来てるから」
「そ、そうですか。分かりました。ちゃんとオルフェさんの分は残しておきますから、お腹が空いたら言ってくださいね」
そう言って、クレアは彼女の分のサンドイッチをあらかじめ取り分ける。
優しい。
食事中なので特に気の利いた褒め言葉が出てこないのが申し訳ないくらいである。
「これでよし、と。ではわたしもいただきますね!」
オルフェの分を振り分け終わり、クレアは勢いよくサンドイッチを頬張る。
良い食べっぷりだ。
「こんな自然豊かな場所でランチを食べられるなら、家を追い出されるのも悪いことばっかじゃないな」
「そうかもしれません。わたし、こうしてあるじ様と外出するのは久しぶりです」
「だな。クレアがウチに來てからはずっと屋敷で働いてもらってたし」
「それはいいんです。わたしがやりたくてやっていることですから」
「そうはいってもさ、もっと自分のやりたい事とか優先してもいいんだぞ?」
「やりたい事ですか? うーん、そうですね……」
クレアは目線をやや上方向に固定して考えるような素振りを見せた後、キッパリと言う。
「だったらそれはやはり、あるじ様のお世話をすることです。あるじ様に拾っていただいたあの日からずっと、わたしのやりたい事はそれだけなんです」
「クレア……」
その淀みのない真っすぐな瞳を見るたびに、俺はあの時のことを思い出す。
俺が初めてクレアに出会ったあの日。
もう五年も前になる、あの日、俺は――
「ねぇところで、二人はどういう関係なの?」
「…………」
それを説明するために回想に入るとこだったんだけど。
いつのまにか傍に来ていたオルフェによって中断されてしまった。
「お前、修業はどうした?」
「続けようと思ったけど、腹が減っては何とやらってね。ご飯を食べてからにするわ。二人の話を聞いてて、ちょっと聞きたいこともできたし」
「聞きたいこと?」
「ええそう。こんなに可愛いメイドさんを従えてるような人間が、どうして貴族に雇われてこんな最前線にいるのかなぁ、と思って。普通はほら、そういう人って高級な椅子とかに座って指示を出してるもんじゃない? 偉そうに」
「そのイメージはちょっと間違ってると思うけど……」
ちょっとというか、かなり。
「私はよく知らないけど、フォーリアってあの街のお偉いさんなんでしょ? そんな人とも随分親しそうだったし、もしかしてアルジって偉いの?」
「いや全然。俺たちがフォーリアの屋敷に泊めてもらっているのは、彼女から依頼を受けているから。それだけだ」
「でも、クレアちゃんはアルジのメイドさんなんでしょ?」
「まあ厳密にいうと、今のクレアがメイドをやってるのは趣味みたいなものだから」
「そういうプレイってこと?」
「そういうことでは絶対にないんだけど!」
誤解を招くような言い方はやめてほしい。
なーんか説明する気が失せてきた。
「じゃあどういうことなの?」
「いい、俺たちの話はもういいから。今はちゃんと昼ご飯を食べろ、ほら」
「えー、まだ聞きたいことがあっ――むぐっ……ん……おいしい……!」
「だろ? クレアの料理の腕を舐めるなよ」




