断章1 スズカ・コートレールの憂鬱
森の中で泰然と構えるコートレールの本家にて。
「ただいまお父さん、身体の調子はどう?」
と。
お気に入りのお気に入りの高級なバッグをイスに置きつつ、スズカ・コートレールは言った。
彼女が身体を案じている「お父さん」とはユーマやシーゲルの父親にもあたる人物だ。
つまり、今年で二十歳の誕生日を迎えるスズカ・コートレールは必然的に、ユーマの姉ということになる。
「おぉ、帰って来たか愛娘よ。王都での仕事が忙しいというのにすまないな」
「分かっているならいちいち呼ばないでほしいわね。ここ、王都からだとすごく遠いのよ?」
「そう言うな。父親の身体が心配ではないのか?」
「それ、私を呼び戻すための口実でしょ? いつものことだけど、お父さんは私が診る必要もないくらい健康よ」
「よいではないか。たまには里帰りをしてもバチは当たらん。ほれ、定期検診がてら王都での話を聞かせてくれ」
「もう……仕方ないわね」
呆れたように言いながら、ソファに座っている父親の横へ腰を下ろすスズカ。
そして、その長い黒髪をかき上げて耳を露出させる。
「……うん、どこからも悪い音は聞こえないわ。至って健康ね」
「本当か? もっとしっかり診てくれ」
「だからこうして耳を澄ましているでしょう? それより二人はどこ? 私がこうして遠路はるばる戻って来たのは可愛い弟たちがいるからだというのに」
「ああ、そのことなんだが――」
「――おや、帰っていらしたんですか、姉さん」
コートレールの親子の会話は、何気なく部屋に入ってきたシーゲルによって中断された。
というより、弟へ興味が移ったスズカが意図的に中断した。
「久しぶりねシーゲル、しばらく見ない間にまた背が伸びたんじゃないかしら? このままだといずれ追い抜かされそうね」
「ありがとうございます。コートレールの者としてふさわしい風格が身に付けば幸いです」
「幸いです、だなんて……なんだかすっかり大人っぽくなったわね。ねぇシーゲル、【天恵式】はどうだったの? 素敵なスキルは頂けた?」
「はい。僕は【剣聖】のスキルを授かりました」
「へぇ、凄いじゃない。これでコートレール家は安泰ね。ところで、ユーマは一緒じゃないの? せっかくだから、愛しい弟が二人揃っている光景を見てから帰りたいのだけど」
「おや、父上から聞いていないのですか?」
「……? なにかあったのかしら?」
「アイツは訳の分からないスキルが発現したので家を追い出しました」
「……は?」
それを聞いて、自らの耳を疑うスズカ。
彼女がそんな状況に陥るのは、四年前の【天恵式】以来だった。
「ひ、久しぶりに音を聞き間違えたみたいね。シーゲル、悪いけどもう一度言ってくれる?」
「ですから、アイツはもうコートレールの人間ではありません。何の役にも立たないスキルを持つ人間が次期トップというのはふさわしくないので」
「だ、だから追い出したの? 私の可愛いユーマを?」
「ご安心ください、姉さんにはまだ僕がいるじゃないですか」
「まだ、とか、そういう問題ではないでしょう」
「姉さんは、やはり血が繋がっているユーマの方が可愛いんですか?」
「……あのね、シーゲル。よく聞きなさい」
一度深呼吸して息を整え、スズカは諭すように言う。
「血の繋がりなんて関係ありません。私の弟は二人じゃなきゃダメなの。もし今回の件の立場が逆で、貴方が家を追い出されていたとしても、私は同じように怒ったわ」
まあ――あの子はそんなことしないでしょうけど、と外出の支度を始めるスズカ。
「予定変更。少し出掛けて来るわね。それと、しばらくはここに泊まらせてもらうから」
「どこへ行く気だスズカ? 長旅で疲れただろうに」
「まったくもう、お父さんはどうして止めなかったの?」
「ワシはいつでもコートレールの未来のことを考えておる。それだけだ」
「……そう、賛成したのね」
スズカは思う。
父は家族のことを、コートレールという一族を構成するパーツとして捉えている。
もし私が王都で働いていなかったら、こんな風に大事にしてくれなかったのかしら。と。
「私、ちょっと森を探してくるわ」
「どうせもうおらんよ。それにもう夕方だ、森はモンスターどもがうろついて危ない」
「大丈夫よ。私は彼らには襲われないし、どんな小さな痕跡だって見つけられるから」
【十分後 コートレール邸、近辺の森】
ていうか弟の一大事にそんなこと言ってる場合じゃないし。
「まったく、あの二人は何を考えて……」
鮮やかな緑の木々が立ち並ぶ森の中を、スズカ・コートレールは歩いていた。
自身の周囲に気を配り、ほんの僅かなヒントも取りこぼさないよう、慎重に。
「徒歩でここから街に向かうとしたら……やっぱり一番近いジュリラよね。だとすると、この道沿いをユーマは通って行ったはず。なにか情報が得られればいいのだけど」
と、スズカは再び黒髪をかき上げて耳を露出させる。
【ペネトレイト】。
彼女が四年前に【天恵式】で得たスキルは、様々な物の情報を音として収集することができる。
健康状態に問題がある人間からは不協和音が聞こえ、敵意や悪意を持った生き物が近くにいれば、それは不快な音として彼女の耳に届く。
故に、彼女は王都で城の検問官を任されており、謀反者やスパイといった危険分子を日々弾き出している。
当然、危険な仕事ではあるのだが、【ペネトレイト】は人が動こうとした際に身体から響く音を捉え、いわゆる行動の先読みをすることができるのだ。
そのためスズカ・コートレールに不意打ちは通じず、余程の実力差がない限り、戦いで彼女に膝をつかせることはできない。
しかし。
「ああ、ユーマ。どこにいるの? きっと今頃、お姉ちゃんが恋しくて泣いているわ……!」
ブラコンである彼女は今、別の理由で膝から崩れ落ちそうだった。
忙しい合間を縫った今回の帰省も、弟たちに会えると思ったから決行したというのに。
「一刻も早く見つけて、おいしいご飯を食べさせて、そして抱きしめてあげるからね。待っていなさいユーマ、お姉ちゃんがすぐに――ん?」
スズカの耳はそこで異音を捉えた。
【ペネトレイト】は生物だけではなく、物質からも情報を音として入手することができる。
「森の中なのに、なにか人の手が加えられたような音が聞こえる……行ってみましょう」
沿道から逸れて森へと足を踏み入れるスズカ。
音のする方向へしばらく進んでいくと、そこには――
「何故こんなところにバッグが落ちているのかしら……まだ新しいから捨てられたわけではなさそうだけど」
スズカは茂みの中に落ちていたソレを拾い上げ、中身を確認する。
入っていたのはお金と服だけ――しかし、彼女にとっては十分な手掛かりだった。
「コートレールの紋章が刺繍されているということは、この洋服、間違いなく屋敷から持ち出されたものだわ。けれど、これがユーマの物なのかまではスキルじゃ分からないし……うーん、どうしましょうか」
スズカは少し思案した後。
あるいは、思案する振りをした後。
「……誰も見てないわよね?」
と、周囲に人がいないことを【ペネトレイト】で確認してから衣服に顔をうずめる。
それから、スンスン、と軽く呼吸を数回。
「ユーマの匂いがする……ということは確実に絶対に疑いようもなく、これはあの子が持っていた物だわ。私が弟の匂いを間違えるはずがないもの」
そう、なぜか恍惚とした表情で言うスズカ。
情報源としては絶対的に音を重視する彼女らしくもなく、そんな結論に至ったのだった。
「こんな場所で手放している以上、何かイレギュラーな事があったんでしょうけど――近くから怪我人や死体の『音』は聞こえないし、最悪の展開にはなっていないみたいね」
ユーマの生存を確認し、スズカはひとまず一安心――といった様子でため息をつく。
が、すぐさま。
「……いえ、安心してはダメよスズカ。荷物がここにあるのなら、あの子は今手ぶらで世界を彷徨っているのだから。こうしちゃいられないわね。明日は朝からこの匂いを辿って――じゃなくて、この『音』を辿ってみないと」
貴重な情報源であるバッグを確保し、スズカ・コートレールはその場を去った。
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