9...妖廻達
演説を終えた鵺宵は、阿戯斗と鎖凪に連れられて、城の階段を幾つも上っていた。
途中、阿戯斗が、鵺宵に言う。
「鵺宵。
聖巣教団にはね、お前以外に5人の妖廻がいるのだ。
大魔天狗様、怒天狗様、泣天狗様、笑天狗様。
そして、綾女」
「ふーん」
鵺宵は、理解できないままに、適当な返事を返す。
「その中でも、大魔天狗は、神にも等しい御方だ。
そして今から、鵺宵を大魔天狗様にお見せする。
くれぐれも粗相のないようにな」
「わかった」
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鵺宵は、阿戯斗に連れられて、城の最上階へと続く階段の前にいた。
「鵺宵...この先に、大魔天狗様がいらっしゃる。
粗相のないようにするのだぞ」
「うん...」
聖巣教団が崇める妖廻の中でも最も高位の存在が、大魔天狗という妖廻なのだと、鵺宵は教えられていた。
鵺宵は、阿戯斗の臀部を見つめながら、急な階段を登っていく。
「わぁ」
階段を上りきった鵺宵は、阿戯斗の足の隙間から顔を出し、部屋を覗いた。
そして、小さく驚きの声を漏らした。
そこは、こじんまりとした空間だった。
床も壁も木で出来ており、天井は梁が向きだしである。
壁には大きな窓が開け放たれており、闇が覗いていた。
部屋の奥には行燈、置き畳、脇息。
そして、置き畳の上には、脇息に肘を置いて寛いでいる大男の姿があった。
彼は他でもない。
大魔天狗であった。
大魔天狗の背には黒く大きな翼が、折りたたまれてもなお、その存在感を露わにしていた。
鼻は高く、堀が深い。
真っ白い肌には、太い血管が透けて見える。
そして、行燈の明りに煌めく黄金の髪。
神々しさと共に、威圧感を放つ彼こそが、大魔天狗であった。
大魔天狗は、部屋の入り口に立つ鵺宵に視線をやる。
「ん...」
それだけで、鵺宵は萎縮してしまった。
鵺宵は、阿戯斗の後ろに隠れようとしたが、
阿戯斗は、部屋へと進んでしまう。
鵺宵も仕方なく後を着いていく。
「随分と間抜けな子でありんすね」
その時、突如、どこからか刺々しい女の声がした。
「...え?」
鵺宵は辺りをキョロキョロ見回すが、その場に居るのは阿戯斗と大魔天狗だけであった。
「間抜け」
その声は、天井から聞こえてきていた。
鵺宵は上を見上げる。
「わぁ」
鵺宵は再び驚き、声を漏らす。
天井の梁に化け物が張り付いていたのだ。
化け物は下半身が大きな蜘蛛、上半身が人間の女の姿をしていた。
彼女は、女郎蜘蛛であった。
「...えっと...よろしくね?」
鵺宵は、心臓をバクバクと鳴らしながらも、何とか言葉をひねり出した。
「ふん、何がよろしくでありんすぇ。
さっさと出て行きなんし」
女郎蜘蛛は、意地悪く顔を歪めて言った。
「綾女。
鵺宵は偉大な妖廻になるのだぞ?
そのような粗野な態度は止めなさい」
女郎蜘蛛の無遠慮な言葉に阿戯斗は眉をひそめた。
綾女、それがその女郎蜘蛛の名だった。
「はっ。
でありんしたら、その偉大な妖廻とやらになってから言うんでありんしょ。
こな薄鈍のちんちくりんでは、話になりんせん」
「綾女!」
阿戯斗が声を荒げた。
「毎度のこと、騒がしいな。
お前らは」
その時、重く威圧感のある男の声がした。
大魔天狗が口を開いたのである。
綾女も、阿戯斗も大魔天狗の言葉に、ビクリと体を震わせ、即座に襟を正した。
「も、申し訳ございません!」
「も、申し訳ございんせん!」
二人の声が重なる。
「よい。
それよりも...
早う、そのちんまい毛むくじゃらを見せんか」
大魔天狗は、太い指で鵺宵を指し示した。
「はっ、ただいま...
鵺宵、行きなさい」
阿戯斗は鵺宵を促した。
「う、うん...」
鵺宵は恐る恐るポテポテと大魔天狗の方へ歩んでいく。
それほど、広くない部屋であるにも関わらず、鵺宵にはその一歩一歩が果てしなく遠く感じられた。
「ほう...」
大魔天狗が、突如大きく目を見開いた。
鵺宵はその眼光に怯み、歩みを止めてしまう。
「近うよれ、もっとだ」
大魔天狗は震える鵺宵を見定めるように睨んだ。
「いいよ...」
鵺宵は更に足を踏み出し、大魔天狗がその太い腕を伸ばせば首根っこを鷲づかみに出来る距離まで近づいた。
「よし」
大魔天狗は、満足そうに言うと、小刻みに震える四足歩行の毛むくじゃらをつぶさに観察した。
「...ふむふむ、面白い。
既に随分と強い力を持っているようだな。
やはり、そこらの有象無象とは訳が違うか...
素晴らしい出来栄えだ」
「えぇ!
そうなのです!
大成功と言っても過言ではありません!」
後方に控えていた阿戯斗は興奮気味に声をあげる。
「よし!
お前達!」
突如、大魔天狗が声を張り上げた。
すると、左右の大窓から覗く闇に、何かが現れた。
そして、それらは部屋に侵入してくる。
「怒天狗、笑天狗、泣天狗!
例の新入りだ!
仕込んでやれ!」
それらは総じて、大魔天狗を一回り小さくしたような見た目の妖廻だった。
大きな黒い翼。
血管が透けて見える白い肌。
金の髪に、高い鼻。
三人の天狗である。
「叩き込んでやりまさぁ!」
「任せて下さい!」
「うぅ...仕方ない...こと...ですよね...」
天狗の内の一人、怒天狗が鵺宵にドスドスと近づいてきた。
「ちっこいの!覚悟しろよ!」
怒天狗は、表情だけで人を殺せるほどの鬼気を纏っており、
鵺宵は近づいてくる彼にブルリと震える。
「...あの、その...よろしくね」
鵺宵は怖じけつつも、気丈に挨拶をした。
しかし、彼女の努力は意味を成さなかった。
怒天狗は「黙れ!」一喝すると、鵺宵の体を持ち上げてしまう。
「わぁ」
鵺宵は情けない声を漏らす。
そして、そのまま小脇に抱えられた鵺宵は、その場から連れ去られてしまった。
怒天狗が、窓から外に飛び出す寸前。
「お父様ぁ」
と鵺宵は阿戯斗に助けを求めたが、阿戯斗は「励むのだぞ」というだけで、助ける素振りも見せなかった。
「ふふ、いい気味」
梁の上で綾女がほくそ笑んでいた。