第一部 曇りの国 パズル①
20XX年9月17日
オンボロ船に揺られながら外を見る、窓から見えるのは黒い雲に覆われた空と空を反射して灰色に染まった海
ボロボロの椅子に座りすぎて痛くなった尻をさすりながら立ち上がって見えた景色は、出発した時からなにも変わっていなかった。
今日の任務は現場の下見、本調査は明日人数がそろってからだ。
新しい部隊に配属されていきなり飛ばされるとは思ってもみなかったが、船は好きだしそこは気にしていない。
だが、一番の新入りである俺が早入りなのはあまり納得できない。彼らは「能力を見定めたい」なんてきれいごと抜かしていたが、連休が欲しかっただけに違いない。
一昨日は新作ゲーム発売日だし、彼らは翌日の仕事に支障が出るくらいのあのシリーズのファンであることも俺は知っている。
・・それにしても、もう少し良い船は用意できなかったのだろうか
部屋は狭いし椅子は堅い、さらにはトイレも遠い。昨日の晩、かなり危なかった、訓練でも感じたことのないプレッシャーを感じた。
あれはどこを鍛えれば乗り越えられるのか、何をすれば和らぐのか5年間の厳しい訓練を乗り越えてなお理解できない状況に、たかが移動の船で遭遇するとは・・。
そんなことより、これから向かうのは煙に包まれた国「パズル」。
今まで一度も行ったことがないし、明日の任務開始までの待機時間は観光でもしよう。
「(さて、そろそろ到着か)」
荷物は既にまとめていたので持って出ればいいだけだ。というタイミングで、
「お客様!困ります!」
俺の部屋の前の通路からやたらでかい声が聞こえてきた。
「いいから!どきなさいよ!もう限界なのよ!!」
なんだか穏やかじゃない様子だ。面倒事はごめんだが、よりにもよって俺のドアの前に向かってきたし俺も多少腕に覚えがある、なによりもう降りるタイミングだ、仕方ない。
「どうかしたんですか?」
自分の個室のドアを開けると、少し内股で歩く背の高い女の子とその足にしがみついて引きづられる乗務員さんがいた。
「お客様!!お待ちください!もう少しで到着しますかババババババ・・」
「離してよ!!もう本当に危険なのよ!!」
「何が危険なんですか!到着時にお客様に出歩かれる方がこちらとしては危険なんですよ!!」
足にしがみつきながらたまに床に敷かれたカーペットに顔を擦られてる乗務員とそれを気にせず引きずり回す女の子というふしぎな状況だ。
「えー・・と、どうしました?」
というか、どうすればいいですか?
「もうすぐ到着なのでお部屋にいていただきたいのですが、このお客様が理由も言わずにババババババ」
「だから!もう!限界なんだってば!!」
「「なにが?/!」」
あまり状況が理解できていない俺と必死な乗務員の顔をゆっくり見てから女の子は答えた。
「ト、トイレよ・・。」
なるほど、それは大変だ。俺は昨日の夜感じた人生最大のプレッシャーを思い出した。
ましてや、この子が歩いてきた方向を見るに俺の部屋よりもトイレから距離のある部屋からはるばる来たんだろう。
・・というか、この乗務員トイレを我慢する女の子を引き留めていたのか、なんと極悪な。時代が時代なら打ち首獄門でもおかしくない。
というわけで
「乗務員さん、許してやってください。彼女も悪気があったわけじゃないんですよ。」
「え?あなたはこの方とどういったご関係で?」
「さっきまで他人でした。でも―」
「は?」
「でも、今では同じ苦しみを共有したソウルメイツです。同胞が苦しんでいるのを見て見ぬふりはできません。それに――」
「それに?」
「それに、このままあなたがこの女性の進行を妨げ続けるのであれば、もし万が一この女性が漏ら―」
その瞬間言い切る前に俺は天井を見上げていた。もちろん、俺の意志ではない。そして遅れて顎に鋭く重い痛みを感じた。
「言わせないわよ!!」
便意ガールのアッパーカットだ。火事場のバカ力とはよく言ったものだが、か弱い女の子がトイレ我慢の限界に達するとその拳は世界をも獲れる右にまで成長することをここで知った。
そして俺の背中が地面に着地する頃にはトイレ女の足音はもう遠くに聞こえていた。
乗組員のおじさんを起こし、殴られた顎をさすりながら荷物を取りに部屋に戻ると丁度目的地に到着したようだ。
さて、ここからは仕事場だ切り替えるぞ。
「ちょっと!待ちなさいよ!セクハラおやじ!!」
セクハラされている割には元気な女がいたもんだな
「あんたよあんた!!さっきあたしに殴られたでしょ!」
ん?まさか?
振り返るとそこにはやたらでかいキャリーバッグをガタガタ言わせながら、小走りで駆け寄ってくるさっきのトイレガールがいた。
どうやら膀胱は無事だったようだ。というか、
「誰がセクハラおやじだ!?」
「あんた以外に誰がいるっていうのよ!」
「俺がいつセクハラしたってんだよ!?」
俺はむしろこいつの人としての尊厳の危機を救ったし、さらには見事すぎるアッパーカットを食らいながらも許せる器の大きさも見せつけたはずだ。
あまりにも酷い言いがかりに静かに憤りを感じていると、
「お嬢!!お久しぶりです、おかえりなられたんですね!」
お嬢??どこにそんな丁寧な呼び方をされる女性が!?
きっと白いドレスに身を包んでこんな天気でも紫外線を気にして日傘をさし、その人が微笑むだけで周りにいる人たちを幸せにするそんな素敵な―
「うん、ただいま!それよりさ、あたしコイツにセクハラされたんだよね!」
「なんですと!?」
おいトイレガールよ、変なタイミングでしゃべり始めるからがお前がお嬢みたいになってしまったじゃないか。少しの間も黙れないのかこいつは。
というか俺が見た限りだとこの船にはお年を召した方々がほとんどで、そんなきれいなお嬢様がいればとっくに気付いてお近づきになろうと画策していたことだろう。俺が確認出来ていないということは個室の客か?
「おい!聞いてんのかてめぇ!」
あの女と話していたはずの金髪おじさんがゼロ距離で騒いでいる、やかましいな
「お前に話しかけてるんだよ!うちのお嬢に何してくれてんだおい!」
よくわからない言いがかりで絡まれた時には無視に限る。
さて、今回の任務をここで確認しておこう。
今回の俺の任務は、パズルで出回っている新種毒の調査及び出所の特定。
任務に必要な装備などは現地のPMC(民間軍事会社)に協力を依頼している。
今回世話になるPMCは未来野組というヤクザの構成員がほとんどで、そういった裏社会の人間でなければ武器を手に入れられないのが現状らしい。
というのも、この国パズルでは武器の規制が激しく、手に入れられてもハンドガン一丁程度だろう。
また、そういった武器規制が今回の新種毒の流行を後押ししている理由の一つでもある。
やはり、問題をまとめて解決しようと極端な規制をしてもすぐに代わりのものが用意され、深刻な別の問題が生じてしまう。しっかり向き合わなければ根本的な解決にはならないのだ。
「おい!いい加減返事しろやゴラァ!!」
そんなことを思っていると、突然金髪バカが拳を振るってきた――
「そい。」
――ので、投げた。相手の突き出してきた右拳をかわし、その腕の勢いそのままに投げてやった。東洋では合気道と呼ばれる部類に入る・・のかもしれない。
「おがぁ!いってぇ・・」
「何か用ですか?」
「・・てめぇ、今までの話一つも聞いてなかったのか!!」
「あぁ、あれですよね。白いドレスに身を包んでこんな天気でも紫外線を気にして日傘をさし、その人が微笑むだけで周りにいる人たちを幸せにするそんな素敵で美人なお嬢様がいるとか」
「・・そんなに褒められると、照れるわね。ドレスは着てないし日傘も差してないけど」
ん?相変わらず文脈がおかしい。やはりこいつとは会話ができない。
「そこまでわかってて、なんでセクハラしやがった!」
え?
「そうよ!その熱い思いは別の形で示してほしかったわ!」
何を言ってる?
「ちょっと待て、お嬢っていうのは・・?」
「?何言ってやがる、こちらに居られるのが未来野組組長、未来野茂の一人娘のヒカリお嬢様だ」
「未来野組って・・マジか・・。」
続く