男、用意された住まいに辿りつく。
前世において俺はラノべ作家だった、異世界転生、転移物語を書きまくってた、身清らかなチェリーなおっさん。楽しかった。充実していた。
フッ、所詮、あの世界、あの世界だけの、あの世界のみの定義、法則の上に成り立つ……異世界だったのだよ。それをそうなのだろう、と、信じていただけなんだ。フフフフ。
異世界鯨は俺の返事に、深層海色したその眼を、ぐにゅりと歪めて笑う。光を通さぬ漆黒のビー玉に、梅鼠色した星の光がぽちりと産まれて宿った。それは何処か邪、淫を含む様。俺は少しばかり警戒をする。
「ほぼう、言葉が通じる、これは重畳なり、ようやく『種』を手に入れたぞい、ささ!ついて参れ!」
頭の上あたりにふわりと浮き上がる、鯨は、羽根をちろちろ、ちろちろと囁くように動かし、くるりと向きを変え、先に先にと進んだ。
慌てて後を追いかける俺、背中に乗せて運べば速いのに。と、少しばかり言葉に出してボヤくと、素早くツッコミが入った。
「ニトニトで汚いであろ!誠に汚い。妾の背には乗せらねぬ」
そのニトニトは、鯨様の、涎じゃねえかよ、あ?阿呆?と、一応神様だったら、天罰喰らいそうなので、口には出さずに胸の内で、そのツッコミに返した。そして、ある事に気がつく。
……、テレパシー?てなの、あったらヤバいな……取り消し?誤った方がいい?んー?でもそれは無い世界かな?気づいて無いか?そんな気がするんだけど。
ならば試しに、罵ることにした。通じていて怒りをかい、喰われたらそれでいい。あー、言われたニトニトが、気になり気持ち悪くてたまらない。
『阿呆ボケ!クジラっちゃな!オバケって呼ばれて、酢味噌で食うんだよ!舌はサエズリってな!後は刺し身にステーキ、そうだ。ベーコン!生姜醤油ってのが王道だけど、塩コショウも美味いんだよな……、あー、酒飲みたい。』
等と鯨様に対して、不謹慎な事を思いっきり脳内で叫んだが、目の前のソレには届いていなかった。
暢気に白い空間をふわふわと、黒い羽根を広げて進んでいた。
ふあふあ、ペタペタ、ふあふあ、ペタペタ、ファ、ペタ……、しんとした白い空間に、響く俺の足音。肌に感じる厳かに、背筋が伸びるような空気。どうやら、目の前に浮遊するヤツは、神域の生物なのか?目の前の尾を眺めつつ歩く。そしてかなり歩いた頃。
「ついたぞよ」
ドオォンと、きらびやかな装飾が施された、扉の前にたどり着いた。それはまるで、神の世とこの世の境界の様。上部がアーチ状になり、そこに金に輝く、紋章が嵌め込まれているのを見ようとすれば、数歩下がり仰ぎ見なければならない。
すぅぅぅ、ヒュルルルルゥゥ。
息を吸い込む鯨。のけぞり、膨らむその身体。尾がピン!と立ち、羽根が奇妙に広がる。そして、ぶしゅぅわぁぁぁ、と桃色と緑色の煙を吹き付ける。扉に当たると、グルルルルと渦を巻き、吸い込まれていく。
しゅわわわわ、グルグルグルグル……しゅぅぅぅぅぅ。
吐き出す鯨。マーブルになる煙。下がった場所から、眺ているしか無い俺。ここを逃げ出すチャンスだと、囁く声がするのだが、足が貼り付いたように動かない。
しゅわぁぁぁ……グルグルグル、ピシュゥゥゥ、
ぼ!………ぽふん。ぷ!
煙が全て入ってしまった、しばらく待つと、ギィィィィ……、と観音開きのソレが左右にゆるゆると、大きく開いていく。中から気持ち良いい風が、ヒュルリと一筋、線を描くように俺に吹いてきた。
「ここはソナタの住まいじゃ!入れ」
先立ち進むソレに従い、俺は恐る恐るついて入る。住まい?なんだそりゃ?そう言えば『種』とか言ってたな、ここで埋められるとか?いや、住まいなのだから生きては行けるのだろう、少しばかり乾いてぺりペリになった服、皮膚がピピピ、と動く度に引っ張られる様で痛む。
ぎこちなくキョロキョロとしていたら、鯨のヤツの妙に厳かな声。
「ほれ!二つ目を連れて来たぞよ!約束通り、ここを出たければ、やや子を産んで我に捧げよ!」
は?ナンだって?『やや子』俺は目がテンになった。それは、こちらの女性と、大人な世界のあんなこととか、こんなこことか?
やや子……コウノトリでも、桃からでも、キャベツからでも、木の股からでもないのか……。そしてそれを捧げよって、生贄にでもするのか?
俺はチェリーボーイのまま、人生を終えたのだ、異世界鯨よ、期待満々で俺を眺めているが。
経験は……全く持って無い!そして万が一、産まれたとして、差し出す事ができるが?と言われたら。
絶対に無理です。はい。そういう事ならば、あらゆる手段を駆使して、清らかな身を守る事を誓います!