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病院エッセイ 生活保護

作者: 藍沢 円夏

 病院に就職すれば、安泰、そう思っていた。

 病院というと、保険を使った運営、つまり、親方日の丸に近い企業だと考える。

 しかし、それは大きな間違いだ。

 病院と聞いて、一番と二番に思い浮かべるものがあるとすれば、それは、急性期病院と町医者であろう。急性期病院というのは、救急車で運ばれる病院というのだ。厳密に言えばそれは違うのであるが、だいたい、そう思ってくれて入れれば良い。だいたい、そうなんだろうから。そして、町医者というのは、読んで字の如く町医者だ。町の医者。あなたが風邪をひいて、すぐに駆け込むような地域に溶け込む病院、医院がそれだ。

 さて、病院というのは、この二つに分類されるのかというと、違う。

 急性期病院、回復期病院、そして、慢性期病院の三種類に、分別される。

 急性期は説明を省こう。回復期というのは、急性期の次に入院する病院だ。大きな病院ならば、併設して、回復期病棟とかそういう名前になっているであろう。読んで字の如く、これは、回復期、つまり、病気からの回復を目的とした病院だ。リハビリに力を入れている病院がこれだ。

 では、慢性期とは何か。

 これは、はっきりといって、長期入院を視野に入れた病院のことだ。よく耳にするかもしれないが、ホスピスとか、終末期というのはこの慢性期病棟が該当する。

 慢性期病院の特徴として覚えておいてほしいのは、入院期間が長いことだ。病院にもよるが、入院期間は特に設けられていないことも多い。家族が、本人が入院を希望し続ける限り、入院してもらえるというのが、慢性期病院の利点だ。

 しかし、メリットがあれば、デメリットもある。

 慢性期病院の一つに、介護保険の病院がある。

 これは、とても厄介なのである。

 僕が就職したのも、その介護保険の慢性期病院だった。

 一言で言えば、運が良かった。就職活動に苦戦し、なかば俳人とかしていた僕は、その病院、松木病院に拾われたのである。松木病院は、介護保険が使える病院で、介護保険がなければ、入院できないというのもある、

 しかし、一番のデメリットは、契約に関するものだ。


 その日、僕は、新規入院患者の家族と面談をしていた。

 その患者様は、生活保護受給者であるということがすぐにわかった。入院の書類を説明していたら、家族の方から、「実は生活保護なんです」と打ち明けてくれたからだ。これは、とても勇気がいることだと思う。

 自分が公共の福祉を受けているということを口にするのは難しい。

 だが、これは逆説的に言えば、幸運でもあった。

 実のところ、生活保護をうけているということは、入院費の取りっぱぐれがないということでもある。保護を受けている人間が、医療機関に入院していれば、その医療費はほぼすべてが行政から支払われる。

「本当に、入院してもいいのでしょうか」

 家族が聞いた。

 多くの慢性期病院、介護病院ではそうなのだが、本人は意思表示をできないと言うことが往々にしてある。そういうとき、代理に、意思表示する人間が必要なのだ。それは後見人だったり、家族だったりする。

 この、大桑さんの場合、家族だった。娘が、すべてを決めていた。

 僕はこの娘ならば信用できると思っていた。少しばかり、十進のなさそうな、引け目を感じているような挙動を見せながらも、きちんとしようという姿勢がうかがえる。

「いや、生活保護なので、とくだん心配することとしては自費の部分です」

「自費というと」

「そうですね。たとえば、日用品ですね」

「歯ブラシとかですかね。あと、おむつとか」

「いいえ。おむつは、介護保険に含まれているので用意してもらう必要は無いですね」

「そうですか。じゃあ、入院しても」

「とくに問題は無いかと。でも、うちでできる範囲というのは理解してもらわないといけないですよ」

 そういって、入院してもらった。

 もともと、断れることでも無かった。湯治、松木病院は空将が目立っていた。空将が多ければ多いほど、病院としての収入は減っていく。それは困る。一人でも多くの患者様を受け入れる必要がある。

 そして、この大桑さんは、松木病医院の併設の施設からの紹介だった。

 断る義理も無いし、もしも、断れば、恐ろしい施設長からのお叱りが待っている。

 入院してもらった。

 それから、しばらくした後の日だった。



 大桑さんが入院の契約書をもってきた。

 そのとき、嫌な予感がした。

 大桑さんの娘は、控えめに契約書を取りだしたのだ。

「あの、実はですね。連帯保証人がですね」

「たしか。遠方の親戚に頼むとか」

「それがどうしても難しいのですよ。実は、父は、かつてお金で親戚に迷惑をかけまして」

「それで保証人がたてられないと」

「そうなんです」

 僕はうなった。保証人というのは必要だ。実のところ、松木病院に入院している患者の中に入院費を支払わない家族がいるのだ。それを知った病院の理事長はある命令を出している。「金は絶対にとれ」

 という命令だ。

 連帯保証人がたてられないというのはできる限り避けたい。例え、生活保護の人間であろうとも、自費が発生する。役所からもらえない金だ。これは、家族からもらわなければならない。

 だが、僕の上司はこういう事態に対する方法を事前に教えてくれていた。

「では、後見人を立てていただくことになります」

「後見人をたてれば、連帯保証人は不要になるんですか」

「そうなんですよ。でね、上司からの受け売りなんですけれども、役所に申し出ていただければ、後見人を紹介してくれる制度があるはずでしてね。それを使っていただければと思うのです。それか」

 僕は深く息を吸い込んだ。

「内金としていくらかをいただきたいのですよ」

「内金」

「そうです。つまり、前金ですね。保証金ともいえます」

 固まる大桑に僕はそう言い放った。

 それが仕事なのだから、しかたのないことだ。

 そう割り切ってしまえるならば、いいのだが、あいにくと僕はまだ青い。




 大桑さんが、役所に後見人をたてる相談にいったか、僕にはわからない。

 ただ、その翌日、役所の福祉課から電話がかかってきたので、間違いなく、彼女は、昨日のうちに、もしかすると、病院からの帰りに、その足で、相談に行ったのだろう。

 ケースワーカーの大西と電話の主は名乗った。

 そのとき、すでに僕は、嫌な予感がしていた。もう何度目かという嫌な予感だった。

「率直に申しまして、内金についてお話を伺いたいのです」

「内金というのはですね」

 僕はくどくどと説明を始めた。最初の頃は、大西は電話の向こうでうんうんと話を聞いている様子ではあったが、内金の説明が終わりに近づくにつれて、だんだんと不機嫌になっていくのがわかる。もちろん、大西はそれを隠すつもりだが、下手な隠し方だった。

「その内金というのがですね、どうにも、解せないのですよ」

「解せないというと、内金の制度がわからないというわけでもないでしょう」

「もちろん、制度自体はわかります。ですがね。生活保護の人間にも内金を支払えというのはどうでしょうか」

「少しばかり意味がわかりかねますが」

 ふ、と小馬鹿にするように電話の向こうで大西が鼻で笑うのが聞こえた。

「つまりですね。生活保護者の費用というのは、ほとんど、役所が支払いをするでしょう? ほとんど支払いが無い。それなのに、内金として、一万円、これは道理が通らないと思うのですよ」

「いいえ、自費の部分が発生いたします」

「それは保護費からお支払いをいたします。保護費をその金額分だけ増額という形で」

「では、内金として先にお支払いをしていてもいいではないですか」

「それはできません。限られた財源から保護費というのを分け振るのです。そう易々と振り分けというのが、できないのですよ。それこそ、ほんの一万円、でも難しいのです」

 ほんの一万円、という言葉が胸に突き刺さる。

 僕だって言いたくて言った言葉でも無いのに。

「ですが、そういう病院の方針です。もしも、仮に支払いがなければ、誰が責任をとるのですか」

「もしも、とかそういう仮定の話をしないでください」

「いいえ。そういう仮定の話で、最悪を想定しなければいけないのです。そちら様は、私たちの病院に、自費分くらい我慢してください、とおっしゃるつもりですか」

「ですから、そういう仮定の話はしないでください。」

「実のところ、今、我が病院では、未払いの患者様がいてですね。それ以降、こういう形式をとらせていただいてるのですよ。仮定の話では無く、実際の話です」

「お言葉ですが、生活保護を受けてる患者様が、未払いをおこされているのですか?」

「その人が、生活保護かどうかは私はしりません」

「では、一概に、生活保護者が滞納をするという決めつけをやめていただきたい」

 大西はそう言った。

 おそらく、大西は大西なりの事情があるのだろうと思った。

「しっかりとした娘さんです。きちんと支払いをされていくと思います」

「僕も面談をしました。そう思います。しっかりとされています。しかし、しかしですね」 ごくりと言葉を飲み込めなかった。

「それが法人としての方針なのですから仕方ないことなのです。内金をいただく、それが法人としての方針なのですから。相手が誰であれ生活保護者からは、内金をいただく。それが我が法人としての方針なのです」

「では、その方針を改めては?」

「は?」

「たしか、そちらに現在も入院中の患者様、生活保護の方がいるかと思うのですけれども、その方は内金をいただいてないですよね。たしか、菅沼様」

 記憶の中にひらりと名前が浮かぶ。

 どうだったか。そんな人間がいたか。いたような気もする。

「その人も、生活保護者だったかと思うのです。それで、内金をいただいてはいなかったかと」

「それは、事情がわかりかねます。その人の話をしているのでは」

「以前の人はしていない。今の人はする。それは、道理が通らないのでは」

「不可逆の法則でいえば通るのでは」

「通らないと思いますね。私は、ま、なんにせよ、内金はこちらからは出せません。成年後見人も、娘さんがしっかりとされている今は、不要かと思うのです。まぁ、それは蛇足というか、余談ですね」

 では、といって大西が電話を切ろうとした。

 このまま、引き下がるのもよろしくない。

「あの、少し待ってください。ではですね。大西さん」

「なんでしょうか。私も忙しい人間でしてね。今も、メモで、別件の電話が入っているんですよ」

「もしも、もしもですよ。仮に支払いが滞ったら、どなたに連絡をすればいいんですか」

「それはそちらで調べてください」

「では、大西さんに、役所の方に電話させていただきますね」

 大西は少しだけ沈黙した後、

「もしも、ですけど」

 と、だけ言って、電話をきった。

 それは、どちらかと言えば、どうぞご自由に、というニュアンスに聞こえた。




 数日後、大桑さんが病院にお見舞いに来た。

 一万円を受付に渡してくれた。

「これを内金としてお願いします」

 と、確かに受け付けでお預かりをした。

 それから、大桑さんは言葉を続ける。

「それで、先月分のお支払いなんですけど、少し待っていただきたいのです」

「それは」

 すわ滞納か、と僕は身構える。

「どうしても今月は厳しくて、来月にしてほしいのです」

「それは、僕の一存では」

「では、内金からお支払いという形にさせていただきましょう」

 受付に座っていた課長が会話に入ってくる。

「すでに一万円、内金としてお預かりしておりますが、そこから、支払金額を差し引かせていただきます。それでよろしいですね」

 大桑はそれでお願いします、という風に頭を下げた。

 礼儀と常識をもった普通の人に僕は見えた。

 お見舞いを終えた大桑さんは、病院を後にした。

「生活保護者っていうのは、ほんとうに」

 課長はぼやくようにつぶやいた。

 誰が悪いというわけでもないのに、自分が悪いように胸がムカムカと痛んだ。


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