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ストラグル  作者: PN
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BERSERK 01

 大勢の人と車が行き交う大通り。帰宅ラッシュは過ぎたものの、午後十時を回っても交通量は一向に減る気配を見せない。

 くたびれた様子のサラリーマンや、進学塾での勉強を終え、それでもまだ足りないとばかりに参考書を睨みながら歩く学生。多種多様の人間が行き交う通りを、彼もまた足早に歩いていた。

 百八十を少し超える身長。耳を隠し、肩に触れる程度まで伸ばした茶髪。染めたのではなく、地毛だ。前髪も同じように長く、左目を完全に覆い隠している。

 彼は街を行く人と同じスーツ姿だった。グレーのブラウスに、黒いブレザーが夜の闇に溶け込んでいる。第一ボタンは外し、ネクタイはしていない。

 人通りの多い道を、彼は一定の歩幅で歩く。行き交う人々は皆、彼のことを避けるかのように通り過ぎていく。なんとなく人を寄せ付けないような、薄暗い空気を彼はまとっていた。

 誰でも名前を知っているような証券会社のビルの前を通り過ぎる。ドアが開き、二人の男が出てきた。高そうなスーツに身を包み、手首に巻いた時計は無知な彼にも高級品だとわかった。おおらかな笑顔で会話しながら、二人は路肩に止めてあったこれまた高級車に乗り込む。彼の方には見向きもしない。

(……あいつらは、俺とは違う世界を生きているんだろうな)

 彼は小さくため息をつくと、ビルとビルの間――人ひとりがやっと通れそうな狭い路地に、ためらいもなく足を踏み入れた。

 誰かが投げ込んだのか、地面には菓子の空き袋や空き缶、ペットボトルなどが散乱している。彼は気にすることなくそれらを踏み潰しながら奥に進んだ。

(どうせゴミ捨て場のような場所だ、構いやしない)

 靴は汚れるが、別に気にしない。もう何年も買い替えていないような、古いものだ。そうやって数メートル奥に進むと、路地はビルを回り込むように左折している。彼は道なりに左に曲がると、更に直進する。

 表通りからは完全に見えない薄暗い路地に、唐突に物置小屋のような建物が現れた。児童公園の隅っこに置かれていそうな小さな小屋は、塗装が剥がれ落ち、茶色い側壁を持っている。

 彼はポケットから鍵を取り出すと、小屋の扉に差し込んだ。カチン、と小気味いい音を立てて鍵が開く。立て付けの悪い引き戸をガタガタと開けると、彼は少しかがんで小屋の中に身を滑らせる。

 小屋には床がなかった。正確に言うと、床ではなく、地下に伸びる階段が続いていた。数歩降りたところでドアを閉め、鍵をかける。誰も来ないとは思うが、念のためだ。

 ドアを閉めると、小屋の中は完全に真っ暗になった。階段には手すりがない。それでも彼はためらうことなく階段を降りていく。カツン、カツンという無機質な音がしばらく続いた。

 階段は二十段ほどで終わり、奥にさらに扉があった。彼はノックもせずにその扉を開く。途端に煙草の匂いが周囲に立ち込め、彼は思わず顔をしかめた。

 扉の向こうに広がるのは、学校の教室くらいの広さの空間だった。隅に置かれた自家発電機が音を立てて稼働している。それに繋がれたケーブルが壁を這い、天井にまで伸びていた。天井につけられた蛍光灯が、寒々しい光を放っている。

 中央に置かれているのは小さな円卓だった。この部屋にそれ以外の家具はない。そして、その円卓を囲んで二人の人間が座っていた。

 一人は、毒々しい赤色に染めた髪をオールバックにした、端正な顔立ちの男。年は彼より上だろうが、少し老けた二十代にも、若々しい四十代にも思える、不思議な雰囲気を纏っている。都心の裏通りの店で買えそうな、黒に銀で刺繍が入ったジャケット。開け放した胸元からゴツゴツしたネックレスが覗く。その他にもアクセサリを多く身につけた男だった。先程から、外国の銘柄の煙草をふかしている。

 もう一人は、高校生くらいの少年だった。サラサラの黒髪はきちんと整えられ、銀縁眼鏡と合わせて知的な印象を与える。肌は作り物のように白く、ガラスのような瞳には一切の感情が浮かんでいない。着ているものは白ブラウスに紺のズボンと、薄暗い地下より明るい教室が似合う少年だった。

「よお、サク。いいところに来たな」

 煙草を吸っていた男が、軽い調子で手を挙げる。彼――サクは小さく溜息をついた。吸うなと言っても無駄なことはすでに理解している。せめて距離を取ろうと、少年の隣に腰を下ろした。

「いいところって、なんのことだ?」

 彼が隣に座っても、少年は微動だにしない。開いたパソコンの画面をじっと見つめている。どこかのニュース記事を読んでいるようだったが、活字が嫌いなサクはすぐに目をそらす。

「まあまあ、そう焦んな。まずは、飲め」

 男はそう言って、サクに向かってビールの缶を投げた。サクは片手でそれを受け取ると、無造作にテーブルに置く。そして、もとより鋭い目つきを一層険しくすると、目の前の男に言った。

「質問に答えろ。飲み会なんか、あとでもできるだろうが」

 人を殺せそうな眼力に、しかし男は怯んだ様子を見せない。自分の分のビール缶を開けると、半分を一気に飲み干してから言った。

「なんだよ、愛想わりぃな。せめて一杯くらい付き合えや、なあストラ」

 男は唐突に少年に話を振った。ストラと呼ばれた少年は、機械のような動作でパソコンから顔を上げる。

「僕は未成年なので、飲酒に関してコメントすることはできません。それに最初に説明を振ったのはタクトなので、早急にサクの疑問に答えるのがいいかと思います」

 音声読み上げソフトが喋っているような、抑揚のない口調だった。男――タクトは、ストラの言葉にやれやれと肩をすくめる。

「テメェも大概愛想がねぇな……。もう少し洒落っ気が欲しいところだぜ」

「僕の性格に関しては、あなたはよくご存知のはずです。あなたがそうして欲しいというのなら従いますが、どうしますか」

「あー……もういい、テメェはしばらく黙っとけ」

 タクトは鬱陶しそうに手を振った。ストラは口を閉ざすとパソコンに目を落とす。その動作に合わせて黒髪が僅かに揺れた。

「で?茶番は済んだか。なら、さっさと本題に入れ」

 苛立った様子でサクは聞いた。茶番はひでぇよ、と呟きつつもタクトはビール缶を置く。

「単刀直入に言うぜ。よく聞けよ」

「さっさと言え」

「やめろや、調子狂うだろが。黙って聞け。いいか、カタストロフが、行動を起こした」

 タクトが言った途端、周囲の空気が張りつめた気がした。ストラがパソコンのキーを打つカタカタという音が妙に大きく響く。

 サクはその剣呑な瞳をタクトに向けたまま聞き返す。

「本当か?」

「なんで嘘をつかないといけねぇんだ。ストラ、見せてやれ」

 タクトの指示に、ストラは黙ってパソコンの画面をサクの方に向けた。ズラズラと並んだ小さい字に、サクは画面を隠すように手を広げる。

「簡潔に説明してくれ。読みたくない」

「もう喋ってもいいですか」

「いいだろ。あいつの言うことをいちいち真に受けていると体が持たないぞ」

 吐き捨てるようなサクの言葉にタクトは不服そうな顔をしたが、二人は見ていなかった。

「一昨日、アンダーシティのテリトリー内の銀行が襲撃されました。人為的被害は出ていませんが、多額の現金が盗まれた模様です」

「ただの強盗じゃないのか」

「それはありません。これを見てください」

 ストラはパソコンの画面をサクに向けた。反射的に目をそらすサク。「安心してください、動画です」と真顔でストラが言って、ようやくサクはパソコンに向き直る。

 ニュースサイトの動画のようだった。覆面を被った三人の男が、銀行から出てくると前に停めていたボックスカーに乗り込み、逃走する。 

「ここです」

 ストラが動画を一時停止させた。銀行内の防犯カメラの映像だ。三人の男のうち、代表格の男の胸に、髑髏のエンブレムが刺繍されている。

「……こいつが」

「カタストロフのリーダーだろうな。ちなみに今警察が捜査しているが、逮捕どころか顔も割れてねぇ。車は街外れに乗り捨ててあったようだぜ」

 いつの間にか同じようにパソコンを覗き込んでいたタクトが言った。

「顔が割れないのは当然です。表社会を捨てた連中ですから。家族も知り合いも、当てにできないでしょうね」

 僕らと同じように、とストラは無表情で言った。淡々とした口調だが、どこか自虐的な調子が混ざっているようにサクは感じた。

「構いやしねぇ。銀行が襲撃されようと俺らの知ったこっちゃねぇが、アンダーシティの領内で好き勝手されるのは気に入らねぇな」

 口の端を笑いの形に歪めてタクトは言った。その背中から立ち昇る怒気のようなものを感じて、サクは息を呑む。やっぱり只者じゃない、と心のなかで呟く。

(こいつが只者じゃないから、俺はここにいるんだ。その辺りの雑魚に用はない)

 タクトが率いる裏組織、アンダーシティ。とある事情で普通の生活が送れなくなったサクやストラが、居場所を求めて毎晩のように地下に集う集まりだ。通常は愚痴を吐きながら飲み明かす程度の集まりだが、必要があれば悪事にも手を染める。その「必要」が何かは、サクにはよくわからない。

 カタストロフのように、敵組織への嫌がらせで犯罪には至りたくないな、とサクは思った。カタストロフとは隣町の裏組織で、数か月前から小競り合いを繰り返していたが、今まで目立った対立はなかった。

(俺としても手を汚したくはないが。こうなれば、穏便に済ますことはできないだろうな)

 サクは放り出していたビール缶を手に取ると、プルタブを開ける。カシュ、という軽い音が響いた。

「それで?これからどうするんです」

「それを今から考えるんじゃねぇか。しばらくは退屈しねぇぜ」

 二人の会話を聞きながら、サクはなんとなく長い前髪を掻き上げる。

 こめかみにずっと残る、焼印のような古傷に指先が触れた。

 

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