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終章

海が間宮コンツェルンの本社に着いたのは、夕方の五時を過ぎていた。

その大きなビルの全てには、間宮の関連企業の本社が入っていた。

土曜日でも働いている人はいるようで、ビルの中に人気が感じられた。

海が受付に行くと女性が待機していた。

「橋本様、こちらへどうぞ」

二十代後半に見えるその女性は美しく、知的な雰囲気を感じさせる人物だった。

海はスーツを着て来た自分を密かに誉めた。

もし普段着だったら、秘書に気後れをしそうだと海は思った。

女性は海をエレベーターに乗せると、最上階のボタンを押した。

エレベーターは上半分がガラスになっていて、各階の様子を視ることができた。

「土曜日なのに、仕事をしている人もいるのですね」

海が言うと、秘書は涼しげに、しかし丁寧に応えた。

「一部の会社では決算の時期なのです。

複数の企業が入っていますから、全てが年中無休なわけではありません」

エレベーターが最上階に着くと、秘書は海を小さな応接室に案内した。

小さいと言ってもこの会社にしては、というだけで、立派なソファとテーブルがあり、広い窓からは街を一望できた。

別の女性が海にお茶を出すと、海を案内した女性は言った。

「会議が終わり次第、聖義様がお見えになります」

海が頷くと、女性は一礼をして部屋を出て行った。

一人になった海は窓の外を見た。

陽が落ちるのが早くなり、街のイルミネーションが映えた。

特にクリスマスが近いこともあり、街がより輝いて見えた。

海は部屋の電気を消して、イルミネーションを見下ろしながら聖義を待った。

陽が完全に沈み、月が鈍色に輝く時間になって、聖義が部屋に入ってきた。

「海、待たせたな」

暗い部屋ではお互いの表情ほとんど見えなかったが、聖義にはシルエットで海であることがわかった。

「電気、どうして消しているんだ?ああ、イルミネーションか」

「そう。きれいだよ」

聖義は窓の外を見ている海をしばらく眺めていた。

そして部屋の一部だけ電気を点けた。

海は振り向くと、聖義を見た。

背広を着た聖義は、大企業の御曹司という風格を見せていた。

その姿に海が見とれていると、聖義は別のことを言った。

「その服どうしたの?」

聖義は海の服装を見て驚いていた。

スーツの女性は会社にたくさんいたが、何も感じなかった。

しかし、海のスーツ姿は聖義の胸を熱くした。

「ここに来るのに変な格好をできないでしょ?買ったの」

聖義の許嫁だから、と言いかけて海は止めた。

聖義は自分の気持ちを素直に口にした。

「きれいで、びっくりした」

海は顔を赤くした。

照れた海は、話題を変えるために言った。

「会議・・・どうだったの?」

聖義は窓の外を見ながら淡々と言った。

「ん。間宮の後継者に決まったよ」

海は言葉に迷いつつも言った。

「良かったね」

すると聖義は、海にとって予想外の事を言った。

「お前を間宮家から解放してやる」

海は言葉の意味を理解できなかった。

聖義は、聖義の顔を凝視している海に寂しそうに笑いかけると、続けて言った。

「もちろん、お前自身がチカラを持っている以上、間宮の管理下にいてもらわなければいけない。その代わりに、俺からは解放してやる。婚約を解消しよう」

海は自分でも不思議な程、動揺した。

聖義が無理に婚約を進めるよりは、解消してもらった方がいいと思っていた。

それなのに、海の心臓は音が周囲に聞こえそうなほど高鳴っていた。

海は動揺を隠しきれず、震える声で尋ねた。

「綿貫さんと・・・結婚するの?」

「違う。お前はお前の好きな奴と結婚していいって言っているんだ。

俺が間宮を継ぐのに、お前は必要ない」

声も出せずにいる海に、聖義は静かに言った。

「下宮のチカラを持つ女性の多くは、間宮が決めた相手と結婚している。

俺の母親のように、な。

でもお前は好きな人を選んで構わない。

間宮の後継者の権限として、それは約束する」

そういう聖義の表情は優しくて、海は泣きそうになった。

聖義は寂しそうな表情で言った。

「俺の相手はどうなるか分からないけど、綿貫は嫌だ」

「どうして」

「好きじゃないから」

聖義の言葉を聞いた瞬間、海は胸が痛くなった。


——私は嫌じゃなかった?


海は思わずそう訊きたくなったが、声が出なかった。

すると聖義は唐突に言った。

「そのかわり、一度だけ抱かせてくれないか?」

「え?」

海は聖義の心情が分からなかった。

婚約破棄をする代わりに、自分を抱きたいというのだろうか。

普段の海なら照れて赤くなりそうなものだが、婚約破棄のショックのせいか、かえって冷静に、そして悲しくなった。

「キスもしていないのに?」

海は泣きそうな表情で聖義に言った。

聖義は穏やかに返した。

「違う、セックスじゃない」

聖義がセックスという言葉を淡々と口にしたことで、海は我に返り、そして赤くなった。

海の顔に表情が戻るのを見て安心した聖義は、そのまま海を抱きしめた。

小柄な聖義のどこにそんな力があるのかと思うほどの力だった。

海は驚いたのと同時に締め付けられて息が苦しくなり、声も絶え絶えに言った。

「いいって、いってないよ・・・」

「聞こえない」

海は聖義の声を、聖義の身体を通じて聞いた。

切ないような苦しそうな、でもきっぱりとした声だった。

海は黙って目を閉じた。

聖義はありったけの力を込めて海を抱きしめていた。

聖義は海の体温を、柔らかい髪を、甘い匂いを、全て記憶しておきたかった。

聖義は自分に言い聞かせていた。


——海と離れてしまっても、この感覚を覚えていれば大丈夫。


しばらく二人はそのままいたが、ふいに海が聖義の身体から離れようと腕に力を入れた。

聖義は一瞬、海を抱く手を強めたが、諦めたように腕の力を緩めた。


——海を放したら、ただの従兄妹になる。


それは聖義にとって断腸の思いだった。

また発作が起こるかもしれないのに、義貴も海もいない状況で生きていかなければいけないのだと思うと、聖義は絶望的な気持ちだった。

それでも海との婚約を解消する気になったのは、海の事を想っていたからだった。

会議を終えた後、聖義は樹に言われたのだ。


——海が間宮家に入ることを望まないのならば、強制するな。お互いが不幸になる。


聖義は海の肩に手を置くと、海は顔を隠すように俯いた。

聖義が声をかけようとしたその時、海は突然顔を上げて聖義にキスをした。

海の勢いが余って二人の前歯が微かに当たったが、そのまま動かなかった。

聖義は突然の事に驚いたが、ゆっくりと目を閉じると、海の背中に手を回した。

しばらくして海が唇を離すと、聖義を見て言った。

「私、聖義が好き。聖義と一緒にいたい」

真剣な表情で言う海が、聖義にはとても綺麗に見えた。

聖義は海と顔を見合わせると、少し照れたように笑いながら言った。

「俺も、海が好きだ」

二人は一緒に笑うと、再び抱き合った。

ご覧いただきありがとうございました。

続編を掲載しました。

ひきつづきお楽しみいただけたらうれしいです。

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