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二十一.

翌日の学校は、いつもと変わらなかった。

金曜日は選択授業が多く、海と聖義は選択科目が異なっていることもあり、海が聖義を見かける機会は少なかった。

山崎とは挨拶をする程度で、平穏に一日が過ぎた。

授業が終わって帰ろうとした海を、聖義が呼び止めたのが、その日に二人が会話をした最初だった。

「明日の夜、時間もらえないか?」

そう言う聖義の表情は冴えなかった。

「大丈夫だけど・・・何?」

「違う。会社に来て欲しい。俺は会議に出ているから夕方、家に迎えを寄越す。

会議が長引くと遅くなるかもしれないけど。義彦さんには言っておくから」

聖義は淡々と言ったが、無表情の聖義が海には怖かった。

「・・・わかった」

海が応えると、聖義はそのまま教室を出た。

教室の外では、聖義を待つ綿貫の笑顔が見えた。

海は二人が廊下を歩いていく姿をぼんやりと見ていた。


——取り残されたみたい。


海はしばらくぼうっとしていた。

しかし突然、思いついて祖母の千紗都に電話をかけた。

「千紗都さんにお願いがあるの」


千紗都はテレビ局に併設されている喫茶店で、海に向かって手を振った。

千紗都は、あっけらかんとした口調で言った。

「びっくりしたわよぉ。でも、電話をもらって嬉しいわ」

海は少し照れながら祖母に返した。

「突然ごめんなさい」

聖義から言われた後、海は大企業である間宮コンツェルンに、変な格好では行けないと思い立った。

樹との食事会では、以前に舞からもらったスーツを着ていたが、同じ格好で行くのは気恥ずかしかった。

海はお年玉を貯めていた貯金を下ろしてスーツを買うつもりだったが、自分でスーツを選んだことがなく不安だった。

そこで、アナウンサーだった祖母に服を買う相談をした。

千紗都はテレビ局を辞めて、報道番組を制作する会社のプロデューサーとして活躍していた。

千紗都の担当するニュースは遅い時間だったので、夕方の空き時間に選んでくれることになった。

千紗都は明るく活力あふれているので、海は大好きだった。

千紗都は海に自分を「おばあちゃん」とは呼ばせなかったが、そう呼ぶには千紗都は見た目も雰囲気も若かった。

千紗都がアナウンサーとして活躍していた頃はかなりの人気があったというのも、海には頷けた。

「海は美人だから、少し大人っぽいものを探してあげる。

若い子を担当しているスタイリストにお店を教えてもらったから、任せて」

そう言って喜ぶ千紗都に、海はふと思いついて尋ねた。

「母さんとも買い物とか行った?」

千紗都は昔を懐かしむように言った。

「ひーこは地味な子だったからあんまりねぇ。

でも間宮家に挨拶に行くときの服は選んだわよ、そういえば」

海は母親も自分と同じように服を買っていたことを知って、少し嬉しくなった。

千紗都はコーヒーを一口飲むと、海に言った。

「聖義くんが間宮家を継ぐことになって、で、海との婚約が本決まりになったってこと?」

千紗都の問いに海は口ごもった。

「え・・ううん」

「違うの?じゃあ、どうして会社に行くの?」

「わからない・・・」

海の言葉に千紗都はため息をついた。

「海の性格はひーこにそっくり。

肝心なところを聞かないっていうか、押しが弱いというか・・・なんでかしらね?」

海は嬉しいような、叱られているような気持ちになった。

そんな海を千紗都は優しい瞳で見つめながら言った。

「でも聖義くんが海を会社に呼ぶのならば、跡継ぎ関係で進展があるんでしょう。

海も心構えをしておかないと」

その言葉を聞いた途端、海は昨日の聖義の会話を思い出して胸が苦しくなった。


——俺が間宮を継いだら、一緒に間宮に入ってくれないか。


聖義の言葉は、明日の会議で二人の婚約が正式に決まるという意味なのだろうか、と海は思った。

そして聖義は、間宮家の意志に従って自分と結婚するのだと思うと悲しかった。

海は自分の気持ちを押しとどめるように、千紗都に尋ねた。

「千紗都さん、母さんと父さんのつきあったきっかけって知っている?」

海の言葉に千紗都は面食らった。

「えぇ?何よ、いきなり。そうねぇ・・・」

千紗都はしばらく考えてから言った。

「義貴くんが高校に行く途中で具合が悪くなって、その場に居合わせたひーこが家に送って看病したのががきっかけだって聞いたけど。

何でも義貴くんに持病があって、発作を起こしたとか」

海は千紗都の言葉に息を飲んだ。

発作を起こした父親を、チカラを持たない母親がどう対応したのか、海には分からなかった。

「もし母さんが父さんを助けてなかったら、つきあっていなかったかな?」

「どうかしらね。でも道で具合の悪そうにしていた同級生がいたとして、他の人でも声をかけたかしらね。ひーこだから放っておかなかった気がするの。ひーこって『生き物係』っぽいから」

「いきものがかり・・・」

「ひーこは優しい子だったから。

でも、もしその時でなくても、ひーこと義貴くんはつきあうことになったと思うのよね」

千紗都は淡々と続けた。

「私は舞ちゃんのお母さんと友達だったから、義貴くんの家の事情を少しは知っていた。だから最初はひーこと義貴くんのつきあいには反対だった。

でも義貴くんは間宮を出てまでひーこと結婚した。

あれほど社会的地位のある家を捨ててまで一人の女性と結婚するって、格好はいいけど、男の人にとってすごく勇気のいることだと思うわ」

海は千紗都の言葉を、不思議な気持ちで聞いていた。


その日の夜、海が帰宅して夕飯の準備をしていると、暗い顔をした義彦が現れた。

「明日、間宮家の会議に行ってくる。海も夕方に呼ばれているって?」

「うん」

海は頷きながら、焼いた魚を皿に乗せた。

「会社に着ていく服がなかったから、千紗都さんと買いに行ってきたの。

貯金を持っていったんだけど、千紗都さんが買ってくれた」

海の言葉に義彦は少し驚いた。

「お前も服に気を遣う年になったんだな」

「なによ、それ」

兄の言葉に海は少しふくれた。

そして千紗都の言葉を思い出しながら兄に尋ねた。

「ねぇ、お兄ちゃん。能力者の発作ってどうやって止められるの?」

「それは俺が聞きたいよ。聖義が発作を起こした時、お前は何をしたんだ?」

海は聖義が発作を起こしたときの事を思い出しながら応えた。

「私は・・・聖義の部屋に入って、聖義に抱きついて・・・その後の記憶がないんだけど、あれって止めたことのなるのかなぁ」

「俺が部屋に入った時には、聖義の発作が治まって、二人が倒れていたところだった。

聖義の発作は人を飛ばす。

父さんや俺ならば自分をシールドできるけど、下宮の能力者は飛ばされてしまうはずだ。

だから香ちゃんも舞さんも近づけなかったんだ。お前を呼んで解決できたとは、俺には思えない」

義彦はその時の事を思いだして少し苛立っていた。

が、海は意外なことを口にした。

「でもね、母さんには父さんの発作を止められたみたい」

「何だって?」

「千紗都さんにね、母さんと父さんのつきあうきっかけを聞いたの。

発作を起こした父さんを、母さんが家に連れて帰って看病したって。

千紗都さんの言う発作が私たちの言うものと同じならば、発作を起こした父さんを、一般人の母さんが看病できるはずがないよね」

義彦は海の言葉を聞いて、聖義が発作を起こした時の香の言葉を思い出した。


——お兄ちゃんの精神安定剤は海なの。お兄ちゃんの発作は海を殺さない。


義彦は暗い表情で妹に尋ねた。

「そんなこと、知ってどうするんだ?」

「どうするって、聖義が発作を起こしたら、なんとかしたいなって」

「やめろ。聖義に吹っ飛ばされるぞ。発作で聖義が死ぬことはないんだ」

「でも・・・」

海はぼんやりと思った。


——もし私に聖義の発作を止めるチカラがあれば、聖義が私自身を必要としてくれるかもしれない。


土曜日の朝、海は舞の病院に向かった。

昨日は買い物が終わった時点で面会時間を過ぎてしまったので、行けずじまいだったからだ。

海は舞が退院する直前に病室を訪れた。

舞は海を見て喜んだ。

「海ちゃん、来てくれたの」

舞はベッドの上にいたが、スーツに着替えて化粧を済ませていた。

しかし左手は固定されており、腕を吊っていた。

海は舞のベッドの側に行った。

「今日で退院されるって、看護師さんから聞きました」

「抜糸が済む前に退院するから、こんな大げさになってしまって。

でも怪我は良くなってきているのよ」

舞の表情は穏やかだった。

「せっかく来てくれたのにごめんなさいね。もう会社に向かわなくてはいけなくて」

海は首を軽く横に振った。

「おばさまの顔を見に来ただけだから」

舞は微笑むと、右手で海の頬に触れた。

「これだけは覚えておいてちょうだい。私はあなたに幸せになってほしい」

そう言う舞の表情は、嬉しそうにも悲しそうにも見えた。

「ありがとうございます。おばさま、怪我が治るまで無理なさらないでください」

海の言葉に舞は黙って頷いた。

海は挨拶をして病室を出た。

そして、海は階段を下りきったところで見知った顔に出会った。

「海」

声の主は樹だった。

秘書と思われる男性数人とともに、海の方に歩いてきた。

海は少し緊張しながらも挨拶をした。

「おはようございます」

朝の光の下で見る伯父は、父親に似ていた。

海が大好きだった、優しい父親に。

「妻を見舞ってくれたのか。朝早くからありがとう」

樹の言葉に胸が痛くなった海は、思わず口にした。

「おじさまは、やっぱり父に似ています」

樹は一瞬、驚いた表情を見せたが、すぐにいつもの雰囲気に戻った。

「海も。母親に似ている」

樹の言う『海の母』は誰のことを指しているのか、海には分からなかった。

しかし、海は樹の言葉を素直に喜んだ。

「嬉しいです。ほとんど言われたことがないから」

樹は海の笑顔を眩しい気持ちで見つめながら言った。

「今日、会社に来ると聞いている。

私は会えないかもしれないが、会社の人間に中を案内させる。

せっかくの機会だから、中を見ておきなさい」

海が樹の言葉の意図を理解できずにいると、樹は続けて言った。

「聖義が背負うものを、知っておいたらいい」

樹はそう言って、海の横をすり抜けた。

秘書らは海に会釈すると、樹に続いた。

海は病院の扉を開けて外に出た。

その日は今年一番の寒い朝だった。

それでも海は暖かい気持ちを抱いたまま、自分の白い息を見ながら歩いた。

海は二階堂の言葉を忘れたわけではなかったが、伯母を迎えに来た伯父のことを信じる気持ちになっていた。

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