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十七.

学校は普段と変わらずに淡々と過ぎていった。

海は移動教室の合間に山崎を見かけたが、山崎は金曜日のことなどなかったかのように、笑顔で海に挨拶をしてきた。

山崎に金曜日の記憶がどこまであるのか海にはわからなかったが、二人きりで会う機会はないので放っておくことにした。

しかし、午後の美術の授業に状況が一変した。

美術を選択している学生は二クラス合わせても十人ほどしかおらず、教師も生徒をほぼ放任状態にしていた。

生徒にとってはいい息抜きの科目で、友人と話をしたり、教室内を歩き回るのは日常の光景だった。

そんな授業の最中、海に話しかけてきたのは、隣のクラスの女子生徒の綿貫わたぬきだった。

「橋本さんの絵、すてきね」

漆黒の長い髪を持つ整った顔立ちの彼女は、男子学生のマドンナ的存在だった。

海はこれまで綿貫と個人的に話をすることはなかったが、兄から下宮の能力者である可能性を指摘されたところなので、当の綿貫から話しかけられて海は狼狽えた。

「ありがと」

海は表向き平然と返したが、綿貫は海の背後に立っていたので、山崎に襲われたことを思い出して落ち着かなかった。

美術の課題は静物の油彩画だった。

海はパレットを拭くための布を取りに行くふりをして席を立ち、美術準備室に入った。

準備室には誰もいなかった。

海は適当な古布を選んで教室に戻ろうとすると、準備室に二人の男子生徒が入ってきた。

どちらも隣のクラスの人間だったが、彼らの顔を見た瞬間、海はいやな予感がした。


ーー金曜日の山崎君と同じ表情だ。


海の予感通り、男子生徒は海の目の前に立ちはだかると、いきなり海の両腕を掴んだ。

「何をするの」

海は男子生徒に言ったが、彼らは何も応えない。

別の一人が海の口を塞ごうと、海の口元に布を持ってきた。

海はとっさに彼を見返して念じた。


ーー止まれ。


すると男子学生は布を持った手を止めた。

山崎の時とは違い、自分のチカラをあっけなく発揮できたことに海は驚いていた。

海は続けて、自分の両腕を持っている男子生徒に向かって言った。

「離して」

男子生徒は海の声に反応するかのように、海の手を離した。

すると教室から、別の声が聞こえてきた。

「橋本さんを捕まえて」

その声は音というより、震動のように海には伝わった。

海は思った。


——これが下宮のチカラ?


男子生徒は、海を再び捕まえようと動き出した。

もうひとりの男子学生が、海にペインティングナイフを突きつけた。

海は彼らをにらみつけながら、今度はより強く念じた。


——止まれ。


すると男子生徒の中で拮抗が始まった。

海を捕まえようとするチカラと、動きを抑制しようとするチカラ。

海は必死になって念じた。

すると男子生徒たちは弾かれたように海から離れて、二人とも床に倒れた。

海は彼らから逃げるように、準備室を出た。

しかし教室では、生徒達が何事もないように課題を続けていた。

海は教室に戻るほうが危険ではないかと身構えたが、あまりの日常ぶりにかえって拍子抜けした。

海は何事もなかったように、静かに自分の席に戻った。

そして軽く息を吐くと、絵の構図を考えるふりをしながら、操られた生徒たちのことを考えた。


——彼らを操っているのは誰だろう?やっぱり綿貫さんかな?


海はさりげなく綿貫の様子を見た。

綿貫は平然と絵を描いている。

すると、準備室から物音がした。

女子生徒が準備室に入ると、中で悲鳴をあげた。

「きゃあああっ」

尋常ではない叫び声に、教室の視線が準備室に集まる。

生徒の数人が中に入ると、中から声が聞こえた。

「おい、人が倒れてるぜ」

海は生徒の陰から中を伺うと、準備室には至る所に血が飛び散っていて、二人は紅い池の中に倒れていた。

海はとっさに父親の事故の情景がフラッシュバックして、よろけた。

「先生に連絡しろ」

誰かの叫び声に反応するように、数人の生徒が職員室に走った。

その直後、海は後頭部に衝撃を感じた。

そして、その場に倒れこんだ。

綿貫は海に声をかけた。

「橋本さん、大丈夫?」

海は綿貫の腕にすがりついた。

綿貫は海の身体を支えるようにしながら、周りの生徒に言った。

「橋本さん、保健室に行きましょう」

綿貫が海にささやくように言った途端、廊下が騒がしくなり、美術室に大勢の学生と教師がなだれ込んできた。

「悲鳴が聞こえたけど、どうした?」

そう言ったのは、書道の教師だった。

書道はちょうど美術室の真上にあたる教室で授業をしていたのだ。

生徒の一人が教師に言った。

「準備室で、男の子たちが血だらけで倒れているんです」

そうする間にも生徒がどんどん教室に入ってきた。

綿貫は隙を見て海を連れ出そうとしていたのだが、人間が増えてしまって身動きがとれなくなってしまった。

ほどなくして準備室から声が聞こえた。

「これ、血じゃなくて塗料みたいですよ?」

そう言って準備室から出てきた生徒は、両手を赤く染めながら、持っていたペンキの缶を見せた。

書道の教師がそれを見ながら言った。

「塗料の缶が落ちてきて頭を打ったのか?コントか?」

綿貫は海を支えたまま、近くにいた友人に告げた。

「私は橋本さんを保健室に連れて行くわ。具合が悪くなってしまったみたい」

綿貫は、海をかかえながら教室を出ようとした。

教室を出る直前、綿貫の前に聖義が立ちはだかった。

「ひとりで海を抱えるのは重いだろう?俺が連れて行くよ」

書道を選択していた聖義は、涼しげな表情で綿貫に言った。

「でも・・・橋本さんが私の腕に掴まっているし・・・」

綿貫はそう言ってはっとした表情になると、とっさに海を突き飛ばした。

よろけた海の身体を、聖義が支えた。

海は顔を上げると、綿貫を見て言った。

「あなたの目的を読んだわ」

綿貫は鋭い表情で海を睨みつけると、そのまま教室を出て廊下を走った。

海は体勢を立て直すと綿貫を追おうとして、聖義に止められた。

海は聖義を見て言った。

「聖義、間違いない。彼女よ。裏門に向かっている。彼女を捉まえて」


海が美術準備室で男子生徒に襲われていた時、聖義は真上の部屋で書道の授業を受けていて、チカラで動向を感じていた。

書道の教師は美術教師ほど緩くはなかったので、聖義は教室を抜けて海を助けに行くことはできなかった。

そこで、海がチカラで男子生徒の動きを抑えた瞬間、聖義は彼らの後頭部にチカラを放って気絶させた。

そして海が美術準備室を出た直後、近くにあった塗料の缶を倒した。

書道の教師は正義感が強いので、生徒の悲鳴を聞いたら無視できないと聖義は読んでいた。

案の定、悲鳴を聞いた教師は様子を見に教室を出た。

その直後、聖義は海が背後から誰かに襲われるのを感じ取った。

聖義が反射的に放ったチカラで、海への危害を止めることはできた。

しかし後頭部を殴られていないはずの海が倒れたことを感じた聖義は、不安になって教室を飛び出した。

他の生徒達も、聖義が悲鳴を心配して教室を出たと勘違いし、後に続いて階段を下りていった。

聖義が美術室に入ったとき、海は綿貫の腕に掴まってぐったりしていた。

海は相手に触れることで人の気持ちを読むことができたので、海は倒れたふりをして綿貫に触れていたのだ。

聖義は海の意図を感じ取ったので黙って様子を見ていたが、綿貫が海を連れ出そうとするのを見て綿貫を制した。

綿貫が教室を飛び出した直後、授業の終わりを告げるベルが鳴った。

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