十一.
翌日の午後、義彦は舞に呼び出された。
通常の間宮家の会議は会社で行っていたが、今日は樹の家に来るように言われていた。
義彦がこの家に来たのは数年ぶりだった。
「いらっしゃい。義彦くん」
間宮家の玄関で迎えたのは舞だった。
義彦の目に映る舞はいつも冷静だった。
義彦は舞に促されて会議室へ入ると、舞は義彦をソファに勧めながら言った。
「リビングじゃないけれど、緊張しないで。
この部屋は、香にも視られないようにシールドを張っているから」
「いえ」
義彦が返すと、舞は冷静な声で言った。
「聖義を狙った相手が分かりました。それはあなたにも関わってくるのでお話します」
義彦は静かに舞を見た。
「上宮家は現在、家督制度は崩壊しています。
上宮の能力を継ぐ者は間宮家と統合、あるいは間宮家の警護にあたっていました。
でも上宮家の崩壊は半強制的に行われたこともあり、抵抗もありました。
上宮の生き残りの中で最も能力の高い人間、そして間宮家を恨んでいる人物を特定しました」
舞は書類を義彦に渡した。
「二階堂義輝。彼の父親は間宮美子によって、上宮の能力を持って生まれました」
書類の写真は、義彦が先日会ったジャーナリスト・二宮だった。
「彼は大学まで取材に来ました。でもその時は二宮って名乗りましたが」
義彦が舞に言うと、舞は頷きながら言った。
「二宮は偽名。義輝の母親は彼を産んですぐに亡くなり、彼は坂倉病院の附属研究所で育っています。彼の父親は、間宮美子を殺した直後から行方不明になっています」
舞は義彦を見ながらきっぱりと言った。
「義輝の狙いは間宮家の乗っ取りです。
彼は上宮のチカラを持っているので、間宮家の血をひく人間は行動に気をつける必要があります」
義彦は言葉を発せずに、舞が自分の出生を知っているか見定めていた。
舞は軽く目を伏せて、そして真っ直ぐに義彦を見て尋ねた。
「義住さんはあなたを後継者に推しています。あなたは間宮を継ぐつもりはあるかしら?」
義彦は舞を見返した。そして言った。
「俺は間宮を継ぐ意志はありません。
親父は俺を認知してくれましたが、俺は親父の実子ではありません」
舞は軽く息を吐いた。
「知っていたのね」
「はい」
舞はしばらく考えていたが、A四サイズの書類が入る茶封筒を出した。
「あなたのお父さんの調査結果です。見るかどうかは、あなたに任せます。
あなたの親を知っているのは私と義貴くんだけ。くれぐれも間宮家の会議では口外しないように」
義彦は意外な気持ちだった。
自分があれほど探していた実父の情報を、舞が事もなげに出してきたからだ。
義彦の視線を感じた舞は言った。
「隠していたわけではないの。私が口を挟むことではないから、黙っていただけ」
淡々と話す舞に、義彦は尋ねた。
「生まれたばかりの海と聖義を交換したことも、ですか」
義彦の言葉に舞は表向き、動揺しなかった。
舞は黙って義彦を見つめた。
「どうしてそう思うの?」
舞は肯定をせずに尋ねた。
「最初に疑問に思ったのは、海の母子手帳です。
海は臨月に入ってから生まれたのに、出産時の体重がかなり軽くて、しばらく保育器に入っていた。ひーこの妊娠過程や出産自体には問題がないのに。
それに、海が聖義の目が碧紫色に変わるのを見たという話を聞いて確信しました。
海も、ひーこの娘にしてはチカラが強すぎる」
本当は逆だった。
聖義の瞳のことを海から聞いて以来、証拠を集めていたのだ。
医者や看護師を欺いて子供を取り替えることは、舞のチカラがなければ為し得ない。
義彦は機会を見て舞に問いただそうと思っていた。
そして義彦のこの言葉に、舞は初めて動揺の素振りを見せた。
舞は言葉を震わせながら尋ねた。
「海ちゃんは知っているの?」
舞にとって、海に知られることが一番怖かった。
舞は、先に妊娠していたひーこと同じ日に出産するためにかなり無理をした。
そのしわ寄せは子供に向かい、低出生体重児で生まれた海はしばらく保育器で過ごすことになってしまった。
舞は、保育器に入った海を見るたびに密かに泣いていた。
ひーこが死んだのは、舞のせいではない。
それでも舞はひーこと海に申し訳ない気持ちで、狂いそうだった。
もし海からこの事実を尋ねられたら、舞には冷静に返せる自信がなかった。
義彦は醒めた目で舞を見ながら言った。
「海は間宮の瞳の秘密を知りません。あいつは親父とひーこの子供だと信じています。
だからひーこが死んだ、自分の誕生日を祝いたくないんです」
舞は目を伏せた。もう肯定するしかなかった。
「ひどい親だと思うでしょうね。
でもひーこちゃんと義貴くんのところなら、幸せに育つと思っていたの。
それは本当よ。二人に育てられたあなたなら分かるでしょう?」
舞はそう言うと、義彦を見た。
しかし義彦は、つらい表情をした舞にたたみかけるように言った。
「そんなに間宮家が大事ですか」
義彦の言葉は舞の心に痛かった。
だが舞には責められる覚悟はできていた。
それに、海に知られるよりはずっとましだった。
「なんと思われても構わない。
樹と、父親を守るために、私にできる最大の事だったから。
それに私にとって聖義は大切な子供。ずっと大事に育ててきた」
そう言った舞は、明らかに動揺しているように義彦には映った。
舞の父親は一般の人間だったので、もし舞が間宮に逆らう行動をすれば、父親は間宮に危害を加えられる可能性があった。
舞が常に人質にとられているような状態であることを、義彦も理解していた。
「言い過ぎました。すみません」
義彦が言うと、舞はいつもの表情に戻った。
「ひとつ教えてあげる。海ちゃんの名前をつけたのはひーこちゃんよ。
あの夫婦の間では、男の子が生まれたら義貴くんが、女の子が生まれたらひーこちゃんが名前をつけることにしていたそうよ。
だからあの子の親は、ひーこちゃん。
私からあの子に、実母であることを告げるつもりはないわ」
そう言う舞は、寂しそうに微笑んだ。
「将来、義彦くんと聖義の家督争いが起こることは分かっていた。
私は義彦くんが継ぐつもりならそれでも構わない。
でも願わくは、二人の間に禍根が残らないようにして欲しい」
舞の言葉は暗に、義貴と樹の事を指しているように義彦には思えた。
義貴は表向き間宮家の方針に協力的だったが、樹と間に溝があることは明白だった。
義彦は二人のいきさつを知らなかったが、何となくひーこが関係しているように思えた。
義貴が関心を持っていたのは、家族の事だけだったからだ。
義彦が間宮家の会議室を出ると、廊下の途中に香が立っていた。
フリルのついた白いワンピースを着た彼女は、西洋人形のようだった。
香は和那と同じ年のはずだが、義彦には香がずっと大人びた表情で、そして暗い瞳をしているように映った。
「帰るの?」
そう言った香の声を聞いて、義彦は本当に久しぶりに香と話をした気がした。
香とは間宮家の会議で会ってはいるが、話をすることはほとんどなかった。
「ああ」
香は少しためらう様子をしながら言った。
「義彦さん、迷っている?」
香の問いに義彦は黙っていた。すると香は続けていった。
「羨ましい。私は迷えない。運命に流されるだけ」
香は無表情のままそう言うと、廊下の奥に消えていこうとした。
その香の腕を、義彦は取った。香は少しだけ驚いたように義彦を見た。
「私に触れると気持ちを読むわよ」
そう言う香に、義彦は言い返した。
「俺の母親は下宮の能力者だから、簡単には読めないよ」
義彦は香に笑いかけると、背後にいた舞に言った。
「香ちゃんを少しお借りしてもいいですか。必ず家に送ります」
「え、ええ。少し風邪気味だからあまり遠出は・・・でも香は」
香はめったに外出しなかった。
そう舞が言いかけたところで、義彦は香に向き直った。
「お母さんの許可も下りたところだし、出かけよう」
義彦はそう言うと、香を連れて間宮家を出た。
舞は香が素直に外に出ると思っていなかったが、香は義彦の勧められるままに車に乗った。
香は無表情のままで言った。
「強引ね」
義彦は香の気持ちが何となく分かっていた。
幼い頃からチカラを発揮していた香は、周囲の人間の感情が読めてしまう。
能力を持っている家族の間では気持ちは読めなくても、家政婦の感情は読めてしまう。
だから心を閉ざさないと、精神が保たないのだろうと義彦は思っていた。
しかし義彦は、香は内心では人に甘えたいのだと理解していた。
「これも運命なら逆らわないのだろう?」
そう言いながら義彦は車を走らせたが、あてがある訳ではなかった。
ただ、香を暗い瞳のままでいさせたくなかったのだ。
義彦が香を連れて行った先は海岸だった。
冬の海岸には人影も少なく、遠くで波乗りをしている人が見えた。
二人は無言のまま車から降りると、海岸線を歩き始めた。
義彦は香の肩に自分のコートをかけると、香は黙って義彦の後を歩き、海を眺めた。
二人はしばらくそうしていたが、風が強くなってきたのを機に、車の方へ戻った。
その途中に自動販売機を見かけた義彦は紅茶を買い、香に渡した。
義彦は、香は缶飲料を飲まないだろうと思って言った。
「飲みたくなければ飲まなくてもいいよ。カイロの代わり」
しかし香は、
「ありがとう」
と言って受け取ると車に乗り込み、素直に飲んだ。
香は海岸を見ながら言った。
「義彦さんは、私が怖くないの?相手が能力者でも触れれば少しは感情が読めるよ。
義彦さんは迷っているでしょう?」
義彦も海を見ながら言った。
「読まれることは怖くないよ。迷っているのも事実だ。でもそれは間宮家を継ぐことじゃない」
香は深いため息をついて言った。
「父さんは私に触れたことがないわ。私を怖がっている。
私を怖がらないのは、義貴おじさんと兄さんだけ。
でも兄さんは海がいるから、私に興味がないの」
そう言う香の表情は暗かった。
義彦は香を見ながら言った。
「樹さんは女の子の扱いに慣れていないだけだ。
それに聖義は、香ちゃんを大事に思っているよ。妹と他人は違うからね」
「海と恋人は違うってこと」
「そう。俺に恋人はいないけど」
香は少しためらってから言った。
「私と結婚するから?母が義彦さんを呼んだのは、その話をするためでしょう?」
義彦が間宮を継ぐならば、間宮家からは能力者と結婚するように言われるはずだった。
義彦が結婚できる能力者は、香しかいなかった。
義彦は少し笑いながら言った。
「そうじゃない。俺はもてないんだ」
香は少し微笑むと、いつもの口調で義彦に言った。
「私は海が嫌いよ。ここじゃなくて、あなたの妹の方」
義彦は淡々と返した。
「香ちゃんが嫌いって言えるのは海だけじゃないかな?」
義彦の言葉に香は驚いた。
義彦は海との仲を取りなすと思っていたからだ。
「えっ・・・」
香が途惑いながら言うと、義彦は笑顔で返した。
「きっと二人が似ているからだ。だから、見方を変えればすごく仲良くなれる」
海を誉めたりしない、香を責めたりしない、義彦の言葉は香の気持ちを落ち着かせた。
香の表情が和んだところを見た義彦は少し安堵して、香を家に送った。
舞は香が戻ってくるまで気が気でなかった。
香がこのところ寝込むことが多かったからだ。
しかし戻ってきた香は、不思議なほど落ち着いていた。
香を玄関まで送った義彦は、舞に言った。
「香ちゃんは外に出る機会を増やした方が良いと思います」




