長髪の男
中村有沙は26歳、商社勤めのOLだ。
2年前、地元の山梨県に住む父親を亡くして以来、郷里で独り暮らす母親を気遣いながら生きてきた。
5つ上の恋人、仁井山明とは結婚を前提とした交際をしている。
「ねぇ明、明日は定時で上がれそうだから、久々に会えない?」
深夜11時、明に電話を架けた。
「おう、俺も早めに上がれそうだし、何か食いたいもんでもある?」
「そうだなぁ・・洋食がいいかも。ここのところ、ろくに美味しい御飯食べてないし」
「わかった、うまそうな店を調べておくよ」
この日は、これで電話を切った。
翌日、予定通りの定時上がりとなった有沙は待ち合わせ時刻よりも早めに到着した。明が調べた<ラムール>という洋食レストランだ。
店内は、混雑をきわめている。金曜日の夜だからだろう。
蝶ネクタイをつけた30代くらいの店員が近付いてきた。
「いらっしゃいませ。おひとり様でしょうか?」
「すみません、今日の昼間に2名で電話予約した者ですが、私だけ先に着いちゃって・・先に通していただけますか?」
「かしこまりました、お名前をうかがえますでしょうか?」
「仁井山で予約をお願いしています」
「仁井山様ですね、少々お待ちを」
店員は、店内の奥へと消えた。
暫くして、有沙を案内させる為に戻って来た店員は、窓側のふたりがけ用席へと誘導した。
席に着いた有沙は周囲を見渡し、明の到着を願った。
待ち合わせ時刻の8時になっても、明が来る気配がない。
有沙は恭しく左手の腕時計を見つめたが、時間は刻一刻と無情にも過ぎるばかりだ。
{明どうしたんだろう・・残業かな・・連絡のひとつくらいくれたらいいのに}
明の携帯電話を呼び出したが、コール音が鳴るばかりだ。
店員が遠くから有沙をちらちらと見ている。
{もう勘弁してよ、居にくいったら}
いたたまれなくなった有沙は席を立ち、その店員に近付いた。
「すみません。待ち合わせ相手と連絡が取れないので、申し訳ありませんが予約を取り消していただけますか」
「かしこまりました。またのご来店をお待ちしております」
店員は、気の毒そうな笑みを浮かべ、頭を下げた。
店を出た有沙は再び、明の携帯電話を鳴らしたが、相変わらずのコール音。留守番電話もない。
{もうっ、何なのよっ!・・こんなに待ってるのに・・まさか事故??}
有沙の心は不安に押しつぶされる。
{でも、もう少し待ってみよう・・連絡がくるはず・・・}
ネオン街に停車中のタクシーに飛び乗り、家路を急いだ。
約30分後、タクシーを降りた有沙は、住まいのアパートの一室に鍵を差し込もうとした。その時。
室内から何やら、男の高笑いが聞こえる。
{なに・・・?誰・・・?}
勇気をふるい、鍵を差し込んだ。カチャリ。
薄ぼんやりとした室内に、見知らぬ男のシルエットが浮かび上がった。
長髪の、やせ細った男だ。
室内の灯りを照らす動作も忘れ、有沙は男に問うた。
「あんた誰・・・?どうして私の部屋に居るの・・・?」
男が再び高笑いした。
少しずつ少しずつ、有沙ににじり寄ってくる。
「やめてっ、来ないでっ!」
有沙は後ずさった。
男は不気味な高笑いを続ける。気の触れた人間のように。
ピンポーン。その時不意に玄関チャイムが鳴った。
有沙は玄関へと視線を向けた。
チャイムは執拗に鳴っている。
渾身の力を込めて、玄関へとダッシュした。
覗き穴に顔を近付け、恐る恐る覗いた。
・・{なに・・・??}
覗き穴の向こうに、室内にいるはずの男がもの凄い形相でチャイムを連打している。
有沙は後ずさる。からだの震えがとまらない。
ひんやりとした玄関廊下のフローリングに手をつき、恐る恐る室内を振り返った。
長髪の、気の触れた男の顔が有沙の真後ろにあった。
有沙はそこで気を失った。




