※7 風香る夏の日
太陽とヒマワリ トラキチ3
3稿 20140711
初稿 20140706
※7 風香る夏の日
「ケンちゃん、頼みがあるんだけど……」
通学途中の坂道で、ヒカルがボソッとつぶやいた。
高校2年の7月。すでに陽射しも強いが、この坂道の並木が木蔭を作り、涼しい風で俺たちをむかえてくれる。だが、この場所へ来ると、ヒカルは、決まって俺に頼み事をしてくる。
「頼み? って、いつものアレだろ? おまえのファンクラブの撹乱作戦」
「あ、ちがうちがう! 今回は、ちがうんだ。僕、やっと決心したんだ」
「決心? 決心って何をさ?」
何やらいつもと違う様子に、俺は驚いてヒカルの顔を覗き込んだ。すると、ヒカルは、俺の視線から逃げ、急に歩くのを止めてしまった。
「どうしたんだよ。ヒカルらしくないな」
俺が、ヒカルの背中をポンと叩くと、ヒカルがビクッとした。
「ケンちゃん、あのさ……僕、中学のころから気になる女の子がいるんだ」
「はぁ? 気になる女の子?」
俺は、吹き出して笑ってしまった。
「そんなに笑うことないだろ。マジなんだから……」
「だって、ヒカル! お前の周りはファンクラブの女子でいっぱいじゃないか。直接話せばいいだろ? それにアオイもいるんだから相談すればいい!」
「それが、出来ないんだよ。だからケンちゃんに頼んでるんじゃないか……」
「なんで?」
「その子、僕には全く興味もないみたいだし、それに……彼女は、特別な子なんだ」
「へぇ、ヒカルに興味がない子なんているのかねぇ。そいつは驚いた」
「と、ともかく、その子のことで頭がいっぱいになるんだよ」
俺は、あまりのバカバカしさに呆れ、ため息を付くとゆっくり坂道を登り始めた。
木蔭の間を爽やかな風が吹いてくる。
「なぁ、ヒカル、俺なんか『野蛮ゴリラ』って呼ばれて、女子から嫌われてるのに……お前、贅沢すぎるぞ!」
俺は、少しイライラして叫んだ。
ヒカルは、高校生になると雑誌モデルも顔負けのイケメンになった。頭脳明晰、スポーツ万能、おまけに謙虚で女の子にも優しい……まさにパーフェクト。そんなヒカルを学校の連中が黙っているはずがない。入学してからというものヒカルの噂はあっというまに広がり、全校生徒の注目の的になった。
今では、まさにアイドルタレントのような扱いで、アオイが主催している『ヒカル君ファンクラブ』にも加入者が殺到しているらしい。
もちろん、男子生徒の中には、そんなヒカルが気に入らない奴もいた。ヤキを入れてやると喧嘩をふっかけた奴もいたようだが、どいつもこいつもコテンパンに返り討ちにあったと聞いている。
ヒカルは、中学時代、俺の柔道の試合を見てからというもの、すっかり武道にハマり、中2から合気道の道場に通いはじめた。そして、例によって腕前を上げていたのだ。
ヒカルは、俺の行く手を阻むと、俺に両手を合わせ、頭を下げた。
「ケンちゃん。頼むよ。たよりはケンちゃんだけなんだ。それに、その子、ケンちゃんとおなじクラス……」
俺は、ヒカルの話を遮り、ヒカルを押しのけると前に進んだ。
「ちょいまった! ヒカル、アオイはどうすんだよ」
「え? アオイちゃん?」
ヒカルは、驚いた様子で俺を追いかけ、顔を覗き込んだ。
「アオイちゃんは、ケンちゃんからの告白を待っているって言わなかったっけ……って、まだ告白してないの?」
「はぁ? 何で、俺が告白したってしかたがないじゃないか」
「なんで?」
「なんで? って、お前も知ってるだろう、いまやアイツは『ヒカル君ファンクラブ会長のアオイ様』だぞ」
「ああ、アレね。でも関係ないよ」
「ああ、アレね? じゃないだろう。おかしいだろう? アイツは、中1からずっとお前の追っかけしてるんだぞ」
「まぁ、それは、それだよ。僕にはわかるんだ。アオイちゃんは双子の妹だからさ」
「あぁ、また、双子の妹の話か……。ま、いいや、じゃ、俺、先にいくから!」
「あ、ケンちゃん! まだ話が途中……」
ヒカルは、何か言いかけたが、俺は、全速力で坂道を登ると校門を目指した。
~~
校門にやってくると、毎度のことだが、女子生徒が列を作って待っている。大方その目的は、ヒカルと握手をすることだ。
「バカじゃねぇのか。何が気になる女の子だよ!」
俺は、舌打ちし、校門でソワソワしている女子生徒を蹴散らした。と、アオイが怖い顔で仁王立ちをして両手を広げて通せんぼをしているのが見えた。
「おっと……あ、おはよう」
俺は、あわてて立ち止まり、アオイに挨拶をした。
アオイは、不機嫌そうに俺のことを睨むとツカツカと近づき、大声をあげた。
「ちょっと! ケンちゃん! ヒカルくんとベラベラしゃべって通学しないでくれない!」
「はぁ?」
「ヒカル君の到着スケジュールが狂っちゃうとファンクラブとしては困るのよ」
「なんでだよ? 別に構わないだろう? 友達なんだし」
「とにかく、困るんだから!」
そう言いながら、腕時計をチラチラ見ている。
俺は、あまりのバカらしさに、呆然とアオイのことを見つめた。
「何よ?」
アオイは、口をとがらせて、俺のことを睨んでいる。
ああ、ダメだ。アオイの瞳を見たとたん、俺は、この瞬間で時が止まってくれれば……と真剣に考えてしまった。
アオイは、高校生になってから、さらにかわいくなった。まぁ、相変わらず背は低いが、コイツの笑顔を見ると、どんなに落ち込んでいても力が湧いてくる。
だが……コイツは、ヒカルのことで頭がいっぱいだ。そう、それは昔から変わらない。そして、これからも変わることはないだろう。
そう、すべて、わかっていることだ。
俺は、何度もそう自分に言い聞かせてきたし、俺は納得してきたんだ。
ただ、あの中学の梅雨時、相合傘をしたときのシーンが頭から追い出せない。あの時のアオイの笑顔、そして、懸命に目に涙をいっぱい貯めて耐えていたアオイ……。
あのときのドキドキはなんだったんだ。あの胸を締め上げるほどの想いってなんなんだ。
思い切り抱きしめて、告白してしまおうか……。
いや、ダメだ……。
俺が告白すれば、ヒカリとアオイと俺の3人の関係は二度と元には戻らなくなってしまう気がする。
そんなことになれば、アオイの笑顔がみれないのではないか。そんなことになったら、俺の心は、砕け散ってしまう。
どうすればいい……。
いや、俺の心なんかどうでもいいじゃないか。砕け散ってもかまわないさ……。
どうであれ、コイツが笑顔でいてくれればいいんだ……。
どうであれ、コイツが幸せでいてくれればいいんだ……。
俺は、大きく息を吸い込み、ゆっくり口を開いた。
「ヒマ、俺は、ヒカルとお前のこと、応援してるからな」
突然の俺の言葉に、アオイは、目を見開き俺のことをジッと見つめた。
そして、くるりと後ろを向くと大声で叫んだ。
「ケンちゃんには、関係ない話でしょ! 早く教室行きなさいよ。これから握手会の準備をしなくちゃならないんだから」
俺は、大きくため息をつくと、アオイの横を抜け校舎に向かった。
ドス……
久々に背中に鈍痛が走った。アオイのグーパンチだ。
「痛ッ……」
「ケンちゃんなんか、大嫌い!」
アオイの叫び声が背中にザックリと突き刺さる。大方、封印していた「ヒマ」と呼んでしまったのがまずかったのだろう。俺は、そのまま後ろを振り向かずに教室に向かった。
~~
1時限目の授業が終わると、ヒカルが凄い勢いで飛んできた。
「ケンちゃん! アオイちゃんがおかしい!」
「はぁ?」
「さっき、B組でアオイちゃんに会ってきたんだけど様子が変なんだよ」
「変?」
「そうなんだ。ずっと、ピリピリして不機嫌なんだよ」
「はぁ? いつものことだろ? 女子は、定期的にそんな時もあるらしいって聞いたぞ……」
「ねぇ、ケンちゃん。朝、アオイちゃんに何か話した?」
「まぁ、『俺は、ヒカルとお前のこと応援してるからな』って話したけど」
「な、なんだって!」
ヒカルは、バンッと俺の机を叩いた。俺は驚いてヒカルを見上げた。
「ケンちゃん……なんでそんなこと言っちゃうんだよ」
ヒカルは、首を左右にふると、俺の耳元で小声で話をした。
「ケンちゃん、アオイちゃんのこと嫌いなの?」
「嫌いなはずないだろう。俺は、アイツのことは一番知ってる。だから分かるんだ。アオイには、ヒカルお前が必要だ」
ヒカルは、肩をがっくりと落とした。
「ああ、面倒だなぁ。どうして、2人ともそうなんだろう……」
ヒカルは、つぶやくと天井に目をやり腕ぐみをした。
「うん?」
ヒカルは、周囲を気にしながらそっと俺に小さく畳んだメモを渡してきた。
「なんだこれ?」
「あとで……」
そういうと、ヒカルは、急いで教室から出て行ってしまった。
始業のチャイムがなり、2時限目は英語の授業が始まった。
俺は、こっそりとさっき渡されたヒカルのメモを開いてみた。
「ケンちゃんの真後ろのイブキミナミさんについて、なんでもいいから調べて教えて! たのむ!」
うん? 俺の後ろの席?
うちの学校は、男女が互い違いに座っている。つまり、前後左右は全て女子だ。俺の前は、キンキン声のおしゃべりアケミだし、右隣のユキコは、クラスのアイドル的存在。左隣のカヨコは、秀才メガネ女子。後ろの席……。
あれ……、後ろの席? って誰だっけ?
気になる。ものすごく気になる。誰だっけ?
俺は、なんとか口実をつけて後ろを振り向きたい衝動に駆られた。
「おい! カザマ、教科書の14ページ頭から読んでみろ」
チャンスだ! 俺は、ゆっくりと立ち上がりながらチラっと後ろを振り向いた。
誰だ……コイツ……。
「どうした、カザマ」
「す、すいません。あの……ちょっとおなかの調子が悪いので、トイレに行っていいですか」
「おいおい、お前は小学生か? ちゃんと休み時間に済ませておけよ! 仕方ないな、早く行って来い!」
クラスのあちこちから、俺をバカにする笑い声が聞こえてくるが、そんなものはどうでもいい。俺は、ゆっくり、教科書を机に置き、後ろを振り向いた。
長い黒髪に、青白い肌。顔立ちは凛として整っている。なんだ、結構かわいいじゃないか。でも、どうして、こんな子のこと今まで気づかなかったんだろう。
「カザマ、早く行って来い!」
「すいません。今、動くと、出ちゃいそうなんで」
再び、クラスの中からゲラゲラと笑い声が聞こえる。俺は、ゆっくりと、彼女を見つめながら移動した。彼女の背後から、彼女の広げている教科書を見るとなんと内側に文庫本をいれて、読んでいるのが見えた。
なんだ……コイツ……。
トイレから戻ってからも、俺は、ずっと後ろの席が気になって仕方がなかった。ヒカルのメモによれば名前は『イブキミナミ』だ。
授業が終わり、休み時間になると、俺は離れたところからずっと彼女を観察した。不思議な事に、クラスの連中は、彼女のことをスルーし、彼女自身も誰にも話かけることはしない。
なんというべきか、彼女は自ら存在を消しているかのようだ。
4時限目の授業が終わり、昼飯の時間になった。
「よしッ!」
いつもならクラスでつるんでいる連中と一緒に昼飯を食べるところだが……今日は、後ろの席の彼女に声をかけてみることにした。
「ごめん、一度も話したことなかったよね。俺、カザマケンタっていうんだけど、よかったら昼飯一緒に食べない?」
「うぬ?」
彼女は、驚いた様子で俺の顔をジッと見上げた。そして、小さくため息をつくとボソっとつぶやいた。
「修行が足らんな。ミナミ。存在をみやぶられてしもうたぞ」
「はぁ?」
「貴殿の申し入れ、誠にありがたいのじゃが、先約があるので、これにて失礼つかまつる」
「はぁ?」
俺は、驚いた。なんだ、あの変なしゃべり方。時代劇のサムライのセリフのようだ。俺は、そのまま呆然と彼女を見つめた。
彼女は、スッと立ち上がるとツカツカと廊下へ向かって歩いていく。
「ヒカルが気になる子っていうのは、アイツのことなのか? なるほど、こりゃ驚いた」
俺は、好奇心からそっと彼女の後をつけてみることにした。
彼女は、スタスタと廊下を速足で歩くと、渡り廊下を抜けた。そして、旧校舎の階段を昇り始めた。この先は3階の旧図書室しかない。
しかし、旧図書室はすでに立入禁止のはずだし、屋上のトビラにもカギが掛けられているはずだ。
俺は、ゆっくり3階への階段を昇り様子を伺った。
「あ! いない!」
驚いた事に、3階の旧図書室の前には彼女の姿がない。図書室の扉もしっかりカギがかかっていて開かない。
「ということは、屋上?」
俺は、屋上への階段を見上げたが、まるで人の気配は感じられない。しかし、そこしか彼女の行く場所はないはずだ。俺は、ゆっくり、階段を昇りはじめた。
「貴殿は、なぜゆえ、後をつけるのじゃ、早々に立ち去れぃ」
「うぉ」
突然の声に、俺は驚いた。しかも、階段室の壁に声が反射してどこから声がしたのかもサッパリ分からない。俺は、一気に階段を駆け上がってみた。
「い、いない。そんなバカな……」
念のため、屋上への扉に手を掛けたが、やはりカギがかかっている。
「イ、イブキさん……ちょっと話がしたいんだけど」
「貴殿と話すことは何もござらん。おひきとりいただけまいか」
俺は、あたりを見回した。
「って、いったいどこにいるんだ!」
すると、図書室前に無造作に置かれた椅子のホコリ避けの白い布が、わずかに動いたのが見えた。
「ええい、この地も失うとは、まったく困ったものじゃ」
彼女は、勢いよく白い布を取り外すと、俺をジっと睨みつけた。長い黒髪がサラサラと流れたのが見える。
「この場所のことは誰にも言わないよ」
「ふん、たわごとはよい。で、何用じゃ」
「だから、一緒に昼ごはん、食べない?」
「ふん、昼は食べんのじゃ」
「食べない……って具合でも悪い? あっ、ダイエットとか?」
彼女は、うつむき、がっくり肩を落とした。
「巾着を忘れたのじゃ」
「巾着? それって?」
「札入れじゃ」
「ああ、財布? あ、財布忘れたの?」
俺は、おもわず吹き出して笑ってしまった。
「わ、笑うでない!」
「悪かったよ。でも、イブキさんて、面白い人なんだね。そうだ、俺、パン4つあるから2つあげるよ」
「ご好意はありがたいが……お断り申す」
俺は、階段を降りると、彼女の前に机と椅子を置くと、袋からパンを取り出すとパンを並べた。
彼女は、何も関心がないような素振りを見せていた。しかし、チラチラ菓子パンを見ているのがわかる。
なんだ、コイツ……。
グググゥ……
突如、彼女のお腹が鳴り、俺はもう耐え切れず、ゲラゲラ笑ってしまった。
「うぬ」
「イ、イブキさん、ともかく2つ選んで? 別に食べなくてもいいからさ」
「左様か、しからば……」
彼女は、震える指で、ヤキソバパンとコロッケパンを指差した。
「はい。じゃ、これは残しておくよ。じゃ、俺、目の前で食べるから、気が向いたら食べてよ」
俺は、少し意地悪をしてみたくなった。
バリッとジャムパンの袋を開けると、あたり一面にイチゴジャムの甘い香りが広がる。
彼女は懸命に横を向いているが、鼻がヒクヒクしているのがわかる。
「あぁ、ジャムパン……美味いなぁ」
「ちっ、貴殿も酷なことをする……」
「パン、嫌いなの?」
「す、好きじゃ」
「じゃ、どうぞ……」
彼女は生唾を呑み込むと、顔を赤らめて、コクリとうなずいた。
「うぬぬ。し、しからば……そのヤキソバパンを一ついただけぬか」
「一つでいいの?」
「充分じゃ、かたじけない」
俺が、パンを手渡すと、手を合わせ、ブツブツと何やら唱え、パンを口にした。
「イブキさん、ずっと気になっていたんだけど、どうして、サムライが使うような言葉使いなの?」
「ミナミは、武家の出であるゆえ、そのようにしておるのだ」
「はぁ……武家の出ねぇ。でも今はそんな言い回しはしないとおもうけど?」
「ミナミは、それがよいと申しておるのじゃ。べつに良かろう?」
「はぁ……なんだか面倒だなぁ。まぁいいか、実は、ちょっと話をしたかったんだ」
「うむ。何用じゃ?」
俺が、彼女の顔を見ると、唇に青ノリがベッタリとついていた。おもわず吹き出して笑いそうになったが、グッとこらえてポケットティッシュをそっと取り出し渡した。
彼女は不思議そうにティッシュを受け取る。
「俺の友達が、イブキさんのことを知りたがっているんだ」
「ぬぬ?」
「たぶん、イブキさんに興味があって、いろいろ話をしたいってことじゃないかなぁ」
「なにゆえに!」
彼女は、ビクンと身体を震わせ、俺の顔を睨みつけてきた。
「あ、唇に青ノリついてるから……」
彼女は、あわててテッシュで唇を拭きとると、顔を赤らめた。
「なにゆえって言われてもねぇ、ともかく、会って話をしてみない?」
「ミナミは、そのような尻軽女ではないわ」
「いや、尻軽って、そういうことじゃないと思うけど」
「しばらく、時間をくれぬか」
「ああ、別に急いではいないけどね」
俺は、コロッケパンを1つ机に置くと、階段を下りた。
「もし! コロッケパンを忘れておるぞ!」
「ああ、後で召し上がってはいかがかな! 腹が減ってはイクサはできぬゆえ」
「左様か、こ、これは、かたじけない」
「では、ごゆるりと」
俺は彼女の口調に合わせて話すと、ニタニタしながら階段を降りた。
~~
部活が少し早めに終わったので、誰もいない教室から、校庭整備をしているテニス部を見ていた。アオイも懸命に整備をしているのが見える。
「なぁ、アオイ、俺、なんか間違ったのか?」
考えてみれば、俺はヒカルとアオイとは別の高校に行けばよかった。だいたいが勉強も好きでもないし、中学からはじめた柔道もソコソコで、限界がみえている。同じ高校を受験したのも、ヒカルの勧めと、アオイの笑顔をみたいがゆえだが、どうもここんところアオイとは、ギクシャクして息苦しくてたまらない。
一方、ヒカルの俺に対する態度は、昔と何も変わらない。俺を見かければニコニコしながら声をかけてくる。まわりに女子がいようがいまいがそんなのはお構いなしだ。おかげで、その度に、取り巻きの女子は、「あいつダレ?」みたいな視線を浴びせてくる。
俺は、大きくため息をついた。
「ケンちゃん!」
突然、ヒカルが声を掛けてきた。俺は振り返るとヒカルに手招きをした。
「ヒカル……。あのイブキミナミって子だけど……」
「お! なんかわかった?」
「あの子、ちょっと変だぞ」
「何が?」
「まず、普通にしゃべれない。なんでも武家の出とか言ってたが、時代劇のサムライが使うような言い回しだ」
「ああ、それは、知ってるよ。でも、バイト先では、普通だったけどね」
「なに!」
「実は、僕、たまたま駅前のハンバーガー屋で、彼女と会ったんだよ。丁度シフト交代だったみたいで、学校の制服姿の彼女がスタッフルームに入っていくのを見かけたんだ」
「何をご所望か……って感じじゃないの?」
「まさか。きちっとした普通の応対だったよ」
俺は、チラッと時計をみると、ヒカルに話をした。
「これからそのハンバーガー屋に行ってみようよ」
「あはは、そう言うと思った!」
ヒカルは、ニコニコ笑うとうなづいた。
~~
「いらっしゃいませ、ご注文を……」
俺は、駅前のハンバーバーショップで、ジッと「イブキ」と書かれたプレートを胸に着けている店員を見つめ、おもむろに注文をはじめた。
店員は、作り笑いをしていたが、殺気立った目で俺を睨んでいる。
「その、ダブルバーガーのセットとやら、いただきたいのじゃが、揚げた馬鈴薯は増量できますまいか?」
「すみません、別途、単品となります……」
「うぬ? それは残念じゃ、では、それはヤメとしよう」
「の、飲み物は、いかがされますか……」
「色々あるのじゃな、それでは、冷たい牛の乳をいただけぬか」
「はぁ……ア、アイスミルクでございますね……」
「勘定は、いかほどじゃ?」
「680円になります……」
「左様か、680両とは、こりゃ大金じゃな。ほれここに置くぞ」
「うぐ……」
ミナミは、苦虫を噛んだような顔でこちらを睨みつけた。しかし、トレイにハンバーガーとフライドポテトそして牛乳のパックを手際よく用意すると丁寧に俺の前に差し出した。
「この仕打ち、覚えておれ!」
ボソっとミナミがつぶやいたように聞こえた。
「はて、笑顔が良いとの評判の店……と聞いて参ったのだが、ずいぶんと違うようじゃな」
「あ、ありがとうございました。またのご来店おまちしております……」
「そうじゃな、そなたが、おるのなら、ちょくちょく寄らせてもらわねばなるまいな」
「おのれ、いい加減にせぬか!」
「うん? なんか申されたかな?」
「……早よう、立ち去れ!」
ミナミは、真っ赤な顔で俺の事を睨み大声で叫んだ。
「イブキさん、笑顔で丁寧な接客をしないと!」
突然、背後の背の高い女性が優しくミナミの肩に手をやった。
「あ、店長、すみません。この知り合いが、私のことをからかうものですから、すみませんでした」
「あ、ごめんな。ミナミ」
「ミナミ? おのれに、そのように呼び捨てにされる筋合いはないぞ」
「わ、わかったわかった。またな!」
俺が、ヒカルのところへ戻ると、ヒカルは、ゲラゲラ笑っていた。
「最高! やっぱしケンちゃん、凄いね」
「しかし、彼女はやっぱし変だよ。ヒカル、あんな子のドコがいいんだ?」
ヒカルは、フライドポテトをつまみ、チラっと彼女のほうを見た。
「あの子、ナギナタの腕前がすごいんだ」
「ナギナタって? あの槍の先に刀がついてるやつだっけ?」
「そう、僕が通っていた道場の隣で、練習をしていたんだけど剣道の剣士相手に、すさまじい試合だった」
「そんな風にはみえないけどね、で? それで惚れちゃったの?」
「ナギナタに一途なんだよ。ものすごく懸命で、素敵なんだ。ケンちゃん、もう少し彼女のこと調べてみてよ」
「え? 俺が? ヒカルお前が直接すればいいだろ!」
「ごめん、学校で彼女と話すと邪魔がはいっちゃってダメなんだよ」
「そっか……わかったよ……」
というわけで、俺は、しばらく彼女を追い回すことになった。
~~
「ねぇ、お父さん、ミナミさんのナギナタの腕前ってすごいの?」
「まぁな、お前も凄いとおもうが、ミナミも凄かった。何度かヒカルと試合を見に行った事があったんだが、エキシビジョンに登場して、剣道の剣士2人を同時に相手にしたんだ。鳥肌が立ったよ。凄い気迫で、あっという間に2人とも負かしてしまった」
ケンタは、マナミを見つめて笑った。
「あ、あの、マナミさんもナギナタやってるんですか?」
「うん、道具があったし、お父さんからも勧められて、今も続けてるの」
「そ、そうなんだ……」
僕は、ケンタを見つめると、ケンタは、肩をすぼめた。
そして、大声で話を始めた。
「ともかく、ミナミと話をするのは骨が折れたんだが……ミナミには秘密があったんだ」
「え?」
~~
あのハンバーガー屋の一件があってから、ミナミは、俺のことをやたら目のカタキにしてきた。
まぁ、俺もツッコミを入れるようになり、お互いクラスでも随分と目立つ存在になった。もとから、顔立ちもかわいいし、あの口調もクラスのみんなからおもしろがられた。
毎日のように口喧嘩の日々が続いて、俺は邪険にされたが、俺もヒカルから頼まれた手前、彼女のことを知ろうと、必死に喰い下がった。そうこうしている内に、ミナミも時々は笑顔を見せるようになり、当初、「カザマ氏」「イブキ氏」とお互いを呼び合っていたが、「ケンタ」「ミナミ」と呼び合う仲にまでになった。
「ケンタ、6時限目の数学の宿題は、いかがした?」
「済ませてはあるけど、自信はないよ」
「すまぬが、写させてほしいのじゃが」
「ほぉ? お忘れに?」
「めんぼくない」
「ほい、じゃ、これ……」
「おお、これは、かたじけない」
俺が、ノートを渡すと、ミナミは、カバンから、数学のノートを取り出そうと必死になっている。
「だけど、ミナミ殿。計算途中の過程が大切じゃないかとおもうけど」
「わかっておる。なんでも手順があろうからな。しかし、今は結果じゃ」
やっとのことでノートを取り出したが、バサっと1冊、桃色の手帳を落とした。だが、ミナミはそんなことは気にもせず、懸命に答えを写している。
俺は、床に落ちた手帳を拾い上げて驚いた。ヒカルの写真が手帳の間から落ちたのだ。
「あれ……」
「ぬ、ぬおぉぉぉ!」
「ヒカルの写真?」
「ケンタ、何をしておる。返すのじゃ!」
真っ青な顔をしてミナミが俺の手許から手帳を取り上げた。だが、その瞬間、手帳の間から便箋が数枚バサバサと落ちた。
「あ……ごめん」
「あぁ、なんとしたことか!」
ミナミの絶叫が聞こえ便箋を必死に集めている。俺もあわてて、便箋を拾い上げたが、そのうちの1枚を読み上げてみた。
「ヒカル殿、ミナミはいつもヒカル殿の御姿を拝見するたびに、胸の奥が熱くなるのでございます。この秘めたる想いが、ヒカル殿に届けば、ミナミはうれしゅうございまする。ヒカル殿と逢瀬できました暁には、すべてをヒカル殿にお捧げ申し上げる覚悟でございまする……」
ミナミは真っ赤な顔になり、いきなり泣き叫んだ。
「ケンタ、もうやめてよ……おねがいだから……」
「え?」
俺は、驚いてミナミを見た。クラスの連中の視線も一斉に俺たちに注がれた。
「あ? ごめん、ミナミ。悪かったよ」
そういうと、サッと便箋と写真を拾い上げ手帳に挟み込みミナミのカバンに押し込んだ。
教室のアチコチから、「サイテー」だとか「ひどいよね」やら「やっぱし野蛮よね」という声が聞こえてくる。
しかし、ミナミがヒカルの大ファンとは知らなかった。しかも、その想いは相当なもののようだ。
数学の授業の最中、俺の後ろからミナミの嗚咽が聞こえていた。
~~
俺は、部活を休んだ。というか休まざるをえなかった。
というのも、ミナミが、授業を終わっても自席でずっと腕に顔をうずめて泣いていたからだ。
教室には、俺とミナミだけが取り残されている。
「ミナミ、本当にごめんよ。悪気はなかったんだよ」
「ケンタのバカ。なんで、声に出して読み上げたりするのよ!」
ミナミが、いきなり普通の会話をしているのに驚いた。
「なぁ、覚えてるかなぁ、俺が、初めてミナミと話したときのこと」
「うん……ヤキソバパンだった」
「いやいや、そうじゃなくてだな、俺の友達が、ミナミのことを知りたがっているって話をしただろう」
「……」
「その俺の友達って、ヒカルなんだよ」
「……」
「さっきの手帳に挟まっていた写真のヒカル……あいつ、俺の幼馴染なんだよ」
「……」
「ミナミ?」
「そ、それって、ケンタは、ヒカルに頼まれたから、ずっと私と話をしてきたの?」
「そうだな、まぁ、そういうことかな」
「ひどいよ……」
「へ?」
ミナミは、スッと立ち上がった。涙でぐしょぐしょになった顔をハンカチで拭うと、俺の顔をジッと見つめた。
「わ、わたし、どうしよう。どうしたらいいの」
そうつぶやくと、また目に涙がいっぱいにあふれてきた。
「おいおいおい」
「私……」
「何だよ! ヒカルと話をしてきたらいいじゃないか」
「ちがうの……」
「何が?」
「私、いつも一人だった。小学校の頃からずっとナギナタの道場に通っていたし、強くなりたかった。そのためには、精神を鍛える必要があったのよ。だから、いつも自分を縛ってきた」
「……」
「周りのヒトは、みな私を避けた。そう、それはわかっていたこと。私もそれを望んだ。そのほうが好都合だから」
「あ、あのさ……なんで、そんなにストイックなんだ?」
「だけど、ケンタ、あなたは違った。私を避けることはしなかった。真正面からいつも私をみていくれた。私は、驚いたの。こんなヒトがいるとは思ってもいなかった」
「そ、それはどうも」
「だけど、それは、ウソ。すべては、ヒカルくんに頼まれたことだったのね」
ミナミは、俺を見据えたままポロポロと涙を落とした。俺は、何も言えなかった。たしかに、そうだ。俺も、ヒカルのことがなければ、もしかしたら、ミナミのことを避けていたのかもしれない。
「ごめん……」
俺は、うつむいた。
「私……ケンタ、あなたのことが大好きになっちゃった。そう、あのヤキソバパンの時からずっと気になった。今までの私には、ナギナタしかなかったのに、ケンタと出会えて学校にいくのが毎日楽しくなった」
「……」
「さっき、ヒカルくんへの随分前の手紙を読まれたとき、わたしの想いがヒカルくんにあると、ケンタが勘違いしちゃったんじゃないかと想って、私、もうどうにも切なくなっちゃって……」
ミナミは、肩を震わせた。俺は、ミナミの肩を両手でそっと押さえた。
「ミナミ! よく聞いて! 俺以上に、ヒカルは、お前の事をずっと想い続けているんだよ。どうだ、ヒカルと合ってくれないか」
「ヒカルくんは、たくさんの女の子に囲まれているし、私なんか……」
「お願いだ。ヒカルの想いも聞いてやってくれよ」
「いや、いやだ。私は、ケンタがいい……」
そういうと、ミナミは、いきなり俺に抱きついてきた。
そのとき、教室のトビラが開き、ヒカルとアオイが入ってきた。
「あ!」
俺は、ミナミの肩越しに、アオイと目があった。アオイはジッと俺を見つめたまま呆然としている。ヒカルは、静かに教室のトビラをコンコンと拳でたたいた。
ミナミは、音に気が付くと、あわてて俺から身体を離した。
「おじゃまだったかな?」
ヒカルが俺たちに話をした。
「ケンちゃん、ゴメン。イブキさんの想いがそれほど強いとは思ってもいなかったんだ」
「ヒカル、ど、どうすんだよ」
ヒカルは、ミナミをまっすぐ見つめた。
「イブキさん、僕は、キミが中学のナギナタの大会で優勝したとき……」
「え?」
ミナミの顔色が変わる。
「そう、三段技で、スネ・面・胴と連続技が炸裂したとき、ものすごく感動したんだ。そしてそのときからずっとキミと話せたらいいなと思って憧れていたんだ」
「……」
「イブキミナミさん、突然だけど、僕と付き合ってくれませんか、おねがいします」
「えっ」
いきなりのヒカルの告白に、俺は、チラッとアオイの様子を伺った。アオイは、まるで魂が抜けたかのような顔をして突っ立ったまま、呆然とヒカルとミナミを見つめていた。俺は、そんなアオイの腕を掴み、一緒に教室をでた。
そして、渡り廊下のところへやってくると、アオイと並んで二人で夕日を眺めた。
「ねぇ、ケンちゃん……ヒカルくん、あの子のことが好きなの?」
「ああ、中学の頃から想いを寄せていたらしい。俺はいろいろ頼まれて調べたんだけどちょっと変った子だよ」
「そうなんだ……ヒカルくん……あの子のことが……好きなんだ」
アオイは、まっすぐ夕日を眺めている。俺は、その横顔を見つめた。キラキラとアオイの顔が黄金色に染まっている。と、アオイの目から涙があふれてきた。一粒……また一粒。
風がそよぎ、アオイの髪が静かに揺れる。
「ケンちゃん。私、ヒカルに告白したんだ」
「告白って、お前がヒカルにしたのか?」
「うん……」
「なんで?」
「私、ケンちゃんから『ヒマ、俺は、ヒカルとお前のこと、応援してるからな』て言われたとき……」
アオイは、いきなり俺の襟首を掴むと睨みつけ叫んだ。
「ケンちゃんは、私のこと一番分かってくれてるはずじゃなかったの! 私の一番は、ずっと、ずっとケンちゃんだったんだよ。ずっと、ずっと待っていたのに……あんなこと言われたら私、どうしたらいいのかわかんなくなっちゃったんだよ」
「お前……」
アオイの目から涙が溢れ、肩が震えた。
「だ、だから、ヒカルくんに告白したんだよ。でも……ヒカルくん……僕は好きな子がいるから……って断られちゃった」
「ちょっと待て、告白って、いつの話だよ」
「ついさっき……。それで、それじゃその子を確かめたいって言ったのよ」
「ああ、それで、一緒に教室に来ってことなのか……」
「そしたら、ケンちゃんもその子から告白されてるし、私、もう何がなんだかわからなくなっちゃって」
俺は、そっとアオイの頭を抱き寄せた。アオイの頭が俺の肩に当たる。
「ヒマ、ゴメンな。俺、お前のことが、すごく大事だったんだよ……」
「え……」
「お前、昔からずっとヒカルの話ばかりしてたから、俺は、お前のことを見守ろうと中学のときに決心したんだ」
「そ、そんな……」
「でも本心はちがう。子供の頃から、ずっとお前がそばにいて、いっしょに笑っているときが一番楽しかった。それはいつまでも続くとおもってた……」
俺は、アオイの顔を両手で包むと、じっとアオイの瞳をみつめた。
「ヒマ、俺は、お前のことが一番大切だ。そして、誰よりもお前のことが、好きだ」
俺は、アオイの頭を胸に強く抱き寄せた。
アオイは俺の背中に手をやるとギュッと抱きしめて答えてくれた。
「ヒマも、ケンちゃんのことが、大好きだよ。ずっとずっと前から……」
「そっか……それなら付き合うか」
「うん……」
俺は肩を震わせて泣いているアオイを抱きしめ、優しくアオイの髪の毛を撫でた。
夕日が、ゆっくり沈んでいくのが見えた……。
~~
「これが、俺の始めての告白だ。結局、ヒカルとミナミ、俺とアオイは、それぞれ付き合う事になったわけだ」
「お父さんも、なんか、青春してたんだね。それにモテモテだったんだ!」
「マナミ! 冷やかすなよ。ここまでは、俺たちの青春の記録っていったところなんだが……」
ケンタは、俺とマナミを見つめると大きく息を吸い込んだ。
「このあと辛いことがおきたんだ。生死に関わる大変な事がおこったんだよ」
ケンタは目を伏せ、息を吐き頭を抱えた。
(つづく)