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太陽とヒマワリ  作者: とらきち3
6/8

※6 水色の想い出

太陽とヒマワリ  トラキチ3


2稿 20140630

初稿 20140630


※6 水色の想い出


「雨、やまないねぇ」

「しかたないだろ、今は梅雨なんだから」

「でも、部活、室内トレーニングばっかりでつまんないんだよねぇ」


 朝8時。中学校までの道すがら、俺はアオイのおしゃべりに付き合っていた。6月に入ってからというもの連日のように雨が降り続いている。


「でも、今の時期、きっちり基礎トレーニングして、しっかり身体を作っておかないと、夏場、バテるぞ」

「わかってるけどねぇ……」


 アオイは、傘をズラすと、恨めしそうに鉛色の空を見つめた。


「そういえば、ヒカルくん、元気になったかなぁ」

「まぁ、この時期に風邪ひくなんて、ヒカルも油断してるよな」

「今日、学校終わったら、お見舞いに行ってみない?」

「そうだなぁ、今日で3日目だし、もう元気になってるとは思うけど」

「きまり! じゃ、部活おわったら校門で待ってるね」


 アオイは、嬉しそうに、傘をくるくるっと回した。


「冷めてぇなぁ。傘、回すなよ」

「あ! しずく飛んだ? 嬉しかったから、ごめんね」

「もう、子供じゃないんだから、嬉しさを全身で表現するなよ!」

「うっさいなぁ……嬉しいことは嬉しいでいいじゃない。でも、早く夏こないかなぁ。まぁ、この傘の中は、いつも常夏なんだけどね」

「常夏?」

「ケンちゃん、自分の傘をたたんで、こっちの傘の中に入ってみて!」


 そう言うとアオイは、ニコニコして俺に手招きをしている。

 面倒だ……。

 言い出したら聞かないアオイのことだ。ヤレヤレと思いながら、俺は、傘をたたんでアオイの傘の中に入ってみた。

 アオイは、背が小さいので、俺に傘を持ってくれと言わんばかりに、傘の柄を突き出した。

 面倒だ……。

 再びため息をついて、アオイの傘を持ってやった。


「ね? 常夏でしょ?」


 アオイが傘を見上げているので、つられて俺も見上げてみた。すると、傘の裏地には、真っ青な空と元気にまっすぐ伸びるヒマワリが鮮やかに描かれていた。


「おお、ヒマワリ……だ」

「私、ちっちゃい頃から、『ヒマちゃん』って呼ばれてたせいかもしれないけど、ヒマワリって大好きなんだ」


 嬉しそうに、俺の顔を見上げる。


「えっ」


 そこにはいつものアオイの笑顔があったのだが、ドキッとしてしまった。小さな傘に、男女が肩寄せ合って学校に通うという情景がそうさせたのかもしれない。ただ、アオイが俺を見上げて微笑む姿に、心臓の鼓動は早く、体中が熱くなり、自分の顔が赤らんでいくのがわかる。

 俺は、あわててアオイの傘から逃げ出そうと、手に持った傘をアオイに手渡そうとしたが、アオイは意地悪く手を引っ込める。


「おい! 傘、持てよ!」

「ふふ、ラクチン、ラクチン。このまま学校まで傘を持ってくれたまえ、ケンタくん」

「はぁ? 何言ってんの! アオイ、いい加減にしろよ」

「ケンちゃんとの相合傘……ちょっとドキドキしちゃうね」

「はぁ?」


 俺は、アオイを無視して前を向き、スタスタと歩き始めた。アオイは、すこし小走りで俺の後を追いかけ、意地悪そうに俺の顔を覗き込む。


「ケンちゃん、どうしたの? 顔、赤いよ」

「うるせぇなぁ」


 アオイは、クスクス笑って、多分ワザとだと思うが、俺に身体を密着してきた。


「おう、カザマじゃないか。朝からお熱いね! おまえのカノジョか?」


 突然の声に、俺はびっくりした。

 なんと、柔道部の先輩が俺に声をかけてきたのだ。俺は、直立不動で、先輩に深々と一礼をした。


「あっ! 先輩! おはようございますっ。ち、ちがいますよ。カノジョとかじゃないっス。単なる幼馴染です」


 ドスッ


 いきなり、アオイのグーパンチが背中に入った。鈍い痛みが背中に広がる……。そして、アオイは俺から傘を奪い取ると、一人で走って行ってしまった。

 俺は、あわてて自分の傘を広げた。

 先輩は、呆然とアオイの後姿を見送り、俺を見つめるとニタニタ笑った。


「カザマ……俺、なんか悪いことしたか?」

「いや、むしろ、助かったッス。ありがとうございましたっ」


 一礼をして、先輩と別れた。

 まぁ、アオイから開放されてホッとしたが、それにしてもなんだってアオイのやつ怒ったんだろう。


「まぁ、いっか……」


 俺は、一人つぶやいて学校に向かった。しかし、あのドキドキはなんだったんだろう。アオイとは、幼い頃からずっといっしょだが、あんな感覚になったのは初めてだった。


~~


 授業を終え、放課後になっても、雨は降り止まない。体育館での稽古で俺は汗を流した。

 いつもなら校庭からテニス部の掛け声が聞こえてくるが、今日は聞こえない。さしずめ廊下でストレッチでもしているんだろう。アオイの苦虫を噛んだ顔が思い浮かぶと思わずニヤリとしてしまった。


 部活を終え、帰り支度をすると校舎を出た。


「やまねぇな……雨……」


 傘を開いて、トボトボと校門に向かうと、アオイの傘が見えた。


「あ! アオイ? 待っててくれたんだ。てっきり怒って先に帰っちゃったのかと……」


 俺が声をかけると傘がピクリと動いたが、どうもいつもと違う。


「おい? アオイ……どうした?」

「ケ、ケンちゃん……私……」


 俺に振り向いたアオイは、目に涙をいっぱい溜めていた。

 驚いた……。

 アオイは、滅多に泣いたりはしない。子供の頃からそうだった。そんなアオイが涙を目にいっぱい溜め、泣くまいと堪えている。俺は動揺して入学の時に封印していた言葉を口走った。


「ヒマ、どうしたんだよ? 何があったんだ!」

「ケンちゃん……」


 アオイは、俺の声を聞くと、堰を切ったように大粒の涙があふれ出し、ポロポロと頬をつたって落ちた。

 俺が何を聞いても、アオイは、声を詰まらせるだけで話をすることなんてできそうにない。俺は、いっしょに歩いて落ち着かせることにした。


 学校からしばらく歩いたところにある児童公園に、雨宿りができる大きな日よけがある。

 俺たちは、その日よけにあるベンチに並んで座った。

 アオイは、肩を震わせてずっとうつむいていた。


「どうだ? 少しは、落ち着いたか?」

「うん……」

「何があったんだよ……ヒマが泣くなんて……」

「ケンちゃん……ありがとね。さっき、ケンちゃんが私のこと『ヒマ』って呼んでくれたとき、堪えきれなくなっちゃった。ガマンしなくていい相手って、ケンちゃんだけだもん」

「そ、そうか?」

「そうだよ。ケンちゃんには何でも話せるし、きっとヒマのことも一番分かってくれてるから……」


 俺は少しばかり誇らしかった。まぁ、アオイとはなんだかんだいって付き合いは長いし、顔を見れば、何を考えているのかは大方わかる。


「まぁ、俺もガマンしないで、ガンガンいえるのはヒマだけだな。俺の事、一番知ってるしなぁ」


 俺が、ボソっと言うと、アオイが突然プッと吹きだした。


「まぁね。小さい頃、真っ裸でおじさんに追いかけられてたのも知ってるし」

「え?」

「おばさんの口紅塗って怒られてたのも知ってるし」

「い、いつの話だよ……まぁ、昔は、熱い風呂に入れられるのが嫌だったし、母さんの化粧も不思議だったけど……そんなこと、なんでヒマが知ってるんだよ」

「それは、ヒ・ミ・ツ」


 アオイはクスクス笑い、俺もつられて笑ってしまったが、いつものアオイの笑顔が戻ってホッとした。


「なぁ、何があったんだ?」

「……あのね、私、部活やめようかと思ってるんだ……」


 アオイは、鉛色の空を見上げて、アッサリと言い放った。単に「白いミニスカートが素敵だからと入部した」という動機は不純だが、厳しいトレーニングに耐えて続けてきたテニス部をそんなにアッサリ辞めるというのはどういうことだ?

 俺は、アオイに呆れ顔で見つめた。


「ほら、今朝、相合傘したじゃない」

「ああ、その後、俺にグーパンチ入れてスタスタ歩いて行きやがりましたがね」

「あ、それは、ケンちゃんが『単なる』幼馴染なんて言うからよ! 何? 『単なる』って!」

「だって、相合傘してる最中に部活の先輩に声かけられたんだぞ。俺だって動揺したんだよ……ってまぁ『単なる』は、悪かったよ。ごめん。でも、それがなんで、部活をやめることになるんだよ」


 アオイは、顔を曇らせてうつむいた。


「あの相合傘、テニス部の先輩が見てたらしいんだ。で、今日の部活のミーティングで『男子といちゃいちゃしているチビの1年がいる』って私のことジッと見つめて言うから、私もカチンときて『幼馴染ですが何か』って反論したんだ」

「それで?」

「そうしたら、なんだか知らないけど、私のことばかり目の敵にして、イジワルしはじめたんだよ」

「なんだそれ? かなり陰湿だな」

「仲良くしてた同じ1年の子も、『先輩が、今後、アオイちゃんとは話もするなっていわれたから、ゴメンね』って耳打ちしてきて……」

「嫌だなぁ、女子は……」

「頭にきちゃって、男の顧問の先生に『男子といっしょに帰ったり、相合傘するのは、ダメなんですか?』って聞いちゃった」

「そしたら?」

「そしたらね、先生が『仲がいいのはいいが、あんまりベタベタするなよ。おまえも、もうチビの小学生じゃないんだから、少しはお前も大きくなれよ』って頭ポンポンしてきたのよ。もぅ、すごいムカついちゃって!」

「チビの小学生?……ああ、そりゃ先生が悪いな。ヒマが怒るのもよくわかる」

「でしょ、私、懸命にガマンしたんだ。でも、悔しくて、悔しくて……あんな部活もう嫌!」


 正直なところ、俺は、あまりのバカバカしさに呆れたが、アオイのことだ、自分が一番気にしている背丈のことをバカにされたのが許せなかったんだろう。


「よし! それなら、こうしようぜ!」


 俺が、大きな声をだしてベンチから立ち上がり、アオイを指差した。


「え? なに?」


 俺は、ニヤニヤ笑いながら叫んだ。


「雨が降ったら、かならず、俺と相合傘で学校に行くこと!」

「えっ!」

「いいじゃないか、別に。もっとガンガン見せ付けてやればいいじゃないか」

「うーん、でもねぇ……」

「なにか、不満でも?」

「できれば……」

「うん?」

「できれば、ヒカルくんとがいいな!」

「はぁ? なんだよ、ヒカルかよ! ちぇ、せっかく人が何とかしてやろうと思っているのに」

「えへへ」


 アオイは、元気にベンチから立ち上がった。


「ケンちゃん、ありがとね」


 そういうと、俺の腕にいきなり抱きついてきた。


「うお! なんだよ」

「うふふ、これからも頼りにしてるよ!」

「ま、まぁな……」


 俺の顔を見上げて微笑んだアオイに、俺はキュンと胸の奥が締め付けられた。まぁ、これが俺の初恋の瞬間だったのかもしれない。


~~


「やったじゃない! お父さん!」

「マナミ、茶化すんじゃない」

「でも、あの傘で、そんなことがあったんだね」

「ああ、アオイは、いつも大事にしていたんだ。何度か骨も取り替えていたし、布地も張り替え修理をしていたからな」

「そうなんだ」


 ケンタは、僕を睨んだ。


「なぁ、アキラ。このことを俺がヒカルに話したんだが、その時、ヒカルはどうしたと思う?」

「え? さっきの相合傘の話ですか?」

「そうじゃない、アオイが部活をやめるって話さ」

「ああ、父の性格だったら、職員室に乗り込んで顧問の先生に直談判ですかね」

「ふふふ、そんなもんじゃなかったよ」

「え?」

「あいつ、例のアオイに意地悪した先輩の教室まで行って、大声で『僕と付き合ってください』って公開告白しやがった」

「え? なんでまた?」


 ケンタは、空になったグラスに、ウィスキーを注いだ。


「目には目をだ。あいつ、そういうところは頭が回るんだよ」

「それで、どうなったんですか?」

「ヒカルの公開告白の話は、あっという間に学校中に広まった。『あの先輩が、1年生の男の子をもてあそんだらしい』とか根も葉もない噂にまでなって、その先輩はもう真っ青だ。あわてて、ヒカルに告白したワケを聞いたらしい。ヒカルがアオイの一件について先輩に抗議をしたら『ちょっと、面白半分にからかっただけで悪気はなかった……』って、アオイに謝りに行ったらしい。それから、顧問の先生に直談判だ。その先輩も加勢してくれて、顧問の先生もアオイに謝って、一件落着。ともかく、夏休み前は大変だった」

「じゃぁ、アオイさんは、テニスを続ける事ができたんですね」

「まぁな。今でも続けているよ。ともかく、この騒動でヒカルは、学校中で有名人になったんだ」


 マナミは、身を乗り出して話をした。


「ヒカルさんて、すごい!」

「まぁな、ともかく、アオイのことになると、まるで見境がなくなるからな……」

「でもそうなると、お父さんは、ヒカルさんが恋敵ってことじゃない?」

「まぁ、ヒカルは、そんなことは思ってもいなかったみたいだが……夏休み明けの水泳大会で対決することになった」

「すごい! で、お父さんが勝ったんだ?」

「いや……。2人とも失格だった」


 ケンタは、ウィスキーを一口なめると話をした。


~~


 夏休みも残すところ数日。

 俺たちは、図書館のエアコンが効いた自習室で最後の宿題を片付けていた。アオイが眠気覚ましに顔を洗ってくると出かけたスキに、俺は、そっとヒカルに話かけた。


「ヒカル! おまえ、アオイのことどう思う?」

「うん?」


 ヒカルは、参考書に目をやったまま、小さな声で答えた。


「どう? って?」

「あいつ、ドキってするくらい、キレイになったと思わないか?」


 ヒカルのペンが止まった。そして、ニヤニヤしながら俺を見つめた。


「ケンちゃん、アオイちゃんに恋しちゃったね」

「はぁ?」


 俺は、あわてて、周りを見渡した。アオイは、まだ、戻ってきていない。


「いや、そういうことじゃなくて……」

「僕は、アオイちゃんのことは大好きだよ。気兼ねなく女の子と話ができるのはアオイちゃんだけだし」

「そっか……」

「でも、恋するって感じとはちがうんだ……なんて言ったらいいのかなぁ」


 ヒカルは、言葉を探して天井を見上げた。


「双子の妹って感じかな?」

「はぁ?」


 俺は、呆れてヒカルを見つめたが、ヒカルはいたって真面目顔だ。


「妹っていうのはなんとなくわかるけど、なんで双子なんだよ」

「まぁ、いつも気になる大事な存在で、まるで自分の分身みたいに感じることがあるんだ」

「そうなのか? 俺には良くわかんないなぁ。でも、アオイは俺たちのことはどう思ってるのかなぁ」

「まぁ、アオイちゃんは、ケンちゃんのことは、大好きだよ。まちがいない」

「そ、そうかなぁ」

「アオイちゃんのグーパンチは、ケンちゃんだけだし……」

「なんだ? あれって、歪んだ愛情表現ってことか?」

「ズバリ! そのとおり!」


 ヒカルは、ニコニコして笑った。


「で、どうすんの? アオイちゃんにいつ告白するの?」

「ちょっとまて、なんで告白って話になるんだよ。イヤイヤ、どうせ告白したって、答えはわかってる。あいつは、ヒカル、おまえのことしか眼中にないんだぞ……ヒカル、お前が告白したらどうなんだ?」

「わかってないなぁ、ケンちゃん。乙女心っていうのは、そんな簡単じゃないよ。ともかく告白しなよ!」

「告白はちょっとなぁ」


 俺の返事に、ヒカルは呆れ顔になったが、急に何かを考え始めた。


「そうだ、9月の水泳大会で決着をつけよう!」


 いきなり、ヒカルが叫んだ。


「ちょっと、ヒカルくん、うるさいわよ。図書館は静かに!」


 アオイが呆れたように自習室に戻ってきた。


「で、水泳大会で何を決着つけるわけ?」

「それは、お楽しみ! さぁ、ラストスパート! 早く宿題終わらせようよ!」


 ヒカルがニコニコしながらアオイに話すと、アオイは、じっと俺の事を睨んだ。


「どうせ、ケンちゃん、また変なこと、企んでいるんでしょ」

「お、俺は、し、知らないよ!」

「ウソばっかり……」


 結局、宿題が片付いたときには、外はすっかり暗くなっていた。

 3人で図書館から帰る道すがら、ヒカルがそっとメモを俺に渡してきた。

 アオイにバレないように、そっとメモを開いてみると「水泳大会で負けたほうが、アオイちゃんに告白すること」とあった。

 俺は、小学校の頃は、水泳は得意だったし大好きだった。でも、中学生になり体が大きくなるにつれ、泳ぐスピードが落ちている。一方のヒカルは、水泳の授業がある度に水泳部が勧誘にくるほど泳ぎは上手くなっている。

 つまり、この水泳大会は、圧倒的にヒカルに有利ということになり、結果、俺がアオイに告白するって筋書きとなるのだ。


「まじ? つうか、普通、勝ったほうが……じゃないの?」

「いや、負けた方……って事で……」


 ヒカルは、ニコニコ笑ってガッツポーズをした。


 俺は、そんなことで決めるのもどうかと思っていたが、ヒカルはやる気満々のようだ。そういえば、小学校のころ、泳げなかったヒカルに水泳を教えたのも俺だった。そんなヒカルに大差で負けてしまうのも悔しい。それに、ヒカルに告白されてアオイがどう答えるのかも気にもなる。

 そこで俺は、水泳部のヤツに頼み込み特訓を密かにやることにした。結果、フォームの改善で、かなりタイムは短縮することができたのだ。


~~


 水泳大会当日。

 天気は快晴。俺とヒカルは、個人メドレー100メートルに出場する。25メートルプールを2往復。バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、自由形で勝負する。バタフライは、水泳部のフォーム改善でかなりタイムを縮める事ができたので、最初で大きく引き離し、苦手の背泳ぎを切り抜けて、平泳ぎと自由形で勝負をつけるしかない。

 個人メドレーは、大会最後の種目で、エントリーも5人と少ない。しかも、うち水泳部が3人なので、水泳部以外では、俺とヒカルということになる。

 俺は2コース、ヒカルは3コースだった。ヒカルはスタート台に立つと、ニコニコして俺を見つめた。余裕の表情だ。


「位置について……ヨーイ……」


 ピストルの音が聞こえ、水の中へ飛び込んだ。ほとんどスタートでは差がない。そのまま潜ったままドルフィンキックで進む。チラリと横をみるとヒカルよりリードしている。

 25メートルの折り返しで、壁を蹴り背泳ぎになる。ぐんぐん、ヒカルが迫ってくるのがみえる。すこしでもここで差を縮められないようにしなければならない。俺は懸命に泳いだ。

 旗つきロープが見えた。あと5m。ターンは、俺のほうが早い。

 残すところ平泳ぎと自由形だ。

 少しばかり、ペースが早すぎたかもしれない。かなり左足が重くなってきた。しかし、そんなことは無視して俺は、懸命に平泳ぎで水を捕らえた。

 あと5メートルで最後のターンというところで、左足から背中にかけてビキビキっと痙攣をおこした。

 俺は、焦ってしまい、水の中に沈み、懸命に痙攣した足の筋を伸ばそうと必死に手を出すのだが、身体もいうことが効かない。

 そのとき、ヒカルが俺の横を通過しているのが見えた。ヒカルは、壁でターンをすると、いきなりコースアウトして、俺のレーンに入り、懸命に俺の左足を伸ばしてくれたのだ。ところが、なかなか痙攣が治まらない。


「ケンちゃん、ちょっとガマンしてチカラを抜いて!」


 ヒカルが、俺を背後から支えて叫んだ。そしてプールサイドに引き上げてくれた。


「ごめんな、ヒカル……」

「お、おどろいたよ、ケンちゃん速いね! やっぱり、ケンちゃんはスゴイよ!」


 俺は、自分が情けなく、そして自分に悔しかった。そしてそれ以上に、ヒカルのやさしさに熱いものがこみ上げてきた。すると、ヒカルは、サッと俺の頭にタオルを掛けてくれた。


「ケンちゃん、まだ痛む?」


 ヒカルは、未だハァハァ息を整えながらも、マッサージを続けてくれた。


 競技の結果発表では、もちろん、俺たち2人はコースアウトで失格だったが、それが告げられた時にはプールサイドから大きな拍手があったのを覚えている。


~~


「これで、ヒカルに助けてもらったのは2度目だ。俺は3度、ヒカルに助けてもらっている」


 ケンタは、ウィスキーを飲みきると、グラスをジッと見つめ、テーブルに静かに置いた。


「木からの転落、プールでの事故……あともう1回?」


 マナミが心配そうにケンタを覗き込むと、大きな柱時計が3時のカネを打った。


「なぁ、マナミ、冷蔵庫にケーキがあるだろう、アキラに出してやれ。それから紅茶を入れてくれないか?」

「あ、はい」


 マナミは、席を立つと厨房に向かった。

 ケンタは、マナミを見届けると、アキラに手招きをして、小声で話をしはじめた。


「ヒカルに助けてもらった3度目の話の前に、ミナミのことを話さなくてはならない」

「ミナミ! ミナミですって?」


 思わず、僕は大きな声を出してしまった。

 ケンタは、人差し指を口に当て、厨房をチラチラと気にしながら話をする。


「アキラ、お前、ミナミの写真を見た事がないって言ってたよな」

「はい」

「なぜ、ヒカルがミナミの写真を処分したのかは、ミナミの写真をみれば一発で分かる」

「え? どういうことです?」

「実は、俺もミナミの写真は処分してしまった」

「な、なぜなんです。どうして、存在を消そうとするんですか!」


 僕は、ケンタを睨みつけた。


「お前は、すべての真実を知る覚悟はあるか?」

「そ、そりゃありますよ」

「お前は、マナミのことをどう思っている? 本気なのか?」

「マナミさんのことが好きですし、僕の大切な人です。それは本当です」

「それじゃ、マナミといっしょに結婚して家庭を持つ事まで考えているのか?」

「え? 家庭を? 今は自分にそんな資格があるかわかりませんが、できればそうしたいです」

「そうか……」


 ケンタは、ジッと僕を見つめ、唇を噛んだ。

 そして、厨房をチラリと覗き、背面の書棚から一冊の分厚い本を取り出した。そして、テーブルの上に置きページをめくった。どうやらレシピ集のようだが、日本語では書かれていない。

 パラパラとページをめくると、薄い封筒が挟み込まれている。


「ここに、ミナミの写真が入っている」

「さっき、処分と……」

「ああ、処分したつもりだったんだが、1枚だけ残したんだ。いずれ必要になると思ってな」


 ケンタは、封筒を俺の前に置いた。


「いいか、見たら何も言うな」


 僕は、おそるおそる、封筒の中の写真を取り出した。そして、18年間追い求めていた母の姿を確認する瞬間に手が震えた。


「え! そんなバカな」


 僕は、目を疑った。そしてケンタを睨みつけた。


「いいか、アキラ、よく見るんだ」


 僕は、もう一度じっくり写真を見つめた。少しばかり色あせてしまったカラー写真だ。写真には25年前の日付が刻み込まれている。そして、その写真の中央には、制服を着た少女が写っているのだが、その少女が、マナミに瓜二つだったのだ。

 しかも、おどろいたことに、よくマナミがしている三つ編みでカチューシャ風にまとめたあの髪形までおなじなのだ。


「アキラ、写真を封筒に入れてコチラへよこせ」


 僕は、言われたとおり写真をケンタに渡した。

 ケンタは、本を書棚にもどすと、大きくため息をついた。


「ど、どういうことなんですか! なんで? どうして?」


 俺は、ケンタに小声で話をした。


「はい、おまちどうさま。ケーキと紅茶……あれ、アキラさんどうしたの?」

「え? いや……」


 マナミは、キョトンとして俺を見つめている。そして、僕は、あらためてマナミをジッと見つめると、先ほどの写真の少女の顔と重ね合わせていた。


「ぼ、僕は、夢をみてるのか?」



(つづく)

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