※5 幼馴染
太陽とヒマワリ トラキチ3
2稿 20140622
初稿 20140622
※5 幼馴染
「ケンちゃん、ズルイよ!」
「だって、ヒマは ちっこいんだから仕方がないだろう!」
「ヒマも木の上に登りたい!」
「ダメ!」
「ズルイよぉ」
泣き叫ぶアオイを尻目に、俺は庭の大きな木にスルスルっと登った。
3月は、絶好の木登りの季節。白い雪も溶けてなくなり、木には葉っぱもまだ出ていない。葉っぱがあると枝が見えなくなるし、毛虫も湧いて厄介だ。
アオイは、物心ついたころから、いっしょに遊んでいる幼馴染。この時は、アオイがなぜ自分のことを「ヒマ」と呼んでいるのか知らなかったが、アオイの親も、いつも「ヒマちゃん」と呼んでいたし、アオイ本人も自分のことを「ヒマは……」と話していたので、俺もいつの間にかアオイのことを「ヒマ」と呼んでいた。
しかし、今日は絶好の天気。俺は、アオイにバイバイと手を振ると、枝や木の幹のコブに足をかけて、ぐんぐん木を登っていった。少しばかり肌寒かったが、毛糸のセーターも着ていたし、木に登るうちに身体もポカポカとしてきた。
やがて、木の幹がどんどん細くなり、木のてっぺんが見えてきた。
「おお!」
てっぺんに到着すると、ちょうどいい感じの枝に足をかけて座ることができた。
どこまでも澄んだ青空が広がり、まるで空中を飛んでいるかのような気分になる。さらに上を見上げれば、太陽にも手が届きそうだ。
「ケンちゃん、あぶないよー」
遥か眼下からアオイの声が聞こえてきたが、すっかり火照った身体に冷たい風が心地よく、アオイの言葉を気にもしなかった。
俺は、伸びをして、土手の向こう側の川を見つめた。静かに流れる川面が、キラキラと輝き、その先には海も広がっている。
「ねぇ! ケンちゃん! だいじょうぶなの?」
「平気だよ! ここからは、海も見えてキレイだよ!」
「いいなぁ、いいな! ヒマも見たいよぉ!」
俺は、満足して大きく深呼吸をした。気持ちがいい。
その時だった。突然、俺の頭上に黒いものが飛び交った。
「うん?」
周りを見渡すと、一匹の大きなカラスがこちらをジッと見つめている。
カラスは、バサバサと俺の周りを飛んでは、しきりにカァカァとうるさく鳴いている。俺は、近くの小枝を揺らし、カラスを追い払らおうとしたが、カラスも負けてはいない。ヒョイヒョイと枝から枝へ移る。
俺は、もっと大きな枝を揺らしてやろうと身を乗り出した瞬間、足元が滑って、大きな枝を掴んだまま宙ぶらりんになってしまった。俺は、あわてて身体を揺らし、なんとか幹にもどろうと必死に反動をつけたのだが、その拍子に掴んでいた枝がボキッと折れてしまったのだ。
バキバキバキ……
あっと思ったときはもう遅い。俺は、青空を見上げたまま、両手を広げ墜落しはじめた。途中、枝を掴もうと手を広げてみたものの、どれも上手く掴むことはできない。何度か太い枝に身体がぶつかり跳ね返されながら墜ちていく。
みるみる青空が遠のいて、もうすぐ地面に叩きつけられると覚悟を決め歯を喰いしばり目を閉じた。
「あ?」
俺は、何か柔らかなものが、俺の身体を一瞬支えてくれた気がした。そして、ゆっくりと地面に横倒しになった。
ゴツと頭を地面にぶつけ、ジーンと痛かったが、意識はあった。おそるおそる、目をあけてみると、今にも泣き出しそうなアオイの顔が見えた。
「ケンちゃん! ケンちゃんだいじょうぶ?」
そして、アオイの顔の隣には、青白い顔をした男の子の顔が見えた。
「だいじょうぶかい?」
「痛てて、こ、こんくらいは、へっちゃらさ」
強がりを言うものの体中は痛く、動かす事ができなかった。でも、アオイの隣の誰だか知らないその子のことが気になってしかたがない。
「よかった!」
その男の子はニッコリ微笑むと、俺の視界から消えてしまった。俺は、あわてて起き上がろうとしたけれど、背中がジンジンして動けなかった。
「ケンちゃん、起きれる?」
アオイが手を差し伸べる。俺が手を掴んでチカラをいれると、アオイは真っ赤な顔をして懸命に俺を起こそうと引っ張ってくれた。でも、俺がちょっとチカラを入れるとバランスを崩して俺の上に倒れこんでしまった。
「きゃぁ」
「痛いよ! ヒマ!」
「ケ、ケンちゃんが引っ張るのが悪いんじゃない!」
「ヒマ、あいかわらずチカラないなぁ」
「ふん、ケンちゃんが重すぎるんだよ」
「うるせっ」
俺は、ちっちゃな身体のアオイを押しあげると、身体を回転させて腹ばいになり、なんとか起き上がることができた。
「なんだ、一人で起き上がれるんじゃない。ケンちゃんのウソつき!」
アオイは、腕組みをしながらほっぺたを膨らませていた。
「まだ、身体痛いんだってば、本当だよ!」
「え? そうなの?」
アオイは、急に心配そうに俺の背中をさすってくれた。
俺は、ゆっくり立ち上がり、大きな木を見上げて見た。かなりの高さだ。あの上から落ちたのかとおもうと、我ながらゾッとした。
体についた木屑を払いながら、木の下で何があったのか、アオイに聞きいてみた。
「ヒマ、あの子、誰?」
「えっとね、ケンちゃんが木に登り始めたら、土手のほうから降りてきて、ずっと木の下にいたんだよ」
「ふーん」
「それで、ケンちゃんが、墜ちてきたとき『どいて!』って叫んで、ケンちゃんをちゃんと受け止めたんだよ。でもその後、いっしょに潰れちゃったけどね」
「そっか、すごいな! あの子」
「すごいよね」
あわてて土手を見上げてみたが、その子の姿はなかった。
それからというもの、俺は、あの子にお礼がいいたくて、近所を自転車で回ってみたり、公園や商店街をくまなく探してみたが、さっぱり見あたらなかった。
~~
春休みが終わり、小学校2年生の新学期が始まった。
もしかしたら、俺が通っている小学校の生徒かもしれないと、学校の前で待ってみることにした。
「ケンちゃん、おはよう! おばさんに聞いたら、もう先に学校に行ったよって聞いて驚いちゃった。なんで、今日はこんなに早いの?」
「ほら、この前の子、もしかしたらウチの小学校かもしれないと思って待っているとこ」
「そっか! じゃ! ヒマもいっしょに待ってみる!」
2人でずっと校門の前で待ち続けた。
大きなランドセルの1年生、背の高い6年生、みんなニコニコしながら口々におはようと元気な声が響いている。やがて、生徒もまばらになり、ついに始業のチャイムが鳴り出した。
「ヒマ、教室に行こう。やっぱり、うちの学校じゃないのかもしれないね」
俺は、あきらめて門に入ろうとしたとき、ヒマが俺の腕を引っ張った。
「ケンちゃん! ケンちゃん! あの子! あの子だよ!」
俺は、あわてて振り向くと、先生に連れられたあの子の姿があった。俺は、その子に駆け寄るとペコリと頭を下げた。
「この間は、ありがとう」
青白い顔をした背の高い子は、最初は驚いたが、すぐに俺に気が付いてにニッコリ微笑んでくれた。
「ほらほら、君たちもチャイムが鳴ったんだから、早く教室に行きなさい!」
先生が、ポンと俺の背中を押した。
「また! あとでね!」
俺は、男の子に手を振るとアオイと一緒に教室へ向かった。
~~
始業式が終わって、教室にもどると、なにやらザワザワ騒いでいる。
「ケンちゃん、うちのクラスに転校生来るみたいだよ」
「ふーん」
もしかしたら、あの子……と一瞬頭をよぎったが、背も大きいし、力もありそうだから上級生の転校生だろう。
ガラリと教室のドアが開くと、担任の先生と男の子が入ってきた。
「今日から、いっしょに勉強する事になったヒビノくんだ」
「え!」
俺とアオイは、その転校生を見て飛び上がってしまった。
先生といっしょに入ってきたのは、まぎれもなく、あの子だった。そして、なによりも自分と同じ小学2年生ということに呆然となった。
その転校生は、かなり緊張しているようだったが、俺とアオイに気が付くと、パッと明るい表情になってニッコリ微笑んだ。
「僕は、ヒビノヒカルっていいます。どうぞよろしくおねがいします」
大きな声で、しっかりとした挨拶だった。
最前列のアオイは、ヒカルを見上げて、手を振っている。さっそく、教室のあちこちからヒソヒソ話が聞こえてきた。
「ヒカルって、女の子の名前じゃないの?」
「背、でっかいなぁ」
「かっこいいね」
誰もが、転校生に釘付けだった。
「みんな、静かに! えっとヒビノの席は、一番後ろのカザマの横の空いている席だな」
そう先生が言うと、ヒカルは俺にペコリと頭を下げ、ツカツカと俺の隣の席に座った。
「俺、カザマケンタ。この間は、本当にありがと!」
「僕は、ヒビノヒカル。でも、カザマくん、あんな高い木に良く登れたね」
「カザマ……あ、ケンちゃんでいいよ! みんな俺のこと、そう呼んでるから。でも、カラスをやっつけようとして、手が滑ったときは、正直、怖かったよ」
ヒカルは、静かにうなづいた。そして、目をキラキラさせながら話をしてきた。
「ところで、あの風見鶏のついた家、あれがケンちゃんの家なの?」
「うん! 中は、ボロっちぃけどね。レストランやってるんだ」
「すごいなぁ」
「学校終わったら、遊びに来ない?」
「いいの?」
「もちろんさ!」
ヒカルは、ニコニコしながらカバンから新しい教科書とノートを取り出した。
1時間目の授業が終わり、休み時間になると、一番前の席からアオイがすごい勢いで飛んできた。
「ねぇ! ねぇ! ヒカルくん背が高いよね! どうしたら背が高くなるの?」
「え? 特に何もしてないけど、牛乳は好きだよ」
「牛乳かぁ……」
「おい! ヒマ、いきなりなんだよ」
「だって、ヒマも大きくなりたいもん」
ヒカルが目を丸くして、アオイの名札を見ている。
「ねぇ、ヒュウガさんは、なんでヒマって言うの?」
「あ、それはね、漢字で書くと……」
アオイは得意顔になって自分の名前について話を始めた。
「ケンちゃん、ちょっと、ノート貸して!」
「うん、いいけど」
俺が、ノートを手渡すと、アオイは裏表紙に自分の名前を書きだした。
日向葵の名字の漢字を入れ替えると向日葵になって、小さい頃からヒマワリって呼ばれていたと懸命に話をしている。
俺はどうもピンとこなかったが、ヒカルは、ニコニコしながらその話を聞いていた。しかし、俺のノートに書かれたアオイの字は、ひどく下手な字だ。俺は、おもわずツッコミをいれた。
「ヒマさ、もう少し、キレイな文字で書けないの? 自分の名前だろ!」
「ケンちゃんよりは、マシだとおもうんだけど……」
アオイはそういうと、俺のノートをめくって指差した。そして、ヒカルのノートをチラっと見ると目を丸くした。
「すごい! ヒカルくんのノートの字、すごくキレイ!」
俺も、身を乗り出してヒカルのノートを覗きこんだ。まるで印刷されたかのようにキレイな文字が並んでいる。
「すごいな。ヒカル! キレイに書くコツってあるのか?」
「あるよ! 今日、帰りに教えてあげるよ」
「あ! ヒマにも、教えて!」
というわけで、俺たちは、あっというまに友達になった。
それから毎日、学校が終わると3人いっしょに帰った。
俺の家で、文字の書き方練習や宿題を片付けた。もっとも、俺は勉強は苦手だったから、ヒカルから教えてもらうばっかりだった気がする。まぁ、今から考えれば、ずいぶんとヒカルには迷惑な話だったかもしれない。
ちなみに、ヒカルの文字をキレイに書くコツは、「ゆっくり丁寧にチカラを抜いて、大きさを揃えて」だった。
当時は、テレビゲームなんかもなかったから、勉強のあと遊びといえば、ビー玉や石蹴りだった。ところが、ヒカルは、ビー玉や石蹴りで遊んだ事がないと言う。さっそく、俺が遊び方とちょっとしたコツを教えると、あっという間に上達してしまう。
「ヒカル。すごいぞ。初めてって言ったけど、すごいな」
「えへへ。ケンちゃんの教え方がいいのかもね」
「え? あ、まぁ、そういうことだね」
するとアオイが、クスクス笑って、俺にツッコミをいれた。
「えぇ! ヒマは違うとおもう! ヒカルくんがすごいんだよ」
「ちぇ」
そんな毎日が、俺は楽しかった。
~~
ケンタは、ウィスキーをグラスに注いだ。
「これが、ヒカルとの出会いだ。ともかく、何をやらせても上手かったよ。体格はヒョロヒョロだったが、ともかく背が高くて、チカラもあったから、俺と相撲をしても全然歯が立たなかった」
グビっと一口、ウィスキーを飲むと話を続けた。
「でも、ヒカルは、やたらアオイのことばかり気にかけていて、俺的にはちょっと嫉妬したところもあったんだがな」
「え? その頃から、お父さん、お母さんのこと好きでヒカルさんに取られちゃうとおもってたの?」
「いや、むしろ、俺は、もっとヒカルと遊びたくて、アオイはお荷物だったんだよ」
「ひっどぉい!」
ケンタは、肩をすくめ、フっと笑うと話し始めた。
「まぁ、俺は、いつもアオイは俺のことを見ていてくれるって思いこんでたのかもしれないな。それが、ヒカルの登場で、すぐに俺とヒカルを比べるもんだから、たしかにカチンときたことはあったよ」
「ところで、その頃、ヒカルは、アオイさんのこと、好きだったんでしょうか?」
僕が、ケンタに話しかけると、ケンタは、コクリとうなずいた。
「おそらくな……。ヒカルは、女の子とは話をするのが苦手だったんだが、アオイだけは特別だった。それに、アオイがピンチのときは、いつも飛んできていたからな」
「ピンチ?……ですか」
「アオイは、結構、ドンくさいところがあって、犬に追い回されたり、落し物をしたり……その度に、ヒカルが飛んできては、よく助けていたからな」
ケンタは笑いながら、話を続けた。
~~
ヒカルは、転校して1週間もするとクラスの人気者になっていた。身体も大きく力強いし、勉強もよくできる、おまけに、みんなにやさしかったから、とりわけ女子には人気があった。
「ねぇ、ヒカルくん。好きな食べ物って何なの?」
「……」
「ヒカルくんは、誕生日いつなの?」
「えっと……」
休み時間になると、ともかくヒカルの周りには、女子でいっぱいだった。ヒカルは、困った顔をして、隣の俺に助けを求める視線を送ってきていた。
なんでもカンペキとおもっていたヒカルだが、唯一、女の子前では、顔を真っ赤にして話をするのが苦手だったのだ。
「おい! ツグミ! パンツみえてるぞ」
「きゃ! 野蛮人!」
「ちょっと、カザマくん、ヘンタイ!」
俺が、大きな声を出して女子を蹴散らすと、ヒカルはほっとした顔をしていたものだ。
「ヒカル。女の子苦手なのか?」
「まぁね、あんまり、自分のこと聞かれるのは好きじゃないんだ」
「ふーん、そうなんだ」
「もちろん、困ってるときは、助けなくちゃって思うけど……」
「俺なんか、女子のモノにさわっただけでも『野蛮人! 消毒しなくちゃ!』とか言われるのになぁ」
「でも、ケンちゃんは、体育の時間はすごいじゃない!」
その当時、体育の時間といえば、俺の独り舞台だった。鉄棒だろうが、跳び箱だろうが、ドッジボールだろうが、縄跳びだろうが、いつでもお手本をするのは、俺だった。
ある日、学校帰りに、ヒカルが神妙な顔で、俺に逆上がりの特訓をしてほしい言ってきた。
「あれ? ヒカル、逆上がりできたんじゃなかったっけ?」
「もうちょっと、上手くなりたいんだ。たのむよ!」
「まぁ、いいけど……」
「ありがとう。ヒマちゃんも教えてもらうよね?」
突然、ヒカルがアオイに話を振ったので、アオイはおどろきながら小さな声で答えた。
「うん、ヒマも教えてもらいたいけど……ケンちゃんが……」
「あああ、ヒマは無理だよ。だって筋肉全然ないんだもん」
俺が、アオイにズバリ言うと、アオイは悲しそうな顔で、自分の腕を触ってため息をついた。
「大丈夫だよ! ちゃんとできるようになるよ! ケンちゃん先生の指導だから」
「あ、でも、ヒマは無理だってば!」
ヒカルは、ニコニコわらうと腕を出した。
「僕だって、ほら、筋肉はあんまりないんだよ」
アオイは、ヒカルの腕をチラっとみると、急に明るい顔になり、俺を疑いの眼差しで睨みつけてくる。
「ちぇ、わかったよ! じゃ、ヒマにも教えてもいいけど、だけど俺の特訓はキビシイぞ!」
「ケンちゃん、ありがとう! ヒマ、がんばる!」
その日の放課後から、鉄棒に長くぶら下がったり、ヒザをついた腕立て伏せをしたり……と、ヒカルとアオイは俺の特訓を続けた。2,3日すると筋肉痛にもなったみたいだけど、訓練は休まなかった。
そして、4,5日したところで、タオルを身体に巻けば、逆上がりが出来るところまでこぎつけた。
「ヒマ、ちゃんと鉄棒にくっつくイメージだぞ!」
「足も丸めてね」
なんとか、ヒマも、蹴り出すタイミングと身体を回すコツもわかってきたようだ。
そして、体育の時間がやってきた。
準備体操をおえると、鉄棒の前まで駆け足をした。前をならえをして、キチッと整列すると、先生が、逆上がりのテストをしますと話し始めた。例によってお手本は、俺だった。スルッと回ると拍手が起こる。
ピッっと先生の吹くホイッスルが鳴り、次々、逆上がりをしていく。そして、いよいよ、アオイの順番がやってきた。俺とヒカルは、アオイに手を振った。アオイは、うなずいて真剣な眼差しで鉄棒を握る。そして、何度か弾みをつけ地面を蹴った。
すっと身体がキレイに鉄棒に巻きつくと、クルリと回って鉄棒の上でとまる。
「あ! できた!」
アオイが嬉しそうに叫ぶと、先生も他の子からも拍手が沸いた。そのときの、アオイの顔は今でもしっかり覚えている。
それからというもの、ボール投げや、跳び箱、縄跳び、水泳……と、体育の特訓も3人でよくやった。ともかく体育が苦手なアオイも、この特訓の成果が発揮され、体育の時間が好きになったと話していた。
一方のヒカルも、コツを掴むとどんどん上手くなった。小学校6年生のころには、ヒカルがお手本をみせることも多くなり、俺の出番が少なくてちょっとさびしかったのを覚えている。
~~
桜が咲き誇り、新しいブカブカの制服に身をつつんで中学校へ向かった。ヒカルはさらに身体が大きくなり、ほとんど大人と変わらないぐらいだった。一方のアオイは、紺色のセーラー服にプリーツスカートをなびかせていた。
「おはよう!」
「あ、ヒカルくん、おはよう!」
「うぃっす! ヒカル! いよいよ中学生だな」
「そうだね、アオイちゃんも、制服に合ってるね」
「えへへ、ありがとう」
「まぁ、ヒマは、相変わらず、背が伸びないが……」
「ちょっと、ケンちゃん!」
ドスッ
笑いながら、俺の背中にグーパンチが飛んでくる。背面からのパンチは、俺の息を詰まらせた。俺が悶絶している間に、ヒカルとアオイは並んで先に歩いていった。
しかし、ついこの間まで空が茜色になるまで、いっしょに遊んでいたアオイも、その制服姿は、おしとやかな女の子に映る。俺は、アオイのポニーテールをジッと見つめて2人についていった。
ゆれるポニーテールを見ているうちに、ちょっとだけその髪の毛に触れてみたくなった。
「きゃ! ケンちゃん! ちょっとやめてよ!」
「なんだよ! ヒマ、髪の毛さわっただけじゃないか」
「うー」
アオイが、振り向くとほっぺたを膨らませている。
「前から、言わなくちゃとおもってたんだけど、もう、私のこと、ヒマって呼ばないで!」
「え! なんで?」
「だって、私、アオイって名前があるんだし……」
「ヒマは、ヒマ! 俺はずっと、ヒマって呼ぶから……」
「や、やめてよ!」
ヒカルが呆れて、割り込んできた。
「ケンちゃん、僕たちだけの時はいいとして、学校ではアオイちゃんって呼んであげたら?」
「うーん、なんだか背中がムズムズするんだよ。『アオイちゃん』なんてって呼ぶの」
「慣れだよ、慣れ」
「そうかなぁ、アオイちゃん……うぅ、気持ち悪いな」
ドスッ
また、背中にグーパンチだ。
「う、痛いな。ヒマ……じゃなくてアオイチャン」
「アオイでいいから! ケンタくん」
「ケンタくん?……やめてくれ! ケンちゃんのままでいいからさ、アオイ!」
俺が、手を合わせてアオイに頼むと、アオイもヒカルもゲラゲラ笑いながら中学校に足を踏み入れた。
~~
中学校に入学して2ヶ月。
3人とも別々のクラスになってしまった。俺は、部活の勧誘を受けて柔道部に入った。ヒカルは美術部に入部して絵ばっかり描いていたはずだ。アオイは、何を血迷ったのかテニス部に入部していた。
俺が、体育館に畳を運んで稽古をしていると、体育館の鉄扉の隙間から、アオイが今にも泣きそうな顔をして筋肉トレーニングをしているのが見えた。
それでも、部活を終えると、校門で待ち合わせて3人で帰えるのは、昔と変わらない。
「なぁ、アオイ、なんでテニス部なんだ?」
俺が、ボロボロになっているアオイに聞いた。
「だって、あの白いミニスカートかわいいんだもん!」
「そんだけ?」
「そんだけ……ですけどナニか?」
「いや、別に……ただ、いつも死にそうな顔してトレーニングしたり、校庭駆けずり回っているから」
「球拾いだって大切なトレーニングなんですけど!」
「そうかなぁ、まぁ、がんばって続けないと、ずっと球拾いばっかりになるな」
「言われなくても、わかってマス!」
俺とアオイのやり取りを、ヒカルはニコニコしながら聞いていた。
「なぁ、ヒカル、なんで中学って試験ばっかりなんだ? 中間試験、期末試験……って」
「仕方ないよ、少しずつでも勉強しないと」
「部活して帰ると、もうクタクタで勉強どころじゃないんだよ」
「ああ、それなら! 朝、勉強するといいよ」
「朝?」
「その代わり、夜は、テレビ見ないで9時ごろ寝ちゃって、朝4時ごろからやるんだ」
「朝4時デスカ……」
「ソウデス」
「無理……」
「できるって!」
ヒカルは、まじめな顔で話をしている。
「私も、そうしてみようかなぁ。これから朝練もあるって聞いてるし……」
アオイも、急に真面目な顔して話し始める。
俺は、ため息をついた。
「なんだよ、わかったよ、じゃ、俺もやってみるよ」
「えらい! ケンちゃん! えらい!」
アオイが笑いながら、俺の背中をドンと押した。
「すいませんが、アオイさん、俺の身体にさわると、反射的に投げ飛ばしちゃうから、よく覚えておくように……」
「うひゃ、ケンちゃん、武道家だね」
ヒカルも思わず吹き出して笑っていた。
結局、この朝型への転向は、今でも俺の生活のパターンになっている。
夜に勉強するのと違って、朝は、学校に出かけるまで時間が限られている。自然と、勉強の時間が決まっているので死に物狂いでやらないとあっというまに時間が過ぎてしまうのだ。おかげで、集中力はついたのかもしれない。
なんとか、中間試験を終えるころには、季節は梅雨に入っていた。
そして……あの事件が起きたのだ。
(つづく)