※2 Cafe Les Amis(カフェ レザミ)
太陽とヒマワリ トラキチ3
初稿 20140529
※2 Cafe Les Amis
「二度とこの場所には来るな! いいな!」
ガタイの大きな男は、顔を真っ赤にすると大声を出した。
野太い凄みのある声が、僕の鼓膜を激しく震わせた。その震動は、全身に広がり、手足はガクガクと震えはじめた。
何か言葉を出さなくては……と頭をフル回転させたが、口がパクパク動くだけで声もでない。
男は、もの凄い殺気で僕のことを睨み続けている。
「ちょ、ちょっと! お父さん、ヒドイじゃない。いったいアキラさんが何をしたというのよ! いきなり怒鳴るなんて最低!」
マナミが叫んで、男と僕の間に割り込んでくれた。情けないことだが、僕は、どうして良いものか呆然とするだけだった。
男は、マナミを無視し、大きく息を吸うと叫んだ。
「俺は、お前が生まれたとき、今後一切、ヒカルには関わらないと誓ったんだ! なぜだかわかるか? あの男は、ミナミ……いや、お前の母親を見殺しにしたんだぞ! 俺は、絶対にあいつを許さない!」
僕の頭は、バチバチと火花が散った。ミナミ……ミナミだって?
僕が知っている唯一の母親の存在……それは戸籍謄本で見た「ミナミ」という名前しかない。そして、今目の前にいるこの男は、僕の母親のことを知っていて、父が母を見殺しにしたと腹を立てているのだ。
母のこと。この18年間、僕が知りたかった母の足跡を、この男は何か知っているにちがいない。
僕は、身体が次第に熱くなっていくのを感じていた。
~~
僕は、父が残した手帳に挟み込まれた古い白黒写真をたよりに、見知らぬ土地を歩いてこのカフェにたどり着いた。そして、そこで出会ったのは、僕のことを待っていたというマナミという女の子だった。
彼女と話をするうちに、彼女の両親はこのカフェのオーナーで、僕の父とは幼馴染であることがわかった。ところが、僕の父の結婚披露宴の席上、彼女の父親と僕の父が取っ組み合いの大喧嘩になり、小さなころから仲良しだった幼馴染3人は、その事件以後は、一度も同じ時間を過すことはなかったという。
そして、彼女が父親を呼んでくるとニコニコして厨房へ向かったまではよかったのだが……彼女が紹介してくれた男は、腕組みをしたままジッと僕のことを睨んでいたのだ。
そしてこの有様だ。
「アキラさん……ごめんなさい……」
こちらを振り向いたマナミの目は、涙でいっぱいだった。そして、堪え切れずにポロリと頬を伝わって流れ落ちた涙を見た瞬間、僕は、全身の毛穴から汗が噴き出すのを感じた。
なんなんだよ! なんで、僕が責められなければならないんだ! なんで、彼女が涙を流さなくてはならないんだ!
全身が猛烈に熱くなっていく……そして、爪が手の平にギリギリ喰い込むほど強く両手を握り締め、男をキッと睨みつけた。
「僕は、ヒビノアキラです。そう、ヒビノヒカルの息子です。だからなんなんですか。あなたが、父のことを許せないというのなら、それはそれでかまいません。僕を怒鳴り散らして気がすむのならどうぞ、やってください。でも、僕にはさっぱりわけがわからない! それに僕がここへやってきた理由もまだお話していません」
自分でも驚くことに、大きな声をあげて叫んでいた。男は、腕組みをしたまま僕の話を聞いているが、相変わらず怖い顔をしてこちらを睨みつけている。
「理由? ふん、なんだ。言ってみろ」
僕は、大きく息を吐き、気持ちを落ち着かせた。
「父、ヒカルは、先月出張先のホテルで亡くなりました」
男は、一瞬驚きと哀しみの表情を見せたが、すぐに元の表情にもどり、ギロリと僕を見つめた。
「父の遺品の中に、この手帳があり、おそらく死に際に書いたのだろうと思われるメモがありました」
僕はワナワナ震える手で男の前に手帳を置いた。
男はドカッと椅子に座り込むと、黒い手帳を手に取り、パラパラと中身を見た。
「それで?」
男は、手帳を無造作にテーブルに投げ出すと、面倒くさそうにため息をついた。
「そのメモには、――アキラ、おまえがこの手帳を手にしたら、父さんの事を知ってほしい。身勝手なお願いだが、父さんの大事な人に、俺の想いを伝えてほしい――と書いてありましたが、どういうことなのかわかりません」
「ふん」
「僕は、ずっと父のことが大嫌いでした。むしろ憎しみがあったといってもいい。父は、母の写真を一枚のこらず処分し、いっさい母のことを僕には教えてはくれなかった」
僕は、男に一歩近づき頭を下げた。
「お願いです! 父のこの手帳はどういうことなんですか? 僕の母はどんな人だったんですか? 先ほどの話を聞く限り、あなたは、母のことを知っているようだ。なんでもいいんです。母のことを教えてはくれませんか」
僕は、恐る恐る顔をあげると、男は、困惑した表情で僕を見つめた。
「そうか。お前は、自分の母親のことは全く知らんのか……それなら、そのほうがいいかもしれん」
男は、急に立ち上がると話を切り上げ、スタスタと厨房に向かって歩き出した。
マナミは、あわてて自分の父親の行く手を阻むと叫んだ。
「ちょっと! ちょっと待ってよ! お父さん、あんまりじゃない。アキラさんのお母さんのことを知ってるのなら、教えてあげてよ! アキラさんのお父さんとは仲好しだったんでしょ! なんで?」
男は、ピタッと足を止めた。
「仲好しか……。まぁ、お前の母親の件は……考えておく。それまで待て!」
凄みのある声が裏庭に響いた。そしてゆっくり振り向くと僕をギロリと睨み、厨房の奥へ消えて行った。
「マナミさん……」
僕は、彼女に声をかけた。
「ごめんなさい。父は昔から頑固で、一度言葉に出すとなかなか撤回できないヒトなんです」
彼女は、申し訳なさそうに僕を見つめ、がっくり肩を落とした。
「いや、僕、感謝しているんです」
僕がそっと話をすると、彼女は、驚いて僕の顔を見つめた。
「さっきは、大きな声を出しちゃいましたが、僕は、ずっと母の事を知りたくてたまらなかったんです。父がいなくなってしまった以上、もう何も手がかりはないとあきらめていたんです」
僕は空を見上げ、大きく息をした。
「でも、今日ここに来て、マナミさんに会えたこと、そして、僕の母の事を知っているマナミさんのお父さんと出会えたことは、僕にとってはとても嬉しいことなんです」
「そんな……ごめんなさい。父があんなになるなんて」
彼女は、小さなため息をついた。
と、突如、彼女は、すごい勢いで立ち上がると僕を見つめて叫んだ。
「もしかしたら、母の方が知ってるかもしれない。何しろヒカルさんの追っかけしていたぐらいだし、きっとアキラさんのお母さんのことも知っているはず!」
「ええ?」
「ただ、3月まで外国のレストランで修行をしてて日本には、ちょっと戻れないんです……」
「そうですか……」
「ともかく後でメールを入れてみます。そして、アキラさんに出会えたことと今日の話をしてみます」
「ありがとう。お願いします」
「私……アキラさんの力になりたいんです」
そう言うと、僕の手をギュッと握りしめてくれた。
柔らかな手だった。手の平の温もりが伝わってくる。そして彼女は、僕のことをジッと見つめている。
ああ、そんな目で僕を見つめないでくれ! 彼女の大きな瞳がキラキラ輝やくと、僕はメロメロにとろけてしまいそうだ。
僕は、彼女の手を握り返すと手を離した。
「ありがとう」
僕がつぶやくと、彼女は悲しそうな表情を見せた。
ダメだ、ここは彼女を笑顔にさせなくては……。
グゥ……
え? 僕は、自分のお腹を触ってみた。今のは、僕のお腹じゃないぞ!
彼女を見ると、彼女は少しばかり頬を赤らめてクスクス笑いはじめた。
「ごめんなさい、私、お腹空いちゃった」
思わず、僕はプッと吹き出した。
「いただきましょう!」
僕達は、少しばかり冷めてしまったビーフシチューを口いっぱいに頬張った。
~~
食事をしながら、お互いの子供の頃の話をした。
彼女は、幼いころはかなり活発な女の子(まぁ、俗にいう御転婆)だったようで、このカフェのシンボルでもあるトンガリ帽子屋根の上にある風見鶏を調べようと、塔によじ登ったことがあるそうだ。
ここの塔は結構の高さがある。20mはあるだろうか。足を滑らせて地上に落ちたら大怪我どころではすまない高さだ。
結局、消防署からハシゴ車がやってきて、彼女を下ろすことになったそうだが、そのとき奇妙なものを見たという。
「あの風見鶏の足のところに赤いガラス球がはまっているんですよ」
「赤いガラス球……ですか?」
「1年に何度かそのガラス球がキラキラ輝くことがあるんですが、それが不思議で確かめたかったんです」
「でも、よくケガしませんでしたね」
「平気、平気! そうそう、あの庭の木にもよく登って、アキラさんが遊びに来ないかいつも見張っていたんですよ」
彼女の話を聞きながら、幼い頃のマナミさんの姿を想像してみた。きっと泥だらけで夕暮れまで外を走り回っていたのだろう。親は大変だったんじゃないだろうか。
「そうだ、マナミさんのお母さんってどんな方なんですか?」
「そうね、父とは対照的で、いつもニコニコしています。背は、ちっちゃくて、そうそう、これは内緒ですけど……父は、子供の頃から母の事が好きだったみたいです。だから、母がヒカルさんに夢中になっていたのが気に入らなかったみたい」
「なんか、複雑ですね」
「でも、高校に入って、ヒカルさんが別の女の子と付き合い始めたのを知ると、俄然、父はウチの母に告白したそうですよ。母も強い父のアプローチに根負けしたっていってましたけど」
「あはは、ぜひ、マナミさんのお母さんにお会いしてみたいなぁ。実は、僕が小さい頃に世話をしてくれたのは、マナミさんのお母さんだったんじゃないのかなぁ……という気がしているんです」
「でも、その頃は私もまだ赤ちゃんだったかも……」
「そういえばその女性は、なんどか小さな赤ちゃんを連れてたような気もするんです」
「ええ! もし、その小さな赤ちゃんが私だったら、アキラさんとは幼馴染になれたかもしれませんね」
そういうと彼女は嬉しそうにクスクス笑いだした。
「マナミさんが幼馴染だったら、僕ももう少しマシだったかもしれないなぁ」
僕は、父ヒカルとの生活を彼女に話した。荒んだ日々の話は、多少表現を和らげて話をしたが、それでも彼女は、目を丸くして驚いていた。
「でもどうして、お母さんのことをアキラさんに隠すんでしょう」
「それはわかりません。普通、大事なパートナーを亡くしたら、その思い出を何か残すはずだと思うんですが、そんなものは一切残っていないんです」
「そんなこと……驚きです」
僕は、最後のビーフシュチューを口に入れ、ナプキンで口元を拭いた。
「いやぁ、ビーフシチュー美味しかったです」
「はい! よかったです。でも、うちの父の料理で一番のメニューは、オムライスなんですよ」
「え? オムライス?」
「でも、滅多に作ってくれないんです。特別な時だけの裏メニューなんです」
「特別な時?」
「家族の誕生日とか、あと3月30日かな」
「3月30日?」
「なぜかわかりませんが、3月30日は、かならずオムライスです」
僕は、うつむきながら答えた。
「その日は……僕の誕生日だ」
「え?」
「その日は、僕が生まれ、僕の母親が亡くなった日です」
「そうなんですか……ちょっとびっくり」
「なんでですか?」
「実は、私、4月2日生まれなんです」
「え! それじゃ、僕と3日違いってこと?」
「アキラさん早生まれだから学年は1つ上ですね」
「そ……そうなんだ」
「だから、春はオムライスの日が続けてすぐにあるんですよ」
「いいなぁ、マナミさんのお父さんは怖いけど、ここのオムライスは、僕もたべてみたい!」
「それじゃ、ぜひ、食べにきてください!」
「いやいや、今度またここに来たら、マナミさんのお父さんにボコられてつまみだされちゃうよ」
「え? そんなこと、私が許しません! 大丈夫です! うふふ」
そういうと彼女は笑顔を見せた。
「おいっ、マナミ! 仕込みを手伝え!」
厨房のほうから野太い叫び声が裏庭に飛んできた。
僕は、声にビクっと反応し、あわてて手帳を片付けながら、時計をみるとすでに15時近くになっていた。
「ごめん。こんなに長居するつもりじゃなかったんだけど……」
「あ、かえってお引止めしちゃって、ゴメンなさい。私も、お母さんに聞いてみます。何かわかったらすぐに連絡します……あ、そうだ、メルアド教えてください」
「あ、はい」
僕は、あわててスマートフォンを取り出すと、彼女と携帯電話番号とメルアドの交換をした。そして、彼女は、嬉しそうに何度も僕の番号をみつめてニコニコしている。
「今日は、どうもありがとう」
「こちらこそです。私、アキラさんに会えて本当に嬉しい」
ニコニコ微笑む彼女は、楽しそうだ。
僕は、財布を取り出してランチ代を彼女に渡そうとしたが、彼女はあわてて両手を引っ込め頭を横に振った。
「ダメです。今日は、アキラさんに会えた私の記念日なんですから、私のオゴリです」
「いやいや、おいしいシチューをいただいたんだし、それとこれとは別問題でしょう? 第一、マナミさんが裏庭に誘ってくれなければ、こうして話もできなかったんだし……」
「いいんですっ」
彼女はサッと僕の背後に回ると、背中を押して僕をお店の外に押し出した。
「毎度、ありがとうございました。またのご来店お待ちしてます」
「また?」
「もちろんです。絶対ですよ、また来て下さい!」
そういうと、彼女は、手を降った。
太陽の光が彼女を照らし、キラキラ輝いている。そして、彼女は、僕が角を曲がり見えなくなるまでずっと見送ってくれた。
(つづく)