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「携帯電話貸して」
「どうしてですか?」
「いいから」
苛立った声で言われ、私は彼に携帯を渡す。
彼は携帯を掴むと、電話をかけた。
「北田さんですか?折野鳴子は俺と付き合ってますから。もう2度と彼女に近づかないでください。近づいたら奥さんに全て話しますよ」
「志野山さん!」
なんで、なんでこの人は!
私は彼から携帯を奪い返そうとする。しかし、その前に彼はぷちっと通話を切った。
「あとは番号の削除だな」
「志野山さん!」
「黙ってて」
彼はぎろっと私を睨みつけると私の携帯を操作する。
2分後、彼はやっと私に携帯電話を返した。
「もうこれで君は彼に連絡取れないから。彼からも電話来てもつながらないから」
「志野山さん!」
この人のしてることはよくわからなかった。
「お茶でも飲もう。こんなとこで離すことじゃないし」
彼は私の腕を引くと、スーパーの出口に向かった。
「君がしようとしていたことは最低だ。だから俺は君を止めた。そしてこれ以上馬鹿なことをしてほしくなかったから、携帯電話の記録を消した。北田さんももうさすがに君に連絡することはないだろう」
日曜の喫茶店は結構込んでいたが、奥の方の席が空いており私達はそこに座った。彼に掴まれた腕は赤く腫れていて痛みを訴えていた。
「円も心配してた。本当、今日ここにきてよかった。今日もし俺が君に会わなかったら、もし君が奥さんに話していたらあの家庭は終わりだ。それだけじゃない、下手したら大切な命を奪うことになっていたかもしれない」
命を奪う。
その言葉がずしんと胸に響く。
「本当、なんて君は馬鹿なんだ」
彼は私を凝視し、大きな息を吐く。
軽蔑されているのがわかり、私は俯く。
そう、私はあの時奥さんを不幸にしようと思っていた。それしか考えていなかった。
毎日彼の連絡をただ待つ辛さ、そんな痛みに耐えられなくて彼女を不幸にしてやろうと思った。
何を言われても仕方がない。
私はどうしようもない女だ。
「……鳴子ちゃん」
名前を呼ばれ顔を上げると、私を見つめる瞳がそこにあった。瞳から怒りが消え、申し訳なさそうに私を見ていた。
「ごめん。ちょっと言い過ぎだった」
彼はぺコリを頭を下げる。
「腕痛む?」
彼は私の赤く腫れた部分を心配げに見つめる。
「すみません。氷もらってもいいですか?」
私が黙って俯くと彼は店員にそう声をかけた。すぐに氷が持ってこられ、彼はハンカチで氷を包むと私の腕を掴み、赤く腫れあがった部分に氷を当てた。
ひやりとした感触が心地よくて、私は目を閉じる。
「ごめん。悪かった。感情的になりすぎた。でもしたことは後悔はしてない。君は彼から離れるべきだ。君のために、彼の家族のためにも」
彼の言葉が氷のひんやりした心地よい感触とともに、心に染み入ってくる。
「俺の親父は不倫の上、お袋を捨てた。お袋は可哀そうなくらいで、側で見てるのが辛かった。だから俺は不倫が大嫌いだ。君のことも最初は嫌いだった。でも……会うと君がとても純粋で、嫌いという気持ちはなくなった。君が心配で目が離せなくなったんだ。だから、俺はずっと君を見ていた。おかしいけど」
彼は自虐的に笑い、溶けた氷で出来たテーブルの水滴を紙ナプキンで拭いとる。
腕の痛みはもうなくなっていた。
「鳴子ちゃん、お願いだ。もう彼のことを忘れて前を向くんだ。彼を好きだった君にさよならをして、新しい自分を始めるんだ。俺が応援するから」
「……志野山さん」
瞳から涙が溢れて来た。
心がぐっちゃぐっちゃで、何を言っていいかわからなかった。
「大丈夫。俺がずっと側にいるから」
彼はそう言って私の肩に優しく触れる。
それは魔法のように私の心を落ち着かせる。
「昨日までの君にさようなら。そして新しい君にこんにちは」
私を見つめてそう言った彼は、ふいに顔を赤くして窓の外を見る。
「ちょっと気取りすぎた」
横顔が本当に真っ赤に染まっていて、私はなんだかおかしくなって笑ってしまった。
「笑った。よかった。もう大丈夫だ。きっと君はもう新しい自分になれているはずだ」
新しい自分、そんなのはわからなかった。
でも昨日までの自分が嘘のように気持ちは晴れやかで、安らぎに満ちていた。