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「じゃ、またね!」
翌朝早く、まだベッドの上でごろごろしている円にそう言って、私は彼女のアパートを出る。私の住むアパートと彼女の住む場所はかなり近い。本当は昨日あのまま帰ってもよかったんだけど、完全酔っ払いの彼女を一人置いておくのは心配で家まで送って帰った。夜中一人で歩くのも少し怖かったから、円の家に泊めてもらったのだ。
歩きながら確認するのは携帯電話、彼からのメールがないか確認する。
でもメッセージはなく、私は少しがっかりしながら自宅に入る。
シャワーを浴びて出てくると携帯電話がチカチカと光を放ち、私は期待に胸を膨らませて手にとる。やっぱり受信したのはメール。でも開けるとそれは志野山さんからだった。
『おはよう!円に迷惑かけられなかった?』
入っているのはそんなメッセージで、私は溜息をつきながらも律儀に返す。
『大丈夫でした』
髪を乾かしていると携帯電話がまた光るのが見え、私はドライヤーを止める。
『よかった。今日も一日頑張ってね!』
そんなメッセージが帰って来てて、なんだかくすっと笑ってしまった。
志野山さんは元気のいい人だ。円にお似合い。でも円の好きな人は別にいるけど。
「鳴子のご飯はおいしいな」
夕方家に訪ねてきた彼が、私の作った豚カツを食べながら笑う。
「ありがとう」
私は嬉しくなって微笑む。
こうやって彼と一緒にご飯を食べていると普通の恋人同士のような気分になって、楽しい。時折目に入る彼の指輪が眩しいけど、私はそれだけで満足、満足だった。
「じゃ、明日」
唇に軽いキスをして、彼はアパートからいなくなる。
帰らないで!と引き留めたくなるけど、そんな無理。
私はただ、彼の消えゆく背中を見るしかできなかった。
彼は私の上司だ。
だからこの関係は完全に秘密だ。
社内で、私が彼に特別に話しかけることはない。
もっぱら連絡はメールだけだ。
会う約束以外のメールは来ることがない。
本当はおやすみとか、おはようとか、そういうメールを送りたいけど、送ったら最後ばれてしまうかもしれない。その恐怖があって私はずっと我慢している。
『明日の夜、暇?』
ベッドに入るとそんなメールを受け取る。
送り主は志野山さんだ。
なんだか胸がどきどきして、私は迷う。
明日、明日は大丈夫。彼が私と連続で会うことはない。
『大丈夫です』
そう返事を返すと数秒後にすぐに携帯電話が鳴る。
『明日友達と飲むんだ。来ない?』
「友達か……」
その言葉に私はがっかりする。
何を期待してたんだか……
でも暇って言ってしまったからには断るわけにもいかない。
しょうがない。
『行きます。時間と場所を教えてください。円も誘っておきます』
友達が来るのであれば、円も呼ぼう。
そう思って返事をした。
5分経っても返事が来なくて、私は携帯電話を机の上に置くとベッドにうつぶせになる。
眠りに落ちかけた時に、ビービーと机が携帯のバイブレーションで揺れ、起こされた。
『円は来ないと思うよ。友達には女の子もいるから大丈夫』
そんな返事で、私はさらにがっかりしてしまう。
合コンか。
ああ、暇なんて書かなきゃよかった。
そんな後悔してしまうが、断れるわけがなく、とりあえず『わかりました。おやすみなさい』とメッセージを送った。
「翔が?そうなんだ。ごめん。明日だめなんだ。ふふ。デートだから」
「デート?」
「そう!彼が誘ってくれたの。もう、信じられなくて」
電話口の円はハイテンションで、嬉しさが伝わってくる。そして同時に志野山さんから返事が来るのが遅かった理由がわかった。
きっと、円は彼に言ったんだ。だから、彼は円が来れないことを知っている。
志野山さんは円をやっぱり好きなんだ。だから……
私は喜びいっぱいで話す円の話をなんだか遠くで聞いていた。