ゾンビ・ヒーロー
目覚めた男は、自分の名前すら分からない。
体から漂う腐臭が、指の千切れかけている両手が、覚束ない両足が、今の彼で在り得る全てだった。そしてそれが故に彼はあまりにみすぼらしく、徹底的に汚らわしく、破滅的に虚無だった。
本当に何もないのだろうか。月光が地面を濡らす宵に、取れかけの首を捻って考える。何か大事な、本当に大事な何かを忘れているような気がしてならなかった。だが、どれだけ唸っても答えは出ない。
仕方なく男は、よろよろと歩き始めた。当然ここがどこであるか知る由もないのだが、だからこそ彼はひたすら鈍い足取りで進んでいく。夜風は刺すように冷たく、それはひび割れた頭蓋を通り抜け、不気味に音を鳴らした。
どれぐらいの間、彷徨ったのだろうか。その内に男は、一歩一歩と進む度に自分が求める答えに近づいている、とそんな夢想を抱き始めた。苦労してとてつもない距離を歩いたのだからそこには何らかの価値があったのだろう、と歪んだ顔で満足げに笑う。最もそんな彼を認めることが出来るのは、天上にいるかもしれない神さまだけなのだが。
彼の、ほとんど機能していないはずの聴覚が悲鳴を捉えたのは、その邪悪にも見える笑みを崩した瞬間だった。
突き動かされるように男は動いた。途端に理解する。律動していないはずの心臓が熱く滾り、彼が彼であった何かが全身を焦がす。そんな気がした。
何でもできる。そんな感覚を、男は知っていた。そしてその感覚を、正義のために発揮していたことを思い出した。
男はかつてヒーローだった。悪を挫き、弱きを助ける、至高のヒーローだった。
悲鳴を上げたのは、女性だった。そして今やその女性は、暴漢に馬乗りされている。
助けなくては!
男は、女性に馬乗りしている暴漢を背後から襲った。しかし何でも吹き飛ばせたはずの鉄拳は、暴漢の背中に当たるとぽっきり折れてしまった。
暴漢が何事かと振りかえる。強烈な死臭がまず鼻をつき、しかし女性を襲っている現場を見られた暴漢は慌てて手を無茶苦茶に振りまわした。
砕け、貫かれ、崩れる。
全身を粉々に破壊された男だったが、暴漢と女性の怯えたような声を最期に聞くことができた。
きっと女性は助かる。そう確信し、男の意識は闇に塗れた。
目覚めた男は、自分の名前すら分からない。
体から漂い続ける腐臭が、指の千切れた両手が、覚束ない両足が、今の彼で在り得る全てだった。そしてそれが故に彼はあまりにみすぼらしく、徹底的に汚らわしく、破滅的に虚無だった。
男は今日も、月光が地面を濡らす宵を彷徨い始める。
初めての企画競作です。
どきむきです。
そして企画競作の掲示板を見て頂いた方へ。
sage忘れて申し訳ございませんでした。あちらに書くとさらにお目汚しになると思いましたので、ここで謝罪させていただきます。




