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ひなたぼっこと、そよかぜと。

作者: 橘ツカサ

 昼休み。俺は足取りも軽やかに屋上へと続く階段を上がっていた。手には購買の袋とパックジュース。袋の中身は今日の昼食、美味と評判の新作惣菜パンだ。発売開始三日目にしてようやく手にした喜びが、目的地への長い道のりを至福の行程へと変化させる。目指すは特別教室が大半を占める校舎B棟の屋上。そこは普通教室のあるA棟の屋上とは違い、訪れる生徒の数は無いに等しい場所だ。ひとりっきりで、ゆっくりとこの珠玉の一品を味わう。それが俺の目論見だ。

 『大勢で食べる食事はおいしい』とか言われるが、俺はそんな戯言聞く耳持たない。確かに落ち込んでいるときには何を食べてもおいしいくないということはあるだろう。俺も心理心情が味覚に影響を及ぼすということは否定しない。だが、それはあくまで表面的なものだ。楽しい食事で加味されるおいしさは、いわば雑味。普段から慣れ親しむソース・ケチャップ・醤油の類を多用し、その味に安心感を覚えるようなもので、素材つまりは料理自体をおいしいと感じているのではない。『通』は素材の味を楽しむもの。味蕾からもたらされる純粋な味覚を大切にする。ゆえに、美味いものこそひとりで食べる、余計な因子が入り込まないように。それが俺の哲学だ。

 というわけで、俺は自らの信念を実践すべく、未知なる味へと思いを馳せながら屋上の扉を開いた。誰もいないはずの屋上。しかし、その予想は見事に覆された。

(誰かいる)

 設置されているベンチの上に、女の子がひとり仰向けに寝そべっていた。その事実を前に、俺の思考と行動は一瞬停止した。

 進むべきか、引くべきか……。俺は逡巡しながら、先客の様子を伺い見る。さっきからピクリとも動かない。寝てるのか?

 その仮定をもとに、俺はひとつの結論へと行き着いた。意識がないなら、いないも同然。特に大きな音をたてるでもなし、このまま事に及んでやれと。

 そうと決まれば即実行。俺はドアノブを握り締め、ゆっくりと屋上の扉を閉めにかかった。音をたてないように、慎重に。

 しかし、それがかえって裏目に出た。力みすぎて持ち上げすぎたせいなのか、鉄製の扉とドア枠がこすれ合い、金属性摩擦音を高らかに響かせた。

(しくじった!)

 俺は恐る恐る後ろを振り返る。案の定、そこには先ほどまで眠っていたであろう少女が上半身を起こし、眠気眼でこちらを見つめている姿があった。俺の目が反射的に彼女の胸元にあるリボンタイを捉える。見知らぬ顔に出遭ったとき、タイの色で相手の学年を確認する。それは半ばここの生徒の習性みたいなものだった。

「悪い、起こしたな……」

 俺は引きつった顔を少女に向ける。

「お気兼ねなく。そもそも寝入っていたわけではないので」

 ゆったりとした抑揚でそう言うと、彼女は事も無げに再度身を横たえた。多少の仰々しさが引っかかるが敬語で返したところをみると、先方も同じ習性を持ち合わせているようだ。

 事ここに至っては仕方がない。俺は不本意ながら、このままここで昼食をすませる決心をした。

「昼を食べに来たんだが、迷惑ついでにそこいいか?」

「どうぞ、なんのお構いもできませんが」

 少女は寝そべったまま、自分の頭上、隣のベンチを指し示した。

 物怖じしないのかフランクなのか。まぁ、変に気構えられるよりはいい。そんな気持ちで俺はベンチに腰掛けた。

 まずはパックジュースにストローを差し、軽く一口。その後、おもむろにパンの包装を開封し、メインディッシュにかぶりつく。一回二回と咀嚼を重ねるうち、知らず知らず眉間に力が入る。

 悪くない。悪くはないが絶賛するほどでもない。所詮、口コミなんてこんなものか……。

 口の中のものを飲み込み、俺は軽く嘆息した。今手に持っている対象への興味が薄れると、今度は隣に寝転ぶ下級生が気になりだす。目を開いているところを見ると寝ているわけではなさそうだ。

「昼寝か?」

「いえいえ、先ほどは結果としてウトウトしていただけで。本来の目的はひなたぼっこといったところでしょうか」

 少女は空を見つめていた。

「確かに今日はいい天気だからな」

 俺は相づちを打ちつつ視線を空に向けた。そこには一面の晴天が広がっていた。ぽつりぽつりと浮かぶ雲がいいアクセントになっている。見事なまでの秋晴れだ。かく言う俺が、今日この場所を選んだ理由も、この陽気に誘われたからだった。

「よく来るのか?」

「はい、わりと以前から。ここでこうしていると視界は一面空一色。言うに言われぬ感覚が味わえるのです。まるで自分が雲にでもなったような感覚に」

 少女は両手の人差し指と親指で長方形を作ると、それを空に向かって掲げた。おらくその指の額縁には、上空の雲のどれかが捉えられているのだろう。予想外の返答と行動に、俺は思わず頬を緩めた。

「まさか、『あの流れる雲のように生きてみたい』なんて言うんじゃなにだろうな?」

「滅相もない。最初から私もあの雲同様、無目的に漂う存在。流れ流れてどこまでも。『我々はどこから来て、どこへ行くのか』ですよ」

「人間の生き様を雲に重ねたのか? なかなか文学的だな」

「それほどでも」

 俺の賛辞に素っ気無く答えると、少女は独り言のようにつぶやいた。

「今日の上空は風が強いようですよ。せっかく枠の中に捉えても、すぐに形を変えて外に抜け出てしまいます。あるいは太陽のように恒常的な存在なら、枠にはめることも容易なのでしょうか?」

 指の額縁が南の空へと向きを変える。

「直接太陽を見ると目に悪いぞ」

 余計なこととは思いつつ、俺は一声掛けてみた。

「ご忠告、痛み入ります」

 それを受けて、少女の両手がダラリと下がる。

 さすがにそこまで丁寧に言われると逆におちょくられている気にさえなる。そういえば、さっきからの言い回し、とりようによっては人を食った態度にもとれる。

(もしや俺、なめられてるのか?)

 そんな疑念を抱いた俺に、上級生としての威厳を示してやろうという、つまらない虚栄心が首をもたげた。

「言っちゃなんだが、太陽も銀河系の中で動き回っているんだろう。それにちゃんと寿命もある。それじゃ恒常的とは言えないんじゃないか?」

「これは鋭いご指摘なのです。つまり、万物流転ということですか」

「いや、そういうわけじゃなんだが……」

 言いよどむ俺の頭にひとつの想念が思い浮かぶ。

「そうか……。すべては移ろい行くもの。だから、疑問や問いをたてることはできても、一定の型枠にはめること、恒久的な答えを導き出すことは不可能ということか……」

 腕を組んで反芻する俺に、少女の楽しげな声が飛び込んでくる。

「おやぁ先輩、なかなかいけるくちですねぇ」

 見ると、さっきの指の額縁が、見事に俺を捉えていた。その枠内からは好奇に満ちた瞳がのぞいている。

「なんだそりゃ、どっかの飲み屋の会話かよ」

 眉根に皺を寄せつつ、俺はその瞳を見つめ返した。

「ま、結局のところ、この手の話も興味のない人にとってはどうでもいい与太話。そういう点では共通してますがね」

 意味深な笑顔をうかべつつ、少女の視線はまた空へと向けられた。

(なんだかなぁ……)

 対応に苦慮して俺は黙り込む。そんな沈黙を埋めるように、俺たちの間をそよそよと風が通り過ぎた。

「くしゅん!」 

 少女の上半身が跳ね上がる。

「大丈夫か?」

「はい……」

 鼻をすんすん鳴らしながら少女は応えた。

「最近、めっきり涼しくなりました。たまに風が吹くと肌寒いくらいです。ここでこうして空を眺めるのも、今日でおしまいにしようかと考えていたところです。風に吹かれること自体は心地がよいので好きなのですが」

 少女の手がひらひらと宙を舞う。おそらく風を表現しているのだろう。

「今度は自分が風のようだとでも言うつもりか?」

「これはご賢察」

 俺は内心面食らった。当てずっぽうでもなんでもなく、単なる冗談だったんだが……。

 そんなことを知ってかし知らずか、少女は淡々と話を進める。

「『風』というものは空気の流れ、つまりは現象です。『風』という名称はあるものの、実際に『風』そのものが存在しているわけではありません。もしかしたら私という存在もその『風』と同じようなものではないでしょうか?」

「どういうことだ? 現にキミは存在しているじゃないか、いま俺の目の前に」

 俺は怪訝の表情をうかべる。

「はい、私の体は物質ですから存在していると言えるかもしれません。ですが、私という自我はどうでしょう? 意識というものは脳内での電気信号のやり取りに還元されえます。それはいわば現象です。つまり私という意識、自我そのものも現象ということに他なりません。ならばこの自我は確固たる存在と言えるのでしょうか?」

「う~ん。なるほどなぁ」

 俺は唸り声をあげ、手に持っていたパンにかじりつく。

(この子はここで、ひとり空を見上げながらそんなことを考えていたのか……)

 咀嚼を続けながら、俺は空を見上げた。

 この手の問いに、明確な答えを提示できる人間なんて、一体何人いるだ? 少なくとも俺はその中には含まれていない。そもそも明確な答えがあるのかさえも疑わしい。かといって、安易な一般論でお茶を濁されるなんてこと、この子が望んでいるとは到底思えない。まして、『そんなこと考えるだけ無駄だ』なんて切り捨てるなんてのは論外だろう。ある種、思いつめたり、思い悩んでいる人間にはそうなるだけの理由があるわけだから、悩むなとかいう類の言葉を投げかけるなんてのは、何の解決にもならないわけだし……。

 となると、俺にできることは別の方向性を示唆してやることぐらいか。

 俺は意を決して口を開いた。

「今の話を聞いて思ったんだが、未だに未解決の哲学的問題ってやつのほとんどが自分の中に現れる表象がらみのことだろう? さっきのおまえさんの話からすとやっぱりそれら表象も現象だ。現象的なものについて考えをめぐらすとき、その現象自体についていくら考えても埒があかないものだよな。気圧や大気の状態とかの関係性を無視して『風』という現象を説明することができないように。それと同じで表象に関する問題も、表象それ自体だけを対象にして頭を悩ませ続けても答えはでないんじゃないか? その表象を取り巻く様々な因子との関係性を含めて考察しない限り。つまり、何が言いたいかというとだな……」

 俺は上手く説明できないもどかしさから、頭をかきむしった。

「つまりだ。自我が現象でその存在がどうこうという問題はだな、自我のみを対象として頭の中だけで自問自答を繰り返しているだけじゃ答えがでないんじゃないかってことだ。身体とか他者とかの関わりも含めて考察し、たまには他人と意見交換とかしてみたりしてだな……。すまん、何言ってるかわからないよな?」

 はがゆさにさいなまれながら、俺は相手の顔を覗き見た。

「言わんとしていることは大体理解しました。つまり、一緒に探究していただけるということですよね」

 すでに体を起こしていた少女が、ジッとこちらを見つめている。

「俺がかぁ?」

 思わず声が裏返る。その俺を少女の期待に膨らむ瞳が射抜いた。

「……わかったよ。俺もそういう話は嫌いじゃないからな……」

 ため息まじりに返事をする。すると、少女はベンチの上にちょこんと座り、三つ指突いて頭を下げた。

「不束者ですが、何卒よしなに」

(まったく……。言動といい行動といい、すべてが芝居がかっていてとらえどころがない。ホント雲や風みたいなやつだなぁ)

俺は呆れ半分、興味半分で少女を見つめた。その沈黙状態を待っていたかのように、またそよ風が俺たちの間を通り抜けた。

「くしゅん!」

「おいおい、ホントに大丈夫か?」

「うとうとしていたのが悪かったのでしょうか。少し体が冷えたようです」

「日向ぼっこもいいが、野外でのうたた寝はほどほどにな」

「お気遣い、ありがとうございます。ですが、今日はとんだ拾い物しました。これを『怪我の功名』というのでしょうか」

「拾い物? 拾い物って俺のことか!?」

「さあ、どうでしょう?」

 困惑の表情をうかべる俺。対照的に少女は口元を隠し、フフフッと笑い声を漏らした。

 不満顔をつくってそれに対抗する俺だったが、ふとあることに思いあたった。

「そういえば、まだ名前、聞いてなかったな」

「はぁ」

 少女はとぼけた表情で俺を見返す。

「『はぁ』じゃないよ、名前だよ、名前。無いとか必要ないとか言うんじゃないだろうな」

「お戯れを。ただ、人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るのが礼儀と言いますよ」

「うっ、そりゃそうだ。悪い悪い」

 俺は頭をかきつつ自嘲の笑みをうかべた。

「冗談です。全部を全部、真に受けないでください」

 そんな俺を見ながら、少女は悪戯っぽく笑ってみせた。

(どうやって冗談かどうかを見抜けって言うんだよ、今までのおまえの言動と行動をもとにして)

 俺は顔全体で内なる声を表現しようと試みる。

 そんな抗議もどこ吹く風、少女は屈託のない笑顔で自己紹介を始めた。

「私の名前は……」

 その告げられた名前に嘘偽りはないだろう。そして、この笑顔もおそらくは……。

 初めて見せる素の微笑み。

 俺は正直引き込まれた。

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