背後霊の悪役令嬢がスパルタすぎる件〜本音は土下座したいのに、背後霊の指示通にしていたら第一王子に溺愛されました〜
「どうして私が、こんな目に遭わなきゃいけないの……」
姿見の前で、私は頭を抱えて震えていた。
映っているのは、艶やかな金髪に、勝ち気な紫の瞳をした絶世の美少女。
ヴァイス公爵家の一人娘、エレノア・ヴァイスその人だ。
前世の私は、日本の小さな会社で社畜をしていた普通の二十三歳。
トラックに跳ねられて命を落とし、目覚めたら大好きな乙女ゲームの世界の「悪役令嬢」に転生していた。
このままゲームのシナリオ通りに進めば、二ヶ月後の卒業パーティで婚約者の王太子から冤罪で断罪され、国外追放か最悪の場合は処刑される。
「絶対に嫌…死ぬのも追放もゴメンよ!」
私は決意した。
今日から学園では目立たず、腰を極限まで低くし、誰にでもニコニコと愛想を振りまくモブとして生きよう。
王太子が男爵令嬢と浮気していようが、「お幸せにどうぞ!」と笑顔で譲って円満婚約解消を目指す、そしてどこか私のことを知らない場所でのんびりと過ごすのだ!
そう心に誓い、少し猫背気味にヘコヘコとお辞儀の練習を始めた、まさにその時だった。
『……な、何をしているのですか、その薄汚い猫背はぁぁぁっ!』
「ひゃいっ!?」
頭上から、部屋の温度を三度ほど下げる甲高い怒声が響いた。
おそるおそる見上げると、そこにはゆらゆらと青い炎を纏い、宙に浮かぶ「何か」がいた。
「ひ、ひえぇぇ!?お、お化け!?」
半透明の体、苛立ちで吊り上がった眉。
間違いなく、この身体の元の持ち主——本物のエレノアの幽霊だった。
『お化けとは無礼な!私はエレノア・ヴァイスですわ!何ですかその情けない姿勢は!誇り高き公爵令嬢が、まるで裏道のドブネズミのように背中を丸めて……私の体でそんな不体裁を晒すなど、断じて許しませんわよ!』
「で、でも、だって私、悪役令嬢になんてなりたくないし!目立たずペコペコ頭を下げて破滅フラグを回避しようと——」
『愚か者めが!』
キィン、と耳鳴りがした。
背後霊のエレノアが金切り声を上げると、私の全身にバチバチと痺れるような痛みが走る。
『頭を下げて逃げ切れるとでも思っているのですか!?あんな愚鈍な王太子と男爵令嬢に舐められたまま退場するなど、ヴァイス家の誇りが許しません!良いですか、貴女が私の体を使っている間、立ち振る舞いの一切は私の指示に従いなさい!』
「ええええっ!? 指示って、何を……」
『まずは背筋を伸ばしなさい!顎を五ミリ上げて、視線は相手の眉間!挨拶のお辞儀は三十度、扇子は胸元で四十五度に固定!返事は「ええ」でも「はい」でもなく、冷ややかな微笑みと共にする一瞬の溜息ですわ!』
「難易度高すぎるよぉぉ!」
こうして、私の意志とは裏腹に背後霊エレノアによる鬼のマナー&煽りスパルタ指導が始まったのである。
学園の廊下を歩くときも、スパルタ指導は容赦なく背後から飛んでくる。
『歩幅が広すぎます!ドレスの裾を揺らしすぎないように意識!右前方に第二王子の側近がいますわね。目線を合わせてはいけません、まるで路傍の石を見るようにすれ違いなさい!』
(ヒィイ、そんな態度取ったら生意気だって怒られちゃうよぉ!)
私は心の中で涙を流しながら、背後霊の怒声の恐怖に耐えかねて、言われた通りの姿勢を保った。
背筋をピンと伸ばし、顎を少し引き、無表情のまますれ違う。
すると、すれ違った側近の男子生徒が、ハッと息を飲んで立ち止まり呟いた。
「な、なんて静謐で美しい立ち振る舞いだ……、一切の隙がない。あの方こそ、真の貴族の鑑……」
(えっ!?なんか勘違いされてる!?私の目立たない地味生活計画が……)
さらに中庭のベンチで休もうとした時のことだ。
「おい、エレノア!」
横合いから、いかにも軽薄そうな声が響いた。
私の婚約者である王太子ギルバートだ。
隣には、儚げな表情を浮かべた男爵令嬢マリアが寄り添っている。
「マリアが怯えているじゃないか!お前が最近、マリアを陰で睨みつけているという噂を聞いたぞ!謝罪したらどうだ!」
(うわぁぁん!来たよ冤罪イベント!ここは低姿勢で謝ろう!「めっそうもございません!私が悪かったですぅぅ!」って土下座しよう!)
私がペコペコ頭を下げようとした瞬間、背後のエレノアがメラメラと青い炎を激しく燃え上がらせた。
『土下座などしたら、今すぐ貴女の精神を叩き潰して体を奪い返しますわよ!?』
(ひぃぃぃ!ごめんなさいごめんなさい!)
『良いですか!扇子をゆっくりと開きなさい。そう、パチンと音を立てて!そして相手の足元からゆっくり視線を上げ、鼻で小さく笑うのです!』
私は背後霊の圧力に押され、ガクガク震える手を必死に抑えながら、胸元の扇子をパチンと開いた。
そして、王太子のつま先から頭のてっぺんまで、ゆっくりと視線を這わせる。
怖さのあまり顔の筋肉が強張り、結果として「極めて冷徹で蔑むような微笑み」が完成してしまった。
「ふっ……」
口から漏れたのは、恐怖のあまり出た半ば引きつった吐息。
しかし、それが王太子にはどう映ったか。
「な、なんだその目は……!?貴様、私を馬鹿にしているのか!?」
『間髪入れずに言いなさい。「犬が吠えておられますわね」と!』
(そんな直球な暴言言えるわけないでしょバカぁぁ!)
私は必死に言葉を濁そうと口を開いた。
「わ、わたくしには……ただの、戯言にしか聞こえませんけれど……」
声が震えないよう、必死に低く、ゆっくり喋った。
すると王太子は「くっ……!」と顔を真っ赤にして絶句した。
隣の男爵令嬢も、私のあまりの威圧感(※実際は恐怖で凍りついているだけ)に威圧され、怯えたように一歩後退する。
王太子の背後にいた他の生徒たちが、ひそひそと囁き合い始めた。
「すごい……王太子の理不尽な言いがかりを、一言で一蹴された……」
「品格が違いすぎる。あの気高さ、まさに高嶺の花だ……」
(違うの!私、腰が抜けるほど怖くて声が低くなっちゃっただけなの…涙)
私の心の叫びは誰にも届かず、学園内でのエレノア・ヴァイスの評価は「孤高で完璧な、誰にも媚びない氷の令嬢」として爆上がりしていった。
そして、ついに運命の卒業パーティの日がやってきた。
絢爛豪華な大広間。
煌びやかなドレスに身を包んだ貴族たちが集まる中、宴の中盤でドタバタと大きな音が響いた。
中央の壇上に上がったのは、王太子ギルバートと、勝ち誇った笑みを浮かべる男爵令嬢マリアだ。
「静粛に!今この場を借りて、宣言させてもらう!」
王太子の声が広間に響き渡り、音楽が止まった。
「エレノア・ヴァイス! 貴様はマリアに対する嫉妬から、彼女の教科書を破き、階段から突き落とし、さらには毒を盛ろうとした!その悪逆非道な振る舞い、断じて許し難い!本日をもって貴様との婚約を破棄し、国外追放を言い渡す!」
ざわ……ッと広間が揺れた。
(つ、ついに来たぁぁ、冤罪フルコース!)
私の心臓は早鐘のように打ち鳴っていた。
冷や汗が背中を滑り落ちる。
(よし、ここで無理に争ってもろくなことにならない!「謹んでお受けいたしますわ」って優雅に一礼して、準備しておいた隠し財産を持って隣国に高飛びしよう!)
私が退場の挨拶をしようと一歩踏み出した、その時。
『逃げるなぁぁぁぁぁっ!!』
ドカン!と頭の中で大爆発が起きたような衝撃。
背後霊のエレノアが、過去最高のテンションで青い炎を撒き散らしていた。
『私の完璧な名誉に傷をつけたまま逃げるなど、万死に値しますわ!良いですか、今から私が言う通りに完璧な立ち振る舞いで奴らを叩き潰しなさい! 一文字でも間違えたら、今夜の夢の中に永遠に化けて出ますわよ!』
(こ、声が大きい!夢に出ないでください!うぅ、やらなきゃいけないんですね…)
背後霊の殺気(?)に押され、私の身体は勝手に動いた。
大広間の視線が一斉に私に集まる中、私はゆっくりと歩みを進めた。
背筋を美しく伸ばし、ドレスの裾をかすかに揺らし、壇上の王太子の正面へと立つ。
手にした黒革の扇子を、パチンと静かに閉じた。
澄んだ音が広間に響き、一瞬で周囲の静寂を作り出す。
「ギルバート殿下。……少々、お頭がおめでたいようですわね?」
「なっ……!?き、貴様、何たる不敬を!」
『間髪入れずに第一の反証!さあ、先月の十五日、マリアが階段から落ちたと主張する時間帯の証信を出しなさい!』
私は背後霊の指示通り、冷ややかな声音で言葉を紡いだ。
「マリア様が階段から転落されたと主張される先月十五日の十五時。わたくしは学園の図書室にて、司書長立ち会いのもと、古代帝国家系図の閲覧記録を残しております。移動時間を考慮しても、わたくしが現場に立つことは物理的に不可能です」
「う、ぐっ……!だ、だが教科書を破いたのは——」
『第二の反証!筆跡とインクの種類!』
「破かれた教科書に残されていた捨て捨て状の筆跡。あれはわたくしの筆跡を模倣しようとして失敗した、そちらのマリア様の癖字ですわ。使われていたインクも、マリア様が好んで使われる下町の安物…。公爵家御用達の金粉入りインクとは成分がまるで異なります…それくらい、見てわからなかったのですか?」
「ひ、ひえっ……!?」
マリアが顔を青くして後退る。
『そして仕上げですわ!そいつがほざく毒殺未遂の真相をぶち撒けなさい!』
私はすっと目を細め、王太子の顔を正面から見据えた。
「そして最も滑稽な毒殺未遂の件。わたくしが買い求めたとされる薬草は、単なる胃薬であって、毒性など全くございません。むしろ殿下がマリア様との密会資金を捻出するため、王室の公金を不正に流用されていた帳簿の控えを、わたくしは既に査察部門へ提出しておりますけれど?」
「な……ッ!?な、なぜそれを……!?」
王太子はガタガタと膝を震わせ、顔面を蒼白にした。
広間からは、貴族たちのどよめきと蔑みの視線が王太子たちに注がれる。
私は背後霊の最後の指示に従い、ゆっくりと扇子を胸元で開いた。
口元を優雅に隠し、少しだけ首を傾げる。
「……まあ。この程度の反証もおできになりませんの?冤罪を口にするなら、もう少し頭をお使いになられてはかがかしら…愚かなお方ですわね」
静寂。
そして、圧倒的なカタルシス。
王太子は「あ、あ……」と声を漏らし、そのまま崩れ落ちるように床に膝をついた。男爵令嬢も泣き叫びながらその場にへたり込む。
(やった……!言えた…私、背後霊の言う通りに全部言えたよぉぉ!)
達成感と安堵で、私の膝も笑い始めていた。
今すぐここから逃げ出して、部屋で温かい紅茶でも飲みたい。
そう思ってクルリと背を向けようとした、その時だった。
「——実に見事な立ち振る舞いだったよ、エレノア嬢」
低く、甘く、それでいてどこか危険な香りのする声が響いた。
人ごみが割れ、歩み出てきたのは一人の青年。
艶やかな銀髪に、吸い込まれそうな切れ長の青い瞳。
この国の第一王子にして、国王の最側近——ルードヴィヒ殿下だった。
(ひえっ……!ゲーム内最強の腹黒暗躍キャラ、第一王子!?)
ルードヴィヒ殿下は、床に転がる弟の王太子を一瞥もせず踏み越えると、真っ直ぐ私のもとへと歩み寄ってきた。
そして、迷いのない動作で私の前に膝をつき、私の右手を取った。
「これほどまでの気品、美しさ、そして隙のない知性を兼ね備えた淑女を捨てようとは……我が弟ながら、愚気の極みだな」
殿下は私の手背に、深く、熱い口づけを落とした。
「エレノア嬢。あのような愚かな弟の婚約者など、最初から貴女には不釣り合いだった。……どうだろう。私と新たな婚約を結び、将来、私の傍らでこの国を導いてはくれないか?」
(えええええええええっ!?)
頭の中が大パニックを起こす。
ちょっと待って! 第一王子って、ゲームでは誰も攻略できない超ドSの難攻不落キャラじゃなかった!?
なんでそんな人が、私に膝をついて求婚してるの!?
『……フン。第一王子なら、ヴァイス家の婿としても文句ありませんわね』
背後霊のエレノアが、満足そうに腕を組んで頷いている。
『受け入れなさい。これからは王太子妃ではなく、次期王妃としてのマナーを叩き込んであげますわ』
(嘘でしょぉぉぉぉぉ!? スパルタ指導がもっと激しくなっちゃうじゃないのぉぉぉ!)
「……エレノア嬢? 返事を聞かせてくれないか」
ルードヴィヒ殿下が、逃がさないと言わんばかりの妖艶な笑みを深めて私を見つめている。
周囲の貴族たちからは、「素晴らしい……!」「最高の組み合わせだ!」と惜しみない拍手が送られていた。
私は絶望と恐怖で顔を極限まで引きつらせながら、背後霊の指示通り、完璧な微笑みを浮かべるしかなかったのだった。
「ええ、よ、喜んで」
【完】




