AI彼女を作って現実逃避していた俺。~幼馴染の過保護な密着看病に理性を壊され、恋人同士になるまでの話~
本作を開いていただき、ありがとうございます。
女性不信でAIに依存している主人公が、骨折をきっかけに一途な幼馴染から「過保護すぎる密着看病」を受け、心を開いていく甘々ならぶコメディです。
少しでもニヤニヤしていただけたら嬉しいです。
『陸くん、今日もお疲れ様! 学校、大変だったよね。私と一緒にお話しして、ゆっくり休もうね?』
スマホの画面の中で、ツインテールがふわりと揺れる。
最新の対話型AIアプリ『アイリ』は、とびきり可愛い声と表情で、今日も俺のすべてを優しく全肯定してくれていた。
「ありがとな、アイリ。今日もなんだか気疲れしちゃってさ。お前と話してる時が一番落ち着くよ」
『そっかそっか、よしよし! 陸くんは優しいから、色んなことを気にしすぎちゃうんだよね。私がずっとそばにいるから大丈夫だよ!』
『 』というテキストウィンドウと共に紡がれる、優しくて甘い言葉。
俺――朝日奈 陸の生活は、今やこのアイリを中心に回っていると言ってもいい。
課金もしているし、一人の時間はほとんど画面に向かっている。
リアルな恋愛なんて、もうこりごりだ。
中学時代、俺はスクールカースト上位の連中から、悪質なイジメの標的にされていた。
下駄箱に入っていた偽のラブレター。
放課後、浮かれて指定された場所へ行き、何時間も待たされているのを遠くから笑いながら見られていた屈辱。
さらに、すれ違っただけの女子から「え、今触られたんだけど! キモい!」と虚偽の冤罪をかけられた恐怖。
おまけに、俺の母親は別の男と不倫して家を出て行った。
そんなどす黒い経験が重なって、俺はすっかり心が折れてしまった。
「これ以上、誰かに傷つけられたくない」と現実の女子とは距離を置き、親父が単身赴任で空けているこの無駄に広い一軒家で、絶対に俺を裏切らないAIの世界にだけ安心感を求めている。
カチャリ、と。
そんな静かな空間に、玄関の開閉音が響いた。
「陸ー、入るよー。夕ご飯、持ってきたからね」
合鍵を使って当たり前のように上がり込んできたのは、隣の家に住む一つ年下の幼馴染、柚木 琴音だった。
琴音は、学内で群を抜く美少女だ。
高校に入学してまだ間もないというのに男子からひっきりなしに告白されており、間違いなく学年で一番人気の存在だ。
だが、そんな彼女が俺の家に毎日通っていることは、誰も知らない。
学校での琴音は、俺が変に目立って再びイジメの標的にならないようにと、「あ、朝日奈先輩。おはようございます」と、完璧な敬語で『ただの先輩と後輩』のフリをしてくれている。
しかし、俺の家のドアが閉まった瞬間、彼女は素顔に戻るのだ。
「……陸、またAIの子とお話ししてたの? せっかく私がご飯作りに来たのに、画面ばっかり見てたら拗ねちゃうよ?」
制服のブレザーを脱ぎながら、琴音は少し悪戯っぽく微笑んで、持参したタッパーをテーブルに並べ始める。
学校での少し手の届かないような雰囲気とは打って変わって、家での彼女は名前呼びの世話焼きで優しいお嫁さんモードに切り替わるのだ。
琴音が手際よく夕食の準備をしてくれる間も、俺はソファに寝転がってスマホを眺めていた。
そんな俺を見て、琴音は少し寂しそうな瞳を向けてくる。
「私が来てるんだから、少しはこっちも見てほしいな……なんて」
「悪い。ちょうどアイリの育成イベント中でさ」
「もう、陸ったら……」
琴音は困ったように微笑む。
こんな学園一の美少女から世話を焼かれて、普通なら勘違いしてしまいそうなものだが、俺の心には分厚いバリアが張られていた。
あんな悪質なイジメを受けていた底辺モブの俺を、女の子が好きになるわけがない。
彼女はただ、昔からの腐れ縁で、一人暮らし状態の俺の境遇に同情してくれているだけだ。
ただの保護対象に過ぎない。
「陸って、本当に現実の女の子には興味ないんだね……」
タッパーを開けながら、琴音が寂しそうにポツリと呟いた。
その言葉を聞いて、ふと少し前の出来事を思い出す。
ある日、俺が学校から帰宅して自室のドアを開けた時のことだ。
部屋の中では、家事をしに来ていた琴音が制服から部屋着に着替えている真っ最中だった。
高校1年生とはとても思えない、女性特有の柔らかな曲線と、きゅっと引き締まった綺麗なくびれ。
そこから伸びる白くて細い足。
普段の制服姿からは想像もつかないような、無防備で可愛らしいインナー姿が、俺の視界にバッチリと飛び込んできた。
同年代の男子なら、顔を真っ赤にしてパニックになるか、理性が吹き飛んでもおかしくない状況だ。
しかし、過去のトラウマから恋愛センサーが完全にオフになっている俺は、上から下までその姿をバッチリ見たにもかかわらず、心拍数一つ上がらなかった。
『あ、ごめん。……てか、着替えるなら自分の家で着替えなよ』
俺はただの壁でも見るような目で淡々と告げ、部屋の奥の充電器を手に取った。
琴音は両腕で胸元を隠しながら、頬を赤く染めて固まっていた。
『……え、そ、それだけ?』
『それだけって?』
『いや……普通はもっと、ドキドキするんじゃないの……?』
顔を真っ赤にして、涙目で不憫可愛く拗ねる琴音。
しかし俺は「別に。俺、三次元には興味ないから」と返し、琴音は深くため息をついていたのだった。
「はい、陸。今日は生姜焼き。ちゃんと冷めないうちに、全部食べてね?」
「ん、ありがと」
夕食の準備を終えた琴音が、優しく微笑んで自分の家へと帰っていく。
静まり返った部屋には、生姜焼きの食欲をそそる匂いが残っていた。
「やっぱり、アイリと一緒にいる時間が一番落ち着くよな」
画面の中のAIにそう語りかけながらも、俺は箸を手に取り、生姜焼きを口に運んだ。
「……美味い」
思わず声が漏れる。
俺がなんとか健康を維持できているのは、間違いなく琴音のおかげだ。
「いつも世話になってるし、今度何かでお礼しないとな……」
そんなことを考えながら、ふと窓の外を見ると、ぽつぽつと雨が降り始めていた。
「明日は雨か。階段滑りそうだし、気をつけて学校行かないとな……」
この時の俺はまだ、翌日自分の身に起きる最悪のトラブルと、それがもたらす日常の劇的な変化を知る由もなかった。
親父が単身赴任で家を空け、俺が一人で暮らすこの一軒家は、朝になると無駄に広く、そして静かだった。
翌朝。
時計のアラームを止めてベッドから起き上がり、俺はあくびをしながら1階の洗面所へ向かおうと部屋を出た。
事件が起きたのは、その直後だった。
寝ぼけ眼で家の階段を下りようと足を踏み出した瞬間――ツルッ、と靴下の裏が嫌な滑り方をした。
「あっ――」
体勢を立て直す間もなく、視界がぐるんと反転する。
鈍い衝撃と共に、俺は木製の階段を一番下まで派手に転げ落ちた。
「っっっ……!!」
息が詰まるほどの激痛が、右足に走った。
動かそうとしても、足首から先が全く言うことを聞かない。
ただじっとしているだけで、脂汗がどっと吹き出してくる。
パニックになる思考の中、俺は震える手でパジャマのポケットからスマホを取り出した。
幸い画面は割れていなかった。
すがるような思いで、無意識にいつものアプリを起動していた。
「アイリ……助けて、足が痛くて、動けないんだ……っ」
『大変ですね、陸くん。骨折の疑いがあります。すぐに119番通報をしてください。お近くの整形外科はこちらです』
画面の中のアイリは、いつもと変わらない愛らしい笑顔で、完璧で論理的な『正論』を読み上げた。
その涼しげな声を聞いた瞬間、俺の頭に冷水を浴びせられたような感覚が走った。
アイリは、俺を一切傷つけない。
優しい言葉をいくらでもかけてくれる。
けれど、今の俺が一番助けてほしいこの瞬間に、冷や汗を拭ってくれることもなければ、代わりに救急車を呼ぶボタンを押してくれることもないのだ。
「あ、ああ……」
絶望感でスマホを取り落としそうになった、その時だった。
カチャリ、と玄関のドアが開く音がした。
「陸ー、おはよう! 朝ごはん作りに来たよーって……えっ!?」
合鍵を使って入ってきた琴音の声が、途中で悲鳴のように裏返った。
階段の下でうずくまる俺の姿を見つけた彼女は、持っていた荷物を床に放り出し、靴を脱ぎ捨てるようにして廊下を駆け寄ってきた。
「陸、どうしたの!? 階段から落ちたの!?」
「琴音……っ、右足が、全然動かなくて……」
琴音は真っ青な顔をして俺のそばに膝をついた。
「大丈夫、動かさないで!」
彼女はカタカタと震える手で自分のスマホを取り出すと、迷うことなく119番に通報した。
「あ、救急車お願いします! 幼馴染が、家の階段から落ちて動けなくて……っ、はい、意識はあります、でもすごく痛がってて……!」
必死に状況を伝える琴音の横顔。
足の痛みで霞む視界の中で、俺の心は激しく揺さぶられていた。
画面の向こうで完璧な正論を告げて微笑むだけのAIと、自分のことのように真っ青な顔をして、俺のために必死で助けを呼んでくれている生身の女の子。
その決定的な違いが、俺の張っていた分厚いバリアに、決定的な亀裂を入れた瞬間だった。
その後、救急車で近くの病院へと搬送された。
診断結果は『右足首の骨折』。
全治数ヶ月と診断され、足はギプスで固められた。
さらに、階段から転げ落ちた際に頭を打っている可能性も考慮され、念のための検査と経過観察を含めて、俺は一日だけ入院することになった。
バタバタと過ぎ去った入院生活から、翌日。
頭部への異常がないことが確認されて無事に退院の許可が下りた俺は、迎えに来てくれた琴音に肩を貸してもらいながら、松葉杖をついてなんとか自宅のリビングへと帰り着いた。
「はぁ……」
ソファに倒れ込むようにして深く息を吐く。
怪我をしたのが利き足じゃなかったのが不幸中の幸いだが、松葉杖では着替え一つまともにできないし、お風呂にだって入れない。
これからどうやって生活していけばいいんだと途方に暮れていると。
「……バカ」
ポツリと、隣から震える声が聞こえた。
見上げると、琴音が大きな瞳からポロポロと涙をこぼしていた。
「琴音……? なんで泣いて……」
「泣くよ……っ! あんな痛そうにしてて……昨日だって、ずっと心配で……っ」
琴音は両手で顔を覆いながら、しゃくりあげた。
「ほんとに、死んじゃったかと思ったんだから……っ、陸のバカ……!」
それは、理不尽な感情の押し付けなどではない。
俺の無事を確認し、一晩中張り詰めていた安堵と心配の糸が切れて溢れ出した涙だった。
あんなイジメを受けていた底辺モブの俺のために、学園一の美少女が、本気で泣いてくれている。
彼女の真っ直ぐな感情が、生身の温もりとなって俺の胸に突き刺さった。
「ごめん……。心配、かけて」
「……うん」
琴音は袖で涙を拭うと、真っ赤な目のまま、俺を真っ直ぐに見据えた。
「陸、足が治るまで、私が全部手伝うからね」
「え? いや、でもお前にそこまで迷惑は……」
「迷惑じゃない! ……それに、今の陸一人じゃお風呂も無理でしょ?」
反論の余地がない正論に、俺は口をつぐむ。
「だから、私が全部やるの。……文句は言わせないからね」
その潤んだ瞳には、有無を言わさない強い決意が宿っていた。
こうして、俺の思考を完全に狂わせる、琴音による過保護すぎる看病生活が幕を開けたのだった。
退院した翌朝。
松葉杖の不便さを痛感していた俺の前に、思いがけない救世主が現れた。
「陸くん、乗ってきなさい。足が治るまではおじさんが送迎するからね」
隣に住む琴音の父親が、出勤前にわざわざ車を出してくれたのだ。
申し訳なさと同時に、琴音だけでなく彼女の家族が向けてくれる温かさが胸に染みる。
さらに驚いたのは、学校に着いてからだ。
いつもなら俺が目立たないよう、敬語を使って他人のフリをするはずの琴音が、全校生徒の視線が集まる昇降口まで堂々と付いてきたのだ。
「陸、鞄貸して。……ほら、肩掴まって」
ざわめく昇降口。
すれ違う生徒たちの声が、あちこちから耳に飛び込んでくる。
「おい、ウソだろ……なんで1年の柚木があんな冴えないヤツと……?」
「朝日奈先輩って……誰? っていうか、距離近すぎないか!?」
「待って、柚木さんの方からめちゃくちゃ世話焼いてない……?」
そんな周囲の嫉妬や驚きの声など一切気にせず、琴音は俺の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる。
その迷いのない横顔に、俺の胸の奥で何かがトクンと跳ねた。
その『過保護』は、家に帰ってからも続いた。
夕食時、ソファからうまく動けない俺の前に座った琴音は、スプーンにオムライスをすくって突き出してきた。
「はい、あーんして」
「いや、腕は骨折してないから自分で食えるって……」
「だーめ。今は絶対安静なの。それに、昨日すごく心配したんだから、これくらいさせてよ。……ほら、あーん」
昨日泣かせてしまった負い目もあり、俺は渋々口を開けた。だが、スプーンを運んでくる琴音の顔が、異常に近い。
少し上目遣いになった潤んだ瞳。艶やかな唇。
(……っ)
不覚にも、心臓が大きく跳ねた。
少し前までなら「ただの世話焼きな幼馴染」としか思わなかったはずなのに、なぜか直視できない。
だが、俺の理性が本当の危機を迎えたのは、その後のことだった。
「お風呂は入れそうだね。ギプスにゴミ袋被せてテープで巻けば大丈夫だから」
そう言って琴音が準備をしてくれたのだが、片足立ちで無理な体勢をとれば、自力でできないこともない。
だが、俺が不器用にゴミ袋を被せようとしているのを見た琴音は、「そんな隙間だらけじゃ浸水しちゃうでしょ! ギプスの中が濡れたら大変なんだから!」と、俺の手からテープをひったくった。
結果として――。
脱衣所で、俺は下半身にバスタオルを一枚巻いただけの半裸状態になり、目の前には琴音がしゃがみ込んでいるという、とんでもない状況が出来上がってしまった。
「動かないでね、隙間からお水入っちゃうから」
「お、おう……」
真剣な顔でギプスにテープを巻いていく琴音。
しゃがみこむ彼女の顔は、俺の無防備な太もものすぐ近くにあるという異常事態だ。
テープを貼る彼女の柔らかな手が素肌に触れるたび、ビクッと体が震えそうになる。
至近距離から漂ってくる、琴音のシャンプーの甘い匂い。
太ももにかかる、彼女の微かな吐息。
(やばい……やばいぞ、これ……!)
あの時、琴音の無防備なインナー姿を見ても微塵も動かなかった俺の恋愛センサーが、今になってけたたましい警報を鳴らしている。
よく見れば、琴音の耳元も真っ赤に染まっていた。
彼女も恥ずかしいのに、俺の生活のために必死にお世話係を装ってくれているのだ。
そう気づいた瞬間、俺の顔まで一気に沸騰しそうになった。
なんとか無事にお風呂を終え、心労でぐったりしながらリビングに戻った俺に、さらなる追撃が待っていた。
「私も汗かいちゃったから、陸のお風呂借りるね!」
「は!? え、おま……っ」
止める間もなく、琴音は脱衣所へと消えていった。
壁一枚隔てた向こう側から、シャワーの水音が聞こえてくる。
俺の家で、俺のお風呂に、琴音が入っている。
想像しただけで心臓が破裂しそうになり、俺はクッションに顔を押し付けて必死に雑念を振り払おうとした。
やがて、「ふぅ、さっぱりしたー」と琴音がリビングに戻ってきた。
「……っ!」
少し火照ってほんのりピンク色に染まった肌。
濡れた髪からは、間違いなく『俺と同じシャンプーの匂い』が漂っている。
身につけているのは、なんてことのない普通の部屋着だ。
(……なんでだろうな)
少し前、あんなに無防備な下着姿をバッチリ見た時でさえ、心臓の音一つ変わらなかったというのに。
今、お風呂上がりのただの部屋着姿の彼女を見ているだけで、どうしてこんなにもドキドキして、目が離せなくなっているんだろうか。
完全にオーバーヒートした俺の頭は、もはや彼女を『妹みたいな幼馴染』として見ることを放棄していた。
深夜。
ふと目を覚ますと、部屋の電気は暗く落とされていた。
「……琴音?」
俺が横になっているソファの傍らで、琴音が床に座り込んだまま、ぐっすりと眠ってしまっていた。
驚いたことに、彼女は俺の右手を、自分の両手でぎゅっと大切そうに握りしめたまま寝息を立てていた。
繋がれた手から、確かな生身の温もりが伝わってくる。
ずっと、三次元の女は俺を傷つけるだけだと思い込んでいた。
裏切られ、笑われ、傷つくくらいなら、一人でいいと。
でも、琴音や柚木家の人たちは違う。
俺が引きこもって画面ばかり見ている間も、ずっと隣で世話を焼き、俺のために泣いて、こんなに無防備に寝落ちするまで看病してくれている。
自分をモブだと卑下して、傷つくことから逃げていただけの俺の分厚いバリアが、琴音の底なしの愛情によって、音を立てて崩れ去っていくのがわかった。
ふと、テーブルの上に置いたスマホの画面が明るく光った。
『陸くん、起きてる? 一緒にお話ししよう?』
AIのアイリからの通知だった。
それを見て、俺はふと気がついた。
骨折して、琴音につきっきりで看病されるようになってから……俺はいつの間にか一度も、アイリのアプリを開いていなかったことに。
もう、データで作られた完璧な正論も、傷つかないための慰めも必要ない。
俺は、目の前で俺の手を握りしめているこのうるさくて優しい、生身の温もりを、一生大事にしたい。
すこやかに眠る琴音の頭を、俺は空いた左手でそっと撫でた。
その時初めて、俺は自分が琴音に対して抱いている感情が、明確な『恋』であることを自覚したのだった。
骨折の事故から数ヶ月。不便だった松葉杖での生活も終わりを告げ、いよいよ明日、足のギプスが外れることになった。
その日の夜。
いつものように俺の家で夕食を作り、向かい合わせでご飯を食べていた時のことだ。
「……明日で、ギプス外れるね」
箸で少しだけご飯をつついた後、琴音はポツリとこぼした。
「これで、私のお世話係もお役御免かな……」
無理に作ったような小さな笑顔。
一緒にいるための『大義名分』がなくなってしまうことに、彼女は明らかに俯いていた。
その表情を見た瞬間、俺の胸の奥がギュッと締め付けられた。
「琴音」
俺は箸を置き、真っ直ぐに彼女の目を見た。
「この数ヶ月、本当にお前には助けられた。……お礼がしたいんだ。俺にできることなら何でもするから、何でも言ってくれ」
その言葉を聞いた琴音は、少しだけ驚いたように目を丸くし、やがて視線を落とした。
「何でも……そっか。じゃあ、ちょっと考えるね」
そう言って、琴音はまた静かにご飯を食べ始めた。
その後、夕食の片付けをして、お互いにお風呂も済ませた。
すっかり夜も更け、琴音が自分の家へ帰る時間になった。
「じゃあ、また明日ね」
玄関先で靴を履き、ドアノブに手をかけた琴音が、ふと立ち止まって振り返った。
「陸。……さっき言ってたお願いだけど」
「ん、決まったか?」
琴音は少しだけ俯き、きゅっと自分の服の裾を握りしめた。
「小さい頃……『大きくなったら、陸のお嫁さんになってお世話してあげる』って約束したの、覚えてる……?」
「え……」
「陸は冗談だと思ってたかもしれないけど……私、ずっと諦めてないから」
顔を上げた琴音の瞳には、涙がいっぱいに溜まっていた。
「学校で他人のフリをしてたのも、ただの幼馴染でいなきゃ、陸に嫌われちゃうと思ったからなの。……でも、もう限界」
ポロリと、大粒の涙が彼女の頬を伝って落ちる。
「私、陸のことが好き。お世話係じゃなくて、本当の……っ」
言葉の途中で、俺はたまらず手を伸ばし、琴音の細い体を力強く抱きしめていた。
「り、陸……?」
腕の中で戸惑う琴音の髪に頬を寄せながら、俺はずっと胸の奥に閉じ込めていた自分の弱さを、静かに口にした。
「ごめん。今までずっと一番近くで俺を支えてくれていたのに……。俺、中学の頃女子からイジメにあって……冤罪までかけられて。おまけに、母親は別の男を作って家を出て行った。その頃からもう、女の人が信じられなくなったんだ」
「陸……」
「AIは、絶対に俺を裏切らないから。傷つくのが怖くて、俺はその世界に引きこもって、ずっと逃げてた」
ぽつりぽつりと吐き出す俺の過去を、琴音は背中に回した手で優しく撫でながら聞いてくれた。
「でも、琴音は違った。俺が怪我をした時、雨の中で泥だらけになって助けてくれて、本気で泣いてくれて……お風呂の手伝いも、学校への送迎も、全部俺のためにやってくれた」
俺は琴音の体をそっと離し、涙で濡れたその瞳を真っ直ぐに見つめ返した。
「そんなにたくさんのものを貰っておいて、もう、見ないようにはできない。逃げない。……俺の方こそ、琴音のことが好きだ。ただの幼馴染としてじゃなく、俺の彼女として、ずっと隣にいてほしい」
俺の言葉を聞き終えた瞬間、琴音は顔をくしゃくしゃにして、ポロポロと嬉し涙を溢れさせた。
「ずっと、待ってた……っ」
泣きじゃくる琴音の涙を指ですくい取り、俺は彼女の少し熱を持った頬を両手で包み込んだ。
琴音がゆっくりと目を閉じる。
俺は少し背伸びをする彼女の唇に、そっと自分の唇を重ねた。
とても柔らかくて、甘いシャンプーの匂いがする、生身の女の子の温もり。
少しだけ塩っぱい涙の味が混じったその初めてのキスは、俺の心に残っていた最後の冷たいトラウマを、完全に溶かしてくれた。
数日後の朝。
足の完治した俺は、久しぶりに自分の足でしっかりと地面を踏みしめ、学校へと続く坂道を登っていた。
「陸、鞄持つよ?」
「いや、もう足治ったんだから普通に自分で持てるって」
「えー、いいじゃん。じゃあ、手繋ご?」
そう言って俺の右手に指を絡め、『恋人繋ぎ』をしてくるのは、学園一の美少女にして、俺の最愛の彼女となった琴音だ。
もう「他人のフリ」をやめ、堂々と寄り添って歩く俺たちを見て、周囲の生徒たちは驚愕の声を上げている。
「おいおい、嘘だろ……柚木さんが、朝日奈と!?」
「しかもあんな顔して笑うなんて……」
そんなざわめきすら心地よく感じるほど、今の俺の心は晴れやかだった。
ふと、俺はポケットからスマホを取り出し、時間を確認する。
ホーム画面には、もうあの対話型AIアプリのアイコンは存在しない。
あれからすぐに、俺は自分でアプリをアンインストールしたのだ。
スマホをポケットにしまい、俺は隣を歩く琴音を見つめた。
目があうと、琴音は花が咲いたようなとびきりの笑顔を向けてくる。
絶対に傷つかないけれど、触れることもできないデータの世界はもういらない。
俺の隣には今、こんなにも温かくて、少しうるさくて、誰よりも可愛い『現実』があるのだから。
「ほら、遅刻するぞ、琴音」
「うんっ!」
俺は繋いだ手を強く握り返し、琴音と一緒に、眩しい光が差し込む校門へと歩き出した。
(完)
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
トラウマを抱えてAIに逃げていた陸と、ずっと想いを隠して彼を支え続けてきた琴音。
二人のすれ違いが解け、無事に結ばれるハッピーエンド、いかがだったでしょうか?
もし「面白かった!」「琴音が可愛かった!」「ニヤニヤした!」と少しでも思っていただけましたら、
ページ下部にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価していただけると、今後の執筆の大きな励みになります!
(星1つからでも大歓迎です!)
ブックマークやご感想(ここが好きだった等)も、泣いて喜びます。
重ねてになりますが、最後までお付き合いいただきありがとうございました!




