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滅びゆく世界を救うたった一つの方法  作者: 細川 晃
第1章 それでも僕は男なんだ
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6 装甲車

 

 それからしばらくは錯乱状態に陥って身動き一つとれなくなっていたが、時間の経過と共に近代美術の抽象画のようにグチャグチャだった僕の感情も、ひとまず一定の落ち着きを取り戻していった。


「ああーっ、あああーっ、もうやだーっ」


 しかし冷静になったらなったで、今度は強烈な羞恥が胸の奥底から湧き上がる。


 穴があったら入りたい、なんて生やさしいものではなかった。


 路上の淡雪になりたかった。そのままさらりと、この世から消えてしまいたかった。


「……最悪だ。どうしよう。アリス様は、僕が男だって気づいてしまったかな? でも、全裸じゃなくて、下着姿を見られただけだし。……いや、でも」


 どれほど体の線が細くて、顔立ちが女っぽくても、僕は男だ。それは体格からしても明らかで、骨格はもちろん、脂肪や筋肉のつき方はまぎれもなく男性特有のものだ。


 それが明確に現れる下着姿を、絶対に見られたくなかった人物に直接見られてしまったのである。


 だが、それでも、アリス様の指示は僕にとって絶対だ。


 着替え終わったらすぐに来るようにと命令されている以上、塞ぎ込んでいる暇はない。


 すぐさま行動を開始しなければならなかった。


「……うう」


 真新しい紺色の制服に袖を通し、ワッペンが縫いつけられた深い青色のベレー帽をかぶり、僕はよろよろと鏡の前に立つ。


「……サイズが、ぴったりだ」


 着苦しさをまったく感じなかった。


 制服は新品のはずだったが、まるで長年着続けた学校の制服のように馴染んでいる。


 きっと前々からアリス様が用意していたものなのだろう。


 だからこそ僕は、これを着るわけにはいかなかった。


「もう限界だ」

 根元から、心がぽっきりと折れてしまっていた。


 せっかく用意していただいた制服を早々に脱いでしまうのは心苦しかったが、僕はもう一度下着姿に戻ると、この二カ月間ですっかり着慣れてしまった来栖野家のメイド服を手に取って抱き寄せる。


「アリス様にすべてを打ち明けよう」

 僕はそう決断した。


 一生性別を偽って今の生活を続けようだなんて、どう考えても無理があったんだ。


 それになにより、命の恩人であるご主人様に対して、もう嘘をつきたくなかった。


 だからきっと、これはいい機会なんだ。制服は着られない。いつまでも下着姿ではいられない。僕は、自分の本当の性別を告白するべく、再度メイド服に身を包む。


「……お金、日本円。それから、変な板チョコレート」


 真実を知ったアリス様が激高し、そのまま鶺鴒館から追い出されてしまう事態も想定して、二か月分のお給料が入った茶封筒と、異様に溶けにくい例の板チョコレートをエプロンのポケットに押し込んだ。


 おそらく二度と、この部屋に戻ってくることはないだろう。僕は最後に、これまで生活してきた自室をゆっくりと眺めてから廊下に出た。


 長い廊下を無言でこつこつと歩く。


 足取りはとても重い。


 さながら十三階段をゆく死刑囚の気分だった。


 きっと僕の顔色は真っ青で、情けなく恐怖に引きつっていることだろう。


「小春、遅い」

「申し訳ございません」


 エントランスホールに顔を出すと、さっそく怒られてしまった。


 けれどそれも当然だ。アリス様が制服を持って僕の部屋を訪れてから十分以上が経過している。気づかぬうちにそれだけの時間を、自問自答に費やしてしまったようだ。


「なぜメイド服? 制服は?」


 アリス様は、制服ではなくメイド服を着てきた僕に対して、怪訝そうな視線を向けている。


 正直なところすでに挫けそうだった。今すぐこの場から逃げ出したかったけれど、勇気を振り絞って踏み止まった。


「あの、じつはお話したいことが――」

「仕方ない。小春、ついてきて」


「あ! ちょっと待ってくださいっ! 大切なお話が……っ!」

「あとにして」

「……はい」


 これが恩人を騙し続けた変態女装野郎に対する報いなのだろうか。


 罪の告白という、死を覚悟するほどに多大な気力を消耗する行為の最中であったにも関わらず、アリス様は僕の懺悔に耳を傾けることなく、スタスタと歩いて玄関扉から屋外へ出て行ってしまった。


 もうすぐ迎えの車が到着するのかもしれない。


 これ以上、こちらの事情で他人を待たせるわけにはいかない。


 断腸の思いで罪の告白を中断すると、僕はアリス様の背中を追いかけた。


「……?」

 ところがこちらの予想に反し、正門を通り抜けて玄関前のロータリーに進入してきたのは、見慣れた黒いセダンではなかった。


 けたたましいエンジン音が周囲の山林に木霊する。


 灰色を基調とした都市塗装が施され、八つもの戦闘用タイヤと、三十ミリ口径の重機関砲を車体上部に備えた無骨な装輪装甲車が計三台も、わがもの顔で鶺鴒館のロータリーに押し寄せてきたのだ。


 一般の乗用車では絶対にありえない、大型ディーゼルエンジン特有の強烈な排ガスの臭いが周囲に充満する。


「来栖野閣下、お迎えに上がりました」


「ご苦労」


 異様な光景だった。肩掛けのベルトに自動小銃をつり下げ、手榴弾や予備弾倉を大量に収納した防弾ベストを身に着けた完全武装の屈強な男たちが、装甲車の後部ハッチから続々と現れて整列し、一糸乱れぬ敬礼を行っている。


 武装状態で降車した男たちは、総勢十二名。肌の色や髪の色はバラバラで人種は統一されておらず、おそらく国籍も異なる彼らは、ただ一心にアリス様へ忠誠と敬意を示していた。


「あの、彼らはいったい」

「全員、私の部下。小春が気にする必要はない」


「わ、わかりました」

「今日はあれに乗って、私の職場に向かう。小春も一緒に来てほしい」


「ジョージさんは、どうされたのですか?」


「彼は昨日の夕方、私を鶺鴒館に送り届けた後の帰り道で、複数の暴漢に襲われて重傷を負ってしまった。だから居ない」


「えっ、襲われたっ!?」

 世界的にみて治安のいい日本で暴徒だなんて……。ジョージさんは無事なのだろうか。


「幸い、命に別状はない。ただ、彼はしばらく入院することになる。だから防犯対策も兼ねて代わりを手配した。それが彼ら」


 いかに防犯対策であっても、あまりにも戦力が過剰だ。まさか賽原市は治安が悪いのだろうか? いや、それはないか。長年紛争が絶えない貧困国であっても、これほどの戦力が必要になるとは思えない。


 というか、武装した装甲車が街中を走ったりしたら、警察に通報されてしまうと思うのだけど、そのあたりは大丈夫なのだろうか。


「小春は、私と一緒に真ん中の車両に乗って」


 僕は言われるがまま、車両後部の分厚い金属扉から装甲車に乗り込んだ。


 車内には、白く塗装された装甲鋼板を背にする格好で、硬い折り畳み式の座席が二列分用意されている。運転席とは完全に壁で仕切られているため内部に窓はなかった。


 僕の正面にアリス様が座り、最後に口ひげを蓄えた二名のアラブ系男性が乗車すると、後部ハッチは閉じられ、まもなく装甲車はけたたましいエンジン音を響かせながら発車した。


 山道だからか、道中はアップダウンが激しい。慌てて四点式のシートベルトを装着する。


 窓がないため、外を眺めて気分をまぎらわせることもできない。


 車内では誰もが無言だった。同乗している二名のアラブ系男性は、よほど職務に忠実なのか身じろぎ一つせず向かい合って座っている。


「…………」

 僕の正面にはアリス様が座っている。性別の偽りを告白し、許されるなら今日中にも鶺鴒館を立ち去るはずが、今はこうして狭い車内で彼女と膝を突き合わせてた。


 またしても嘘を塗り重ねてしまった気がして、ひたすら心苦しかった。


「ゆ、揺れますね」

「我慢して」

「……我慢します」


 ひかえ目に言っても乗り心地は最悪で、山道を抜けて平地を走行していても、石かなにかに乗り上げるたびに車体が大きく揺れるので、必死になって硬い座席のフレームにしがみつくしかなかった。


 出発してから十五分ほどが経過しただろうか。


「アリス様、到着するまであとどのくらいですか?」

「もうすぐ」


 その言葉通り、装甲車はまもなく停車し、武装した軍人たちは開いた後部ハッチから素早く車外へと飛び出していった。


「ここは」

 頭をぶつけないように気をつけながら降車すると、そこは野外ではなかった。


 柱の少ない地下駐車場とでも表現すべき広大な空間であった。


 壁面は無味乾燥な打ちっぱなしのコンクリート、地面はとても硬質な、おそらく塗装された分厚い鉄板で構築されており、それがずっと奥まで続いている。


「小春、ついてきて」

「あ、待ってください!」


 多国籍なボディガード集団に敬礼で見送られながら、異質な地下駐車場をひたすらに奥へと突き進むアリス様の背中を追いかける。


「……すごい場所」


 今この時をもって、平和な日常は終わりを告げたのだと僕は直感していた。


 軍事関係には明るくない僕だって、ものものしい装甲車や銃火器を見せられた時点で、一応気づいてはいたんだ。けれど、無意識に気づかないふりをしていた。


 僕らを鶺鴒館から連れてきたボディガード集団は、本物の軍人たちだったのだろう。


 そして、そんな軍人たちに直立不動で敬礼され、敬われるアリス様も、なんらかの軍事組織に属する人間であり、彼らに閣下と呼ばれていたからには、相当高位の階級を得ているに違いない。


「ずいぶん、大きな施設ですね」

「…………」


 僕は終始無言のアリス様を追いかけながら、最奥の物資搬出用と思しき扉から施設の内部へと入り、古い病棟を想起させる真っ白な通路を延々と歩いて、エレベーターを乗り降りしながら地下へと向かっていく。


 すると。


「――まさか、そんな……」


「――ありえない……」


「――少佐殿……」


「?」

 途中何度も、例の紺色の制服を着用した人々とすれ違う。その度に彼ら彼女らは立ち止まって、それこそ幽霊かなにかを目撃してしまったかのような顔つきで、なぜかこちらをじっくりと眺めてくる。


「――えっ、うそ……」


「――雪風少佐……」


「――隊長殿……」


 年齢や性別に関係なく、通路ですれ違った全員が、必ずこちらへと振り向くのである。


 まるで不出来なホラー映画みたいだった。


「あの、アリス様。さっきからやけに視線を感じますけど、気のせいですよね?」

「…………」


 最初は単純に、この場違いなメイド服姿が人目を引いているのだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。


 彼ら彼女らの中には、おそらく上官であるはずのアリス様に対してではなく、僕個人に対して慌てて敬礼する人もいる。どういうわけか、そういう人たちに限って僕の顔を凝視しながら口々に〝少佐殿〟〝隊長殿〟と呟き、ときには大粒の涙すらも流すのだった。


「入って」

「お、お邪魔します」


 ようやく目的の場所にたどり着いたらしい。


 この施設は、地下へ降りるほどセキリティのレベルが上がっていく仕組みになっているのだろう。アリス様はポケットから取り出したカードを機械にかざし、電子ロックを解除してからその部屋へと僕を招き入れた。


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