3 九官鳥
「えっ、アリスって無人島も持ってるのかよ」
「今はもうない。もう随分と前にアルバトロスが全部飲みこんでしまった」
「アリス様、それはどんな島だったのですか?」
「紺碧の海に囲まれた綺麗な島だった。快適な住居、大型の滑走路、広大な白い砂浜があり、長年に渡って入念な整備がされていた」
「くそー、まじかよ。そんな島に一度は行ってみたかったなー」
すると突然、マコトは少年みたいにニカっと笑うと、アリス様の耳元で囁いた。
「……ところでさ、話の内容はまるっきり変わるんだけど。アリスは空飛ぶ車って実現されると思う? 前々から、天才科学者の意見ってやつを聞いてみたかったんだよね」
「あなたの想定する空飛ぶ車が、どんなものかわからない」
「えーと、無重力状態になって地面から浮上して、空を自由自在に飛ぶ車」
「極めて楽観的に考えるなら、いずれ実現できるはず。でもそれば、百年以上先の話。復興が優先される以上、現状では夢のまた夢」
「そっかー、やっぱりそうだよなー」
「マコトは空飛ぶ車に興味があるの?」
「これでも昔は、近所でも有名な文学少女だったんだぜ? 生前、オヤジがSFマニアだったから、そういった本を幼いながらにたくさん読んだんだ」
「へー、意外」
マコトとアリス様の会話はいつになく弾んでいた。
指輪の購入を終えた直後にアリス様から連絡が入り、ようやく僕ら三人はPX内で合流することができたのである。これといった口裏合わせは頼まなかったが、マコトは購入した指輪のことを秘密にしてくれている。
なんて義理堅いのだろうか。やっぱり彼女こそが、僕のもっとも信頼のおける戦友だ。
今度、ちゃんとしたお礼を用意しておかないと。
「なあなあ二人とも、いい加減PXをうろつくのも飽きてきたし、そろそろ帰らないか?」
「それもそうですね。アリス様、今日はもう鶺鴒館に戻っても大丈夫ですか?」
「平気、帰ろう」
そうと決まれば話は早い。
僕らはPXを出ようとレジの前を横切ったのだが、どういうわけかレジカウンターは無人だった。あれ? 誰もない。タンクトップ姿でレジ打ちしていた人もいないし、もしかして休憩かな?
というかこの時間帯のPXって、こんなに利用客が少ないのだろうか。
そんなことをぼんやりと考えながら歩いていると、誰かが僕の背中をぽんぽんと優しく叩いた。振り返ると、そこには普段と変わらないぬぼーっとした表情のアリス様がいた。
「小春、またクッキーが食べたい」
「お、いいな! 俺も賛成!」
「わかりました。時間的にも、おやつにちょうど――」
直後、僕は言葉を失って立ち尽くした。
「小春?」
「どうしたんだ?」
心配そうにこちらを見ていた二人の表情も、すぐに険しいものへと変化する。
「なんだ、あれは……」
マコトが呆然と呟く。
僕らの視線の先では、ブラックホールとしか表現しようのない直径一メートルほどの真っ黒な球体が、古いSF映画の合成映像みたいな素っ気なさで、空中に忽然と浮かんでいた。
まもなくその漆黒の球体は徐々に透明になりながら消滅していったが、消え去ろうとした最後の瞬間に、なにかを虚空から落下させた。
それは最初、複雑な形状の金属の塊だったが、次第に折りたたんでいた複数の脚を展開し、落下の衝撃でめり込んでいた胴体を床から引き離して自立する。
「あ……」
幻覚の類であることを疑ったが、それはこの光景を現実のものとして受け入れたくない自分の願望に他ならなかった。そのような緩慢な疑念は、常に最悪の事態を想定しなければならない軍人とっては致命的ですらあった。
鳥類のくちばしにも似た鋭い形状の発射口が陳列棚をなぎ倒し、重金属を主体とする堅牢な甲殻に包まれた三対六脚の節足が、腹立たしほど軽やかに律動しながら、頑丈なコンクリート製の床を踏み砕く。
あれはキメラだ。
もはや疑う余地はない。
これはまぎれもなく現実だ。
約束されていたはずの平和な未来が、一瞬にして無残な瓦礫の山と化していた。
しかし今は、悲嘆に暮れる暇すらもありはしない。
凶悪な破壊力を秘めた四十ミリ徹甲弾を即座に発射可能なキメラの発射口が、今まさにこちらへと照準を定めようとしていた。
「マコトぉッ! 奴に撃たせるなぁッ!」
「合点承知!」
阿吽の呼吸だった。マコトはこちらの発した簡単な命令で状況を完璧に理解すると、意識を瞬時に戦闘状態へと切り替え、目標との間合いを詰めるべく全力で突進した。
すでに彼女は、無邪気におやつのクッキーをねだる一般女性ではなかった。
上官の命令ならば死の危険すら顧みない統合軍の兵士にして、全人類の藩屏たる勇猛果敢な軍人であった。
「とりゃああッ!」
目標への接近に成功したマコトは、その発射口を大きな掛け声と共に全力で蹴り上げた。
まもなく閃光が走り、付近の窓ガラスがすべて吹き飛ぶほどの轟音が鳴り響く。僕らが生身の人間であったなら、確実に鼓膜が破れていただろう。
見上げると天井に大きな穴が開いていて、午後の日差しが差し込んでいた。
発射口を蹴り上げ、射線を上部へとそらした直後に発射されたキメラの砲弾が、天井を突き抜けて行ったのである。
だからこそ今が好機だ。
主砲を発射したキメラは、わずかな時間動きが鈍くなる。
「――マコト!」
「了解!」
お互いの考えが一致しているからこそ、僕らは会話すらも不要であった。
マコトは危険を顧みずにキメラへ飛び移ると、半開きになっている発射口のふちに手をかけて、それが閉じないように全力を傾けていた。
同時に、僕は先ほど天井から落ちてきた鉄パイプを拾い上げ、それをキメラの口内の一番奥へと突き入れた。
狙いはキメラの延髄の破壊である。
熱にも強く、衝撃にも強い、重機関銃の直撃にも耐えるほどの堅牢な装甲を持つキメラであるが、意外にも体内の肉質は柔らかい。とくに口内の一部分はそれが顕著で、柔らかい肉の壁の奥に、人間で言うところの延髄に相当する太い神経の束が走っているのだ。
「!」
確かな手ごたえがあった。
そのまま深く突き刺さった鉄パイプ九十度捻ると、六本の節足が痙攣する。
延髄を破壊されたキメラは、まもなく全身が弛緩して軟体動物のように崩れ落ちた。
「なんでキメラが、こんなところに」
小さく息を吐きながら、キメラが死んでいることを念入りに確認していると、マコトが謝りながら駆け寄ってくる。
「小春すまん、初弾の発射を許した」
「大丈夫。こちらに当たらなかったので上出来です」
「……ああ」
気落ちした様子のマコトを励ましてから、僕はもう一度キメラの死骸へと視線を向けた。
「…………」
突如として空中に発生したあの漆黒の球体は、特異点であると考えて間違いないだろう。
その特異点を通過し、二〇〇〇年に巨大生物アルバトロスが出現したのと同様に、異界からキメラが現れたのである。
「――――」
刹那、強い忌避感が背筋を貫いた。
思い出したくもない辛い記憶が脳裏に暗い影を落とす。
けれど僕はあえて、それらの記憶と向き合った。その必要があると感じたからである。
第七次討伐作戦の終盤。
アルバトロスの体内の奥深くで、僕は人がキメラへと造り替えられていく光景を目の当たりにした。
つまりキメラが元人間であるのならば、再度外見を造り替えて人間に擬態し、人類社会の中に紛れ込むことも可能ではないだろうか?
さきほどのような小さな特異点を世界各地で開き、長い時間をかけて少しずつ社会や組織に浸透して――。
「…………」
しかしそこまで考えて、僕は自分の仮説を否定した。
なぜならキメラは、それほど高度な知性を持ち合わせてはいない。
人を欺くほどの用意周到な策略を練ることは不可能だ。
それは実際に、奴らと命のやりとりをした僕が一番理解している。
基本的なキメラの思考パターンは単調かつ機械的で、どちらかと言えば昆虫に近い気がするのだ。またキメラは、アルバトロスから遠隔的にエネルギーの供給を受け続けなければ活動を停止するはずである。
その動力源たるアルバトロスは、すでに地球上には存在しない。
民間人への多大な負担。人類統合軍将兵の膨大な犠牲。戦略機動部隊〝ハミングバード〟全隊員の命。それらを代償として七度の討伐作戦を決行し、地球上から絶滅させたのだから。
「…………」
でももし、それらの前提がすべて覆ったとしたら……。
はぁ、ダメだ。
頭の中が疑問符で埋め尽くされていくばかりで、どうにも思考が纏まらない。
不快な焦燥感ばかりが、心の奥底で増大し続けていた。
明日、投稿します。




