1 ムクドリのメンテナンス
五月二十九日。
目が覚めると、そこは病的なまでに真っ白な一室だった。
窓はどこにもなかったが、室内は十分な光量が保たれている。
床も壁も天井も光沢のある真っ白な建材で統一され、巨大なアームに備えつけられた円盤型の照明と、用途不明の巨大な装置類が室内に数多く配置されていた。
そんな空間の中央で、僕は手術台の上に横たわっていた。簡素な手術着を着ているせいで、あちこちがスースーしていてどうにも落ち着かない。
「小春、お疲れさま」
聞きなれた声につられて視線を動かすと、部屋の片隅に白衣姿のアリス様が佇んでいた。
彼女は粘液に塗れた薄手のゴム手袋を交互にはぎ取ると、近くのゴミ箱に投げ入る。
「僕は、どうして? ……ああ、そうか」
そうだ。思い出した。
勘違いでなければ自分はメンテナンスを受けていたんだ。それもかなり本格的なやつを。
特殊な装置を使って意識を強制的にシャットダウンしたせいなのか、少しばかり記憶が混乱しているのかもしれない。
「えーっと、この体の、整備はもう終わったんですか? ひさしぶりだから、徹底的にやるって言ってましたよね?」
あれほどまでにアリス様の両手が粘液塗れだったのは、僕の体内から人工臓器をあれこれと出し入れしていたからだ。
今回のメンテナンスを医療行為に例えるならば、胸部を大きく切り開いて、心臓を移植するほどの大手術だったはずである。だから動いた途端に傷口がぱっくりと開いてしまうのではないかと想像し、ちょっぴり怖かったのだけど、その心配は杞憂だった。おっかなびっくり起き上がって手足を動かしてみたものの、とくに痛みもなければ、ささいな違和感もない。
「大丈夫。全部、予定通り終わった」
そんな大仕事を終えたばかりであるにも関わらず、アリス様はとくに疲労した様子もなく、額にも汗一つ浮かんではいない。涼しげな仏頂面のまま、手術台の上で手足を動かす僕のことをじっと観察している。
「今回の整備にかかった時間は、だいたい七時間。小春の体を一度バラバラに分解してから、脳核から下の神経系と内骨格は総入れ替え。わずかでも損傷や消耗が見受けられたシリコン系の生体部品や金属系のインプラントはすべて新品と交換して、再度組み立てた」
訂正、手術どころじゃなかった。
たとえカエルの解剖実験であっても、これほどまでに徹底した解体はしないはずである。
「一応、整備の様子は最初から最後まで録画してある。……後で見てみる?」
「いえ、遠慮しておきます」
悩むまでもなく即答した。
自分の体が丁寧に切り刻まれていく様子に興味なんてあるわけもなかった。
メンテナンスが開始されたのが早朝の六時だったから、今は午後一時くらいだろうか。
もうお昼すぎだ。なんだか二度寝してしまった気分である。
そんなことをぼんやりと考えながら、自分の右目にそっと触れてみると、相変わらずそこに固い弾力はなく、凹んだ眼帯の手触りだけが指先に伝わってきた。
「あ。やっぱり目は治らなかったんですね」
僕の言葉に表情を曇らせたアリス様が小さく首肯する。
「……以前も言ったが、眼球の修復は現状とても難しい」
「わかっています。脳核に深く食い込んだ砲弾の破片を除去しないとダメなんですよね?」
「そう。破片は脳核の装甲を貫通している。これを無理に取り除こうとすると、小春の生体脳を傷つける可能性がある。そうなっては取り返しがつかない」
「はい、わかっています」
頷いてから僕は手術台から降りた。そうして病的なまでに清潔な床をぺたぺたと素足で歩きまわっていると、とある金属の塊が目についた。
「?」
ステンレス製のトレーの上に、無造作に置いてあったそれは、根の伸びた球根を連想させる複雑な構造をしていて、おそらく僕のものと思われる機体冷却用の疑似血液が乾燥してこびりつき、赤黒い金属光沢を放っていた。
「アリス様。これは……」
「来野式特二十型装甲義体〝アマツバメ〟の主機。ムクドリ型永久発電機構。ついさっき小春の体内から取り外した」
「これが、僕の……」
「それ自体には別段異常はない。性能が向上した新型が完成したので、新しいものと交換しておいた」
僕は説明を聞きながら、目の前のトレーに置かれた自分の心臓とでも言うべき装置へと手を伸ばす。
「冷たい」
固まった人工の血液が指先に付着する。
自分から取り外された心臓は、金属なのだから当然だが、とても冷たかった。
自分の体は、シリコンや金属部品で形作られている。
そう頭では理解しているつもりだったが、やっぱり驚きだ。
実際に目で見て、じかに触れてみると、この金属の塊が体内で鼓動を奏でていたという事実が、どうにも不思議でならない。
「前々から気になっていたんですけど、このムクドリ型永久発電機構って、どういう仕組みなんですか? 名前からすると、外部からエネルギーを供給しなくても動作し続ける永久機関なのですよね?」
「それであってる。これは、現在人類が唯一実用化に成功した完全永久機関。私が基礎理論を構築し、来栖野家の全財産の二割くらいを投じて実現させた」
アリス様は僕の真横に立つと、トレーの上の装置を素手のまま掴み取った。
「ただし、これには大きな欠点がある」
「欠点?」
「これが永久機関であることに疑いはない。ただこの装置単体では、エネルギー出力が非常に小さい。せいぜい豆電球を弱々しく光らせるのが精一杯で、当然、義体を動作させることなど不可能」
それは貧弱すぎる。というか豆電球すらまともに点灯しないほど主機の出力が小さいなら、どうして僕は満足に動けるのだろうか?
「小春は、ムクドリって知ってる?」
「たしか小さな鳥ですよね? 少し前に、鶺鴒館の真上を数百羽のムクドリが黒い塊になって飛んでいるのを見たことがあります」
「そう。イメージとしては、その黒い塊が近い。この装置は、単体でありながら無数の群体として振る舞うことができる。装置の内部に安置されたエキゾチック量子結晶が時空間に極小の風穴を開け、時間と空間の隔たりを超越して、他の装置と相互にエネルギーの授受を行う」
「?」
「どれほど単体でのエネルギー出力が小さいものであっても、数限りない並行世界に、同様の装置が、何億、何兆と偏在するのであれば、そこから無限のエネルギーを半永久的に取り出すことができる」
「すみませんアリス様。言っている意味がよくわかりません」
悲しいほどに、まったくもって説明について行けなかった。
「……要するに、ムクドリ型永久発電機構は、無限に存在するパラレルワールドから、無限のエネルギーを、無限に取り出すことのできる装置」
な、なるほどなー。
僕の貧弱な知識と語彙力が恨めしい。
それでも、なんとなくは理解できた。
きっとこれは途方もなく有用で、人類の永遠の課題であったエネルギー問題を一挙に解決してしまうような、素晴らしい技術であるのは疑いようもなかった。
すでにいくつもの大陸が消滅し、文明が崩壊した現在の世界にあって、想像していたよりも電力に不自由していないのは、この装置があるからに違いない。
「小春、先に上がって。私は残りを片づけてから後を追う」
「わかりました」
「さっきマコトから連絡があって、地上のPXで時間を潰しているらしいから、そこで待ち合わせしよう」
もう一度頷いてから、僕はこの真っ白な部屋から退出した。
隣接した更衣室で来栖野家のメイド服に着替え、鮮やかな色彩に彩られたお気に入りの眼帯を装着し、まっすぐ地上へと向かうのだった。
明日も投稿します。




