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6 生温かい布団

 


 

 日付は変わって、五月二十八日の日曜日。


 戦勝記念パーティと題するわりに、ずいぶんこぢんまりとした内々の食事会は、誰もが満腹になり、食欲よりも眠気が勝ってきた深夜の一時ちょうどにお開きとなった。


 しかし、ここからが自分の踏ん張りどころである。

 ふんすと意気込み、来栖野家のデキるメイドは腕をまくった。


 食べ残しは小分けにして耐熱容器に保存し、テーブルを拭き上げ、空のビン類は裏庭の廃材置き場へ。油まみれの食器は一度ペーパーで拭き、下洗いしてから食洗器に入れ、洗剤投入からのボタンをぽちぽち。ああ、素晴らしい。らくちんだ。文明の利器万歳である。


 ひと通りの後片づけを済ませ、キッチンの流し場からリビングを覗き込むと、満ち足りた表情のマコトが、ソファの上で気持ちよさそうに寝転がっていた。


「お腹いっぱいで幸せ。そんでもって、すごく眠い」

「もう寝ます? お部屋まで案内しましょうか?」

「大丈夫。さっきアリスに案内してもらったから、ひとりで行ける」 

「あ、そうだったんですか。気づかなかったな」


 濡れた両手をタオルで拭きながらリビングに戻ると、そこにアリス様の姿はなかった。

 この時間帯だと、たぶんお風呂に入っているのではなかろうか。


 僕としてもそろそろ寝る準備に取り掛かりたいのだけど、もうしばらくは起きている必要がありそうだ。僕のご主人様は、かなりお風呂が長いのである。


「さてと、動くか」

 そう呟き、マコトは両目を擦りながらソファから起き上がる。


 ぐーっと背伸びをして、それから、まるで少年みたいに無邪気に笑いながら――。


「小春、一緒にお風呂入ろうぜ」

 と、僕の目を見て言った。


「え」

 耳を疑うのと同時に、時の流れが停止したように感じられた。


 背中を冷たいものが流れ落ちて、急速に表情筋が硬直していく。

 きっと現在の地球上において、僕以上にマヌケな男は存在しないに違いない。


 女装しつつ口を半開きにして、呆然と立ち尽くすという人類史に残る醜態をさらしながら、それでも僕はこの危機的状況を乗り切るために思考を手放しはしなかった。


「だから風呂だよ、風呂! ここには立派な風呂があるんだろ? たぶんアリスも今入ってると思うし、みんなで一緒に入ろうぜ。背中流してやるよ」


「…………」


「おいおい、まさか恥ずかしいのか? 見られて困るようなもんじゃないだろ? 女同士なんだし、そこまで気にする必要もないじゃないか」


 マコトはどこまでも無邪気だった。でもだからこそ、その無邪気な言葉の数々が鋭い刃となって、僕の感情をズタズタに斬り裂いていく。


「……あの、まだやることがあるので」

 やっとの思いで震えながら声を絞り出し、薄っぺらな嘘をつく。


「そうなのか?」

「はい、すみません。これから料理の仕込みをしないといけませんから」

「ああー。そっか、大変だな。残念だけど仕方ないか」


 なんて見え透いた嘘なんだろう。


 それでもマコトは気づいていない様子だった。雪風小春という人間がどこまでも清廉にして潔白であり、絶対に人を騙すような行いはしないと信じ切っているのだろう。


「また今度、一緒に入ろうな」

 そう言い残し、マコトは笑顔でリビングを出ていった。


 室内に残された僕は、しばらくその場から動くこともできなかった。


 自身の性別すら偽っているのに、まるで長年苦楽を共にした親友に対するような気安さで、僕は彼女と接していた。それが当たり前であるかのように、自分は彼女の前で正真正銘の女性として振る舞っていたのである。


 うぬぼれていた、としか言いようがない。

 僕は女装をしている。自分の性別を偽っているのである。

 それなのに、どうして真の友情が成立すると言えるのだろうか。


「ごめんなさい」

 ひとりよがりな謝罪の言葉が、誰の耳にも届くことなく室内にむなしく響いた。




 ようやく僕がシャワーを浴びることができたのは、午前三時になってからだった。


 いろいろと疲れたし、このまま寝てしまおうかと思ったけれど、あれほど強烈なニンニク味のから揚げを大量に食べてしまったとあっては、どうしても体臭が気になってしまう。


 翌朝、アリス様たちからニンニク臭いと苦情を言われないためにも、二人が寝静まったのを見計らってバスタオルと着替え一式を抱えて自室を出ると、極力物音を立てずに浴室へと向かったのである。


 お湯はすでに抜いてあるのでお風呂には入れないから、洗浄力のあるボディソープをひたすら泡立てて、全身に塗りたくって、当家自慢の高水圧な温水シャワーで丁寧に洗い流す。それはもう入念に、ニンニク臭を除去していった。


「……蒸れる、かゆい」

 全身をくまなく洗い終えて浴室を出た後も、僕は気を抜かなかった。


 ブラジャー(偽乳パッド付き)を再び装着した上で、パジャマに着替え、ひたすら蒸れるのを我慢しながら注意深く廊下を歩く。


 脱衣所を出た途端に、廊下でマコトと鉢合わせしてしまう可能性があったからだ。


 その時に特定の下着をつけていなければ、彼女の目は欺けない。


 ほぼ確実に、僕の女装は看破されてしまうだろう。


 あれで案外、マコトにはそういった鋭いところがあったりするのだ。


「……はぁ、やっと帰ってこられた」

 肩を使って押し広げた自室のドアの隙間に、脱力した体を滑り込ませる。


 丸めた背中で内側から寄りかかり、ため息をつきながらドアを閉じると、さっそく上着を脱いでブラジャーのホックを外した。


 素肌が外気に触れると、ようやく耐えがたい蒸れと締め付けから解放される。


 しばらく半裸のままで涼んでいると、汗が引いてきた。上着を着直すと、最後の気力を振り絞って予備のメイド服をクローゼットから取り出してハンガーに吊るし、ブラジャーやその他の衣類を洗濯カゴの中に投げ入れる。


「疲れたぁ、早く寝よう」

 部屋の電気を消すと暗闇の中をふらふらと歩き、そのままベッドへと倒れ込んだ。


「きもちいい」

 ベッドのスプリングが弾んでいる。全身から力を抜くと、自分の体が次第に沈んでいくのがわかり、その感覚がひたすらに心地よかった。もう目を開く気にもなれない。


 あ、そういえば入浴用のアイパッチをつけたままだ。

 はぁー。いいや、もう寝る。おやすみなさい。


 目をつむりながら夜の暗がりに手を伸ばし、近くにある丸まった布団を手繰り寄せていく。


 その布団に足先を入れた時、僕はあること気づいた。


「……生温かい」


 布団の中がやけに温かい。そしてベッドの端っこ、つまり僕の背中側から誰かの息づかいが聞こえることに今さらになって気づいた。


「誰ですか?」

「…………」

 尋ねても返事はなかったが、その代わりに背中側から両腕が伸びてきて、僕の体をひしっと抱き寄せる。


 ああ、これはアリス様だ。そうに違いない。アリス様がよく好んで使用しているシャンプーとリンスの爽やかでボタニカルな香りが、闇夜の中をふんわりと漂っている。


 僕は半分ほど寝ぼけながらも、相手が自分のご主人様であると理解すると、肩の力を抜いて身を任せた。


「もぉ、ダメですからね」

「…………」

「昨日あんなにしたんですから、今日は我慢してください。肩と腰のところなんて、虫刺されみたいに赤くなっちゃっているんですからね」


 いくら話しかけてもやっぱり返事はなかった。いったい、どうしたのだろうか? 普段から口数の少ないアリス様だけど、今夜は輪に掛けて無口だ。


 それに、どこか緊張している様子でもあった。


「んっ、やんっ」

 暗がりから伸びる細い腕が、まるで探るように僕の体のあちこちを触れていくものだから、意図せずして艶めかしい声が出てしまう。


「ダメですってば、もう寝かせてくださいよっ」

 それから間もなく、その細い腕は僕のつつましやかな胸を探し当てた。


 ブラジャーを外した真っ平らな胸を、乱暴な手つきで執拗に撫でまわしていく。


「――っ!」

 直後、背後の息づかいが急に荒くなる。

 そこには想定外の事態が発生したかのような戸惑いと混乱の気配が入り混じっていた。


「やっぱり、胸がない……」

「えっ」

 そのハスキーな、少年的なしゃがれた声を聞いた途端、深いまどろみに沈んでいた僕の意識は急速に浮上した。


 覚醒したクリアな思考が、瞬時にして異常事態の発生を警告する。


 全身を板バネのようにしならせてベッドから飛び起きると、そのまま部屋の壁際まで駆け寄り照明のスイッチに触れた。室内の明かりが戻るのと同時に、ぐちゃぐちゃのベッドシーツの上にペタンと座りながら、呆然としているマコトの姿が目に飛び込んでくる。


 混乱のあまり未だに羞恥心を感じていなくとも、左右の頬っぺたが全自動で真っ赤に染まり始めて、気持ちの悪い汗が全身から噴き出していた。


「小春……」

「マコト、どうして僕の部屋に」

 




明日も投稿します。

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