4 夜のセキレイ
「落ち着いてきたか?」
「なんとか」
ランチタイムが終わって閑散とした食堂の隅っこで、僕たちは向かい合わせに座っていた。
マコトはコップに注いだ精製水をちびちびと飲みながら、こちらが落ち着くのを待ってくれていたのである。
「さっきのあいつは真壁義信。二十歳。所属は横須賀基地の法務部。士官学校を首席で卒業。統合軍国際弁護士。在学中に歴代最年少で司法試験に合格した本物のエリート様だ。優秀で、正義感が強くて、随分と将来を嘱望されていたらしい」
「……そうですか」
「ほんと、驚いたぜ。たまたま通りかかったからよかったけどよ。というかIDカードを見せれば誤解も解けただろうに。服装がひらひらのメイド服でもカードくらいは携帯しているはずだろ?」
「すみません。体を触られた途端に頭が真っ白になってしまって、すっかり忘れていました。マコトの来るタイミングがあと少し遅かったら、僕は本気で人を殺そうとしていたかもしれません。助かりました」
「まあ気持ちはわかるから、なにも言えないな」
「……はい」
情けない。
真壁少尉にも悪いことをしてしまった。
たしかに彼は乱暴ではあったけれど、自分の職務に忠実だったのは確かだ。
ちょっとでもこの一件が穏便に収まるように、後で僕からも周囲に働きかけておかないと。
「さて、この話はここまでにしよう。そういえば小春は、俺に渡す物があったんだろ?」
「あ、そうでした」
マコトに言われて当初の目的をようやく思い出すことができた僕は、アリス様からの招待状をそっと差し出した。
「これは?」
「招待状です」
「招待状!?」
打てば響くマコトの可愛らしい反応に、自然と口角が上がってしまう。
「明日、鶺鴒館で第七次討伐作戦の成功を祝したパーティを開くことになりましたので、ぜひ参加してください」
「パ、パーティ!? ……え? それって、俺なんかが参加していいものなのか?」
あまりにも予想外だったのか、彼女は受け取った招待状をその眼光で焼切ってしまいそうなほど、熱心に見つめていた。
「パーティと言っても、おそらく想像しているようなものではないですよ? もっと小規模な食事会です。参加者もマコトと僕とアリス様の三人だけで、ほかには誰も来ません」
「場所は?」
「招待状の裏に書いてありますけど、鶺鴒館です」
「あ、本当だ。明日開催、ドレスコードなし、持ち寄り不要。つまり手ぶらで参加しても問題ないって意味だよな?」
「そうです。アリス様も格式ばったものはお嫌いなようですので、肩の力を抜きながら存分に楽しめる素敵なパーティにするつもりです。……それで、明日は来られそうですか?」
「もちろん、参加する!」
よほど楽しみなのか、マコトは小刻みに何度も頷きながら、にこにこと笑っている。
「もしかして小春が料理を作るのか?」
「はい、そのつもりです」
「期待してもいいのか?」
「過度な期待は禁物ですよ? 僕は料理用ではなく、戦闘用のサイボーグですので」
「でも、戦前の料理だよな? 使われる食材はすべて天然ものなんだよな?」
「基本的に冷凍保存されたものか缶詰類ですけど、全部天然のものです。ただし、手の込んだものはあまり作れないので、それこそハンバーグみたいな簡単なものばかりになってしまいますからね?」
「……俺、本物のハンバーグなんて十年以上食べてないんだけど」
あ、しまった。
失言だったかもしれない。
悲しそうに唇を尖らせてマコトはうつむいてしまった。
「それなら、なにか食べたいものはありますか? 可能な限りリクエストに応えますけど」
「えっ、まじで!?」
一転して、マコトは無邪気な少年みたいに表情を輝かせ、興奮のあまり椅子から腰を浮かせて身を乗り出した。
「じゃあ、ニワトリのお肉のから揚げっ! それもニンニクたっぷりの味の濃いやつ!」
「わかりました。から揚げは味付けの種類を増やした上で、多めに用意しておきますね」
「よろしくお願いしますっ!」
こうして僕は当初の目的を果たすことができた。
それにしてもアリス様は、どうして招待状を手渡しすることにこだわっていたのだろうか。
今回みたいに直接出向かずとも、義体間の通信で、テキストなり映像なりで日程を伝達してしまった方がずっと楽だったはずである。
こちらとしても部下であり大切な友人でもあるマコトと、何気ない日常を満喫する分にはまったく問題はない。
けれど将官級議会というものが、近日中に開催されるらしいのだ。
世界中から外部の人間が集まってきているこのタイミングで、それらの情報を意図的に伏せたまま僕を強引に賽原基地へ向かわせたことに、なんらかの意図が隠されているような気がするのである。
「ただいま戻りました」
「お帰りなさい」
鶺鴒館に帰りつくと、エントランスでアリス様が帰りを待ってくださっていた。けれど僕は笑顔で彼女のもとへと駆け寄り、紅茶をお淹れしましょうか、と気軽に話しかけることができなかった。
「どうされたのですか?」
アリス様がものすごく不機嫌だったからである。
「小春、賽原基地はどうだった?」
僕は確信する。
これは絶対、賽原基地での例の一件をご存じなんだ。だからこんなにも機嫌が悪いんだ。きっと例の事件が発生した直後に、賽原基地の司令官であるアリス様のもとに連絡が行ったのだろう。
「えーっと」
「どうだった?」
ここで下手に取り繕うと状況がさらに悪化するのは間違いない。
「あの、じつは――」
だから僕は、可能な限り客観的な情報を伝えようと努力した。
メイド服が原因となり、他の基地に所属する新任の男性軍人から不審者として扱われ、強制的に身体検査を受けさせられたこと。マコトの助けがなければ、僕がその男性を半殺しにしていた可能性についても包み隠さず打ち明けた。
「たしかに体を触られたのは苦痛でしたけど、彼は自分の職務に忠実だっただけで、悪気はなかったはずなんです。アリス様、お願いです。どうか穏便に済ませてもらうわけにはいきませんか?」
「……? それだけ? 他には?」
「え? は、はい。なんか重要な会議があるみたいで、基地に見慣れない人が多かったです」
「……わかった。とりあえず、あなたが無事でよかった。お疲れ様。真壁義信少尉の件に関しては理解した。小春がそこまで言うなら悪いようにはしない」
「ありがとうございます!」
「うん」
アリス様は頷くと、いつになく不機嫌そうに腕を組み、考えごとをしているのか、姿勢を斜めに崩して歩き出す。僕はすぐさま彼女の背中を追いかけて、とにかく誠心誠意お仕えするしかないと考えて行動した。夕食のデザートに、アリス様の大好きなカラメルカスタードプリンを用意するなどしてご機嫌をうかがったが、あまり効果的ではなかった。
早急に次の手を考えておかないと……。
普段以上に無口なアリス様との夕食を終えて、食後の休憩をたっぷりとはさんでから、僕は明日の食事会に向けた準備を開始する。あっさり系やこってり系の各種スープ類、お肉料理の仕込みなどを黙々と進めていると、時間はあっという間にすぎていった。
深夜。時刻は零時過ぎ。
ふと気づいてキッチンからリビングに目を向けると、すでにアリス様の姿はなかった。
きっと寝室でお休みになっているのだろう。
「ふー、よし。今日はおしまい」
どうにか切りのいいところでこの日の作業を終えて、僕はお風呂をいただくことにした。
自室に戻り、今朝洗濯したばかりの着替えを持つと、一階の廊下をてくてくと歩いて突き当りの浴室へと向かう。
鶺鴒館は大人数の来客にも対応できる造りになっているため、浴室にも十分な広さがあり、併設された脱衣所には銭湯のように小さなロッカーがいくつも並んでいる。
僕が使用するロッカーは、決まって脱衣所の出入り口から視線の通らない壁際だ。
そこで手早く衣類を脱いで丸裸になると、使い捨ての柔らかいアイパッチを眼帯の代わりとして右目に貼りつける。
準備が完了すると、僕は意気揚々と蒸気の暖簾を潜った。
室内には湯気が立ち込め、数千リットルものお湯が浴槽を一杯に満たしている。
今のご時世では贅沢の極みとしか言いようのない光景だけど、僕とアリス様は入浴が大好きだし、戦前と変わらない衛生観念を持ち合わせているから、お湯は毎日必ず張り替えて使っていた。
どれほどの費用が掛かっているのか想像もできないけれど、僕としても今更になってお風呂のない生活を送る気にはなれないので、これも知る必要のない情報だと割り切っていた。
ひと通りシャワーを浴びた後、まとめるのも面倒なので、髪を下した状態で湯船に肩まで浸かる。洗った髪をまとめていると頭皮がつっぱって、どうにも落ち着かないのだ。
「はぁー、ああぁ」
思わずだらしのない声が漏れてしまう。
完璧に磨き上げられた石材の床と壁、清潔な浴槽、声が反響するほどに高い天井。
鶺鴒館の広い浴室を清潔に保つために僕も毎日それなりの労力を費やしているけれど、こうして大きな湯船に浸かった瞬間に、その苦労も報われる気がするのである。
「ふんふーん、ふふんふんっ、ふふんふんっ、ふんっふーふーふんっ」
湯船の中で、なんとなく覚えていたフレーズを適当に口ずさみながら、ぼーっと天井を眺めていると、ふとある疑問が思い浮かぶ。もし生身の人間が僕と同じくらいの長髪を維持しなければならないとしたら、日々どれほどの手間と労力が必要になるのだろうか?
それこそ普通に活動しているだけでも、奔放に揺れ動く髪の毛が頭皮を引っ張って痛いだろうから、ゴムで縛るかピンで留めるかしないと日常生活もままならない。当然、抜け毛の量だってすごいはずである。日常的な頭皮ケアを怠れば、一回洗髪する度に百本近く髪が抜けて、あっという間に生え際が後退してしまうだろう。
それに比べると、僕は重度に機械化されたサイボーグであるから、どれだけ頭髪が長くても入念な手入れを行う必要がなくて本当に楽でいい。
手入れの簡単な体を造ってくださったアリス様に感謝しつつ、僕は鼻の下までお湯に浸かると静かに目を閉じて、大好なお風呂をしばし堪能するのだった。
「……さて、そろそろ出ないと」
時刻は深夜一時をまわろうとしていた。後ろ髪を引かれながら湯船から上がった僕は、ぺたぺたと歩いて浴室を後にする。常備されている清潔なタオルで体を拭くと、櫛でとかしながら髪を乾かし、ゆったりとしたパジャマに着替えて脱衣所を出た。
現在はバッド入りブラジャーを外しているので胸はペッタンコだけど、まあ今の鶺鴒館にはアリス様しかいないわけだから、こうして油断していても大丈夫。アリス様だってお風呂上りの服装にまで口出しはしてこない――はずである。
手狭ながらも愛おしい我が自室に戻ると、湿ったアイパッチを丁寧にぺりぺりと剥がしていく。就寝用の柔らかな眼帯を装着し、僕はベッドに倒れ込んだ。
「はー」
もちろん肉体的な疲労などないけれど、完全なロボットとは違い、サイボーグであるからこそ精神的な疲労は蓄積する。でもそれがまた、自分が生きていることの実感に繋がったりするのだ。人間としての境界が曖昧なサイボーグであるからこそ、疲労感という要素が不可欠なのだろう。たぶん、きっと。
「明日はパーティの準備があるし、早く起きないと」
さてと、何時に起きようか。
明日の予定を考えれば、朝五時くらいがベストかな?
「パーティ料理の献立は、ハンバーグ、こってり系のから揚げ、あと、それから……えっと」
なんだか急に眠くなってきた。
「…………」
こういう時はさっさと寝てしまうに限るので、最後の気力を振り絞って、いつも枕元に置いてある照明用のリモコンに手を伸ばそうとしていると――。
「小春」
ひかえめなノックの後に、くぐもった声が廊下側から聞こえてきた。
「アリス様?」
「開けて」
「は、はい!」
一度目は幻聴を疑ったけれど、二度目が聞こえた瞬間に眠気は吹き飛んだ。
ベッドから慌てて起き上がって、乱れた髪を整えもせずに部屋のドアを開けると、そこにはアリス様が佇んでいた。彼女はうつむき、なで肩で、ひどく気落ちしているのがひと目で理解できるほど、その体が普段よりも小さく見える。
「あの、どうされたんですか?」
「……小春」
「あ」
ぴとっと、アリス様が僕に張りつく。息づかいと体温がパジャマ越しに伝わってくる。
そのまま僕の胸に頭を乗せて彼女は呟いた。
「小春の胸がない」
「すみません」
「……固い」
「お風呂上りなのもそうですけど、これから寝ようと思っていたので、ブラジャーは外してあるんです」
「…………」
平らになった僕の胸をアリス様が恨めしそうに見つめている。
あの、そんなに見つめられても僕の胸は急に大きくなったりしませんからね?
「部屋に入ってもいい?」
それは身長差があるからこそ可能な、とても自然な上目遣いだった。
真横に切りそろえられた黒髪の奥で、宝石を思わせる瑠璃色の瞳が怪しく輝いている。
「えっと、……どうぞ」
基本的にアリス様からのお願いには逆らえない。
イエスマンではないけれどそれに限りなく近い。だから特に疑問を持たずに、ほとんど条件反射で彼女を部屋の中へと招き入れていた。
「そこに立って」
「ここですか?」
「そう」
指定された場所はベッドの手前だった。
「えい」
「――きゃっ」
そこに立った瞬間、僕は押し倒されてしまう。
油断していた。彼女はきっと力を入れる必要もなかったに違いない。
「とくに理由はない。ただなんとなく気分が乗ったから。それだけ」
「えーっと、アリス様?」
「とくに理由はないけれど、これから小春にお仕置きする」
「僕、お仕置きするんすか!?」
「そう」
「痛いのは嫌ですっ」
「大丈夫、最初は抱き枕の刑、それから甘噛みの刑だから」
「意味がわかりませんって!」
アリス様はスリッパを脱ぐと、こちらの訴えを無視してベッドに上がった。そして今度は、僕の上半身を枕元へと強引に引き倒して、そのまま背後から抱き着いた。彼女の抱き枕にされたまま時間だけがすぎていく。
アリス様は、その細い四肢でがっちりと僕に絡みつき、顔を背中に押し当てていた。
背中の一部が吐息で徐々に熱を持っていくのがわかる。
「小春。賽原基地で見ず知らずの男性士官に身体検査を強要された時、どうして抵抗しなかったの?」
「早く解放して欲しかったので。抵抗したらさらに大事になるかもしれませんでしたから」
「どこを触られたの?」
「……上半身と下半身です」
「具体的には?」
頬が熱くなるのを自覚しながら、それでも僕は答えた。
「……肩と脇とお腹、あと内股と、お尻です」
「ふーん」
冷たい声音だった。こんなにも不機嫌なアリス様を僕は知らない。
「アリス様、賽原基地での一件は大事にしないと約束してくださいましたよね?」
「約束は守っている。男性はもう釈放されているし、彼の上官ともすでに話を済ませてある。今回の一件は不幸な事故として内々に処理された」
「……そうですか」
「でもそれだと、私の気がおさまらない。だから小春に八つ当たりすることにした」
「ええっ!?」
「私はこの身体的欠陥から、あなたと永久に肉体的な関係を持つことができない。だからこそプラトニックな、学生の淡い初恋のような恋愛を心行くまで楽しみたかった」
「…………」
「それをあの男が踏みにじった。許可もなく小春の体に触れた。純粋な恋愛を楽しみたいからこそ、大切に残しておいた領域を蹂躙した。到底許せる行いではない。でも、あなたが不問にすると言っている以上は、こちらも手出しはしない」
ふーっと荒い鼻息が背中から聞こえてきた。それからアリス様は僕の後ろ髪をかき分けて、うなじに顔を押し当てると淡いキスを繰り返す。
「最後まで大切に残しておいたものを横から奪われるのが、私はなによりも嫌い」
「それはたしかに嫌ですけど、いったい僕はどんな八つ当たりをされるのでしょうか?」
「こういこと」
そう言いながら彼女は僕の首筋に息を吹きかけた。
「小春、どう?」
「えっと、くすぐったいです」
「……? まだたりないのかな?」
「――ふゃん」
今度は耳たぶを甘噛みされた。
自分の意思とは関係なく声帯が震えて変な声が漏れてしまう。
「小春、どう? なにか体調の変化はある?」
「いえ、特には……」
「おかしい」
このご主人様は、なにがしたいのだろうか。困惑するしかない僕を置き去りにしてひとり自分の世界に閉じこもり、科学者らしくあれでもないこれでもないと思考実験を繰り返しているみたいだった。
「…………」
彼女の意識が現実の世界に戻ってくるまでの数分間を僕は無言で耐え続けた。
明日は鶺鴒館でパーティを開くのだから今日は早く寝てしまいたいのだけど、どうやらその願いは叶いそうにない。
「小春、いくつか質問に答えて」
「はい」
「あなたは私に魅力を感じている?」
「え、魅力ですか?」
「正直に答えて」
「アリス様は僕にとって魅力的な女性です」
嘘ではない。本心からそう思っている。僕はアリス様のことを心から愛しているし、良好な関係をこれからも継続していきたいと考えている。
「そう。だったら、別にいい」
「?」
よくわからないけれど、アリス様は自分なりに納得できたらしい。先ほどまでのどこか刺々しい雰囲気が消えていた。それは喜ばしいことなんだけど、彼女の言う八つ当たりは、まだまだ終わりではなかったらしい。
「ちょっと、アリス様!?」
「…………」
背後から伸びてきた両腕が手際よくパジャマのボタンを外し、そのまま上着を下方向に引っ張りながら、するすると肩と背中を露出させていく。
「やめっ、やめてくださいっ」
「…………」
「怖いですから! 無言で服を脱がそうとしないでくださいよ! ああっ!」
瞬く間に上半身を剥かれてしまった僕は、上着をすべてはぎ取られる前に手元の布団を両腕で抱き寄せて前側を隠した。けれど、そんな抵抗は無意味だからやめてしまえと言わんばかりに、アリス様の両腕が布団の下までに潜り込んでくる。
「はむ」
「うひゃっ」
肌の温もりを確かめ合うように、アリス様は僕の体を抱きしめ、背中に頬ずりし、露出した肩口に思い切りかぶりついた。
鏡で見ないとわからないけど、確実に跡が残ると思う。
この体はナイフで斬りつけても傷さえつかないのに、そういう細かいところは人間の皮膚をよく再現している。
きっとアリス様は、例の男性が触れた部分にこうして印を残すことで情報を上書きしているのだろう。つまりこれは一種のマーキングであり、精神的な、所有権みたいなものを取り戻すための儀式なんだ。
「あふっ、うぅ……」
つつーっと、か細い指先が肌に触れながら、首筋から背中を通って、さらに腰部から臀部へとゆっくりと蛇行していく。
「あのアリス様、今日のところかこのくらいで勘弁していただけませんか?」
「だめ」
「で、でも! 明日はパーティなんです。どれほど小規模であっても準備にはそれなりの時間を必要としますし、それと並行して家事も平常通り行わなくてはいけません。だから――」
そろそろ寝かせてください、僕がそう言い終える前に。
「あっ」
再び肩口にしゃぶりつかれ、体の深いところから駆け上ってくるぞくぞくとした感覚に言葉を封じられた。
「だめ。これが罰だから。知らない男に自分の体を触らせた小春が悪い」
「そんなぁ」
「でも本当に嫌なら、今すぐこれをやめて私は自分の部屋に帰る」
「え?」
その言葉は僕にとっての冷や水だった。
意図せずして幸福な夢から覚めてしまったみたいに、突然物悲しい気持ちになる。
「あなたはさっきから、口では嫌だと言っている割に抵抗らしい抵抗をほとんどしていない。それはなぜ?」
「それは――」
図星というよりも、単純に考えてもいなかった。
どうして僕はこんなにもショックを受けているのだろう。
「……あ、う」
「…………」
なぜかは分からないけれど、ここでやめてしまったら僕は後でとても後悔するような気がした。
「や、やめないで、ください」
「わかった」
もしかするとそれは後戻りのできない選択だったのかもしれない。
でも不思議と後悔はない。
愛の形が人によってそれぞれ違うのは当然だけれど、愛情を表現する上でもっとも単純明快な手段のいくつかを永久に失ってしまった僕たちには、それに適した愛の表現方法というものが必要だったんだ。
それが少し一般的とは言えない変質的なものだったとしても、他人にどうこう言われる筋合いはないと思う。
「小春、大好き、愛してる」
「……アリス様」
「これから先なにがあっても、私たちはずっと一緒」
そうして夜のひと時が過ぎていく。
どうやら僕は、まだまだ眠れそうになかった。




