3 隻眼の白鳥
つい楽しくなってしまって、マコトとたわいない話を続けてしまった。
どうにか折を見て通話を切り上げると、戦勝パーティの招待状を手渡すという本来の目的を果たすべく、待ち合わせ場所へと大急ぎで向かった。
運よく周囲にひと気はない。自分の足音だけが反響する静かな通路を小走りで駆け抜けて、昇降機が密集する広場へとたどり着く。
軽やかにボタンを押してエレベーターの到着を待っていると、誰かの落とし物と思しき青色のボールペンを発見する。天井の通気口、その真下の物陰に転がっていたそれを拾い上げて、造花のインテリアが飾られたテーブルの上に置いた。
落とし物を拾ったら、本来は総務部や憲兵隊の詰め所なんかに届けるべきなんだろうけど、安価なボールペンにそこまでの労力をかけたくはない。
どうか持ち主さんがこれを発見できますように。そう静かにお祈りしてその場を離れると、ちょうど到着したエレベーターに両肩を丸めてそそくさと乗り込んだ。
「そういえばマコトって、僕の本当の性別をまだ知らなかったような……」
上昇するエレベーター内で、今さらそんな事実に気づいてしまった僕はひとり頭を抱えるしかなかった。
「どうしよう」
そうだよ。思い返してみると、マコトにはまだ何も話していない。
おそらく彼女は、賽原市の廃工場で最初に出会った時からずっと僕の性別について誤解している可能性が高い。というか自分の上官が、偽乳ブラジャーと女性用パンツを日常的に着用する真性の女装野郎だなんて想像できるはずもないのだから、僕を正真正銘の女性だと信じ切っているに違いない。
本当の性別を知った時、はたしてマコトはどんな反応をするだろうか。
――うわ、最低。きもちわる。
残酷な幻聴が聞こえる。
けれど、当然の反応だ。
どんな罵声を浴びせかけられたとしても、それは甘んじて受け入れるべきだと思う。
相手の気持ちを最初に裏切ったのはこちらだ。なにか仕方のない事情があるわけでもなく、故意に性別を偽るのは、それだけ罪深い行いなのだから。
「むむむ」
しかし少しだけ反論させてもらえるならば、僕は機会に恵まれなかったのだ。
以前、食堂で昼食を共にした時は、作戦が近かったから、自分は女装しているだけで実際の性別は男だなんて言い出せるタイミングではなかった。
廃工場で彼女と出会って以降、世界滅亡の危機と、それに付随した衝撃的な出来事の連続で精神的な余裕が皆無だったせいもあって、ずるずると先延ばしにしまったのである。
責任は、確かにこちらにある。
でも全部が全部、僕の責任かと言えばそれは違うはずだ。この異常な状況を作り出した責任はひとえに、当時ほとんどの記憶を失っていて右も左も分からない有様だった僕に、その個人的な執着心から女装を強要したアリス様にこそあるのではないだろうか?
そうだ。そうに違いない! 僕は悪くない! 僕は悪くないっ!
まもなくエレベーターが地上一階に到着した。
小さな電子音が鳴り、ドアが滑らかに開かれる。
「――うおおおおお!?」
「あ、すいません」
おっと、まずい。
うつ向いたままながながと現実逃避していたせいで、エレベーターを降りた途端に、不注意にも誰かとぶつかって弾き飛ばしてしまった。靴のつま先しか映していなかった視界を慌てて持ち上げると、前方で誰かが尻餅をついている。
衝突した相手は二十代の男性でアジア人、それも国際色豊かな統合軍基地では珍しい日本人だった。
階級は少尉で、高身長かつ顔立ちは眉目秀麗、いかにも正義感が強そうな青年である。
軍服の胸元を彩る略綬の少なさからすると、士官学校を卒業したばかりなのかもしれない。
「おい、ちょっと待て」
「きゃっ」
とにかく急いでいたので、お辞儀で謝罪を済ませようとすると、突如として手を掴まれて強引に引き寄せられてしまう。その拍子に思わず声高な悲鳴を上げてしまった僕は、またひとつ大切なものを失ってしまった気がしてなんだか無性に泣きたくなった。
「貴様っ、部外者がどうやって入り込んだ! 賽原基地は今、厳重な警備態勢が敷かれているんだぞ!」
ひぇっ!
なぜか男性は異様なまでに殺気立っていた。
もしかして彼は、なにかとんでもない勘違いをしているのではないだろうか。
「答えろっ!」
予感は正しかった。彼は露骨にこちらを警戒しており、それはまるで危険思想のテロリストに対する尋問を彷彿とさせた。
「いえあの、自分は、ここに所属している人間です」
「そうか。なら階級と所属は?」
「階級は大佐。所属は賽原基地司令部。これ以上の詳細は一応機密なので明かせません」
「お前が大佐で、しかも機密だとっ!? ……ふざけるなっ!」
あ、はい。自分でもそう思います。でも本当なんです。信じてください。
「いったいどこの世界に、そのハレンチな格好で、統合軍の最重要拠点の内部をうろつく軍人がいるって言うんだ! 嘘をつくならもっとマシな嘘をつけ!」
そうですね、ごもっともです。
というか賽原基地って、統合軍の最重要拠点だったんですね。知らなかったです。
「…………」
「なんとか言え!」
これはどうしたものか。
とりあえず反論できる要素は一切なかったが、ここで口を閉ざすわけにはいかなかった。
声を上げない者は居ない者として扱われるのが社会の常であるならば、反論しなければ相手の主張を無条件で認めるはめになる。
それにこれは尊厳の問題だ。
僕は今、間違いなく不当な扱いを受けている。
そうした扱いを受けるのが僕は大っ嫌いなのである。
「それでも本当なんですって。というか、いつまで手を握っているつもりですか、離してくださいっ!」
だからどうしても我慢できずに、その手を強引に振りほどいてしまったのだ。
つまり僕は悪くない。
「くっ!? なんて腕力だ。その強靭な体幹といい、やはり貴様サイボーグだなっ!?」
「へ?」
「これより身体検査を行う。壁に手をついて後ろを向け!」
「あ、あのちょっと」
「後ろを向けッ! 壁に両手をつけろッ!」
ほんの少し力を入れて、掴まれていた手を引きはがした途端にこれである。
仕方がないので言われた通りに後ろを向いて両手を壁につけると、大きくて無骨な手が僕の胸や脇といった上半身を遠慮容赦なくまさぐり始めた。
「ぎゃあああっ」
僕は別に女装することで男性の気を引こうとしているわけじゃないし、見ず知らずの他人に身体検査を強要されて喜ぶような人間でもない。
だからこそ、こんなのは耐えられない。
心の奥底で眠る軍用サイボーグとしての闘争本能が、この危機的状況に呼応して覚醒しそうになるのを必死になって抑え込む。その抵抗をやめた瞬間、僕はこの人を殺めてしまうという確かな予感があった。
「大人しくしろッ! 両足を肩幅よりも大きく開けッ!」
革靴のつま先で両足を乱暴に押し広げられた。
男の手が下半身へと向かっていく。
「いやああ! 助けてアリス様っ!」
スカートの上から臀部を鷲掴みにされた時、理性と本能の板挟みによって身動きも取れなくなっていた僕は、ただただ叫び声を上げるしかなかった。
目の前が真っ暗になりつつあったその時、遠くから足音と叫び声が聞こえてくる。
「――とりゃーっ!」
それは重心の低い見事なタックルだった。
壁に両手をついていたせいで顔が見えずとも、あの快活な少年を思わせる風体を見間違えるはずがない。
マコトが助けに来てくれたんだ。
「くっ、貴様っ」
男性は彼女の突進によって弾き飛ばされはしたが、それでも転倒せず持ちこたえているところを見るに、相当体を鍛えているか、もしくは彼自身もサイボーグなのかもしれない。
それを認識したマコトは、すかさず自分の体を盾にして男性の前に立ちはだかった。
「――おうおうおうっ! 統合軍中尉であるこの俺に向かって、少尉風情が生意気な口を利くじゃねえかっ! というかなぁ、このお方をどなたと心得るっ! お前だって軍人の端くれなら、〝隻眼の白鳥〟っていう異名くらいは知ってんじゃねぇのか!?」
なにそれ、知らない。それって僕のこと?
え、初耳なんだけど。
「隻眼の白鳥……!? まさか、そんな……」
変化はあまりにも劇的だった。両目を限界まで見開いた男性は、こちらの顔を凝視して恐れおののいている。遠い昔、まだ世界が平和だった時代のテレビ放送で、似たようなシーンを見た気がした。古い時代劇だっただろうか。たしかそれを見たのは、病院の待合室に設置された分厚い黒いテレビで――。ダメだ、これ以上は思い出せない。
「この間抜け! 今さら気づいたのか! そうだ。先の第七次討伐作戦を見事成功へと導き、人類を滅亡の危機から救った真の救世主にして、人類統合軍賽原基地司令部直属の機密部隊、戦略機動部隊〝ハミングバード〟の隊長を務める雪風小春大佐とはこの人のことだ! 恐れ多くも全人類を救った英雄に対して狼藉を働くとは不届き千万っ! 頭が高い! 控えぃ、控えおろ!」
「ありえない。非常識だ。どうして、戦後初の将官級会議が間近に迫ったこのタイミングで、よりにもよってあの英雄が、メイドなんかのコスプレをしているんだ……」
「ちなみに、もう通報済みだから釈明は取り調べを受けながらしてくれ。おーい、軍警察の皆さん! こっちですよーっ!」
まもなく駆けつけた軍警察の屈強な職員たちは、ぐったりとうなだれた男性を取り押さえて拘束し、そのまま彼をどこかへと連行していった。一連の展開が早すぎて、僕は目を白黒させながら呆然と立ち尽くしているしかなかった。
「小春、小春!」
「…………」
「大丈夫か?」
「ええと、はい」
「おいおい、本当に大丈夫なのか? 顔色が悪いぞ。とにかくここで立ち話を続けるのもあれだし場所を移そう」
僕はマコトに手を引かれ、待ち合わせ場所に指定していた食堂へと向かうのだった。




