2 基地とメイドとまどろみ
賽原基地へは、裏手のガレージにある黒いセダンで向かうことにした。
この車は統合軍から買い上げたアリス様の私物で、外見上は普通の乗用車であっても随所に分厚い装甲が仕込まれ、足回りも強化されており、ほぼ軍用車と言って差し支えない改造が施されている。
今はこれを使って、僕自身がアリス様の送迎を行っているのである。
少し前までは、送迎に装甲輸送車を使用していたのだけど、快適さの欠片もない軍用車での送り迎えは中々に辛かったようで、アリス様にお願いされて、僕が専属運転手を務めることになったのだ。
いちじは、曲がりなりにも統合軍の大佐――つまり僕が、司令官の送迎を行うのは立場上よろしくないと、あれこれ懸念の声が基地内で上がっていたみたいだけど、アリス様は一切聞く耳を持たなかったそうである。
「いつか、この街も元通りになる日が来るのかな……」
旧市街地を横切る簡単に補修されただけの道路を安全運転で走りながら、僕は一人呟いた。
視界の左右にどこまでも広がる瓦礫の山と、倒壊したいくつもの建物を最初に目にした時は言葉では言い表せられないほどの衝撃を受けたものである。
けれど慣れとは恐ろしいもので、今はもう何も感じなくなりつつあった。
どんなに非日常的な光景も、時間の経過と共に、ありきたりな日常へと変わってしまうものなのだろう。
「パーティ料理、なに作ろう。茶色すぎてもあれだし、やっぱり彩りが大切だよなー」
透き通る青空の下をのんびりと走り続けること十数分。
コンクリート壁と灰色のフェンスで厳重に固められた、人類統合軍賽原基地の正面ゲートが前方に現れる。
僕はダッシュボードから取り出したIDカードを片手に持ちながら、ゆっくりとゲートへ近づいていく。警備は非常に厳重で、常に武装した戦闘員が配置されている。進入を妨げる開閉式のバーの前で停車すると、厳めしい銃器を携行した数名の警備兵が駆け寄ってきた。
窓ガラスを下げて、相手から求められる前にIDカードを提示する。
数秒後。
彼らが背筋を正して一糸乱れぬ敬礼を行うのと同時に、ゲートの通過が許可された。
別基地所属の高級将校を乗せた車列であっても、こんなに早く許可が下りたりはしない。
これはもう、ほとんど顔パスと言っても過言ではないだろう。
「お疲れ様です」
「雪風大佐っ! 恐縮であります!」
直立不動のまま敬礼を続ける警備兵たちに対して答礼してから、再びゆっくりと車を走らせる。
僕は今、統合軍の軍服ではなく来栖野家のメイド服を着用しているのだけど、彼らは誰一人として不審に思わなかったようだ。
それで警備上の問題はないのだろうかと疑問に思う反面、今のご時世メイド服を着用している人間なんて僕くらいしか居ないだろうから、ある意味では問題ないのかもしれない。
「軍服に着替えなくても別にいいか。更衣室まで行くのも面倒だし」
車を広大な駐車場の一角に停めると、そのままの服装で施設の地下へ、極東最大の軍事拠点である人類統合軍賽原基地の中枢に、メイド服姿のまま足を踏み入れた。
基地内を闇雲に探し回っても日が暮れるだけだけど、マコトの所在については大まかな検討がついているので足取りに迷いはない。
青白い照明に照らされた窓のない通路は、病院さながらに空調された重苦しい空気で満たされていた。そんな不愛想な空間を目的地に向かって延々と歩いていると、かなりの頻度で人種や国籍の異なった様々な人たちとすれ違う。
「こんにちは!」
彼らは全員、統合軍に所属する軍人であることに違いはないのだけど、廊下で出会った直後の反応は大きく二つに分けられる。
「こんにちは、大佐殿」
「お元気ですか、雪風隊長」
という感じで、場違いなメイド服姿の僕に対しても、朗らかな笑顔で挨拶に応じてくれる人たちがいる一方で。
「……!」
「!?」
まるで珍妙な宇宙人にでも遭遇したような表情でフリーズしたり、露骨に顔をしかめたり、聞きなれない言語で同行者とあれこれ囁き合う人たちもいる。
両者の違いはきっと、見慣れているか、見慣れていないかの違いだろう。
つまり前者がこの賽原基地に所属している人たちで、後者はおそらく別の基地から遠路はるばるやってきた人たちだ。
「……なんでだろう、今日は見かけない人が多いな」
今日に限って、そうしたお客さんが多い理由を僕は把握していなかった。
周囲の話し声を拾い集めてみると、どうやら軍の偉い人たちが列席する将官級会議なるものが近く開かれるらしい。きっとその調整や準備のために、人々が世界各地の統合軍基地を飛び回っているのだろう。
後でアリス様に詳しく聞いておくことにしよう。
「まずい。軍服に着替えておくべきだったかな」
面識が一切ない外部の人々にまで自分の女装姿を晒しているのかと思うと、なんだか無性に恥ずかしくなってくる。
こちらとしても世界平和のいしづえである統合軍基地の内部で、メイド服の着用を続けるのはいかがなものかと思うけど。我らの司令官である来栖野上級大将は、わざわざ僕個人に対して日常的なメイド服の着用を厳命している。
せめて階級がもう少し上の将官だったらならまだしも、機密性の高い特殊部隊を率いているだけの一介の左官――大佐にすぎない僕個人では、強大な権力の前に、ただ黙って膝を折るしかないのである。
「……!」
そんな苦しい言い訳を考えながら、肩をすぼめてぽてぽてと通路の隅っこを歩いていると、いかにも軍人然とした冷たい顔立ちの女性将校が前方から現れた。
階級は准将。
歴戦の証である略綬で胸元を飾り立て、威風堂々肩で風を切って歩いている。
「……はあ」
そんな女性から、すれ違いざまにこの世の終わりを嘆くような特大のため息を吐かれた時、僕は正気に戻った。
あ、ダメだ。
やっぱりダメだ。めちゃくちゃ恥ずかしい。
全裸よりは……いや、全裸のほうがまし、と思えるくらいには恥ずかしいかもしれない。
けれど今の僕にできることは、車内に軍服を置いてきてしまった過去の自分を恨みながら、羞恥に身悶えする以外になかった。
うう、帰りたい。鶺鴒館に帰りたいよぉー。
そうこうしているうちにたどり着いたのは、賽原基地の地下第二層、とある区画に存在する訓練施設だった。
「あのー」
「はい?」
「こ、こんにちは」
「あら、雪風大佐。こんにちは」
ここは、重度に機械化された強靭な体を持つ兵士たち、ようするに重機械化歩兵の皆さんが主体的に利用する仮想訓練施設で、小さく区切られた個室の中で現実世界での意識を手放し、非常にリアルな仮想空間において千差万別の戦闘訓練を行うことができる。
ちなみに僕の率いる戦略機動部隊には、所属隊員だけが利用可能な専用の訓練施設があるのだけど、マコトは滅多にそこを使用せず、ここのような一般向けの施設で重機械化歩兵部隊の戦闘員に混じりながら、時には共同で訓練しているみたいである。
そのほうが、なにかといい経験になるのだそうだ。
「有坂中尉は来ていますか?」
「少々お待ちください。……有坂真中尉でしたら、今日は午前中で訓練を切り上げられていますね。午後からはお見えになっていません」
「え、そうですか……。ありがとうございます」
だから今日もここを利用しているに違いないと当てにしていたのだけど、そうした目論見は受付に座っていた事務員さんの一言であっさりと潰えてしまった。
「…………」
なんだかもう面倒になってしまったので、マコトに対して直接通話を試みることにした。
いかに特殊仕様であろうとも僕だってサイボーグの端くれだ。
重度に機械化された人間は、アリス様のような最初期の実験機体を例外とすれば、外部端末を使わずとも当たり前のように無線での通話が可能なのだから、最初からこうしていればよかったのである。
でもこの義体間の無線通話って、他人のプライベートを土足で踏み荒らしている気がして、じつはあんまり好きな機能じゃない。いろいろとダイレクトすぎて日常使いに抵抗があるんだけど、これって古い考えなのかな。
「マコト、聞こえますか?」
《――んあっ!?》
早速繋がったと思ったら、なんとも彼女らしからぬ可愛らしい声が返ってきた。
はて、寝ていたのだろか?
《ああー》
「…………」
しばらく待っていると、いかにも眠たそうに顔をしわくちゃにしたマコトが、僕の視界内に鮮明な映像として表示された。
《寝てない、寝てないぞっ》
「まだなにも言ってませんよ?」
《すまん、じつは寝てた》
「知ってます」
《まずは言い訳させてくれ》
「…………」
夕食後のデザートが用意されていなかった時のアリス様みたいな表情で、こちらが無言を貫いていると、額に大粒の汗を浮かべたマコトは、普段よりもずいぶんと饒舌になった。
《なんか今日はやけにスコアがよかったから訓練を早めに切り上げて、いつもの食堂に昼食を食べにいったんだよ。そうしたら配膳の……ほら、あの筋肉ムキムキの黒人のおっちゃんが、サービスだって言って、頼んでもないのにC定食を山盛りで出してきてさ》
「はぁ」
《もったいなくて残すわけにもいかないから、必死になって全部食べ切ったら猛烈に眠くなってきて、これじゃ訓練にならないから宿舎で仮眠を取ろうとしたんだけど、一時間くらいで起きる予定だったのに、起床アラームをセットし忘れて、うっかり熟睡しちゃったんだ。小春が起こしてくれなかったら、このまま夜になっていたかもな》
はははっと、マコトは朗らかに笑っている。
そのふやけた顔を見ていると、感情の水面がふつふつと沸き立ってくる。
どうやら彼女は、賽原基地での軍人生活を心ゆくまで満喫しているようだ。
「わかりました。これからどこかで待ち合わせしませんか?」
《小春、怒ってる?》
「怒ってません」
《本当に?》
「怒ってませんよ。休日でもないのに、職務時間中の自分の部下が呑気に昼寝していたとしても気にしません。僕はそこまで模範的な軍人ではありませんから」
《うそだ、絶対怒ってるだろ》
「本当に怒ってませんって。とにかくマコト宛に届け物があるので、どこかで直接会えませんか?」
《俺に届け物? なんだかよくわかんないけど、とりあえず了解。待ち合わせ場所は行きつけの食堂でいいか? 小春も行ったことあるだろ?》
行きつけの食堂? ああ、あそこか。
……あれ? ここからだとかなり距離があるぞ?
どうやら僕は、このメイド服を着たままの姿で、お客さんでいっぱいの基地内部をもう一度ぐるりと練り歩かなければならないようだ。はぁー、帰りたい。
「マコトと一緒に定食を食べた場所ですよね?」
《そうそう。ふぁあー、んんー》
現在地から遠く離れた待ち合わせ場所の食堂まで、いかにすれば最短距離でたどり着けるのかを脳内でシミュレートしている間も、マコトはあくびを何度も噛み殺しながら、眠そうな眼をぐりぐりとこすっていた。
このっ! このっ! まったくこいつは! こっちの気も知らずにっ!
自分でも子供っぽい感情だとは思うけど、その眠気を強引に吹き飛ばしてやらなければ気が済まなかった。
「わかりました。ちょっと遠いですけど、がんばってすぐに向かいますね」
《はいよ。……なあ小春、届け物っていったいなんだ? まったく心当たりがないんだけど》
「秘密です。後のお楽しみということで」
《ちぇー、けち》
「まあまあそう言わずに、ところでマコト」
《ん?》
「熟睡していたみたいですし、そろそろお腹が空いてきたのではないですか? せっかくですから、今度はC定食を超特盛で頼んでみましょうよ。超特盛は、大盛の五割増しの量があると聞いたので、一度にどれほどの固形物を胃袋に詰め込めるのか、この機会に限界まで挑戦してみてはどうですか?」
《やっぱり怒ってるじゃんっ!》




