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滅びゆく世界を救うたった一つの方法  作者: 細川 晃
第1章 それでも僕は男なんだ
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4 映らないテレビ

 

 午後九時。アリス様ふうに言うならば、二一〇〇(ふたひとまるまる)


 窓の外は真っ暗で、満天の星空の下、物音一つしない静かな夜闇が広がっている。


 僕とアリス様は、もう甘いものは控えなければいけない時間帯だと知りつつも、ぽりぽりとクッキーをかじり、たっぷりとハチミツを垂らしたホットミルクを少しずつ飲みながら、一階の居間――高価なマホガニーを贅沢に用いた重厚な色調のリビングにて、のんびりと寛いでいた。


「前からずっと気になっていたんですけど」

「?」


 僕のちょうど正面、脚の短いテーブルをはさんだ真向かいのソファにちょこんと座っているアリス様は、すでに入浴を済ませていて、今はラフなパジャマ姿だった。


 彼女は例の甘ったるい板チョコをたっぷりと練り込んだクッキーを両手で持ち、リスみたいにかじりついては口を小刻みに動かしている。


「アリス様って朝からよく出かけますけど、どこに行って、なにをされているのですか?」


「突然、どうしたの?」


「別に深い理由はないです。本当ですよ? 純粋に気になっているだけで他意はありません」


「…………」

 アリス様は食べかけのクッキーを手元の青い小皿に置くと、こちらを静かに凝視した。


 僕は思わずたじろいでしまう。


 けれど、ここで引くつもりはなかったので、ぐっと上半身を前のめりに突き出した。


「どうしても言えないというのであれば、わかりました。僕は二度と、この件に関して尋ねないと誓います。アリス様のお世話だって、これまで以上に一生懸命がんばります。ただそのかわり、せめてテレビくらいは映るようにしてくださいよ」


 僕は屋根裏部屋の掃除中に偶然発見したテレビのリモコンを取り出すと、すかさずボタンを押した。しかし、壁際に設置された大型のテレビモニターはなにも映さない。


 正常に動作するテレビはしっかりと点灯しているのだが、画面にエラー表示が立ち上がっている。


 どうやら電波を正常に受信できないらしい。


 ネット回線にも接続されていないようだ。


「外との繋がりを完全に断たれてしまうと、さすがに堪えます。記憶喪失のせいで自分が今、日本のどこにいるのかさえわからないんですよ?」


 女装に関するあれこれを除外すれば、僕はおおむね鶺鴒館での生活に満足している。


 たとえ遠出を禁止され、鶺鴒館に半分軟禁されているような現在の生活が今後一生続くのだとしても、それは揺るぎない。もともと、金銭に関してはまったく執着がないし、特別なにかやりたいことがあるわけでもない。


 風雨を凌げて、毎日ご飯をお腹いっぱい食べられるのであれば、細かな疑問などあまり気にならなかった。


「……ふぅ」


 アリス様は観念したように小さくため息をつくと、クッキーの残りを口の中に入れ、ゆっくりと味わってからホットミルクと一緒に飲み込んだ。


「小春は、まだ自分自身についてなにも思い出せていない?」

「はい、まだなにも」


「そう。……じゃあ、さっきの質問に答える。小春の意思に関係なく、私は近いうちにあなたに対してすべてを明かすことになると思う。けれどそれは今じゃない。だから今日は、答えられる範囲内で回答する。もちろんその回答も、すべてが嘘偽りなく正確というわけではない。それでもいい?」


「わかりました、それで構いません」


 驚いた。アリス様は、なにかと秘密主義なところがある。


 だから最初から半分諦めていたのに、これはいったいどういう心境の変化なのだろう。


「…………」

 それにしても、こちらの意思に関係なくすべてを明かす、か。


 あの口ぶりからすると、アリス様は記憶を失う以前の僕を知っているのだろうか? 


 いや、それはないか。そうであったなら、僕を女性だと勘違いしたまま、来栖野家のメイドとして二カ月間も働かせるわけがない。


「まず前提知識として私たちの現在地を説明しておく」

「……はい」


「この鶺鴒館は、日本の神奈川県の賽原市にある。賽原市は、横浜市の臨海部から西におよそ三十キロの地点。神奈川県の中央部に位置している」


「……神奈川、賽原市」


「賽原市の市街地には圏央道――首都圏中央連絡自動車道が縦に走っていて、圏央道とそうように三笠川という一級河川が流れている。圏央道と河川によって賽原市は東西に隔てられ、街の東側を新町、西側を旧町と呼称する。鶺鴒館が存在するのは北西部にある山の中腹。山間部を縫うように道路が整備されていて、正門から山道を道なりに下ると賽原市西部のすみっこ、旧町の田園地帯に出る」


「圏央道……、河川……」

「ここまでは問題ない?」


 そうしてようやく口を閉ざしたアリス様は、困惑を隠せない僕を横目に再びクッキーをつまんでいた。もぐもぐと無表情で口を動かすたびに、口元に付着した小さな破片がぽろぽろと落ちていく。


「た、たぶん大丈夫です」

「それなら続ける」


「あの、アリス様。お口のまわりが汚れています」

「むぅ?」

「動かないでくださいね」


 すっと立ち上がると、清潔な白いハンカチをポケットから取り出し、テーブルを迂回しつつ素早く近寄った。その口元を拭う際も、アリス様は身じろぎ一つせずされるがままだった。


「はい、綺麗になりました」

「もう平気?」

 僕は頷き、行動順序を正確になぞって再びソファに腰を下ろす。


「すみません、話を遮ってしまって」

「かまわない。小春の質問は、たしか私の仕事に関するものだったと思うけど」


「そうです」

「私の仕事は多岐に渡っていて一言で説明するのが難しい。けれど最近の主な仕事は、あるものの研究と開発」


「アリス様は、研究者なのですか?」


「専門は生体工学、エネルギー、ダイヤモンド、人工知能。その他にも量子関係をいくつか。ようするに手広くやっている。賽原市の東側――新町に、設備の整った大規模な研究施設があって、そこを統括する組織のトップを私が務めている」


 アリス様が、大規模な組織のトップ……。


「つまり、アリス様が出勤する時に着ている紺色の服は、その組織の制服で、同じ服を着ている運転手のジョージさんも、組織に所属している人間ということですか?」


「彼は大勢いる部下の中でも抜群に優秀だから、私の直属として働いてもらっている」 

「……なるほど」


 アリス様の回答は、簡単に納得できるかは別にして、少なくともわざとデタラメな情報を伝えて、はぐらかしているわけではないのは理解できた。彼女は常に僕を気遣いながら、言葉を丁寧に選んで口にしている様子だった。


「小春、他に質問は?」

「質問してもいいのですか?」


「かまわない。ただし、まだ答えられないことがらも多い」


「わかりました。じゃあ早速質問です。今朝も言いましたけど、新鮮な野菜とか、生鮮食品が冷蔵庫にほとんどないんです。お肉も野菜もみんな凍らせたものばかりで。補充はいつ頃になりそうですか?」


「…………」


 新鮮な食材が補充された時の献立を思い浮かべながら尋ねてみたものの、アリス様は無言で首を横に振るばかりだった。


 どうやら答えられないらしい。


 僕は気持ちを切り替えて、次の質問に移った。


「えーっと、外出の一切を禁止にする理由はなんですか? 僕は別に重い病気を患っているわけではないですし、日光に特別弱い体質というわけでもありません。短時間でもいいんです。街に買い物へ行きたいのですけど」


「…………」


 これもダメか。アリス様はまたしても無言で首を横に振っている。それでもめげずに質問を続けようとしたが、おそらく食料品関連や、僕自身に直接関わる物事はなにも教えてはくれないのだろう。そこで質問の切り口を変えてみることにした。


「今年って西暦何年ですか?」


「…………」


「アリス様って、お幾つなのでしょうか?」

「何歳だと思う?」

「え……。その、若く見えます、とても」


 うぅ、質問の選択を間違えてしまった。たとえ十代前半にしか見えなくても、女性に年齢を尋ねるべきではなかったのかもしれない。もしかして怒っているだろうか?


「そう」


 どうやら心配は杞憂だったらしい。僕が若く見えると答えた直後、心なしかアリス様の表情がやわらいだ。よくわからないけれど、機嫌を損ねていないようで安心するばかりだ。


「ただ小春が想像しているよりも、おそらく私は年上だと思う。こんな外見だけど、私はもうお酒が飲める年齢だから」


「そうなんですかっ!?」


 驚きのあまり、僕は思わず叫んでいた。お酒が飲めるってことは、つまり最低でも二十歳は過ぎているわけで……。いやいや、嘘でしょ!?


 アリス様は、とても小柄で体の線も細く、とびきり幼くは見えるけど、それにしたって限度ってものがある。


 今年小学校を卒業したばかりの女子中学生が、私はもう成人しているからお酒が飲める、と言い張るくらいには無理があった。


「意外?」

「意外というか、信じられないというか。アリス様が去年までランドセルを背負っていたとしても、僕は納得しちゃいますよ」


「……ランドセル?」

 やらかした。あまりにも、うかつだった。その低い声音に冷や汗が噴き出た。


「えっ!? あ、違います! 言葉のアヤですよっ!? 若く見るという意味で、子供っぽく見えるという意味では決してありませんっ!」


「ふーん」


 アリス様はすっかり冷めてしまったホットミルクをズビビっと飲み干しながら、ものすごく不機嫌そうにこちらを睨んでいる。


「あの、ホットミルクのおかわりはいかがですか?」

「もらう」

「はい、ただいまっ」


 僕は弾かれたように席を立ち、キッチンへと一直線に走った。


 結局その後、斜めに傾いたアリス様の機嫌は、一杯のホットミルクと数枚のクッキーで元通りになったが、もう彼女に質問するための時間は残されていなかった。


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