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エピローグ

 



 二つ目のコアを破壊したことで、今度こそ旧北米大陸を蹂躙していた最後のアルバトロスとそれに帰属するキメラの個体群は例外なく死滅した。


 二〇〇〇年以降、長年に渡って地球の陸地を食い荒らし、人類を滅亡の瀬戸際まで追い詰めた別世界からの侵略者に対し、僕たちは勝利したのである。


 けれど、以前までの平穏な生活に戻るためには、もうしばらくの辛抱が必要だった。


 作戦の成功によって一部の機密情報が解禁され、戦略機動部隊〝ハミングバード〟の功績が統合軍全体に広く詳細に知られるようになり、僕は戦死した同じ隊の仲間たちと共に、人類を救った英雄として祭り上げられていったのである。


 まだ義体の修理も終わらないうちから、数十種類の言語で記された何百通もの感謝の手紙と煌びやかな勲章の山、それから統合軍上層部から絶え間のない賛辞を受け、階級も二つ上がって少佐から大佐へと昇進した。


 僕の昇進と合わせて、マコトの階級も一つ上がって中尉へ。


 当然、アリス様の昇格も決定した。戦略機動部隊の創設、討伐作戦を発案、人類を勝利へと導いた多大な功績により、僕と同じく二階級の昇進となるらしい。


 中将から大将へ、後日そこからさらに一つ上がって、近く上級大将になるそうだ。


 統合軍の上級大将ともなれば、それこそ次の役職は選び放題で、統合軍極東方面軍の全部隊三十万人を統括する方面軍司令官のポストにすらも手が届く。


 ところがアリス様は、賽原基地のいち司令官であり続けることに固執し、統合軍上層部からのいかなる申し出も断ってしまったらしい。


 後日理由を尋ねてみると、彼女は濃厚なデミグラスソースをたっぷりとかけたハンバーグを口いっぱいに頬張りながら、小春と一緒に居られる時間が減るから、と無表情に呟いた。


 説明は、もうそれだけで十分だった。


 気恥ずかしかったけれど、温かな気持ちで胸の奥がいっぱいになる。


 第七次討伐作戦を終えて、ようやく平穏な日常が戻ってきたのだと、僕が実感することのできた瞬間だった。




 二〇二三年・五月二十五日。

 日が沈み。そしてまた日が昇り、新しい一日が始まる。


「よかった。今日は晴れてる」

 ぽつりと呟き、僕は座っていた椅子から立ち上がる。


 鶺鴒館一階の片隅のお世辞にも広いとは言い難い自室の窓を開け、朝の静謐な空気を室内に取り入れた。昨日は午前中から曇りで、午後からは雨だったが、今日は一転して見事なまでの快晴だった。


 今朝はまた一段と空気が澄んでいるように感じられてとても清々しい。


 昨夜のうちに大気中のほこりが雨によって洗い流されたからだろうか。


 ぼんやりとそんなことを考えながら、一つひとつ身支度を済ませていく。


 カーテンを閉めてパジャマを脱ぐと、いそいそと女性用の下着類を身に着け、昨夜のうちにクローゼットから取り出して、ハンガーに吊るしておいた真新しい来栖野家のメイド服に袖を通しエプロンを結べば、朝の身支度はあらかた完了する。


 あとは〝眼帯〟を選ぶだけだ。


 机の上に置かれた木製のケースをそっと開くと、そこには複数の眼帯が整然と並んでいた。


 花柄模様。

 水玉模様。

 幾何学模様。

 それから無地の黒革。


 先日アリス様から支給された数多くの眼帯は、黒色や白色、茶色といった無地のものを除けば、そのどれもが色彩豊かにデザインされていた。


「決めた。これにしよう」

 それらの中から今日の気分に合うものを選び取り、鏡の前で自分の右目を覆い隠す。


「…………」

 そっと眼帯に触れると、指先がわずかに沈んだ。


 僕の右目は、今も空っぽのままだった。


 原因はもちろん、第七次討伐作戦での被弾だ。作戦中に受けたキメラの砲弾が体内で無数の金属片となって飛散し、それらが脳核を傷つけたのである。


 アリス様が自ら執刀したという緊急手術によって、その多くは摘出されたが、義体における最大の弱点――極めてデリケートな脳核に深く食い込んだ金属片だけは、どうしても手の施しようがなかったらしい。


 強引に摘出しようとして、脳核の装甲を貫いた金属片が生体脳を傷つければ、最悪の場合、僕の人格と記憶は跡形もなく消滅する。残った金属片の摘出が必須となる右目の修復は、どうしても諦めなければならなかったそうだ。


 ただ右目がなくても、義体に搭載された各種センサーが多角的にサポートしてくれるおかげで、日常生活を送る上での不自由は特に感じない。


 なのでこの右目に関しては、もうほとんど気にしていなかった。


「――よし!」

 日課の自己暗示を忘れずに行ってから僕は自室を出た。


 ぱたぱたと廊下を足早に歩きながら、視界内に表示した時計に目を配る。


 現在の時刻は、午前六時半。


 今日は木曜日、平日だ。


 普段のアリス様なら、もうとっくに起きられている時間帯なので、体調が悪いのだろうかと少し心配になる。もしかして昨日は寝るのが遅かったのだろうか? 


「失礼します」

「…………」


 寝室のドアをノックしてから入ると、室内はカーテンが閉め切られていて薄暗かった。


 僕は声をかけながら、目の前の大きなベッドへと歩み寄っていく。


「おはようございます、アリス様」

「おはよ」


 どうやら起きてはいるようだ。薄手の掛け布団から、ひょっこりと顔だけを出している。


 僕はさらに近寄って彼女のベッドの側で膝を折ると、囁くように語りかけた。


「起きなくていいのですか?」


「うん。今日は、ゆっくりしたいから休む。……心配しないで、別に体調が悪いわけではないから」


 僕は慌てて顔を伏せる。感情が表に出ていたみたいだ。


「ねえ、小春」

「なんですか?」

「小春は最近、ちゃんと眠れてる?」

「…………」


 図星だった。どうしてわかったのだろう。別に隠しているわけではなかったし、本当は今日か明日にでもきちんと相談するつもりだったので、正直に打ち明けることにした。


「じつを言うと最近はまったく……。一旦寝られた思ってもすぐに目が覚めてしまって、どうしても寝つけません」

「正確には、いつから?」


「作戦が終わってからです」

「そう。……私と一緒」

「え?」


「私も、寝られない。こうしてベッドに横になっていると、あれこれ考えてしまって、どうしても目がさえてしまう」

「アリス様でも、そういう時があるのですね」


「うん、ある。でも今回の場合は特に――」

 アリス様はなにかを僕に伝えようとしていたが、途中で口をつぐんでしまった。


「やっぱり、なんでもない」

「……はい」


 おそらくアリス様は、新たに判明した情報に基づく、アルバトロスやキメラに関するなんらかの推測を伝えようとしていたのだと思う。こちらが望めば彼女はすんなりと続きを話してくれただろうが、僕はあえて追及しなかった。


 疲れたのだ。痛いのも、苦しいのも、もうたくさんだ。


 それを逃げだと思われてもかまわない。僕もアリス様も、興味本位で藪をつついて、やっと掴んだ平和を台無しにしたくなかったのだ。


 それに知る必要のない、それどころか知らないほうがいい真実というものが、この世には確かにある。キメラの正体が、キメラに捕食された元人間の成れの果ての姿だったという、覆しようのない残酷な現実がまさにそれだ。


 第七次討伐作戦の最中に遭遇した式上ゆきに関する情報も、アリス様が僕の証言を報告書にまとめて上げて提出した途端に、それは最重要機密文書に指定された。


 キメラ化した人々の死体が、二つ目のコアを破壊した直後に、白い灰となって跡形もなく崩れてしまった影響も大きく、依然としてキメラが元人間であるとの情報は、統合軍総司令部に名を連ねる一握りの軍人たちを除いて共有されていなかった。


 捕食された犠牲者は、アルバトロスの体内でキメラへと造り替えられる。


 キメラとの直接的な戦闘経験のある兵士たちが、その真実を知ってしまった時、どれほどの精神的衝撃を受けるかは想像もできない。


 混乱は必至だ。様々な分断と対立を生むだろう。


 ともすれば大規模な暴動が発生して、軍は指揮系統を喪失し、最終的にはクーデターという最悪の未来を招くかもしれない。その可能性を無視できないほどに、今の世界は不安定だ。


 真実を知って心に一生癒えることのない傷を負うくらいなら、知らないほうが幸せな場合もある。身をもってそれを経験したからこそ、僕としては、真実の隠蔽を決断した上層部の判断は決して間違いではないように思えてしまう。


 統合軍という組織の下に全人類が一致団結して、人類社会の再生と復興に本気で取り組もうとしている。その千載一遇の好機が、今なのだ。冷却期間が必要なのは間違いない。将来的にはその機密も解除しなければならないだろうが、少なくともそれは今ではないはずだ。


「どうやら私は最近、少し悲観的になりすぎている」


 アリス様はのっそりと起き上がると、枕元の小さな台の上に置かれた水差しへと手を伸ばそうとする。僕は先回りしてグラスに水を注ぎ、それを手渡した。


「どうぞ」


「ありがとう。……はぁ。ここのところ憶測の域を出ないような考えばかり思いつくせいで、せっかく平和を取り戻せても素直喜ぶことができない」


「なにか僕にできることはありせんか? なんでも言いつけてください」


「なんでも?」


「はい、なんでも」


「……そう」

 すると細い手がそーっと伸びてきて、僕の頬と眼帯を優しくなでた。


「小春。あなたと一緒なら、安心して眠ることができるかもしれないから、その……」

 色素の薄い頬に、ほんのりと赤みがさしていた。


 アリス様は気恥ずかしそうに僕を見つめている。


 そのうるんだ瑠璃色の瞳に見つめられていると、自然とこちらまで頬が紅潮してきて、恥ずかしいような嬉しいような言葉では表現できない温かい気持ちで心が満たされていく。


「……アリス様」

 なんだか無性に、彼女の両肩を強く抱きしめたい衝動にかられた。


「ご一緒しても、かまいませんか?」


「私が、あなたを拒絶することは絶対にない」


「じゃあ、えっと、……着替えてきましょうか?」


「必要ない。私はメイド服を着た小春が大好きだから」


「……はい」

 もう断れそうにない。


「そ、それじゃあ、お邪魔します」

 僕は無駄な抵抗をやめて靴を脱ぐと、おっかなびっくりベッドに上がる。


「……ん。小春、もっとこっちに来て」

「は、はい。――きあゃっ!」


 布団にもぐりこみ、ベッドの中でお互いの肌が触れ合った瞬間、アリス様は僕の頭を胸元で抱きしめ、ふーっと耳に息を吹きかけた。全身がぴくぴくと痙攣する。


「小春、かわいい」

 そんなはしたない僕を、アリス様は無表情のままじっと見つめていた。


「もう絶対に小春を放さない」

「アリス様……」

 ああ、僕はなんてはしたないんだ……。


 アリス様の両腕に抱かれながら、やわらかな甘い匂いを胸いっぱいに吸い込むと、頭の中から今日一日分の予定表が綺麗さっぱり削除されてしまった。


「小春、大好き。愛してる」

「はい、僕も愛しています」


 僕は洗濯カゴの中に溜まった衣類の心配をする余計な思考回路を遮断し、この幸せなひと時を楽しもうと心に決めた。


 ただひたすら嬉しくて、温かくて、心地いい。


 なにもかも受け入れ、されるがまま身をゆだねると、少しずつ緊張がほぐれて手足から余分な力が抜けていく。


 こんなにも心が満たされたのは、いつ以来だろうか。


 ――そうしてゆったりとまどろんでいると、アリス様は僕を胸に抱き、頭を優しくなでながら、滔々と耳元で囁いた。


「まだ幼くて、病弱だったころ。私の口癖は〝こんな世界滅んでしまえばいいのに〟だった。当時の私にとって、世界とは憎しみの対象でしかなかった」


「…………」


「人類統合軍が組織されて数十年が経過し、世界から核兵器が廃絶されたにも関わらず、戦争と貧困と差別は一向に根絶できず、麻薬が蔓延し、人口増加と異常気象による全世界規模での深刻な水不足と、水不足を起因とした第三次世界大戦を人類社会は絶対に回避できない」


「……世界大戦」


「幼い私は常に絶望し、怒り、そして諦めた。……でもある日、転機が訪れる。世界六地点に突如として出現したアルバトロスによって、世界は一変した。殺し、殺され、あれだけ憎しみ合っていたはずの人々がお互いの手を取り合い、一人ひとりが真の意味で国家の垣根を超えて結束を強めていった。……その時初めて、私は心の底から感動し、この世界もまだまだ捨てたものじゃないと思うことができた。初めて、生きる希望が湧いた瞬間だった」


「……アリス様」


「私にとっての次の転機は、小春、あなたと出会えたこと」


「僕、ですか?」


「そう。あなたに出会って、あなたに恋をしたから今の私がある。この世界が本当はどれほど輝いているのか、どれほど尊いものなのか。他人の言葉ではなく、自分の経験として理解することができたのは、全部あなたのおかげ」


 そう言って微笑むと、彼女は僕の眼帯に淡いキスをした。


「ありがとう。世界を救ってくれて、本当にありがとう」







第4章 第七次討伐作戦・完。


ここまで読んでくれてありがとうごさいます。


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