7 戦友
そうして、どれほどの時間が経過しただろうか。
数十秒だろうか、数十分だろうか。
さっきから時間の感覚が曖昧だ。
気がつけば、僕は式上ゆきに覆いかぶさるような格好で、胸部に突き立てた対物ブレードの柄頭に全体重を乗せていた。
「……雪風隊長、ですか?」
「――ッ」
最初は幻聴かと思ったが、そうではなかった。
血だまりの上に横たわった二つの瞳が、ぼんやりと虚空を見上げている。
「式上、中尉?」
意識が回復していたのである。
「申し訳ありません、雪風隊長。脳核を損傷したのか、首から下の感覚が一切ないんです。それから視界がまっくらで、隊長も顔も全然見えなくて……。そこに、居るのですよね?」
「ここに、……ここに居ますよ」
「雪風隊長、第五次討伐作戦はどうなりましたか? 私がエリア五十九の第八丁字路で提案した敵集団一万五千を陽動する作戦は、成功しましたか?」
「成功しました。作戦は、成功です」
もちろん出任せだった。そんな作戦は記憶にない。
おそらく彼女の記憶は、自分が戦死する直前で途切れているのだろう。キメラに捕食され、キメラとなって活動していた際の記憶は存在しないに違いない。
それが、せめてもの救いだった。
「じゃあ、まひるとなつみは、……無事、なんですね? さっき二人が被弾したって聞いて、ずっと心配していたんです。でも機体が損傷したせいか、隊長とも、データリンクが構築できなくて、情報が伝わって来なくて……」
「大丈夫です、無事ですよ」
「そう、ですか。……よかった」
これが彼女の最後の言葉になる。
「式上中尉?」
式上ゆきは、焦点の定まらない両目で僕をぼんやりと見上げ、どこか満足そうに微笑みながら、その生命活動を今度こそ停止させていた。
「……式上中尉。今、終わらせますから」
彼女の安らかな死に顔を脳裏に刻みつけてから、僕は最後の仕事に取りかかることにした。
頭上で燦然と輝く二つ目のコアを破壊するのである。
三つ目のコアが存在する可能性はゼロではなかったが、もしそれが存在したとしても破壊してしまえばいいだけのことだ。
「……っ」
地面を蹴って跳躍し、頭上のコアを一太刀で両断すると、まるでブレーカーが落ちたかのように周囲はたちまち暗闇に包まれる。
義体の暗視装置が機能していなければ、一寸先も見通せないほどの暗がりが眼前に広がった瞬間、僕は作戦の完遂と人類の勝利を確信した。
長年、甚大な破壊活動を続けてきた最後のアルバトロスが今、死んだのだ。
僕らは勝利したのである。
この勝利を得るために、人類社会はありとあらゆる犠牲を人々に強いてきたが、それらはついに報われた。すべては無駄ではなかった。勝利した事実が揺らぐことは、もはやない。
世界は救われたのだ。
「……はぁ、はぁ」
その直後だった。
「……うぐっ」
張り詰めていた緊張の糸がほつれたのか、心身から生命が抜け落ちていくと錯覚するほどの虚脱感に見舞われる。あれだけ懸命に握りしめていたはずの対物ブレードすらも握力の失われた右手からこぼれ落ち、切っ先から岩石の地面に突き刺さった。
帰路を急ぐべく踏み出そうとしたはずの右足が、まったく前に出ていないと気づいた矢先、身体が膝から崩れ落ちていく。
受け身はおろか、手を前に出すこともできず地面へと倒れ込む。
痛かった。暗かった。冷たかった。
死の淵を覗き込みながら歯を食いしばり、もがき苦しみ、それでもどうにか立ち上がろうとあがいたが、手足にすら力が入らない。
――そんな僕を誰かが抱き上げた。温かな手で、死の淵から引き上げてくれた。
「小春、小春!」
金属混じりの硬い地面から優しく救い上げてくれたその人は、震える両腕で僕の体を支えながら、繰り返し名前を呼んでいた。
「小春! 聞こえるか小春っ!」
ああ、温かい。
眼前には、その温もりの正体が、輻射熱を発する純白の装甲が、幾重にも規則正しく並んでいる。これは渡り鳥の装甲だ。長時間の高速戦闘を繰り広げた渡り鳥が、体内に蓄積した膨大な熱を全身のあらゆる機構を通じて機体外へと放出しているのだろう。
「誰、ですか?」
「司令部! 司令部! 聞こえるかっ! 雪風少佐を発見っ! 繰り返す、雪風少佐を発見したっ! あーっ、くそ! まったく繋がらねぇっ!」
この声は……。
「マコト、ですか?」
「意識がある! よかった、脳核も無事か!」
気力を振り絞って片目を開けてみると、いつの間にか、マコトの胸元で仰向けに抱きかかえられていた。ようするにこれは、お姫様だっこと呼ばれる体勢だったが、今はこれを恥ずかしいと感じられるだけの肉体的、精神的な余裕はなかった。
渡り鳥の背面には推進装置が密集している関係もあって、一応このお姫様だっこは、負傷したサイボーグを運搬するのに最適な体勢ではあった。
「どうして、ここに」
「出撃命令が出たんだ。ごめんな、遅くなって。さっきまでキメラの抵抗が激しくて、思うように前進できなかったんだ」
そういってマコトが申し訳なさそうに苦笑していると、彼女の右頬を伝って一滴のしずくが流れ落ち、白亜に輝く渡り鳥の装甲に付着する。付着した赤い血液は高熱で熱せられ、瞬時に蒸発して装甲上にこびりついた。
彼女が無傷ではないのだと、今更ながらに気づく。
そうか、戦ってくれていたんだ。だから右目を負傷し、機動能力を失ってからも、キメラの追撃を受けることがなかった。マコトが後方で敵戦力を押さえつけてくれていたからこそ、この作戦が成功したんだ。
ありがとう。
せめて一言でも感謝を伝えたかったのに、もう言葉を発する余力もなかった。
「……ぁ」
「おい、小春!」
岩石と金属で押し固められ、随所にキメラの残骸が散らばる殺風景な風景が、人の動体視力では認識できないほどの速度で後方へと過ぎ去っていく。
マコトは最大速力でアルバトロスの体内を駆け抜けていたが、可能な限り揺れを少なくしようと苦心しているのが僕には感じ取れた。
「だめだ、小春! 意識を――」
それまで滑らかに、連続して動き続けていた周囲の光景が、少しずつ途切れ始めていた。
しばらくするとそれはさらに悪化する。
左の眼球がとらえた映像は次第にフリーズし、暗転した。
意識が途切れ、そして覚醒する。スイッチのオンとオフが連続して切り替わるように意識が明滅し、記憶と感情の断線が頻発していた。
そうした意識レベルの乱高下によって、体感上の時の流れが加速していく。
「小春、聞こえるか、外だ」
ふとした瞬間に、意識が現実へと浮上する。
残された左目のまぶたを薄く持ち上げてみると、周囲がやけに明るかった。
それはアルバトロスの内部では決して浴びることのない太陽の輝きだった。
陽光が照らす赤茶けた大地が地平線の彼方まで続いていて、どこか遠くで人々が大歓声を上げていた。




