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4 ジョージ・ライアン

 



 時刻、現在地ともに不明。

 それでもまだ自分は生きていた。


 おそらくだが、機体側が自動的に薬品を投与してくれたのだろう。強すぎる痛みを抑制してくれたおかげで、ひとまず冷静な思考を取り戻せていた。


「賽原基地、こちらパックス・ワン」

 赤い雫が絶えず頬を伝って流れ落ちていく。


 体内を循環する冷却液、疑似血液の流出がどうしても止まらなかった。


 右目の傷は手の施しようがないので治療を諦め、僕は疑似血液にまみれた手で相州鬼正の柄を握りながら、状況把握に努めるべく周囲を警戒する。


「賽原基地、こちらパックス・ワン。だれか応答を……」


 状況は絶望的だった。

 渡り鳥は大破し、機能の大半を失っていた。


 とっさに頭部を守った左の前腕は、装甲が大きく抉り取られている。損傷の見た目に反して主な障害は握力が三割低下する程度で済んだものの、腕を貫通してから右目に飛び込んだ砲弾の破片は、その先端が脳核に達していた。


 即死していないのが不思議なくらいだったが、幸運にも僕はまだ生きている。


「誰か応答を……アリス様……」


 しかし脳核を損傷した影響か、渡り鳥の人工知能と、レーダー機能も喪失し、さきほどからマップデータの自動更新なども停止している。もうどれほどの規模の敵が、どの方向から迫ってきているのか知る手立てはない。


 電磁流体装甲の出力も大幅に低下しており、もはやキメラの吐き出す溶解液や砲弾から身を守ることもできない。


 武装は、かろうじて健在だった一振りのみで、ほかの予備はどれも被弾したランチャー内で破損していて使用できる状態ではなかった。


「……ダメか」

 真の意味で、孤立無援の状態に置かれ、僕はしばらく途方に暮れていた。


 けれど、こうしてじっとしている時間ほど無駄なものはないとすぐに気づく。


 機体を少しでも軽量化するべく無用のランチャーを二つとも投棄し、最後の対物ブレードを握力の低下した左手から右手に持ち替え、再び強く握り締めた。


 投与された薬品の影響か、それとも流れ出た冷却液のせいなのか、手足が異様に重くて感覚も鈍かったが、僕は片側だけ生き残った推進装置の力を借りて、アルバトロスの薄暗い空洞をひたすら下へ下へと進んでいく。


 どういうわけかキメラが追いかけてくる気配はなかった。


 これが賽原基地の戦闘シミュレーションなら、そろそろ前方からも後方からも大群が押し寄せてきてもいい頃合いだが、まるで気配が感じられない。ダメ元で地面に手をつけてみても、異常な振動を感じ取ることはできなかった。


「コアを破壊しても奴らは止まらなかった。まだ何かがあるってこと……?」


 渡り鳥のレーダーが最後に記録したマップデータによると、どうやらこの先に広い空間があるらしい。


 どんな予想も憶測の域を出ないが、おそらくそこにたどり着ければ、アルバトロスとキメラの活動が停止しなかった理由がわかるはずだ。


 それだけを心の支えにして、黙々と足を前へ運ぶ。


「…………」

 そうして二時間あまりが経過した。


 損傷を免れたはずの推進装置までもが突然不調になり、なかなか推力が安定しないせいで、泣きたくなるほどの亀の歩みとなってしまった。


 これほどの長期戦は訓練でも経験していない。精神的な疲労はもちろん、装備の残量や機体の損傷が足かせとなり、キメラとの交戦もあと一度か二度が限度だろう。


 だが、長かったこの作戦もあと少しだ。


 レーダーが最後に残したマップデータの最深部に、もうじき到達できる。はやる気持ちを押さえて、マップ上における最後の坂道を降っていった。


「? ……あれは」

 けれど期待は早々に裏切られた。そこに希望はなかった。


 現れたのはコアの破壊が作戦成功に直結しなかったことへの明確な答えではなく、青い液体で満たされた巨大な容器の列であった。


 ざっと数えただけでも数百基はあるだろうか。


 薄暗い空洞を埋め尽くすように立ち並ぶ容器は、高さ三メートルほどの有機的な楕円体で、それらは人工的に造られた工業製品というよりも、僕には巨大な昆虫が産みつけた卵に思えてならなかった。


 丸い風船を縦方向に引き伸ばしたような楕円体の容器は、内部に不透明な青い液体が充填され、常にぼんやりと発光している。


 当然、こんな容器の列は賽原基地での仮想訓練中には一切出てこなかったし、アルバトロスの体内にこんなものが存在しているなんて知りもしなかった。


「いったい、これは……」

 我を失って周囲を眺めていると――。


 百数十メートル先の物陰で、鋭い閃光が連続して瞬いた。


「……っ」

 攻撃っ!?


 とっさに身を翻すと、空気を引き裂く音と共に大口径の弾丸が真横を通過した。


 レーダーを失っているため正確なことはわからないが、キメラがこちらを狙撃した可能性が高いと理解した瞬間、僕の身体は頭で考えるよりも先に、眼前の脅威を排除するべく動き出していた。


「あそこかっ」

 片側の推進装置を使用せずとも、アマツバメの俊敏さは少数のキメラに対してなら十分に通用する。義体に張り巡らされた人工筋肉は、数千キロカロリーを一瞬にして消費し尽すことで爆発的な瞬発力を発揮した。


 ぼやけた視界の中、発射された次弾を先読みで回避しながら、すれ違うと同時に対象を斬り裂く。一拍遅れて切り口から液体が噴出し、赤い飛沫となって頬に付着した。


「……?」

 直後、脳裏を疑問符がよぎる。


 対象を斬り裂いた時に刃から伝わってくる感触がいつもと違っていた。重金属で形成された多層構造を持つキメラの甲殻は、こんなにも柔らかいものだっただろうか?


 それにこの感触は、まるで人を斬ったような……。


「――――」

 自分が反射的に斬り裂いた物体を発見した時、僕の体は無意識に震え始めていた。


 嫌な予感はよく当たるものだと、つくづく思い知らされる。


 疑う余地もなかった。僕の足元に広がる赤い水たまりの上に倒れているのは、まぎれもなく人間であった。


 しかも相手は、統合軍の兵士と見て間違いない。生身の人間では身に纏うことすらできない重厚なボディアーマーと巨大な機関砲を装備していることから、彼が重機械化歩兵部隊の隊員であるのは明白だった。


 なぜ? どうして? 

 いったいどんな理由で、彼はこちらを攻撃したのか。


 ただでさえ混乱気味の思考が、無数の疑問符で塗り潰されていく。


「あ、あぁ」

 血だまりに沈んだ兵士の顔を正確に視認した時、思考はついに停止した。


 自分が悲鳴を上げていることすら気づかぬまま全身が硬直する。


 この統合軍兵士を僕は知っている。


 忘れるはずがない。


 体が大きくて、ひどく真面目な、軍人を絵に書いたような白人の男性。


 五月上旬。司令官専属の運転手であった彼は、アリス様を鶺鴒館に送り届けた後、賽原市の旧市街地を走行中に、武装集団による襲撃を受けて負傷したと聞いている。


 名前は、たしか……。


「……ジョージさん?」

 ジョージ・ライアンが、どうしてこんな場所にいるのかはわからない。


 彼が第七次討伐作戦に志願して、最前線で戦っていたにしても、そもそも継戦能力と機動力で劣る重機械化歩兵が、キメラの巣窟と化しているアルバトロスの内部に突入して無事で済むはずがないのである。


 だから僕は、少しでも情報を得るために彼の体を探ろうと手を伸ばして――。


「……雪風、少佐?」

「――!」


 驚いた。重機械化歩兵が頑丈なのは知っているけど、胸部をあれほど深く斬り裂いたのに、まだ意識があるなんて……。


 僕は相手の言葉を聞き洩らさないように、かたわらに膝をついて身を屈めた。


「は、はい! 雪風小春です。ジョージさん、ですよね?」

「……はい。……ここは、どこでありますか?」

「ここはアルバトロスの内部です」

「アルバトロスの、内部」


 錯乱しているわけではなさそうだけど、意識がもうろうとしているのか目の焦点が合っておらず、受け答えにも時間を必要とする様子だった。


「ご存じかと思いますけど、今は第七次討伐作戦の最中なんです。だから統合軍の少佐として尋ねます。ジョージさんは、どうやってここに来たのですか? どうしてあなたは、さっき僕に向かって発砲したのですか?」


「……私が、……発砲を? ……申し訳ありません、雪風少佐。自分には何のことか、まったく身に覚えがありません」


 ジョージさんは、異性が苦手なアリス様からも信頼されている誠実な軍人だ。


 絶対に平気で嘘を吐くような人間ではないし、僕から見ても彼は本当に状況が理解できずに混乱しているだけに見える。


「それなら覚えていることを話してください」

「覚えていること、でありますか?」

「そうです。あなたは作戦に志願したから、今ここに居るのですよね?」


 彼は数秒間、僕の両目をじっと見つめてから、しっかりとした口調で話し始めた。


「……はい、少佐殿。人類統合軍は持てる戦力のすべてを前線に投入するつもりで動いていましたので、それならばと、本作戦への参加を志願しました」


 彼の意識が徐々に覚醒していくのが、はっきりと見て取れた。


「続けてください」


「現在からおよそ四十七時間前、自分は重機械化歩兵部隊の一員として、賽原基地から空路で旧北米へと向かいました。そして沖合の海上基地から出航した揚陸艦に乗って、目的の浜辺に強襲上陸。賽原基地から共にやって来た部隊の仲間達と連携しながら……」


「?」

 その時、巨大な水槽をひっくり返したような激しい水音が遠くから聞こえてきた。


「ああ。そうでした。今、思い出しました」


 強い悪寒を感じて周囲を見渡したが、すぐさま物音一つ聞こえなくなり、あたりは絶対的な静寂に包まれる。


「なにを、思い出したのですか?」


 視線を正面に戻した僕が尋ねると、彼はとても穏やかに微笑んだ。


「はい、少佐殿。自分はキメラに捕食されて死んだのです」





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