2 岩と鉄のはらわた
金属や岩石の混合物で構成された質量数兆トンものアルバトロスの巨体。
それが今まさに眼前へと迫っていた。
彼我の距離が五十キロメートルを下回った途端、その垂直なアルバトロルの外壁面を昆虫と同様の三対六脚の節足で走り回る幾千ものキメラが、一斉に迎撃態勢へ移行するのを僕は認識した。
鋭く尖った口部をこちらへと向け、主力戦車などを除く、ほとんどの現代兵器を一撃で撃破可能な四十ミリ徹甲弾を連続して発射したのである。
発射された砲弾の数があまりにも多く。
それはさながら、砲弾によって点描された鉄のカーテンであった。
そんな高密度の対空網に対して、都合よく無傷で飛行可能な経路など、最初から存在するはずもなかった。
《警告。ブースターユニットに被弾。損害不明》
「ぐっ」
被害は甚大だった。キメラの放った一発の砲弾がブースターユニットに直撃し、極超音速で飛行していた機体は、大爆発の直後に火だるまとなって、黒煙を噴きながら急激に失速した。
大丈夫。まだだ。これは想定の範囲内だ。
同様の作戦をこれまでに五度成功させてきた我が部隊に、突入前の最序盤で脱落した隊員は過去ひとりとして存在しないのだから。
「ブースターユニット、パージ。荷電粒子推進機構、推力最大」
《パージ、完了。荷電粒子推進機構、一号炉及び二号炉、点火。極超音速戦闘へ移行します。ご注意ください》
火だるまとなったユニットを強制的に切り離す。
両肩部に並ぶ双発の推進機構が純青の炎を噴くと、失速していた機体は瞬時に息を吹き返した。全力で再加速しながら、腰部の左右に一基ずつ装着されたブレードランチャーへと両手を伸ばす。
自動的に押し出された無機質な柄を握り締め、式上家五十七代目当主・式上ゆきが造り出した現代における最高の近接兵装を抜き放つ。
《対物ブレード〝相州五十七代鬼正〟抜刀》
両手に刃を携え、敵陣のただ中へ猛然と飛び込んだ。
「……ううぅっ」
思い切り歯を食いしばる。
双発の機構を駆使し、機械化の施されていない生身の人体ならば、数ミリ秒で血煙と化すほどの激烈な急停止と急加速を相互に行いながら、数千発もの四十ミリ徹甲弾からなる重金属のカーテンを数ミクロン単位の機体制御でくぐり抜けていく。
この間、対物ブレードで打ち払った砲弾の数は、計四十五。
被弾は、ゼロ。
ハミングバードの隊員にして金属工学の権威でもあった、式上ゆきが造り出した相州鬼正の特徴的な鉛色の刃は、迫るすべての砲弾を音もなく斬り裂いた。
「見えた、あそこだっ」
そのまま速度を殺すことなく接近すると、その垂直な外壁面の右隅に、直径十メートルほどの横穴がぽっかりと開いているのを発見する。
それはアルバトロスの体内中心部へと通じる数少ない突入口であった。
自己修復されるアルバトロスの強固な装甲外壁には数百メートルもの厚みがあり、あの横穴を通過しなければ体内には侵入できない。
言わばアリの巣穴である。
アルバトロスの体内に巣食うキメラは、決まってあの突入口から出現し、退却する時も同じ横穴を通って体内へ戻っていく。
つまり今次討伐作戦においても、僕はそこを通らなければならないわけだが、アルバトロスにとっての大手門である突入口は、常に外界へ侵攻するキメラであふれかえっていた。
「――邪魔だッ!」
こうなっては、手ずから道を切り開くほかない。
「――そこをどけええぇぇッ!」
左右の推進機構から小刻みに荷電粒子を噴射し、迫る砲弾を鋭角なジグザグの軌道を描きつつ回避した。
片方の相州鬼正を逆手に持ち、十分な突破力を得るために機体を回転させながら、数十ものキメラが形作る砲身の槍衾へと吶喊する。
ためらいは微塵もない。
押し寄せる死の気配で怯むほど、この覚悟はやわではない。
音もなく微細に振動する相州鬼正の刃が、ひしめく槍衾を斬り刻み、うごめく重金属の塊を両断した。強引に切り開いた横穴へと飛び込み、突破し、アルバトロスの体内に張り巡らされた長大な空洞を一心不乱にひた走った。
「想定よりも数が少ないっ!」
これならば!
事前のキメラ掃討作戦が功を奏し、これまでの統計通りに、敵戦力が半減していることを確信した。
この好機を逃すわけにはいかない。
侵入者を排除するべく押し寄せた数十もの敵集団を鎧袖一触で薙ぎ倒し、無人の野をゆくが如く、先へ先へと突き進む。
僕の眼前にどこまでも続く、アルバトロスの体内に張り巡らされた総延長数千キロメートルの空洞は、シミュレーション内で散々駆け抜けたものと寸分も違わない。
のたうつ蛇のように曲がりくねった空洞は複雑極まりないが、渡り鳥に組み込まれた高性能レーダーによって視界内に表示された三次元のマップデータと、そこに記されたコアの位置を指し示すマーカーがあれば迷う心配はない。
「あまいッ」
数百メートル前方の空洞の内壁を、三百六十度ぐるりと埋め尽くすキメラの口部から閃光が迸り、何百もの重金属の徹甲弾が殺到する。
しかしそれらは僕の頭上を通り過ぎ、後方の地面に降り注いだ。
身を低く屈めた地を這うような跳躍と、推進機構の全力噴射よって、瞬時に極超音速域へと達したアマツバメは、キメラの照準速度すら凌駕してその包囲網を突破する。
機体の発熱問題が常につきまとう影響で、最高速度を長時間維持することはできない。
けれど、ここぞとという時に一瞬で最高速度に到達できるのが、機体総重量に比べはるかに大きな推進力を持つ、渡り鳥という外部兵装を纏ったアマツバメの強みだった。
「賽原基地、こちらパックス・ワン。目標内部への侵入に成功した」
《了解。戦闘を継続せよ》
聞こえてきたのは、面識のない女性オペレーターの無感情な声だった。もちろんアリス様と話したかったけど、こればかりは仕方がない。情報伝達の速度と正確さが求められる戦闘中の通信は、専門の通信士に任せるほかなかった。
《――警告》
オペレーターと入れ替わるようにして、渡り鳥の人工知能が警告音を発する。
《異常振動を検知、前方から推定二百のキメラが接近中。進行ルートを変更し、八千メートル後方の上部空洞から迂回することで戦闘を回避できます》
「最短ルートを突破する」
僕は即答した。
戦闘を極力回避しなければならないのが討伐作戦の鉄則ではあるが、それと同じくらい重要なのがコアに到達するまでの所要時間だ。これが短ければ短いほど戦闘回数が少なく、結果として作戦の成功確率が上昇する。
それに、今回遭遇した敵総数はわずか二百、シミュレーター上の訓練では、この数倍から数十倍もの敵が上からも下からも一斉に襲いかかってくる場合がほとんどだ。
それらに比べれば敵は小規模である。この程度のリスクを許容できないようでは、かえって作戦遂行に支障をきたすだろう。
「――ッ」
敵集団との距離、残り一千メートル。
奴らは前方の曲がり角の先で待ち構えているようだ。
渡り鳥の機構が、そのままこちらの手足となって機敏に駆動し、連続した跳躍によって空洞内を縦横無尽に飛び回った。
この爆発的な瞬発力をもってすれば、空洞の壁面を足場として利用した立体的な空中機動もさほど難しくはない。
むしろこの三次元的な立体機動こそが、対アルバトロス用の外部兵装として開発された渡り鳥の真骨頂とも言えるだろう。
最大でも直径が二十メートルしかない、閉鎖された空洞内を極超音速域で飛び回る本機は、操縦者が常人離れした反応速度で運用することを大前提として設計開発されている。
この反応速度こそが以前アリス様が言っていた適性であり、もっと端的に言ってしまうなら操縦者の脳核と機体との通信速度の良さ、遅延の少なさである。
――と、僕は勝手にそう解釈していた。
しかしながら空洞内を跳弾するように飛び回り、千分の一秒単位での繊細な操作を当然のように求められる閉所での超高速戦闘は、たしかにそうした特別な適性がなければ、決して踏み入ることの許されない超人的領域ではあった。
「遅い」
前方の曲がり角の先に飛び出した直後、待ち伏せしていたキメラの集団が、予想通り一斉射を浴びせかけてきた。
常人の動体視力では、発射と同時に着弾していると錯覚するほどの速度で、数百発の砲弾が豪雨となって降り注ぐ。
それを右に左にと空洞の内壁を交互に蹴って跳躍し、鋭角な軌道を描いて回避しながら距離を詰めていく。
「――ふっ」
敵集団の中を泳ぐように走り抜け、すれ違いざまにするりするりと刃を振るう。
一見するとなぞる程度の太刀筋でも、それは十分に致命傷となりえる一太刀であった。
重金属を主体としたキメラの甲殻は、いともたやすく相州鬼正の刃に斬り裂かれ、その多重構造の断面から、ヒトの静脈血に似た濁った赤い体液をまき散らす。
至近距離で発射態勢に移っていた脅威度の高い個体と、空洞の天井からボトボトと落下する個体を真っ先に斬り殺し、戦闘を最小限に抑えつつ敵集団を無傷かつ短時間で突破することに成功する。
《進行ルート上に敵影なし》
それから三十分ほど、僕はキメラと遭遇することなく最深部を目指してアルバトロスの体内を進み続けた。
「…………」
極めて高い戦闘能力と継戦能力を発揮する小型の兵器によって、アルバトロスの体内最深部に存在するコアの破壊を目指す。
それが討伐作戦の基本概念である。
もし仮に、分厚い金属装甲を持つ戦車部隊をこの空洞に多数投入できたとしても、部隊は敵の砲火を浴びて跡形もなくすり潰されてしまうだろうし、それは現代の航空戦力も同様だ。
無数のキメラがひしめき合い、上空と比べれば恐ろしく狭い空洞内では、あらゆる航空機が使い物にならない。強力な爆弾によって外部からコアを破壊しようにも、アルバトロスの膨大な質量と自己再生能力がそれを阻むだろう。
少し冷静になって考えてみれば荒唐無稽としか言いようのない本作戦が、これまでに五度も成功し、その度に人類を滅亡の淵から遠ざけてきたのは、超常的な性能を発揮する数々の兵器や装置があればこそだ。
戦略兵装機構〝渡り鳥〟、ムクドリ型永久発電機構、対物ブレード〝相州五十七代鬼正〟、来栖野式と銘打たれたハイエンドな装甲義体、電磁流体装甲、荷電粒子推進機構など。
それらを生み出したのが、来栖野有栖中将を筆頭とした、世界最高峰の科学者や技術者たちである。
彼らの中には、ハミングバードに入隊できるほどの優れた適性を持ち、志願してまで部隊に加わった猛者が何人も居たらしい。けれど僕は記憶を失ってしまったから、彼らについて覚えていることはあまりにも少なかった。
それでもめげずに、複製された僕の生体脳に残留する断片的な情報を繋ぎ合わせてみる。
なにかがぼんやりと脳裏に浮かんでくる気配はあったが、どれも不鮮明で、かつて部下であった隊員たちと、自分がどんな交友関係にあったのかすら、まったくもって思い出せない。
いつか、式上ゆき中尉だけでなく、他の戦友たちのことも思い出せる日がくるのだろうか。
「渡り鳥。ハミングバードが結成された当初の隊員たちの名前を教えて」
なんとなく気まぐれに尋ねてみると、渡り鳥はスラスラと答えてくれる。
《――雪風小春、式上ゆき、鬼道かおる、クッカ・パッカネン、鬼道りく、鬼武なつみ、鉄鬼まひる、古池わかば。以上、八名。雪風小春を除く、全隊員の戦死が確認されています》
「…………」
ほのかな期待は、たちまち落胆へと変わっていた。
記憶を失っているのだから当然だけど、聞き覚えのない名前ばかりだ。
式上ゆきの名前以外、なに一つ引っかかるものがない。
でも、今知ることができてよかった。
心からそう思った。
「ありがとう、教えてくれて」
《どういたしまして》




