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キミに恋する青い鳥  作者: 細川 晃
第3章 トンネルの暗がりに
31/48

9 瑠璃色のカワセミ

 



 僕は即答した。


 あれこれ悩むまでもなく、僕は笑顔でその告白を受け入れていた。


「え?」

 逆にアリス様のほうが熱暴走でフリーズしてしまっている。


 これも条件反射の一種だろうか? 正直なところ、彼女の告白に対する驚きはあまりなかった。突然抱き着かれた時のほうが、単純な驚愕の度合いはずっと大きいくらいだ。


 第六次討伐作戦で戦死する以前、僕は彼女と一年間も付き合っていたらしいから、本能的に反応してしまったのだと思う。


「ぁうぅ……」

 アリス様は恥ずかしそうに身をよじりながらも、こちらを真っ直ぐ見つめたまま視線をそらそうとはしなかった。


「……本当に、いいの?」

「もちろんです」


 僕はアリス様を心から尊敬しているし、一度死んでしまった自分を生き返らせてくれたことにも感謝している。彼女のために生涯を捧げ、許されるなら一生添い遂げたいと本気で考えていた。


 理由なんてそれだけで十分。難しく考える必要はなかった。


 そもそも明日死ぬかもしれないのだから、今さらうだうだ考えている時間なんてない。


 後悔だけは絶対にしたくない。それが今、僕を突き動かしている衝動だった。 


「でも、なぜお付き合いするところからなのですか? どうせなら今すぐ結婚を――」

「……それは、できない」

「どうしてですか?」

「私はまだ、記憶を失ったあなたに自分の過去を伝えていない」


 恥ずかしそうに頬を赤らめていたアリス様は、そこにはもう居なかった。


「そして、ことあるごとに説明を先延ばしにしてきた責任はこちらにある。だから小春には、私をクーリングオフする権利があるべき」


「クーリングオフって、そんな物みたいな……」


「事実だから構わない。私は生物として不完全で、物に近い存在だから」


「それはどういう――」

「私は生まれた時から病弱だった」

 困惑する僕を突き放し、アリス様は滔々と話し始めた。


「主治医には十五歳まで生きることはまず不可能だと宣告を受けていた。当時の医療水準において私の助かる道は、それこそ脳髄を取り出し、それを他人の体に移植するくらいしかなかった。ただ私としては、それをするくらいなら死んだほうがマシだった。だから別の方法を模索することにした」


「…………」


「二〇〇八年に私が発表した〝生体機械化論〟によって、全身義体の基礎技術が確立したのを皮切りに、当時のアメリカ合衆国政府や日本国政府の大々的な力添えもあり、翌年には脳以外の全身の機械化を可能にする〇九型義体〝カワセミ〟が完成する。もちろん全身機械化の第一被検者は私自身が務めた」


「……あの失礼ですけど、アリス様は当時おいくつだったのですか? 二〇〇八年ということは、今から十五年も前ですよね?」


「当時、私は十三歳だった。ただ基礎理論の研究自体は私が九歳の時、つまり二〇〇四年から開始している。前年に両親を含めた親族全員を航空機事故で亡くし、私はすでに天涯孤独だった。そういった理由から来栖野家の膨大な資産を相続していたため、当初から青天井の予算で自由に研究を進めることができた」


「…………」


「ちなみに賽原基地は、私が自分の研究を行うために、数千億ドルに及ぶ来栖野家の資産をつぎ込んで設立した研究機関が母体となっている。野外から見える建物は、ほとんど軍事施設。地下に降りるほど専門的な研究施設が多くなる。私が、この歳で賽原基地の司令官をしているのはそれが理由でもある」


「な、なるほど?」

 話のスケールが大きすぎて、もはや言葉もない。


 ここにきてようやく判明したアリス様の天才性は、こちらの想像を遥かに超えていた。


 自分みたいな凡人では、その才能がどれほどのものか推し量ることすら不可能であった。


「……えーっと、つまりアリス様も僕と同じで、全身機械化のサイボーグだったということですよね? それなら気にしませんよ。僕だって同じサイボーグなんですから、おそろいじゃないですか」


「ちがう」


 アリス様は首を小さく横にふり、僕の側からゆっくりと離れていった。腕の中から消えてしまった温もりを求めて一歩前に踏み出ても、彼女はさらに一歩身を引いてしまう。


「似ているようで、まるで違う。なぜなら私の体は、子供を作ることができない」


「えっ……」


「もっと正確に言うと、その前段階の……ようするに男女の営みすらも行うことができない。そういうことを期待していたのなら、ごめんなさい」


「…………」


「本当は告白する前に打ち明けるつもりだった。けれどどうしても決心がつかなくて、順序が逆になってしまった」


 こんな時、どんな表情で、どんな言葉を返すのが正解なのだろう。

 怒るべきなのか、悲しむべきなのか。


 それとも、自分はあなたを理解しています、とでも言いたげな笑顔を今からでも作るべきだろうか。しかし僕は結局、そのどれにも当てはまらない間抜け顔を晒しながら、呆然と立ち尽くすしかなかった。


「私の頭脳が搭載されている全身義体、〇九型義体〝カワセミ〟は最初期のプロトタイプで、技術的にも未成熟な部分がとても多い。だから本来人体に備わっているべき生体機能の多くが再現できていない。つまり生殖器官がない。だから妊娠や出産はもとより、生殖行為そのものを行うことができない。ごめんなさい」


 そう言ってアリス様はうつむいた。


「新しい義体に脳核を移し替えることはできないのですか」


 ぽろりと、無意識にそんな言葉が口からこぼれ落ちる。


「不可能。当時はまだ脳核の技術が存在しなかった関係で、私の脳髄は脳核化されることなく義体に移植され、完全に定着してしまっている。だからもう義体から脳髄を切り離すことはできない。私の容姿が幼いまま変化していないのは、それが理由。せめてあと一年、私の肉体が病に耐えることができれば、このような事態にはなっていなかった。それが本当に残念でならない」


「…………」


「そういうわけで、私は普通のサイボーグよりもずっと物に近い」


 あの自分のひと言が、どれほど無神経なものか理解した時には、すべてが遅かった。


 僕はバカかっ!? どうしてわかりきったことをあのタイミングで聞くんだっ!?


 対処できる程度の問題なら、アリス様はとっくの昔に解決策を用意しているに決まっているじゃないか。それができていないということは、この問題はどうしたって解決不可能ってことなんだ!


 さっきまでの思考停止状態の自分に、腹が立って仕方がなかった。


「話は、よくわかりました」

「そう」


 でも、それとこれとは話が別だ。


 悔やんでばかりでは、いつまで経っても前に進むことはできない。


 たしかに僕は無神経だった。反省している。後悔もしている。


 それでも、アリス様との交際を諦める気は一切なかった。


「……っ」

 ゆっくりと一歩前へと踏み出した。

 彼女はもう退こうとはしなかった。


「……あ」

 その小さな体を抱きしめ、身を震わせる。再び抱くことのできたこの温もりを手放したくない。ただそれだけを願って、少し強く抱きしめた。


「たしかに一度死んでしまった以上、僕たちの関係はリセットされてしまったわけですし、まずはお付き合いするところから始めるべきですよね」


「本気で言ってる?」

「もちろんです。こっちは本気ですよ」


 今度はこちらが勇気を見せる番だった。


 しばらく無言で見つめ合った末に、僕はどうにか言葉を絞り出す。


「あなたが好きです。結婚を前提に付き合ってください」


 様々な葛藤を投げ捨てて、思いのたけを打ち明けた。


 それはひどく自己中心的な、最低な行為だと思う。


 今が平和で豊かな時代であったなら、ここは両者が納得するまでよく話し合ってから、日を改めて、ちゃんとした形で交際を申し込むべきだと思う。けれど今は戦時下だし、明日は作戦の決行日だ。僕はもちろん、アリス様にだって悠長に話し合いをしている時間なんてない。


 これが最後になるかもしれない。


 今ここで諦めれば、それこそ死ぬまで後悔するかもしれない。


 そんな予感があった。


「アリス様は、僕のことが嫌いですか?」


「嫌いじゃない! この日が来るのを三年も待っていた。あなたが戦死した時からずっと待ち続けていた」


「……アリス様」


「今だけは呼び捨てにして」


「……あっ」


「来栖野家のメイドとして振る舞う小春は、とても愛らしい。だけど今のあなたは私の恋人。軍の階級も関係ない。だから今だけは、今だけでいいから、名前を呼び捨てて」


 猫が小動物をいたぶるような、どこか嗜虐的な輝きを放つ瑠璃色の双眸が、上目遣いでこちらを見つめている。もう僕は、その瞳から目をそらすことができなかった。


「……アリス」

「ん」


 アリス様は満足そうに鼻を鳴らすと、ぐーっと僕を抱きしめ、そのまま顔をうずめてしまった。顔を見られないのが寂しかったので、その綺麗な黒髪を指先ですいていると真っ赤に染まった小さな耳を見つけた。


「うぅーっ」


 その紅潮した耳を揉んだり引っ張ったりしていると、アリスは可愛らしい唸り声を上げながら身をよじる。しかし満更でもないのか、嫌がるそぶりはしても彼女は頬を赤らめたまま、僕から離れようはしなかった。


「今度こそ、死んだら絶対に許さない」

「大丈夫ですよ、必ず生きて帰ってきます」


「……んっ」

 どんなに価値のある宝石や名画でも、絶対にあがなうことのできない大切な時間が、刻一刻と過ぎていく。それがどうしようもなく恐ろしかった。僕らはその恐怖を忘れるために、より深くお互いを求め合う。


「小春」


「どうしました?」


「愛してる」


「僕も愛してます」


 人類の存亡を賭けた乾坤一擲の反攻作戦、第七次討伐作戦まで残り十時間。


 しかし、極東最大の軍事基地の司令官と、最前線に赴く戦闘員が、二人一緒に過ごせる自由な時間は、それよりもずっと短いものだった。


 永遠に続くことを願っていた僕らの逢瀬は、執務室にかかってきた一本の内線電話によって儚くも中断される。それから作戦が開始されるまでの約十時間、僕たちが言葉を交わす機会は終ぞ訪れることはなかった。








第3章 トンネルの暗がりに・完。



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