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6 笑顔

 



 五月十六日、正午。作戦開始まで四十二時間。

 賽原基地、地下訓練施設。


《コアの破壊を確認。作戦目標を達成しました》

「はっ、はっ、はぁー」


 仮想空間上のアルバトロスの最深部、ぼんやりとした青白い光で照らされた広大な空間において、自分が使い潰した対物ブレードの柄を握り締めながら、足元に散らばるアルバトロスの心臓とでも表現するべきコアの残骸を眺めていた。


 背後では今まさに、こちらへ飛びかからんとしていた総勢二万からなるキメラの大軍団が、一斉に力なく崩れ落ちて活動を停止していく。


「訓練、終了」

《了解、訓練を終了します》


 昨日の深夜から急遽再開したシミュレーターでの仮想戦闘訓練は、予想していたよりもずっと良好な結果を残し、作戦成功確率は四割強をマークした。


 どうして急にここまで結果が上向いたのか、正直言って僕には理由がわからない。


 ただ以前よりも冷静に動けている感覚が確かにあった。


 大切なのは、今まで以上に道中に出現するキメラを無視して、ひたすら最深部へと進み続けること、それからキメラが発射する砲弾を対物ブレードで打ち払うのではなく、可能な限り回避を優先することだろうか。


 他にも、以前と今回とで戦闘中の立ち回りの変化はいくつもあるけれど、いきなり成功確率が四倍以上になるような劇的な変更点はなにもない。


 やっぱり、全身が機械化されて基本的に栄養補給や休息が不要だからといって、何十時間も連続して過酷な訓練を続けるのではなく。普通の人間と同じような生活サイクルを維持する必要があったのだと思う。


 機械の体がいくら頑丈でも、心が生身なのだとすれば、十分な休息と睡眠の必要性は語るまでもない。


 第七次討伐作戦が開始されるまで残り四十二時間。


 以前までの僕だったらギリギリまで、それこそアリス様から出撃命令が下されるまでひたすら訓練に没頭していただろうけど、過労のあまり昏倒するなんていう失敗は、もう二度と繰り返すつもりはなかった。


 体調管理も任務のうち。


 自分の身体の調子すら冷静に把握できないようでは、作戦の成功も夢のまた夢だ。


「よいしょっと」


 僕はあっさりと訓練を切り上げて意識を現実世界に引き戻すと、両脚を振り子のように動かして手術台みたいな固いベッドから飛び起きた。


「お昼、食べよ」


 本当は、昼食もアリス様とご一緒したかったのだけど、今は作戦の最終調整やらなんやらでとても忙しそうにしていた。


 残念ではあるけれど、今次討伐作戦の統括責任者であるらしい彼女の邪魔だけは絶対にできないので、僕はひとり、賽原基地の一階にある食堂へと向かうことにした。


「遠い……。この基地広すぎだよ」

 さすがは三万人が駐屯する極東地域最大の軍事拠点と言ったところだろうか。


 地下にある無機質な廊下を延々と歩いて、エレベーターに乗って地上に出て、またまた長い廊下をうんざりしながら歩くこと数分。


 各所に設置されていた地図を何度か確認しつつ、やっとたどり着いたその食堂は、予想していたよりもこぢんまりとしていた。どうやら同様の食堂が施設内には複数あり、下士官や士官といった階級、もしくは戦闘職員、エンジニア、医療従事者といった勤務内容によって利用できる食堂が異なっているらしい。


 こういった食堂を利用するのは記憶にある限り初めてなので、まだシステムがよくわかっていなかったりするのだけど……。


「まあ、なんとかなるか」


 僕は当たって砕けてしまえの精神で、食堂内に足を踏み入れた。


 やはりと言うべきか、そこは非常に国際色が豊かな空間だった。


 ほとんど人種がバラバラで、たぶん国籍なんかもまったく違う大勢の人たちが、複数の大きな長テーブルを囲んで慌ただしく食事を口に運んでいる。


 騒がしくはあるけれど、ギスギスした雰囲気はまるでない。


 誰もが和を乱すことなく、秩序立って行動している。


「んー、A定食ひとつ」


 しばらく列に並んで配膳カウンターにたどり着いた僕は、本日の献立を確認した上で注文を行う。ちなみに本日の定食はA・B・Cと三種類存在していて、A定食が洋風、B定食が和風、C定食が中華風であるらしい。


「はいよ、Aひとつ!」


 スキンヘッドで筋骨隆々とした二メートル近い黒人の男性が、カウンターの向こうで流暢な日本語を話しながら忙しそうに配膳を行っていた。


 彼の陽気な笑顔と共に手渡されたのは、凹凸のある樹脂製のプレートだった。


 プレートのくぼみに主菜、副菜、主食が直接盛りつけられている。


 おー、古い外国の映画で見たことあるやつだ。などと一人感動しながら壁際の空いている席に座ると、プレートのくぼみに納まっているお箸を摘まみ上げた。


 見た目は普通のコロッケ定食だったが、残念ながら味噌汁はついていない。


 ただ匂いはとても美味しそうで食欲がそそられる。


「いただきます」

 僕は期待に胸を膨らませながら、最初から黒いソースがかかっているコロッケを一口食べてみた。


「むぐっ、……ん?」

 ところが――。


「んん?」

 どういうわけか、このコロッケは僕の知っている食べ物ではなかった。


 サクサク感がないのは、まだ許容できる。


 けれど致命的なことに、ほとんど味が感じられないのである。


 それこそコロッケの形をした、異様に味気ない豆腐モドキを食べている気分だった。


「……あ、これも同じだ。味がない」


 しかも、味がしないのはコロッケだけではなかった。白い湯気が立ち昇っている白米、つけ合わせとして盛りつけられているプチトマトや、ざく切りのキャベツ、そしてパセリに至るまで、その豆腐モドキで形作られていたのである。


 さながら飲食可能な粘土で作られた食品サンプルとでも言うべきだろうか。


 コロッケ、白米、プチトマト、キャベツ、パセリ。


 そのすべてがニセモノで、造形を整え、着色し、ほんのわずかに風味を加えただけの模造品だったのである。


「…………」

 期待していた分だけ落胆は大きいし、騙された気分ではあったけど、怒る気には一切なればかった。

 今のご時世では、この食事ですらとんでもないご馳走で、きっと民間人はほとんど口にする機会のない高級品に違いないんだ。マズイだなんて、口が裂けても言うことは許されない。


 僕はひたすら無心で、模造白米や模造キャベツを胃袋に押し込みながら、以前口にした代用コーヒーや乙型配給食などの強烈な味わいを思い返していた。


 そうかこれが、いわゆる甲型配給食と呼ばれているものか……。


 まあ、うん。味も外観も粘土そのものだった乙型配給食に比べれば、甲型配給食は格段に美味しい。少なくとも、僕にだって食べることのできる味だ。よくわからないけど、栄養価だってきっと高いのだろう。


 たぶん、きっと……。


「ふぅ。……ん?」

 とにかく食べきることを最優先に食事を続けていると、誰かが僕の肩をつんつんと突いた。


「おいおい、なんて顔しながら食ってんだよ」


「あ、マコト……」


 振り返るとそこにはマコトが立っていた。


 ランチプレートを片手で持ちながら彼女は溌剌と笑っている。


 短く切られた黒髪と、気の強そうな琥珀色の瞳、均整のとれた体格。


 もとからそんなボーイッシュな外見をしているだけに、やはりジャケットやスラックスといったスーツタイプの男女共用軍服がよく似合っていた。


「小春、ひさしぶり。……それにしても、まあ予想通りというか、甲型配給食でも小春の口には合わなかったか」


「そ、そんなこと、ないですよ?」


「無理するなって、顔に出てるぞ。そんだけマズそうに食ってりゃ隠す意味もないだろ」


「ははは……」


 マコトは右隣の席に遠慮なく腰を下ろすと、C定食――麻婆豆腐定食をさっそくレンゲを使ってがつがつと食べ始めた。


「……美味しいですか?」

「うまい。俺的には、このC定食の麻婆豆腐が一番うまいと思う」

「へー」


 うーん。これは僕もC定食にするべきだったかな?


 マコトはひと時もレンゲを休めることなく、とても美味しそうに麻婆豆腐定食を食べ進めている。これはゴマ油の香りだろうか、においは本当においしそうだ。


「いやしんぼめ、そんなに食べてみたいのか?」

 こちらの視線に気づいたマコトは、にやりと笑った。


「あはは。とても美味しそうに食べているから、つい」


「仕方ないなー、一口だけだぞ」


「やった!」


「ほら、あーん」


「あ、あーん」

 ひな鳥みたいでちょっぴり恥ずかしかったが、それでも期待に胸を膨らませ、彼女が口元まで運んでくれたレンゲを受け入れた。


「……ん?」

 ところがそれを口に入れた瞬間に僕は後悔する。


 このご時世に、自分はいったいなにを期待していたんだろう。


「くくくっ」

 一瞬のうちに表情を消し去って、口をもごもごと動かしていると、マコトは悪戯の成功した子供みたいに笑い始めた。


「味はどうだ? A定食のコロッケよりは美味しいだろ?」


「いえ、その、正直に言って大差ないです。風味が心持ち中華風で、舌がピリピリする以外はA定食のコロッケもC定食の麻婆豆腐もまったく同じ味です」


「そりゃそうさ。このA定食やC定食に限らず、今の世界で一般に流通している食品は全部、代用ソイレントっていう、まあ俺も詳しくは知らないんだけど、とにかく単一の原料を加工しただけの代物だからな」


「それじゃあ、甲型配給食と乙型配給食の違いは……」


「加工の手間が違うだけで、基本的に同じものだ。乙型配給食はひどかっただろ? あの味と臭みを消すための加工が大変みたいで……、その……」


「……?」

 どうしたんだろう。


 それまで快活だったマコトは唐突に言葉を詰まらせ、口を閉ざしてしまった。


「……あ」

「マコト?」

「えっと、その……あはははっ」


 琥珀色の瞳を潤ませながら、彼女は痙攣に近い不格好な笑みで表情を歪ませている。


 涙がこぼれないようにと、天井を見上げていたが、すでにそれも限界だった。


 一粒の涙が頬を流れ落ちた途端、よほど泣き顔を見られたくないのか、マコトは慌てて顔を伏せた。


「なんでも、ない。ごめんな、急に……」

「…………」


「……うぅ、ちくしょう」

 けれど言葉とは裏腹に、彼女はうつむきながら、ときおり嗚咽を漏らして泣いていた。


 縮こまった背中が小刻みに震えている。


「ごめん、ごめんな」


「焦らないで、ゆっくりでいいですから」


「……っ」

 いくら声を殺そうと、流れ出た涙は止めどなく頬を伝っていく。僕はそれ以上理由を尋ねることなく、マコトが自分から話してくれるのを黙って待ち続けた。


「ははっ、ダメだな……。我慢しなくちゃいけないのに……」


 それからしばらく経ってひとまず泣き止んだマコトは、涙で赤くなった目じりをグリグリと擦りながら自嘲気味に笑っていた。


「僕でよかったら話してくださいよ。なにがあったんですか?」


 マコトは苦しそうに短く細い息を吐く。


「その、本当に情けないんだけど。明後日の作戦、俺は待機を命じられたんだ」


「……ぁ」


「さっき来栖野中将に言われたんだ。技能の向上は著しいが、まだまだ実戦レベルには達していない。このまま作戦に参加しても小春の戦闘について行けず、かえって邪魔になるって」


 表情を歪ませ声を震わせながら、マコトは唇を強く噛みしめてこみ上げてくる悔しさに耐えていた。


「こんなのは、無駄飯食らいの俺なんかが言えた義理じゃないのは重々承知してる。それでもお願いだ。小春、作戦を成功させて生きて帰ってきて……っ」


「マコト……」

 第七次討伐作戦が成功する保証なんてありはしない。


 むしろ失敗する可能性の方が高いくらいだ。


「マコト、大丈夫ですよ」

「小春……」

「作戦は絶対に成功させます。世界を救って、必ず帰ってきてみせます」


 それでも僕は笑ってみせた。


 大丈夫だと胸を張って、大きく頷いてみせた。


 正直に言って虚勢でしかなかったけど、大勢の軍人が利用するこの食堂で情けない姿は見せられない。まだまだ実感なんてないけれど、僕は彼らにとって生きる伝説であり、最後の希望なのだから。


「たとえ今度の作戦に参加できなくても、マコトがハミングバードの一員であることに変わりはありません。いつかマコトの力が必要になる時が絶対に来ると思います。その時に備えて、今はひたすら訓練を続けて力を蓄えてください」


「…………」


「さ、早く昼食を食べちゃいましょうよ。これ以上冷めたら、料理がもっと味気なくなってしまいます」


「……うん」


 僕がうながすとマコトはコクリと小さく頷き、黙々と食事を再開した。


 それにしても世界を救ってみせるだなんて、我ながら大それたことを口にしてしまったものだ。


 けれど、人類の最後の力を振り絞った乾坤一擲の作戦に身を投じる以上、むしろこれくらい大口を叩いた方がちょうどいいのかもしれない。


 ははは、今さらになって手が震えてきた。


 僕は手の震えで食器が音を立てないように注意しながら、代用ソイレントで形成加工されたニセモノのコロッケにかぶりつく。……うん、おいしくない。


「小春。俺、頑張るから。必ず、一緒に戦えるようになってみせるから」


「はい。でもあまりコンを詰めすぎないでくださいね? 僕らの体は、生身よりはずっと頑丈に造られていますけど限界はありますから」


「わかった」


「帰ってきたら一緒に訓練をしましょう」


「ああ、よろしく。……雪風隊長」


「はいっ」


 昼食を終えても僕らは席を立たなかった。これが最後の会話になってしまっても後悔のないようにと、一つひとつの言葉を大切にしながら笑い合った。





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