5 くずれたプリン
あぜんとするしかない僕を横目に、アリス様は淡々と喋り続けた。
「当時私は、男性が苦手だから付き合うことはできないと伝えた。するとあなたは、翌日から勤務時間外は決まってメイド服を着るようになった。どうして女装するのかと尋ねると、あなたは、自分がメイド服を着れば、男性が苦手なアリスの負担を少し減らせると思った、と言っていた。それから、女装は嫌だけど我慢する、迷惑なら今すぐやめる、とも言っていた」
彼女の白い陶器みたいな頬が、ほんのりと桜色に染まっていく。
「……嬉しかった。私は根暗で、体が小さくて、趣味や嗜好も一般的とは言えない。こんな私にそこまで本気の好意を寄せてくれる存在が現れるなんて、想像もしていなかった」
「…………」
「翌日。一晩考え抜いた私は、自分から雪風小春に対して交際を申し込んだ」
「アリス様は、その、僕のことが好きだったのですか?」
「好きだった。心から、愛していた。……それからおよそ一年間。あなたが第六次討伐作戦で戦死するまで、私たちは恋愛関係にあった」
こちらをまっすぐ見つめながら、しかしさきほどとは打って変わって、すべての感情が欠落した表情で彼女は淡々と言葉を紡いでいく。
「今から三年前。第六次討伐作戦の終盤。作戦開始から六時間後に、本来電波の届くはずのない通信が、なぜか賽原基地の司令部に入った。内容は絶望的だった。アルバトロスの最深部に到達したこと、随伴していた突入部隊一個旅団は全員戦死したこと、自身も致命傷を負っていて生還が困難であること――」
「致命傷……」
「そして手持ちの武装が尽きていてアルバトロスのコアが破壊できないことを冷静に報告し、直属の上官である私の指示を仰いだ上で、装甲義体の動力炉を暴走させ、コアを破壊するべく自爆した」
「――!」
「私は作戦の責任者として、あなたに、死ねと命じなければならなかった。それが今でも強いトラウマになっている。あの日以来、私は自発的に笑うことができなくなった。感情の起伏がそれまでよりも乏しくなり、もともと暗かった性格がより一層暗くなってしまった」
「……それは、なんていうか。……ごめんなさい」
「だめ、ゆるさない」
無感情な青い瞳と冷徹な言葉が、容赦なく僕の心臓を貫いた。
「うぅ……」
「謝ったくらいじゃ許さない」
「ど、どうしたら許してくれますか?」
アリス様は祈るように呟いた。
「……生きて」
「!」
「次の作戦を成功させた上で、必ず生きて帰ってきて。それ以外はなにも望まないから」
そんな約束はできないとは、口が裂けても言えなかった。
けれどシミュレーター上での作戦成功確率は、現在のところ十パーセント弱。
十回挑戦して、ようやく一回成功するかしないか、という程度でしかない。
しかも、作戦を成功させるよりも、無事に生還することのほうが何倍も難しい。
生きて帰って来られる保証なんてどこにもないんだ。
「わかりました。必ず作戦を成功させて、生きて帰ってきてみせます。僕だって、もう二度と自爆するつもりはありませんから」
それでも僕は笑顔を浮かべて、いかにも自信がありそうにうなずいてみせた。
「うん」
アリス様はほんの少し目を細めて、どこか嬉しそうに頷いている。
生還すると宣言した直後だと言うのに、もう胸の中は後悔で一杯だった。手だって震えている。情けない。手の震えが伝わってティーカップと受け皿がカチャカチャと音を立てるだろうから、しばらく紅茶は飲めそうになかった。
「あ、あの! さっきプリンを作ってみたんです! まだ冷えてなくて、ちょっと食べごろには早いかもしれませんけど、おひとつどうですか?」
「……プリン。もちろん、食べる」
「じゃあ、持ってきますね」
僕はそれらしい理由をつけて気分転換のために席を立つと、リビングを横断して併設されたキッチンへ向かう。正午過ぎに蒸し上げたプリンは、夕食後のデザートにする予定だったのでまだ冷え切ってはいない。
「すみません、アリス様。やっぱり早かったみたいです。でも味に問題は――」
プリンとカラメルで彩られたガラス製の容器を両手に持ち、とことことキッチンから戻ってきた直後、僕は慌てて口を閉じなければならなかった。
「……そう……うん」
ソファに深く腰を下ろしたアリス様が、トランシーバーみたいな外観の無骨な通信端末を使って誰かと通話していたのである。
「そう……わかった。……それは、違う。目の前で残り少ない国土を蹂躙されている北米政府を相手に、よくここまで時間を稼いだ。称賛に値する。あなたたちでなければ不可能だった。引き続き現地で調整を行ってほしい」
会話中も表情の変化は乏しかったが、彼女の発している雰囲気はどこまでも重く、そして暗いものだった。
「誰から、ですか?」
通話が終わったのを見計らって尋ねると、アリス様はリビングの端っこで所在なさげに立ち尽す僕へと、ゆっくりと視線を向けた。
心臓が強く脈打つ。
その張り詰めた表情を目にした瞬間、なにが起きたのか、おおよそ理解できてしまった。
「たった今、旧北米大陸に派遣していた私の部下から緊急連絡が入った。先ほど、北米統合軍は侵攻を続けるアルバトロスに対して、持てる全戦力を投入した総攻撃を開始。これを受けて統合軍総司令部は、運用可能な全戦闘部隊の作戦投入を決定。全世界に対して緊急声明を発するのと同時に、その会見の場において第七次討伐作戦を正式に発令した」
「……あ」
気が遠くなり、手足の力が抜ける。穏やかな日常はあまりにもあっけなく両手からこぼれ落ち、無残にもフローリングのシミとなり果てた。
「作戦開始は、日本時間の二〇二三年五月十八日、午前六時――〇六〇〇。投入した戦闘部隊による敵戦力の間引きが最大化し、キメラの総数がもっとも低減する瞬間、つまり現時刻から約六十時間後を予定している。以上、なにか質問はある?」
「いいえ、ありません」
もうここに、来栖野家の唯一の使用人である女装メイドはいない。ひとりの統合軍兵士として、ゆるみ切っていた惰弱な思考を強制的に捨て去り、今が戦時下であることを思い出す。
僕にとっての彼女はもはや来栖野家のご当主様ではなく、人類統合軍の軍人にして賽原基地の司令官である来栖野有栖中将に他ならなかった。
「詳しい作戦内容の説明は明日以降、賽原基地の私の執務室で行う。小春は期日までに、少しでも作戦の成功確率を上げられるよう努力してほしい」
「了解しました」




