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滅びゆく世界を救うたった一つの方法  作者: 細川 晃
第3章 トンネルの暗がりに
23/23

2 あい路をゆく




《敵総数、索敵エリア内に五百五十》


「電磁流体装甲、出力全開っ!」


 高速で対流する荷電粒子が最大濃度で周囲に展開されたのと同時に、かすかな閃光が前方で連続して瞬いたかと思うと、針のような形状の金属塊が鉛色の光沢を放ちながら途切れることなく飛来した。

 

 それは前方のキメラが発射した、タングステン合金製の四十ミリ徹甲弾であった。


 その威力は凄まじく、コンクリート壁や瓦礫などの遮蔽物を粉砕し、戦車を除く軍用車両や航空機は、この砲弾によって即座に破壊されてしまう。


 当然、戦車に比べればずっと薄い装甲しか持ち合わせていない渡り鳥では、キメラの砲弾の直撃には到底耐えられない。それは電磁流体装甲の出力を全開にしたとしても、根本的な解決にはなっていなかった。


 飛来する砲弾の数が一発や二発ならば問題はない。


 自機の周囲を対流する荷電粒子の防御層が、機体に接触する前に砲弾を確実に蒸発させるからだ。けれど、砲弾の数が百や二百となると話が変わってくる。電磁流体装甲の能力にも限界はあるため、それだけの数を一斉に撃ち込まれてしまえば、ほぼ確実に防御層を突破されてしまう。


 しかも莫大な電力を消費する兵装の使用は、常に排熱の問題がつきまとう。排熱処理が間に合わなければ思考能力が低下し、より深刻化すれば、戦場の真ん中で昏倒するはめになる。


 廃工場での戦闘で、僕が意識を失って倒れたのも排熱に問題があったからだ。


 オーバーヒートによって脳核、つまり生体脳がゆで上がりそうになった結果、安全装置が働いて義体機能を強制停止させたらしい。


 現状、排熱の問題は、渡り鳥の一部兵装の搭載を見送ることで大幅に改善されたが、それでも油断はできない。苛烈な長時間戦闘が想定される第七次討伐作戦では、電磁流体装甲の使用も極力ひかえなければならなかった。


「邪魔だ!」

 接敵するにつれて弾幕の密度が急激に高まっていく。


 殺到するキメラの砲弾を迎撃するべく、両手に携えた対物ブレードを幾度も振るった。


 研ぎ澄まされた相州鬼正の刀身は驚くほど鋭く、かつ粘り強い。


 対物の名は伊達ではなく、砲弾を十や二十斬り払ったところで刃こぼれすらしなかった。


「――退けぇっ!」


 喉が張り裂けんばかりに叫ぶと、推進装置の全力噴射を維持したまま、三枚の金属板によって形成された三次元推力偏向パドルを小刻みに開閉し、地上をジグザグに駆け抜け、殺到する何百もの砲弾を回避した。


 そして彼我の距離五百メートルを瞬時にして詰め寄り、無数のキメラが密集し、天井も地面も鉛色に塗りつぶされた空間へと迷わず飛び込んだ。


「――はっ」

 刹那、相州鬼正の特長的な灰色の刃が走り、ほぼ無音でキメラの堅牢な甲殻をするりと斬り裂いた。

 目の前に立ちふさがっていたそのキメラは、大きく斬り裂かれた胴体部から濁った赤い体液を間欠泉さながらにまき散らして崩れ落ちる。


 近場のキメラを同様に三体斬り伏せて橋頭保を確保すると、僕は地面に散らばった死骸を足場に、敵の包囲網を突破するべく可能な限り低く跳んだ。


 彼我兵力差は一対数十万と絶望的だが、最深部のコアさえ破壊してしまえばアルバトロスは即座に停止する。


 同時にキメラも一匹残らず死滅するため、無理に相手をする必要はない。


「――くっ」

 討伐作戦において、なにもよりも重視すべきなのが、速度である。


 僕が敵中突破を試みている最中にも、キメラは空洞の壁面を三対六本の節足で軽快に這い回り、時には頭上からボロボロと落下してくる。


 そういった敵個体に接触し、運悪く組みつかれてしまうと、もう助かる見込みは薄い。


 即座に脱出しなければ消化液で溶かされるか、鋭いアゴで食い殺されてしまうのだ。


 また頭上からの強襲を回避しても、背後をとられてしまえば命の危機に直結する。


 立ち止まってはならない。

 呆然と立ち尽してもならない。

 なによりも速度を重視する。


 それはつまり仲間が負傷しても立ち止まってはならない、仲間が戦死しても呆然と立ち尽くしてはならない、という意味だ。対アルバトロス戦闘において、立ち止まること、行動不能に陥ることは死と同義である。


 この数日間、絶え間なく戦闘訓練を繰り返す中で、僕は少しずつ過去の記憶というものを思い出していった。ただその記憶は、人物名や実際の出来事に関するものではなかった。


 人類統合軍の軍人としての心構え、対アルバトロス戦における鉄則や、重機械化歩兵部隊の隊長としての振る舞いなど、思い出したのは感情を伴わない純粋な知識や経験則に限定されていた。


 それらすべてが実戦の中で培われた知識や経験なのだとするならば、いったい僕はどれほどの戦友たちを見殺しにして、作戦の完遂を目指したのだろうか。


 二〇一二年の関東絶対防衛戦で僕だけを残して消滅したという第一〇一重機械化歩兵連隊。


 僕が隊長を務めていたという戦略機動部隊〝ハミングバード〟も作戦の度に代償を払い続け、かつて部隊に所属していた隊員は、ひとり残らず戦死してしまっている。


 生半可な精神力では、関東絶対防衛戦を経験した時点で再起不能だ。


 それほどの経験をしていながら、僕はどうやって正気を保ち続けたのだろうか。


 いや、もしかすると正気ではなかったのかもしれない。


 漠然と考えただけで言い知れぬ恐怖を感じて背筋が凍りつく。


 だから僕は考えるのをやめた。


「――っ」

 まもなく訓練開始から四十分が経過する。


 都合三百体ほどのキメラを斬り捨てたところで、右手で振るっていた対物ブレードの刀身が根元から折れてしまった。


 破損した兵装は迷うことなく投棄し、ブレードランチャーから新しい相州鬼正を抜刀する。


 どこに視線を向けてもキメラだらけで、その数は空洞の奥へと進んでいくにつれ、加速度的に増加していく。しかしそれは、この先がアルバトロスの最深部に通じているという確固たる証拠でもあった。


 肩部に並ぶ双発の推進機構が、こちらの意思に応えて唸りを上げる。その強烈な推進力に身を任せ、一羽の兎が月面を飛び跳ねるが如く、一足飛びに数百メートルを滑空していく。


 一歩進むごとに、強酸性の消化液、四十ミリの徹甲弾が、横殴りの雨となって降り注いだ。


 その豪雨の中を延々と突き進み、立ち塞がるキメラは真横を走り抜けながら斬り刻む。


 右に左にと軽快なステップを踏み、飛び上がっては空中で体をひねりつつ回避運動を取り、時には体を高速で回転させながら刃の生えそろったコマとなって、十重二十重の敵陣に斬り込んでいった。


「もう折れた」


 鈍い金属音と共に、ほんの数分前にランチャーから取り出したばかりの相州鬼正が刀身の中ほどから砕け散った。そして直後、訓練開始と同時にこれまで使用してきたもう一振りの鬼正も砲弾を弾いた途端に折れ曲がってしまう。


「――ちっ」

 舌打ちが我慢できない。


 あきらかに集中力を欠いていた。


 けれど態勢を整えている余裕などなかった。


《警告。前方四キロメートルの地点に、推定一千の敵集団を発見。続いて後方より、推定五千を超える大規模な敵集団が接近中、このままでは挟撃されます》


 視界の端に突如として、周辺の地形情報と敵の位置、それから接近中の敵集団が詳細に記されたマップが浮かび上がる。渡り鳥に搭載された人工知能は、現在僕が、どれほど危機的な状況下に置かれているのかを端的に知らせてくれていた。


「――――」

 後方から迫りくる敵集団の猛烈な突き上げに悲鳴を上げそうになる。


 眼前に広がる地形は、まるで機械で掘削したかのように直線的であった。


 そんな均一な空洞が延々と四千メートルも続き、その終着地点にはおよそ一千体ものキメラが布陣しており、次々と徹甲弾を口部から発射している。


 さながら防衛陣地に据えつけられた機関砲群による一斉掃射であった。


 毎秒数百発もの徹甲弾が前方より絶え間なく飛来する。


 直径二十メートルしかない空洞内は、あっという間に敵の濃密な弾幕によって塗り潰されてしまった。


 地形は一本道。

 前方には敵陣地。

 後方からは敵の大集団が接近中。

 退路はない。


「……いくじなし」


 体内で、ムクドリ型永久発電機構が心臓さながらに律動し、渡り鳥の性能を引き出すべく、各部へと潤沢な電気エネルギーを供給し始めた。


 その際に発生した膨大な熱エネルギーが、高温の蒸気を伴って全身から立ち昇る。


 アマツバメの頭髪が体内からその熱を吸い上げ、脳核を最優先で冷却しながら、淡い黄金色の光沢を放ってゆらめいている。


「そもそも逃げ道なんて最初からないんだ」


 そう呟きながら、僕は破損した両手の対物ブレードを手放した。両腰のブレードランチャーに手をかざし、速やかに押し出された柄を左右同時に引き抜く。


 これでランチャー内の予備は、左右合わせて残り五本。


 大丈夫、まだ戦える。


「――ぅあああああああッ」

 こぼれそうになる悲鳴を噛み殺し、自らを奮い立たせるべく叫びながら、滑るように地面を駆ける。


 降り注ぐ数千の砲弾を懸命に回避し、かわしきれなかった数百の砲弾は両手の刃を振るって迎撃する。しかしそれでも対処しきれなかった数十もの砲弾が、電磁流体装甲の防御層を食い破らんと殺到した。


「ぐうぅっ」

 その時、大きな衝撃と鈍い痛みが腹部を貫く。


《腹部被弾、装甲貫通。搭乗者にダメージ。複数の人工臓器、および第三動力ケーブル損傷。主機出力二十五パーセントダウン》


 破損した装甲の一部が脱落し、黒ずんだ血液が損傷した腹部からどくどくと流れ出ている。


 それは明らかに重症だったが、全身義体のサイボーグは生身の人間よりもよほど頑丈に造られている。また強すぎる痛みは義体側でセーブされるように設定されているため、戦闘継続にも大きな支障はなかった。


 僕は被弾した衝撃で崩れかけていた体勢をどうにか立て直し、再び敵陣に向かって走り出したが、明らかに推進装置の出力が低下していた。


 機体が最高速度に到達すれば、それこそ三秒未満で走破可能な四千メートルという距離が、今の自分には果てしなく遠い。速力が低下したところを狙い撃ちにされ、満足な回避運動も行えなくなった途端に何百もの砲弾が瞬間的に降り注ぐ。


 当然だ。敵は容赦などしてくれない。


《左肩部および左上腕に被弾。左腕、脱落。機動能力を喪失しました》


 左肩に大きな風穴が開き、左腕が一本まるごとちぎれ飛んだ。


 体勢を崩した僕は受け身を取ることもままならず、顔面から地面に倒れ込む。


 肩に被弾した衝撃で眼球の毛細血管が破裂したのか、左目の視界が赤く染まっていた。


「アアあっ――まだまだぁっ!」


 大破。満身創痍。


 だからどうした。まだ戦える。


 闘争か、死か。


 高濃度のアドレナリンが脳内を駆け巡り、ひととき、死の恐怖から解放される。


 しかし、その無謀な闘争の先に待ち構えていたのは、至近距離から発射されたキメラの砲弾が頭部を貫通するという、冷たくて残酷な死の感触だけだった。仮想空間内における僕の死によって戦闘シミュレーションは強制中断され、意識が現実へと浮上する。





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