13 胸に決意を
「あ、あの、マコト?」
「思い描いていた人物像とはだいぶ異なっていましたけど、それでもあなたが私のヒーローであることに変わりはありません。雪風少佐、ありがとうございました!」
マコトは深く頭を下げた。他人からここまで深々とお辞儀をされたのは初めての経験だったため、かなり慌ててしまった。
「あ、頭を上げてください!」
僕は半分パニックになりながら、マコトの両肩を掴んで強引に頭を上げさせた。
「マコト、あなたにそこまでさせておいて心苦しいのですけど、僕はなにも覚えていないんです。ですから、英雄とまで呼ばれた隊長さんと、今の僕は、ほとんど別人です」
「それはつまり、脳核に損傷が?」
「聞くところによると、第六次討伐作戦の際に、僕は相当な無茶をしたらしくて、その後遺症のようなものらしいです」
これまでの会話から推察する限り、アリス様はマコトに対してすべての情報を事細かに開示しているわけではなさそうだ。僕はその考えをくみ取り、言葉を慎重に選んでいった。
「……マコト、お願いですから僕に対しては、これまで通りの砕けた態度で接していただけませんか? というか似合ってないですし、そのかしこまった口調も、かなり無理していますよね?」
「やっぱり、ばれてた?」
マコトは居心地が悪そうに首をすくめている。
イタズラ現場を目撃されてしまった飼い犬そっくりの仕草だった。
「まあ、なんとなく。きっとマコトは自由なことが好きで、他人からの強制や、窮屈なことが苦手なんだろうなぁと、あの廃工場で出会った時から思っていましたし」
「参ったな」
どこか嬉しそうに、彼女は苦笑していた。
「あのアリス様」
「なに、小春?」
「今が戦時下である以上、軍隊にとって規則とか階級とかが、なによりも重要なのは理解できますけど、もう少し僕とマコトの上下関係を緩和できませんか?」
「……私は昔から、あなたの部隊教育の方針について、あれこれ口出したことは一度もなかった。そもそも賽原基地おいて、あなたの方針に意見できるような人間は誰一人いない。全部、小春の好きにすればいい」
どうやら僕は統合軍という組織に属していながら、軍隊の規則を守らなくてもいいらしい。
賽原基地司令官、来栖野有栖中将のお墨つきである。
ただこれって、数万もの軍人を統率する基地司令本人が、軍隊の規則や秩序を無視して構わないと宣言しているわけなんだけど……。冷静に考えてみると、かなりマズいよね?
ただまあ、これで面倒な上下関係を気にする必要はなくなったので、もう別にどうでもいいか。
「マコト、そういうことらしいので、僕と話す時はこれまで通りでお願いします」
「……わかった」
アリス様のくだした決定であるため、マコトも嫌とは言えなかったのか、表情をこわばらせながらも了承する。
「はあ、なんて場所だ……。俺の想像していた統合軍とまるで違う。軍隊ってやつは、どこもこんなに緩いものなのか?」
「こうも緩いのは私たちだけだと思いますよ? 賽原基地の軍人さんを何人か知っていますけど、皆さんとても職務に忠実な人たちでしたから」
そう言えば、暴漢の襲撃を受けた運転手のジョージさんは、きっとあの廃工場の連中に襲われて負傷したに違いない。曲がりなりにも、対戦車ロケットやレーザー兵器で武装した集団の襲撃から生き延びたわけだから、彼も生身の非戦闘員ではないはずだ。
おそらくジョージさん本人も、賽原基地の重機械化歩兵部隊に所属する全身義体のサイボーグなのだろう。
「なあ、小春」
「なんですか?」
僕の名前を呼んだマコトは、なぜか急に頬を赤らめてうつむいてしまう。
彼女は頑なに、こちらと目線を合わせようとはしなかった。
「ようするにお前は、俺と対等な関係を求めているんだよな?」
「はい。軍人である以上、限界はあると思いますが、……その、友人として、可能な限り対等な関係でいたいと思っています」
「そっか。……俺としても小春と友人関係になれるのは嬉しい、けど本当にそれでいいのか? なんて言うか、俺と小春とじゃいろいろと身分が違うだろ?」
「え?」
僕には最初、マコトの言いたいことが理解できず、首を傾げるしかなかった。
「俺は小春のことを心から尊敬してる。たとえ記憶を失っていても、俺にとってお前は憧れのヒーローだよ。そんな雲の上の存在と階級は違っていても対等な友達になれるなんて、それこそ夢みたいだ」
けれどここでようやく、彼女がなにを伝えようとしているのか理解するに至り、握り閉めた僕の両手は震え始めていた。
「俺は横須賀のスラムで、長い間一人で暮らしてきた。スラムでの生活は決して楽じゃない。だから自分の身体を切り売りして、人には言えない汚いことだって、それこそいっぱいしてきた。少し叩けば、いくらでもホコリが出てくる身の上なんだ」
「…………」
「英雄であるお前とスラム出身の俺が仲良くしていたら、まわりの連中は快く思わない。人間ってそういうものだろ? 場合によっては、小春まで巻き込んで迷惑をかけてしまうかもしれない、だから上下関係だけは普段からきっちり――」
「言いたいことはそれだけですか?」
あーもー、我慢の限界!
ネガティヴなことばかり口にして、自虐的な作り笑いを顔に張りつけたマコトなんて、もう見たくない。
僕は両手を後ろ手に組んで、いわゆる休めの姿勢になると、背骨が反り返りほどに息を大きく吸い込んだ。
「――有坂真少尉! 気をつけッ!」
「――っ!?」
脳裏に刻み込まれた職業軍人の本能に従って全力で叫ぶと、マコトはびくりと両肩を震わせて気をつけの姿勢になった。視界の端っこで、僕の号令にアリス様まで反応して姿勢を正していたけれど、今は見なかったことにしよう。
「これより人類統合軍・戦略機動部隊〝ハミングバード〟隊長、雪風小春少佐として、貴様に命令する!」
「……あの、小春? 急にどうしたんだよ?」
「新任の少尉風情が上官に口ごたえとはいい度胸だなッ! 貴様、返事はどうしたッ!」
「は、はいッ!」
「よろしい! では現時刻をもって、雪風小春少佐と有坂真少尉は、作戦中を除き、いかなる理由があろうとも対等な友人である! この命令に対する口ごたえは絶対に許さない!」
なんだか急に恥ずかしくなってきたけれど、ここで中断するわけにはいかない。
頬も耳も、湧き上がる羞恥心で真っ赤になっているだろうけど、ここでやめてしまったら、それこそすべてが無駄になってしまうのだから。
「少尉、復唱しろ!」
「こ、小春……」
「もう一度言う、復唱しろ少尉!」
「……現時刻をもって、雪風少佐と有坂真少尉は、作戦中を除き、いかなる理由があろうとも対等な友人であるっ!」
叫ぶような復唱を終えたマコトは、なにかを我慢するように震える唇を噛みしめた。
「えっと、じゃあ小春、これからもよろしくな」
「はい、よろしくお願いしますね」
「……えへへ」
マコトは、泣き止んだ子供みたいな面持ちで、朗らかに笑っていた。片時も警戒を緩めず、野生動物さながらだった彼女の雰囲気も、今はすっかり落ち着いている。
けれどマコトは、僕が本当は男であることを知らない。それなのに、なにが友人だ。
積みかさねてしまった罪の重さに押し潰されそうになる。
僕は自分自身を偽るばかりか、彼女の信頼までも踏みにじってしまったんだ。
「小春、さっきの号令、すごくカッコよかったぞ」
「そ、そうですか?」
胸中に沈殿した暗い感情の中でもがき苦しみながらも、僕は自分の胸にそっと手を伸ばし、巻きつけられたパッド入りブラジャーの具合を確かめた。
うぅ、かゆい。長時間寝ていたせいか、ゴムの締めつけが。
「号令の時なんて特にシビれたぜ! サイボーグには変な表現かもしれないが、記憶を失っても体は覚えているってことなのかもな」
「そうかもしれませんね」
僕はマコトと何気ない会話を続けながら、これから一生、女装して生活していく覚悟を固めるのだった。
第2章 『焼きたてクリームパイと瓦礫と砂埃』・完。
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