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滅びゆく世界を救うたった一つの方法  作者: 細川 晃
第2章 焼きたてクリームパイと瓦礫と砂埃
19/23

11 帰巣

 


 消毒用アルコールの匂いがする。


「……んっ、……うぅ?」


 ふと目を覚ますと、自室のクローゼットに仕舞っておいたはずの鳥柄のパジャマを着て、清潔なベッドの上で横になっていた。


 寝ぼけまなこをぐりぐりと擦りながら、首だけを動かしてあちこちを眺めてみる。


 その結果わかったのは、ここは病室というよりも独房か、もしくは死体安置所のような一室ということだけであった。


 ドアは一つだけ、室内に窓はなく、床も壁も天井もむき出しのコンクリート。


 壁面には大きな鏡がはめ込まれているのだけど、たぶんあれはマジックミラーだろう。


 きっと鏡の向こう側が暗室になっていて、誰かがこちらを監視しているに違いない。


 僕は上半身だけを起こして、鏡を無言で凝視する。すると誰かが慌てて立ち上がったのか、向こう側から椅子の倒れる音が聞こえてきた。


 ほどなくしてドアがノックされる。


「どうぞ」


「……小春」


 廊下からひょっこりと顔を覗かせたのは、軍服姿のアリス様だった。


 ということは、ここは賽原基地の内部である可能性が高い。


 彼女は出勤する時以外、その制服を着たがらないからだ。


「体調は?」


「大丈夫です。……あの、僕はどれくらい眠っていたのですか?」


「小春が基地から緊急発進した渡り鳥を装備して、郊外の廃工場を根城にしていた武装集団と交戦してから七十二時間が経過している」


 丸三日か……。


 アリス様は、とぼとぼと室内を歩いて、部屋のすみに置かれていた丸椅子を取ってくると、ベッドの近くに置いてそっと腰を下ろした。


 黒髪の奥で輝く青い瞳が、こちらをまっすぐ見つめている。


 彼女の鮮やかな瞳に見つめられていると、自分の軽率さを悔いる気持ちで、胸が張り裂けそうになる。


「すみませんでした」


「……?」


「僕は、アルバトロスの存在や、人類が滅亡寸前まで追い詰められている現実を最後まで信じられなかった。アリス様は全部本当のことを教えくださったのに、なに一つ信じることができなかった。本当にごめんなさい」


「謝罪は必要ない。あなたは当初、人類統合軍の存在すら知らなかった。あなたは自分で想像しているよりも、ずっと多くの記憶を失っている」


「……はい」


「そして記憶の欠落が特に顕著なのが、二〇〇〇年以降。人類とアルバトロスの戦争が始まった二〇〇〇年以降の記憶を、あなたは丸ごと失っている」


「…………」


「戦前の平和な時代の記憶しか持たないのであれば、私がどれだけ言葉を尽くしたところで、現在の世界情勢をすんなりと理解するのは不可能だった。今回の一件は、私に落ち度がある」


「でもアリス様、僕は――」

 あなたを傷つけて、賽原基地にも多大な迷惑をかけてしまった。


「必要ない」


 それをどうにかして償いたかったが、僕の願いはアリス様によって一蹴されてしまう。


「小春が無事でよかった」


 アリス様は優しく笑っていた。


 白くて小さな手が、僕の頬にそえられる。


「……うぅ」


 ぽっと頬が熱くなるのを感じたが、それもすぐに治まって、なんだかとても穏やかな気持ちになる。ほどなくして彼女の手が離れていくのが、ただただ悲しかった。


「アリス様」


「?」


「賽原基地の人々は、僕のことを知っている様子でした。記憶を失う前の自分は、いったいどんな人物だったのですか? どうして自分は記憶を失ってしまったのでしょうか?」


 この質問も以前までなら、アリス様は黙秘を貫いていただろう。


 けれど今ならば、彼女は包み隠さず、真実を話してくれる予感があった。


「……もともと小春は、人類統合軍の軍人だった」


「!」

 はたして予感は現実のものとなる。


「あなたが統合軍に入隊したのは、二〇一二年の春。あなたの頭脳は義体との親和性が極めて高く、訓練課程において歴代トップスコアを記録している。しかし戦局の悪化から訓練期間は極限まで圧縮され、すでに実戦にも耐えうると評価されていたあなたは、全身機械化の翌々月には、当時の最精鋭部隊、極東方面軍・第一軍団・第一師団隷下の第一〇一重機械化歩兵連隊へ配属された」


「…………」


「同年十月、アルバトロスの侵攻から関東を死守するべく発令された関東絶対防衛戦において首都防衛任務に就いていたあなたは、第一〇一重機械化歩兵連隊の一員として、アルバトロスの体内から出現した数万もの小型戦闘ユニット、つまりキメラと長時間に渡って交戦し、目覚ましい活躍を見せた」


「…………」


「そして九十六時間の激戦の末に、アルバトロスの進路をそらして、関東地方への侵略を阻止するという人類史上初の偉業……奇跡を成し遂げた」


「あの、僕が所属していた歩兵部隊は……?」


「消滅した。小春を除く全隊員が、関東絶対防衛戦において戦死している」


 アリス様は淡々と話し続けた。


「二〇一八年。当時、賽原基地の副司令官であった私の要請に応じる形で、あなたは戦略機動部隊〝ハミングバード〟の隊長に就任。二〇二〇年までにアルバトロスの完全撃破に五度成功した。しかし六度目、最後のアルバトロスを撃破する作戦は失敗に終わり、公式上の記録ではあなたは作戦中に戦死したことになっている」


 作戦中に、戦死……。


「つまり、僕は一度死んだってことですか?」


「記録上ではそうなっている。あなたは作戦行動中に、最前線からの生還が困難だと悟ると、装甲義体のリアクターを暴走させて自爆し、敵のメイン動力炉の一部を破壊。アルバトロスを三年間も行動不能に陥らせるほどの深手を負わせた」


「自爆!? 僕、自爆して死んだんですか!?」


「そう」 


 記憶を失っているのだから当たり前だけど、何もかもがまるで別人だ。


 生還すら絶望的な状況に直面した時、はたして今の僕は、かつての自分と同じように最期まで勇敢でいられるだろうか。


「だからオリジナルの脳核は、あなたが自爆した際に失われている。そこで私は、作戦失敗の翌週から――」


「……?」

 アリス様は言葉を区切ると、一呼吸置いてから話を再開した。


「私は、雪風小春という人間の再現を試みた」


「えっ」


 薄々気づいてはいたけど、やっぱり今の僕は……。


「雪風小春という人間を形作る上で必要な情報は、とある実験において一度データ化されており、それを培養した生体脳に複写する形で記憶と人格を保存していた。ただそれらの技術はまだまだ未成熟で、生体脳に複写できたデータの総量は、全体の二割にも満たないものだった」


「…………」


「私は二年以上の歳月を費やし、ボロボロの記憶情報を可能な限り整合性を損なわないように繋ぎ合わせ、少しずつ人格を再構築していった。そういった試行錯誤が実を結び、あなたという人格がその義体に宿ったのが、今から二カ月前のことになる」


 アリス様は僕の質問に答え終えると、ゼンマイがほどけ切った人形のようにピタリと身動きを止め、一言も発することなく、じーっとこちらの様子を眺め始めた。


 おそらくだけど、僕の反応をうかがっているのだと思う。


 僕の人格が、人工的に作り出されたものだと知って、こちらが必要以上にショックを受けていないか、つぶさに観察しているんだ。


 彼女のそういうところが、本当に研究者らしい。


「やっぱり実感がない?」


「そうですね、実感はないです。自分が複製された存在だと言われても、よくわからないというのが正直な感想です。でも裏を返せば、その人格を再構築する技術がそれだけすごいものだったということですよね」


 そういえばアリス様は、現在普及しているサイボーグ技術を一人で確立させた天才科学者なのだと、誰かが誇らしげに教えてくれた。けれどそれは誰が教えてくれたんだっけ?


 ……ああそうか、マコトだ。


 彼女が僕に教えてくれたんだ。


「……っ」


 直後。赤黒い血液にまみれた銃殺死体を腕に抱く感触と、対物ブレードが人体を斬り裂く感覚を追体験し、そのフラッシュバックによって、僕の意識は深く沈んでいく。


 僕は自らの意思で、たとえ凶悪な犯罪者であっても、数多くの人間を殺めてしまった。


 これは、その罪に対する相応の罰なのかもしれない。


 錯乱するほどではないけど、とても辛い記憶だ。


 きっともうトラウマになっている。叶うなら即刻忘れてしまいたい。


 けれど僕は、これから何十年と、この記憶と向き合っていかなければならないのだろう。


「顔色が悪い」


「――!」

 その一言で、僕は慌てて意識を現実へと引き戻した。


「大丈夫?」


「はい、平気です」

 少し無理をしてでも笑顔を作った。頬が引きつっていなければいいのだけど。


「なにか他に質問はある?」


「……今回の一件で様々なことを学びました。僕の新しい体となったアマツバメと、その外部兵装である渡り鳥が、どれだけ強力な兵器なのか十分理解しました」


「そう」 


 この時点で、僕はすでに覚悟を決めていた。


 けれど自分の意思で軍に戻る前に、人類統合軍の中将閣下にして、賽原基地の司令官でもあるアリス様に、どうしても答えてもらいたい質問が一つだけあった。


「世界は今、危機的な状況です。多くの国が滅び、食糧や物資が不足し、闘争本能をむき出しにした人々が、生き残るために凶悪な犯罪を繰り返している。人類は凄まじい速度で衰退し、滅びへと向かっています」


「…………」


「地球上から元凶を、アルバトロスを排除できたなら、アリス様は人類の滅びを回避できますか? もう手遅れなんてことはないですよね?」


「手遅れではない」

 僕の問いかけに対し、アリス様は視線をそらすことなく即答した。


「今後予定されている第七次討伐作戦が成功し、アルバトロスの絶滅が完了すれば、私の指揮下にある賽原基地は、人類統合軍の先陣を切って人類社会の復興を開始する。賽原基地には、その復興を最大の目的として全世界の五十以上の国と地域から、高度な知識と技能に精通した約三万名の人員が集まっている。復興にはとても長い時間が必要となるが、まだ手遅れではない」


「…………」


「だから小春には、戦略機動部隊〝ハミングバード〟の隊長として、今度こそアルバトロスを倒し、私たちが人類社会の復興に全力で取り組むための礎を築いてほしい。あなたには、その力が備わっている」


「僕が勝てば、世界は平和になりますか?」


「平和にしてみせる」

 迷いのない澄んだ瞳だった。


「……わかりました」


 彼女の下でなら、十年後、二十年後に、社会秩序を取り戻し、見事な復興を果たした賽原市を目にすることができるかもしれない。


 争いのない、平和で穏やかな世界が実現できるかもしれない。


 なんの根拠もないけれど、たしかな確信があった。


「僕、戦います。敵を倒します」


 こうして自分は記録上において、人類統合軍への二度目の入隊を果たした。


 自らの意思で、再び戦場へと舞い戻ったのである。


「ありがとう」


「……っ」


 それを改めて認識すると、情けないことに緊張のあまり手足が震えてきた。もしかすると、自殺にも等しい決断を下してしまったのかもしれないが、もう後戻りはできない。


 生きるか、再び死ぬか。僕に残された道は、この二つだけだった。




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