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滅びゆく世界を救うたった一つの方法  作者: 細川 晃
第2章 焼きたてクリームパイと瓦礫と砂埃
18/23

10 雷鳥



「お前、いったい何者だッ」


 しゃがれた声が廃工場に轟いた。


 夜空を見上げていた視線をゆったりと正面に戻す。すると大小様々な銃火器で武装した集団が物陰からぞろぞろと現れた。彼らの装備する無骨な暗視ゴーグルが、闇夜の中で月光を浴びて鈍く輝く。


「何者だッ! おい、答えろッ」


 再度そう叫んだのは、あごひげを蓄え迷彩服を着こんだ年配の男性で、四組のレンズが並ぶ蜘蛛の複眼に似た暗視ゴーグルを装着し、ハンドメイドと思しき無骨なロケット砲を肩に担いでいた。おそらく彼がこの武装集団のリーダーなのだろう。


「わかりません」


 僕は素直に答えた。


「……なんだと?」


「記憶喪失です。だから自分でも、僕が何者なのかわかりません。……ただ、それでもあえて答えるのなら、僕は来栖野家の使用人です」


 かつて、アリス様が綺麗だと褒めてくださった淡い金色の長髪が、立ち昇る排熱風によってはためき、揺れ動く。


 この髪には熱交換器としての役割もあり、カーボンナノチューブも凌駕する熱伝導効率によって機体内の熱を吸い上げ、唯一の生体器官である僕の頭脳が納められた脳核を最優先で冷却し続けている、らしい。


 その冷却機能は正常に作動しているはずなんだけど、さっきから頭が妙にぼーっとする。


 もしかすると何かの調整不足で、排熱が上手くいっていないのかもしれない。


「統合軍お抱えのサイボーグ野郎が、なに意味不明なこと言ってやがるッ! 俺たちを動揺させたけりゃもっとマシな言い訳をしろ! そのフルチューニングのボディと、お前が身に着けている高価なメタルは、どう見たって軍用品じゃねえか!」


《レーダー照射を検知しました》

 あ、ロックオンされた。


 どうやらあの男性が構えているロケット砲には高度な照準機能があるらしい。


 手作りのはずなのにずいぶんと高性能である。きっと彼は優れたエンジニアなのだろう。


 いかに渡り鳥の防御機構が優れていても無敵というわけではない。


 ロケット弾が機体に直撃すれば、最悪の場合、一撃で行動不能に陥ってしまう。


 現代兵器とはそれほどまでに強力であり、いかに粗悪な見た目をしていても、決して侮ってはいけないのだ。


「もう、やめましょう。ここは見逃していただけませんか?」


「はっ、寝言は寝てから言え。お前は俺たちの仲間を二人も殺してんだ。今さら生かして返すわけねぇだろうがよ」


「そうですか。わかりました。とても残念です」


 予想通り、交渉は決裂した。


 待っていましたと言わんばかりに、正面から多数の銃口が突きつけられる。


 どうしたって戦闘は避けられそうになかった。


「最後に一つだけ質問があります」


「なんだッ」


「あなたは今までに、どれだけの人を殺めてきたのですか?」


「それこそ愚問だ、くだらねぇ。百より先は数えてねぇよ!」


 男は悪びれた様子もなく言い放つと、ニヤニヤと笑いながら、僕の体をなめ回すように下から上へとおおげさに視線を走らせる。


「わかるぜぇ、お前の考えてることが手に取るようにな。お前は、俺たちが外道だと言いてぇんだろ? 俺たちは、善良な人々を食い物にする救いようのない畜生だってな。……まあ、たしかに俺たちは外道だ、他人様の命なんぞ道端の石ころ同然に考えてる傲慢なクズ野郎だ」


「…………」


「けどな、それに関しちゃあ、俺たちはお前にとやかく言われる筋合いはねぇよ。どうせお前は今まで、あのクソみてぇな配給食の味も知らず、うまい飯を腹いっぱい食って、綺麗な湯水を毎日何百リットルと消費して、温かくて安全な場所で、なに不自由ない生活を送ってきたんだろ? えッ!? どうなんだッ!?」


「……ええ、はい。その通りです」


 僕が答えると、男はニタリと表情を歪ませた。


「ははッ、やっぱりそうかッ! その小綺麗な顔を見た途端に、ぴーんと来たんだッ! 裕福な環境でぬくぬくと暮らしてきた、世間知らずの甘ったれだってなッ! 俺とお前に、どれほどの差があるって言うんだッ! んッ!? その快適な生活を維持するために、どれだけの人間が犠牲を強いられたか想像つくかッ!?」


 男は絶叫しながら、ロケット砲のトリガーに指をかける。


「お前ら統合軍の軍人は、役立たずの無駄飯食らいばっかりじゃねぇかッ! お前らは軍人としての義務を放棄して民間人を守らず、なにかにつけて復興を延期し、慢性的な物資不足を解消せず。あげくの果てに、巨額の費用を投じたアルバトロス討伐作戦は最後の最後で失敗しちまったッ! もう俺たちに余力なんざ残されていねぇってのによッ!」


「…………」


「お前ら軍人のやってることは、他人様の命を食い物にする外道な俺たちと、なんら変わらねぇじゃねぇかッ!」


 男は肩で息をしながら、強烈な殺意と絶望を周囲にまき散らしていたが、そんなものは気にもならなかった。マコトの遺体を抱き上げた時の濃密な血液の匂いと、生命が失われて弛緩した身体の感触が脳裏から離れず、相手に同情する気持ちを摘み取っていく。


 なるほど、たしかに僕はこの男の言うように外道かもしれない。


「満足しましたか?」


「なんだと?」


 しかしだからと言って、社会制度全般が崩壊し、警察力が存在しない現代の日本に、他人の命をためらいなく奪うような危険人物を野放しにしておくわけにはいかなかった。


「言いたかったことはすべて言えたのでしょう? 満足しましたか?」


「……てめぇッ」


 僕は腰部左右のランチャーから対物ブレードをそれぞれ抜刀し、両手に装備した。


 その銘は共に、相州五十七代鬼正。


 いかに優れた兵器であろうとも、兵器とはとどのつまり消耗品である。


 消耗品が一点物では話にならない。


 つまり、真の意味で相州鬼正が優れている点は、まるで一点物のように高品質かつ高性能でありながら、それが十分な量産性をも兼ね備えていることにあった。


 出撃時、片側一基あたりに納められた鬼正は、最大搭載量の五振り。


 主力戦車の装甲を両断しようとも刃こぼれ一つしない耐久性を誇る鬼正ではあるが、両手に装備したそれらが何らかの原因で破損しても、まだまだ予備が残されているわけである。


「死ねッ!」


 男は叫びながらロケット弾を発射した。


 白煙を吹きながら迫りくるそれを真正面から叩き斬って両断する。


 撃墜された飛翔体の残骸は爆発することなくあたりに散らばった。


「撃てッ! 撃ち殺せッ!」


 独断で他人の命を奪っていいはずがない。それは理解している。


 だけど今ここで、この男たちを全員殺さなければ、凌辱の限りを尽くされた上でなぶり殺しにされるだろう。僕はまだ死にたくない。


 生きたい。生き抜いて、もう一度アリス様に会いたいんだ。


《荷電粒子推進機構、始動。一号炉及び二号炉、点火》


 だから――。


《極超音速戦闘へ移行します。ご注意ください》


 左右の肩甲骨付近で、つぼみのように閉じていた三次元推力偏向パドルが滑らかに動作し、鈍色の花弁三枚が花開く。その奥にぽっかりと開いた噴射口から、摂氏一億度に達する微細な重金属粒子が亜光速で下方へと放たれた。


 足元の硬質な地面が円錐状に弾け飛ぶ。


 もはや何もかもが緩慢だった。


 人の動きは言うに及ばず、数多くのライフル銃や重機関銃から発射された無数の弾丸すら、スローモーションとなってノロノロと空中を進んでいる。


 双発の荷電粒子推進機構と、三次元推力偏向パドルが実現する驚異的な機動制御によって、急加速とクイックターンを繰り返す。


 二振りの現代刀・相州鬼正を月光の下で煌めかせ、通常の人間ならば瞬時に五体が引きちぎられるほどの激烈な加速と減速に耐えながら、人間の反射神経や動体視力では決して認識できない速度で、敵集団を切り刻んでいく。


 刀身が極めて高速で振動している最中も、鬼正は通常の刀剣と同じように物静かなままだった。


「……ふぅー」

 勝敗はすでに決していた。最新鋭の軍用兵器を相手に、雑多な火器で真正面から挑んだところで最初から勝ち目などない。


 もしかすると彼らは死に場所を求めていたのだろうか。


 極超音速戦闘を開始して一秒が経過する前に、敵戦力の排除が完了した。


 背後では、泣き別れになった大量の遺体が転がっている。


 遠くの建物にはまだ幾人か潜んでいるみたいだけど、彼らがそこで大人しくしている限り、こちらから手出しするつもりはない。


「…………」

 しばらく睨み合いを続けたものの彼らに動きはなかった。


 もう抵抗する気もないのだろう。


「――っ!」

 そう思って建物に背中を向けた途端、背後から強力な指向性レーザーが放たれた。


 照射された指向性レーザーと、電磁流体装甲を形作る荷電した重金属粒子の防御層がせめぎ合い、白い閃光が瞬いている。


 これが光学兵器の恐ろしさである。


 レーザーは、銃弾やロケット弾よりも遥かに早く前進し、照射とほぼ同時に、目標に命中する。ようするに照射されたレーザーを回避するすべはない。電磁流体装甲を展開していなければ致命的なダメージは避けられなかっただろう。


 ゆえに容赦はしない。鬼正をランチャーに収納しつつ、レーザー照射から逃れるべく身をひるがえし、右腕を前方へと突き出した。


《荷電粒子砲〝雷鳥(らいちょう)〟起動しました》


「威力は最大出力の三十パーセントに制限」


《了解》


 荷電粒子砲は、膨大な電力を消費することで、荷電粒子という名の砲弾を亜光速で射出する大砲の一種であり、運動エネルギー兵器だ。


 それゆえ発射の際に大きな反動が発生する。


 機体が後方に吹き飛ばされるのを防ぐべく、僕は背面に並ぶ双発の推進機構を再度点火し、衝撃に備えた。


《荷電粒子砲〝雷鳥〟発射準備完了。セーフティを解除します》


 戦略兵装機構〝渡り鳥〟の腕は、いうなれば荷電粒子砲〝雷鳥〟の砲身であった。


 無尽蔵の発電能力を誇るムクドリ型永久発電機構から供給される膨大な電気エネルギーが、胸部から右肩を伝って、上腕から前腕へ、そして最終的に手のひらへと集束していくのが強烈な発熱と共に感じ取れる。右腕を覆い尽くす渡り鳥の装甲の隙間からは、ゴムの焼ける異臭と白煙が立ち昇り、幾重もの火花がほとばしっていた。


《警告。右腕内部に異常発熱を検知、右前腕駆動系モジュール融解、ただちに――》


 それでも僕は、目標である廃工場の建屋へと、発射口の埋め込まれた手のひらを向けた。


「――発射」


 双発の推進機構が青い火柱を背後へと噴射する。


 刹那、手のひらから放たれた青白い発光体が、一条の光線となって空中を駆け抜け、瞬く間に破壊目標へと到達した。


 摂氏一億度を超える荷電粒子の塊が着弾すると、その周囲は融解する間もなく瞬時に光へと還元され、巻き起こったプラズマ爆風が一切合切を吹き飛ばし、衝撃波が地面を薙ぎ払った。


《目標殲滅。周囲に敵勢力及び、生体反応なし。準警戒態勢へ移行します》


 終わった。


 そう確信した途端、強烈な疲労感が全身に押し寄せ、すぐに身動きがとれなくなった。


 そのまま瓦礫の上で立ち尽していると、やはり排熱に問題があったのか頭がぼーっとして、だんだんと意識が薄れていった。


「――――」


 西の空から聞こえてきたヘリコプターのローター音に耳を傾けながら、僕はそっと意識を手放す。どこか遠くで、アリス様の声を聞いたような気がした。




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