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滅びゆく世界を救うたった一つの方法  作者: 細川 晃
第2章 焼きたてクリームパイと瓦礫と砂埃
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3 銃口

 


「…………」

 そうして相当な距離を走ったが、最後まで息切れ一つしなかった。普段ならば、どうして自分にはこんなにも体力があるのだろうかと、しばらく考えを巡らせていたところだったが。


 今は、そんなことはどうでもよかった。


 念願の賽原市、その東側の新町地区にたどり着いたのである。


「まさか、そんな」


 けれども眼前に広がる光景に対して、僕は絶句するほかなかった。


 歩道橋が崩れ落ちていた。エンジン部品を抜き取られた乗用車が道端で朽ち果てていた。


 ほとんどの高層ビルは無残に倒壊し、窓ガラスは一枚残らず砕け散り、どこもかしこも瓦礫の山で、人の気配がまるでしない静かな廃墟が、見渡す限り続いていた。


 ようするに、賽原市が滅んでいたのである。


「これが、賽原市?」


 根本から折れ曲がった道路標識が、ここが賽原市の新町であることを知らせてくれた。


 さすがのアリス様だって、ドッキリを仕掛けるためだけに、街一つを廃墟にするのは不可能のはずだ。そうなると、この街は、本当に……。


「……あ」

 唐突に、賽原基地でアリス様から聞かされた話を思い出す。


 僕は目を見開いて呆然と立ち尽くしたまま、ぼそぼそと呟いた。


「二〇一二年八月。九州地方に上陸。二〇一二年末までに、九州、中国、四国、近畿、中部、東北、北海道の順に侵攻。犠牲者は七千万人」


 その後、生き残った何千万もの人々が全国から関東地方に押し寄せて、ほんのわずかな食料や医薬品を巡って人々が殺し合い、関東は壊滅した、だったっけ?


 話し半分で聞いていたから、すべては思い出せないけど、たしかそんなことを言っていたはずだ。それで、わずか数年で人口が一千万人を下回って、二〇二三年現在、この国の総人口は百万人すら下回っている。


 アリス様の説明が全部本当だとするなら、世界中の国々が、現在の日本と似たり寄ったりな状況にある、ということになる。


 日本は消滅のせとぎわ。


 文明は風前の灯。


 人類がここまで追い詰められた、その原因は――。


「二〇〇〇年。世界各地に生じた空間の亀裂から、巨大生物アルバトロスが出現した」


 ありえない。


 ありえないだろ、そんなことは。


 そんな作り話、子供だって信じるわけがない。


「……っ」

 手から始まった震えが足腰へと伝わって、僕はよろめいた。


 こんな夢は見たくなかった。


 夢だったら今すぐ覚めて。


 昨日は天気が悪かったから、洗濯物がたくさん溜まっている。


 アリス様のお弁当も作らないといけないし、庭木の剪定、草むしり、室内の掃除だって頑張らないといけない。来栖野家唯一の使用人として、やるべき仕事がいっぱいある。


 普段よりも早く起きなくちゃいけないんだ。


 だからお願い、早くこの悪夢から目覚めてよ、お願いだから……。


 けれど、どれだけ必死に祈ったところで、僕が悪夢から目覚めることは決してなかった。


「全部、現実だったなんて」


 これまでの奇想天外な出来事のすべてが現実であり、これまでの日常の延長線上でしかないのだと理解するまでに時間はかからなかった。


「早く帰らないと」

 ふいにそう思い立つ。


 さっきまでは、もう顔も見たくないと思っていたのに、今はアリス様に会いたかった。


 彼女の身勝手な趣味や嗜好のせいで、不必要な女装を強いられたこととか。


 女装時の様々な肉体的、精神的な苦労とか。


 そんなのはもうどうでもいい。荒廃した賽原市を目にした途端、そういった細かな葛藤は、根こそぎ吹き飛んでしまった。


「アリス様」

 もう一度会いたい。


 その一心で来た道を引き返し、賽原基地を目指して歩き出す。


 会ったら、まずは謝りたい。


 そして許されるなら、今後のことをじっくりと話し合いたい。


 世界をこんなにも荒廃させた元凶であるアルバトロスに関しても、僕になにかできることがあるなら、可能な限り協力したかった。


 この体内時計が正確ならば、現在の時刻は正午過ぎ。


 今歩いている街道をまっすぐ道なりに進めば、おそらく三十分前後で賽原基地に戻れるような気がした。帰ってもいろいろとあるだろうから、きっと昼食は食べそこねてしまうに違いない。そう考えた僕は、瓦礫だらけの街道を黙々と歩みながら、今晩の夕食の献立について思いを巡らせていた。


 そうだ、夕食はオムライスにしよう!


 卵は当然、半熟のふわとろ。チキンライスも冷凍のものじゃなくて自分で作ってしまおう。


 あとそれからデザートも――。


「物音?」


 背後で瓦礫の崩れる音がした。立ち止まって、ゆっくりと振り返る。


「誰かいるのかな?」


 まさかアリス様? もしかして僕を迎えに――。


「おいおい、マジかよ。また幻覚か!? 覚醒剤キメすぎて、俺はイカレちまったのか!?」


「どうした」


「早くこっちに来い! メイドだ! メイドがいるぞ!」


「はぁ? なにバカなこと言って、……うわ、マジモンのメイドかよ」


 それは酷く汚れた格好の二人組の男性だった。


 しかし、浮浪者というわけではない。彼らの装いは汚れてはいたが、みすぼらしいわけではなく、防塵用のゴーグルと布製の丈夫なマスクで顔を隠し、軍隊の特殊部隊が用いるような、高機能なプロテクターを身に纏っていた。


 もちろん、そんな装いの人間が武器を所持していないはずがない。


 一人は真っ黒なアサルトライフル、もう一人は携帯用の対戦車ロケット砲と思われる大きな筒を肩に担いでいた。彼らの胸部には手榴弾がくくりつけられ、予備のマガジンや軍用ナイフなどが胸部の防弾ベストに収納されていた。


「スゲーっ! めっちゃくちゃ美人!」


「……光沢のあるプラチナブロンドと、澄んだ青い瞳。天然もの、なわけないか。あまりにも容姿が整いすぎていて逆に不自然だ。軍用サイボーグの〝カササギ〟にしては体格が細いし、軽度機械化用のインプラントも見当たらない」


「てことは、こいつロボットか」


「ああ。おそらく、アンドロイド。愛玩用のセクサロイドだな。きっとどっかの金持ちが使い飽きたから捨てたんだろ。……それにしてもなんて精巧なディティールなんだ、こりゃあ本物の人間と見分けがつかねーぞ」


 僕の知識の中にある一般人とはあまりにもかけ離れた二人組は、重装備であるにも関わらず瓦礫の上を草食獣さながらの軽快さで歩き、こちらへと駆け寄ってきた。


 そこでようやく気づいたのだが、彼らの戦闘服には至るところにドクロ、鳥、指を交差したジェスチャーのワッペンが縫いつけられ、ダクトテープが巻きつけられていた。補修しながら長年大切に使い続けてきたのだろう。


 今すぐに、この二人組の前から全力で逃げ出すべきかもしれないと思ったが、寸前のところで思い留まった。外見がどれだけ怪しくとも、彼らも僕と同じ日本人。


 世界有数の平和な国、日本に暮らす人々だ。


 こんなご時世だし、銃で武装しているのも仕方がない。


 日本人は、温厚で、仲間思いで、ちょっぴり平和ボケしている人々である。もしかしたら気のいい人達かもしれないし、他人を見かけで判断してはいけないと、たぶん学校の道徳の授業で教わった気がする。


 そこで僕は相互理解のために、一人の日本人として挨拶を試みた。


「はじめまして、自分は雪風小春です。あなた方は、どこから来られたのですか?」


「なんだ。言語機能も生きてんじゃん」


「そのようだな。完全な美品ってわけではなさそうだが、状態は極めて良好。こいつは大変な掘り出し物だ。ここまであれこれ危険な橋を渡ってきたが、賽原基地のおひざ元まで来たのは正解だったらしい。さすがは最後の楽園。世界一裕福な賽原市はダテじゃねえってこった」


「なんでこんな上物を捨てちまったんだろ、ほんと理解に苦しむわー」


「絶対に傷つけるなよ、売値が下がる」


「へいへい、わかってますよー」


 あれ? どうしてだろう。会話が成立していないというか、それ以前に、そもそも人間扱いされていない気がする。


「あ、あのー、お名前を――」


「どうせ愛玩用だろうけど、変な武器とか仕込まれてたら面倒だし、さっさとスキャンしちゃってよ」

「ああ、そうだな」


 やっぱり彼らは、僕を人間扱いしていないようだ。


 アサルトライフルを装備した軽薄そうな男性が指示を出すと、対戦車ロケットを担いだ大柄の男性がベストのサイドポケットから、物理ボタンが並ぶトランシーバーにそっくりな装置を取り出し、アンテナの先端を僕の腹部へと向けた。


 すると、筐体に備えられた液晶画面に複数の文字列が浮かび上がる。


「変だな」

 大柄の男性は、画面を凝視しながら首をかしげた。


「なにが変なんだ?」


「機体名称、型式番号、製造年、製造場所、すべて記載なし。文字化けもひどいな。かろうじて読み取れるのはスペック表の一部分だけだ。QPU・第八世代耐熱光量子汎用プロセッサ。ダイヤモンド、質量三千カラット。OS・モズ型バリアブル人工知能。主動力炉・ムクドリ型永久発電機構。エネルギー出力・ムクドリ七羽分? こいつほんとにセクサロイドか?」


「コピーライト、二〇一〇? なんとかバイオ、なんとかラボラトリーズインク? オール、リザー……、くそっ、文字化けしてて読めねぇ、やっぱりバグってんのかね?」


「もしくはスキャナーの故障かもしれない」


「まっ、なんでもいいや。それにしても、くくくくっ、エネルギー出力がムクドリ七羽って、なんだよその気色悪い単位はっ!? その辺に転がってるジャンク品のジェネレーターだって、適当に燃料入れてやれば湯沸かし器くらいにはなるはずだろっ!? 鳥が七羽で湯が沸くってのかっ!?」


「どこをどう読んでも、意味不明なことしか書かれてないしな」


「まったくだっ! 光量子、永久発電、未来から来たネコ型ロボットじゃあるまいし、子供の落書きかよ。そんなのがあったら人類はここまで追い詰められてねーよ」


 ……むかっ。知らない単語が多くて、とても早口だったから会話にはついて行けなかったけど、僕がバカにされていることだけはなんとなく理解できた。感じも悪いし、様子も変だし、こういう人たちとはあまり関わり合いになりたくない。


「……えーと、それじゃあ、僕はこれで」


 なので早々にこの場から立ち去ろうとしたのだが、彼らがそれを許すはずもなく。


「おーっと、動くな」

「ひぃ」

 真っ黒なアサルトライフルの真っ黒な銃口を眼前に突きつけられ、僕は一瞬にして身動きを封じられてしまった。


「や、やっぱり、それって本物?」


 自分でも今さらどうかと思うほどマヌケな質問に対し、軽薄そうな男性は一発の銃声によって一切合切を明解に説明してくれた。真っ黒な銃口から発射された弾丸は、僕の頭部の真横を通過して、背後の倒壊した家屋の外壁に弾痕を刻んだ。


「……っ!」

 賽原基地で目撃した玩具みたいな銃とはまるで違う。


 キラキラ輝くだけで害のなかったそれらとは異なり、現在突きつけられている本物の銃は、まず間違いなく、僕を一撃で殺すことのできる凶悪な兵器に違いない。


「両手を上げろ」


 軽薄そうな男性に代わって、対戦車ロケットを担いだ男性が、拳銃の冷たい銃口を僕の眉間に激しく押しつける。もはや服従以外の選択肢がなかった。すかさず両手を上げると、恐怖のあまり声帯が震えて小さな悲鳴が漏れた。


 グリグリと押しつけられた銃口に全神経が集中し、明確な死の感触に全身が震え、発汗し、血の気が失せていく。


「や、やめ……」


 やめてくださいっ。だれか助けてくださいっ。アリス様、助けてっ!


 耐え難い恐怖によって呂律が回らず、悲鳴を上げることも叶わない。


 死にたくない。死にたくない。死にたくない。

 ただそれだけを願い続けて心を貝のように固く閉ざすしかなかった。


「お前にまともな論理回路がついてるなら分かると思うが、その綺麗な顔を吹き飛ばされたくなかったら、せいぜい大人しくしていることだ」


「…………」

 心が恐怖と絶望に染まり、僕は彼らに身も心も支配されていた。


「理解できたか? できたなら返事をしろ」


「……はい」


 見ず知らずの他人に絶対服従を強いられる。


 どこまでも屈辱的で、まさに理不尽の極みだ。ところが、そんなものはどうでもよく思えてしまうほど、死に対する恐怖は絶対的で、抵抗する意欲がまるで湧いてこない。


 湧き上がるのは自責の念ばかりであった。どうして僕は、見ず知らずの他人を無条件で信用してしまったのか。数分前の平和ボケした自分が心底恨めしい。


 けれど、どれだけ後悔したところで、なにもかもが遅すぎた。


「さっさと歩け」


「……っ」

 二つの銃口を突きつけられながら奴隷のように、強制的に歩かされる。


 恐怖に引きつった僕の顔を覗き込んで、名も知らない男たちはケタケタと笑っていた。



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