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滅びゆく世界を救うたった一つの方法  作者: 細川 晃
第2章 焼きたてクリームパイと瓦礫と砂埃
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2 伝線したストッキング

 


 そうさ、反論する余地なんてない。


 どれだけ見てくれが良くったって、僕は結局、気持ちの悪い女装メイドでしかなかった。


 だけど、女装メイドは女装メイドなりに、ご主人様のためにと思って、毎日心を砕いて一生懸命働いてきたんだ。


 報われたいだなんて、そんなおこがましい考えを抱いたことはなかったし、今の生活がいずれ終わってしまうことも覚悟はしていた。


 けれど、こんな結末は想像していなかった。


 はぁー。

 僕はいったい、なにを期待していたのだろう。


 ほんと、バカみたいだ。


《緊急事態発生! 緊急事態発生! 賽原基地司令官・来栖野有栖中将の指示により、当基地は現時刻をもって〝デフコン・ワン〟へ移行! 繰り返す〝デフコン・ワン〟へ移行する!》


《全戦闘部隊は、緊急出撃態勢へ移行! 繰り返す、緊急出撃態勢へ移行せよ!》


《基地警備部隊は、非戦闘職員をただちに避難誘導し、所定の位置で別命あるまで待機せよ》


《重機械化歩兵部隊は、対装甲義体用の実戦装備に換装後、ただちに――》


 ひどく耳障りな、人の心をざわつかせる不協和音の塊でしかないサイレンが、コンクリートで塗り固められた通路に大音量で鳴り響いている。サイレンには、複数人の慌てた声もまぎれていたが、今の僕にはただの雑音でしかなかった。


「少佐! 雪風少佐っ! お静まりください! どうかお静まりをっ!」


 髪は黄金色に煌めき、瞳は明滅する青い燐光を放つ。


「雪風隊長っ! お願いですから大人しくしてくださいっ!」


 密閉された地下空間を赫々たる熱風が吹き抜ける。


「邪魔」

「――ぐああッ」


 軽く押しのけたつもりだったのに、SF映画に登場する甲冑みたいなボディアーマーに身を包んだ屈強な男たちが、ボーリングのピンのように吹き飛んで、後続を巻き込んだ。


 はははっ、夢だ。

 そうか、これはきっと夢なんだ。


 さっきから常識的に考えればありえるはずのない、奇妙な出来事ばかりが身の回りで起こっているのも、きっと夢を見ているからに違いない。


 こんなにも破壊的な夢を見てしまうなんて、自分の精神状況が心配になる。


 やっぱり、知らないうちにストレスが溜まっていたのだろう。


 僕は立ち塞がる人々を手あたり次第に押しのけながら、夢の中のアリス様がドッキリのために建造したと思われる巨大な地下施設を上へ上へと進んでいく。


 ああ、もう。なんて大きな建物なんだ。地上はまだかな?


「HQ! HQ! こちら地下第五層、Bブロックに展開中のアルファ中隊だッ! 素手では目標の行動をまるで阻止できない! ただちに対装甲義体用装備の使用許可を求める!」


《ヘッドクォーターからアルファ中隊へ、全装備の使用を許可する。繰り返す、全装備の使用を許可する。全力で目標の行動を阻止せよ》


「了解。全力で目標の行動を阻止する」


「中隊長、本気でやるんですか!? 相手は錯乱しているとはいえ、この国で〝守護神〟とまで呼ばれた関東絶対防衛戦の英雄ですよ!? いや、この国だけじゃない。あの人は全人類に残された最後の――」


「そんなのはわかってる! だが命令された以上はやらねばならんだろうが! 中隊長から、全隊員へ通達。全装備の使用を許可する! ただし頭部を狙うな、目標への攻撃は首から下に限定する。なんとしても行動を阻止しろ!」


 より強烈な熱風が瞬間的に足元から立ち昇る。


 直後、僕の目の前で十文字の閃光が幾度も瞬いた。


 なにも存在しないはずの正面の空間が発光し、さながら綺羅星の如く輝いているのである。


 よく目を凝らすと、僕の周囲に淡く発光する微細な粒子が集まっていて、それが真円を描きながら高速で循環し、バリアのような薄い膜を形成しているのが見て取れた。


 どうやら十文字の閃光は、そのバリアの表面上で発生しているようだった。


「……?」

 なんだろうと思ってあちこちに視線を向けると、通路の五十メートル先でボディアーマーを装備した男性数名が横一列に並び、実寸大の、しかしオモチャのような外観の銃を両手で持って、レンズで覆われた奇妙な銃口をこちらに向けているのを発見した。


 彼らがトリガーを引くたびに、レンズで覆われた銃口が激しく輝いていたが、特にこれといった害はないので、そのまま歩いて通路の先を目指した。


「対装甲義体用レーザー小銃、効果なし!」


「中隊長! 目標は、対レーザーシールドらしきものを展開している可能性があります!」


「バカを言うなッ! あれは戦車が搭載する装備だろうがッ!」


「ですが、あれはまぎれもなく……」


「とにかく攻撃だ、攻撃を続行しろ!」


 またしても視線の先でなにかが輝いたが、僕はあまり気にせず前進した。


 途中、飛びかかってくる男性や女性を突き飛ばしたり、投げ飛ばしたりしながら、発見した階段を上って地上を目指す。なぜかエレベーターが機能していなかったので、階段を上っていくしかなかったのである。


「あ、日の光だ……」


 ようやく見覚えのある地下駐車場までたどり着いた僕は、地上から差し込む陽光に引き寄せられていく。そうしてやっと外に出られたのだが、この巨大なダンジョンはまだ終わってはいなかった。


 地上は、ひたすらに広大な平地で、どこもかしこも地面は頑丈なコンクリートで舗装されていた。


「ここって、日本だよね? まさか外国?」


 車道も同様によく整備されているのだが、立てられた標識はどれも英語で表記されていて、そこを一人でテクテクと歩いていると、ロードムービーに登場するアメリカ西部の田舎町にでも迷い込んでしまったかのような、不思議な気分になってくる。


 敷地内にはショッピングモールに似た、やたらと大型の建物がいつくも立ち並び、その付近に設置された巨大な看板には、簡素に〝PX〟とだけ書かれてあった。


 PXってなんだろう?


 そんな疑問を頭のすみに追いやりながら周囲を見渡すと、遥か遠くにフェンスらしき囲いがあった。


 きっとあの先に、賽原市があるに違いない。


 そう思い、フェンスに向かって歩き始めると、背後から聞きなれた声に呼び止められた。


「小春」


「アリス様」


 振り返ると、そこにはご主人様が佇んでいた。


 いや、もはや元ご主人様と呼ぶべきかもしれない。


「話を聞いて」


「嫌です」


 だから僕は、即座に彼女の願いを断った。


 すると普段からなにがあっても無表情だったその顔が、深い悲しみに彩られていく。


「――っ」

 胸の内に耐え難い喪失感が広がり、鈍い痛みが走った。


「待って!」


 もう振り返りはしない。


 メイド服のロングスカートと革靴のせいで、とてつもなく走りづらい。


 きっとすでに、ストッキングは伝線してしまっているだろう。


 それでも僕は走り続けた。


 しつこい追手を引きはがし、聞きなじみのない国の言語を叫びながら立ち塞がる人々をなぎ倒し、がむしゃらにフェンスをよじ登って施設の外へと飛び出した。


 当然、施設の外に出たからといって、追手が諦めてくれるわけではない。僕は立ち止まることなく、一心不乱に走り続けた。


 延々と、どこまでも……。



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